その36-4 あと一息ってとこかな?
「……一応聞くわ、一体何をしたらこんなことになるの?」
滑り込むようにして自分の背後に身を寄せたかのーをちらりと振り返り東山さんは尋ねた。
まあこのバカが一体何をして、何を言って、そしてここまでやって来たかなんて容易に想像がつく。
どうせ行き当たりばったりで、出会った全ての盗賊達を挑発し、そして一目散に逃げて――それの繰り返しだろう。
百歩譲って彼になんらかの思惑があってこの陽動を実行していたとしよう。いや、多分そんなこと絶対ないが。
だとしても物事には限度というものがある。
これはいくらなんでも集め過ぎだ。ざっと見ても二十以上はいるように見えるが。
はたして、彼に肩車されていた聡明な少女は、頭が痛い――そう言わんばかりに額を押さえて彼女のその問いに回答する。
「このバカが行く先々で盗賊達を挑発して、そして逃げての繰り返し――」
やっぱりね、見事に予想通りだったわけだ。
音高無双の風紀委員長は眉間のシワをより深いものにして呆れたように小さな溜息をつく。
「ムフ、カッシーの所にツレテくつもりだったディス」
「それが何でここに来たのよ?! カッシーは
「そりゃ行き当たりばったりで、逃げ回ってればこうもなるでしょう。もう、このバカ最低! 少しは考えなさいよね!」
前言をちょっと撤回。彼にも少しは作戦というものがあって逃げ回っていたようだ。
そこは評価しよう。でも成功しなきゃ意味が無いわけで。
馬鹿の考え休むに似たり。かのーの本能の赴くままに実行した中途半端な陽動作戦は逆に窮地を生み出す結果となった。
「追い詰めたぞこのガキが!」
「散々に逃げ回りやがってこの野郎!」
軽く息を切らしながら、額に青筋を浮かべ盗賊達は各々怒り心頭かのーへ口角泡を飛ばす。
どの盗賊達も顔が真っ赤だ。このバカ一体どういう挑発をしたのだ。この怒り具合は尋常じゃなさそうだ。
しかし後方は階下を見渡すことができる二階席の最前列だ。退路はない。
まったくこのトラブルメーカー! 後で覚えてなさいよ!――
大きなツケの支払いに巻き添えを食う事になった東山さんは、前方を塞ぐようにして各々武器を構えだした盗賊達を一瞥し仕方なくヌンチャクを構えた。
「断じて行なえば鬼神も之を避く――かのー、逃げ場はないわよ。覚悟はいい?」
「オレサマ二階くらいなら別に飛び降りテ――」
「ちょっと、この数を押し付けてエミお姉さんを置いてく気!? 本当に最低! いい加減にしなさい!」
「ムフ、イインチョーならこれくらいヘーキヘーキ!」
「だーめ!」
あなたも覚悟決めなさい!――
と、この状況でなお自分本位に逃げようとした少年の髪を手綱を引くようにしてグイッと引っ張り、アリはギロリとかのーを睨めつける。
まったくこれではどっちが年上かわかったものじゃない。渋々ながら棒を構えたかのーと、震えながらも勇気を出して盗賊達を見据えるアリをちらりと眺め、東山さんは苦笑した。
お喋りもそこまでだった。三人の包囲をじわりじわりと狭めながら、盗賊達は殺気の籠った得物を上段へと構える。
「ツンツン髪は即処刑だ!」
「女は俺が殺る! 犯してから嬲り殺す!」
「ヒッヒッヒ、ならガキは俺が!」
『イーーハァァーーッッ!』
欲望と怒りの赴くまま盗賊達は一斉に三人へと飛び掛かった。
多勢に無勢、だとしてもやるべきことは一つ――
怯まない不退転の信念を双眸に灯し、音高無双の風紀委員長は一歩前進する。
刹那。
天高くから急降下してきた光の鳥が飛び込んだかと思うと、激突必至の少女と盗賊の群れの間で弾け飛んだ。
やにわに生まれた眩いばかりの閃光。
何だ!? 何が起こった?!――不意に訪れたその光は両者の視界を著しく白銀で覆いつくし、彼等は思わず身を竦める。
