第3話

「そこで何をやっているのです」

 鋭い女性の声が師匠を射抜いた。庭に降りて散策中だった師匠は腰を上げて、声の主を見上げた。僕は思わずさっと師匠の後ろに隠れた。  

 突然の高貴な女性を前にも、図太い師匠は怯まなかった。

「これはこれは、奥様。ご挨拶が遅れました。私は呂明りょめいと申します。趙勝殿に招かれて来ました」

「勝が?」

 趙勝さんのお母さんだろう。どうしてこの厳格な女の人からあんな――主に下半身が――だらしない息子が生まれるのか不思議だったが、そういう構図ってよくあるんだよなぁ。

「おや、聞かれていませんか?」

 趙勝さんが両親に話していないのなんて知っているはずの師匠だったが、意外そうに首を傾げた。

 やましいところは一つもないという体で行くらしい。

「では、今から言うつもりだったのかもしれません。趙勝殿はこの三か月夢に悩まされているとかで、道士である私に相談をされたのです」

 師匠は道士であると自分から好き好んで言いたくないらしかったけど、こういう時は他に言葉が無いのでこの単語を使った。

 道士、道士。仙人になる修行をしている人。師匠が修行をしているところなんて見たことがない。

 それでも、物の怪退治師なんて胡散臭い造語よりは遥かに格式のある言葉。

「道士様……」

 奥様も少し雰囲気を和らげたようだった。柔らかい雰囲気になると、趙勝さんのお母さんだという面影が無きにしも非ずというところ。

「は、母上」

 通りがかった趙勝さんは、お母さんが師匠と話しているのを見つけると、上ずった声を出した。

 この手の男性の典型例通り、親には弱いらしい。さすが、趙勝さんは意外性もなく、外さない人だった。

、勝、二人そろってなんの騒ぎだ」

 話声を聞きつけたらしい趙勝さんのお父さんが登場。僕は更に師匠の後ろに深く隠れた。

 だって趙勝さんのお父さん、とても厳つくて怖そうなんだもの。こんな人から怒鳴られた日には絶対に数日響いて気持ちが沈んでしまう。もしかして趙勝さんがあんななのも、その反動では? なんて不躾にも思ってしまった。

 趙勝さんのお父さんは偉いお役人さんだった。(役職を名乗られたけど、僕には耳慣れなくて覚えられなかった)代々この街を守っている。貴族の方々の系図は古いけど、古さで言うのなら趙家は本当に古い家柄で、さっき話に出てきた統一国家が出来る前、その前の前の王朝の頃まで遡ることが出来るとっても古い名家だ。

 さて、役者はそろったと言わんばかりに我が師匠、呂明は両手を挙げた。

「丁度良い、ご両親方も見学されて行かれるとよろしい」

 何しろ、と師匠は続ける。

「趙勝殿だけではなく、この家に関わることですから」

 趙勝さんはきょとん、とした後慌てて左右を見てから、ぎこちない笑みを浮かべた。

 師匠だって、依頼人の了承なしに個人情報は漏らさないよ。そこは信用してくれて大丈夫だよ。

 僕は心の中で趙勝さんに向かって言った。



 師匠は用意してもらった水で、庭の土から泥団子を作っている。

「師匠、それは何ですか?」

 僕は土に水を混ぜながら師匠に尋ねた。師匠は土をこねながら語った。

「道という字は――」

 道、という字は古代の戦で、捕虜の首を使って守りの呪力を得たことに由来する。呪力によって神霊の世界に入る道を作った。

 首には呪力が宿るのだ。

 師匠が作っている泥人形は身体がなかった。可愛らしく丸いそれは、生首だ。

 僕が怯んでいると、師匠は不敵に笑った。

 勿論、趙家の三人も不気味そうにこの可愛らしい生首たちを見守っていた。

「古代、人は文字を作って概念を形にしました。よって私たちはそのものを実際に見なくても情報を概念としてとらえることが可能になりました。概念は形に落とし込むことが可能になったのです」

 師匠の芝居がかった声。

 ごとり、と生首は二列に並べられた。列の間は距離があって、即座にこれは泥の首で作った道なのだと気づく。

 目を凝らしていくと、ぼんやりとでも不透明な何かが見えてきた。 

―――—あれはなんだ。

 僕の中の警戒心がもたげて、師匠の服の袖を強く握った。

―――—本来あれは、見えてはいけないものだ。魅入られる。

 つまり、と師匠は落ち着いた声で続けた。

「こんな泥人形も首という概念を与えれば、それなりに呪力を持つのですよ」

 不透明なものは次第に形を形成し、すっかり女性になっていた。苦し気に顔を服の袖で覆い、咳込んでいた。

 見たことも無い文様が入った衣に身を包み、その顔はまだ見えない。

 咳込んでいた女は呼吸が収まると凛と顔を上げた。

 その異様な様と言ったらどうだろう。眉に何か飾りをつけている。顔には朱で文様が入っている。

 パッと見はぎょっとするほど異様で狂人のそれなのだが、それらが妙に違和感なく、あるべきところにあるような佇まいだった。もしかしたら古代とか異国とか、僕の知らない何処かの正しい所作に則って装っているだけなのかもしれない。

 女は僕らを認めると、首を優雅に傾げた。

「あの方はどこ?」

 あの方というのが趙勝さんを指しているのか、はっと僕は趙勝さんを見た。

 趙勝さんは真っ青に震えていたかと思えば、誰この人ーと言いながら口から泡を吹いて気絶して、とっさのところで奥様に抱えられて何とか頭からの転倒は避けられたようだった。

 うわぁ……。

 って、ちょっと待って。趙勝さんの寝床に出てくる女の人じゃないの!?

「さてあの方とは」

「あの方と言えばあの方よ」

 ぎょるん、と女は開眼した。細長い一重の目が大きく開かれる。

「わたくしを連れ出してくれると言ってくださったの。だからわたくしは裏切ったのよ。あの方と私は一心同体わたくしはあの方と一緒に新しい人生を得るのよ照れてらっしゃるのかしら出てきてくださいなわたくしはここよあの方のはにかむような笑顔が早く見たいの出てきて早くわたくしを迎えに来て」

 うわぁ……。

 段々と句読点が無くなって息継ぎさえなく言葉は続く。

 さっきとは別の意味で怖くなってきた。こういう女の人、知っている。趙勝さんみたいな男の人に騙されて、それでも騙されたって気づいてなくて待って、自分の妄想と現実の区別がつかなくなってしまったような。

 僕にある感情が湧き起こったけれど、それはあまりにもあまりだったので、押し殺した。

 だって、この人は純粋過ぎただけかもしれないし、いや、そもそも騙されてなんかいなかったのかも。

 あの方って人がこの女のあずかり知らぬところで亡くなっていたとか。

 不安げに師匠を見上げると、師匠はぼそっと言った。

「なんか……気色の悪い女だな」

 僕が我慢してたこと、口に出してさえ言っちゃうんだ。


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