「くっ――」
チカチカと眩む瞼を押さえつつ東山さんは直前に見えた光景に既視感を覚えていた。
視界が白に染まる直前に、僅かに見えた光の鳥には見覚えがあった。そして視力を奪われた盗賊達の悶え声に混ざって微かに聞こえる優雅な調べにも聞き覚えがあった。
迷いの森で
即ち、それは――
シャルル・カミーユ・サン=サーンス作曲 組曲『動物の謝肉祭』より『白鳥』――
「みんな伏せて!」
脳裏に思い浮かんだ曲名と同時に、その調べを奏でる少女の声が聞こえて来て、東山さんは懸命に目を開こうとする。
未だに白む視界の中、宙を舞うは優雅な数羽の『光』の白鳥達の姿。
と、それらが次々と盗賊達の間へ滑空していくと、二発目、三発目と眩いばかりの大閃光を生み出し、彼等の動揺と混乱はあがる悲鳴と共に増していくところであった。
まだ視界はよく見えない。けれどわかる。親友はきっと近くにいる――
はたして、続けざまに聞こえてきた透き通るような別の声に、彼女は確信するように笑みをこぼした。
「祖は魔を貫く聖なる射手。陽光を紡ぎその爪を砥げ、月光を編みその牙を育め――」
「なっちゃん! まゆみ!」
東山さんは叫ぶ。
と、そんな彼女の小柄な身体をむんずと抱きかかえ、強引に床に突っ伏す人物が一人。
回復だけは人一倍早いギャグ体質。左手にアリ、右手に東山さんを抱えて床に伏せると、既に視力が回復していたかのーが、ケタケタと笑いながら叫ぶ。
「ひよっチOKディス! ヤッチャッテー!」
――と。
♪♪♪♪
観客席北側 二階席最上段―
「奏でよ玉薬の音を、虚空を裂いて我に仇なす者を貫け――」
周囲に出現した光の弾丸の群れを従え、日笠さんは詠唱を編んでいく。
青白い魔力の光が陽炎のようにその身から迸り、詠唱を紡ぐ度樫の杖から迸る『制御』の白き光は精彩を増していた。
その傍らでは同じく白き光に包まれた愛用のチェロに弓をあてがい、『白鳥』の調べを奏でるなっちゃんの姿。
追いかけて来て正解だった。
詠唱を続けながら日笠さんは思う。
決戦が幕を切って落とされると、途端敵の中へ突撃していった東山さんの姿に気づき、オケ随一の苦労人である少女は深い溜息を吐いていた。
わかっている。あの子は私達を護るために進んで自ら火中に飛び込んだのだ。
けど無茶し過ぎだ。あの数を相手に一人で勝つつもりなのだろうか――
と、ふと気づいて横を見れば、やはりそこでは懸念と呆れを表情に浮かべ端正な眉を顰める微笑みの少女の顔が見えた。
自分と同じ想いに至ったのであろうなっちゃんに気づき、日笠さんは苦笑を浮かべる。
追いましょう――と、目で語る日笠さんに対し、なっちゃんはクスリと笑って頷いていた。
はたして、二人がようやく東山さんに追いついたのはつい数分前のこと。
華麗なヒットアンドアウェイで盗賊達を撃退し終えた少女を発見し、日笠さんはほっと胸を撫で降ろすと笑顔で声をかけようとした。
しかしそれをなっちゃんが止めたのだ。何かが来る――と。
慌てて通路の影に隠れた二人の前を間髪入れずに通過していったのは、バカ少年と碧眼の少女、そしてその二人を追う大勢の盗賊達の姿だった。
まったくあいつは何を考えてるんだ。まあ何をしたかは大体想像つくが――
陰から様子を眺めていた日笠さんは、開いた口が塞がらない様子で顔に縦線を描く。
やにわに観客席から聞こえてきた東山さんのツッコミに近い悲鳴に、二人は慌てて観客席を覗き込んだ。
案の定追い詰められて一気に窮地に陥ってしまった東山さんとかのーとアリの姿が見え、二人はお互いを見合って頷く。
親友が身を挺してこの状況を作ってくれた。
敵を一か所に集め、しかも発動まで時間がかかるお互いの『切り札』を具現化させるための余裕まで。
目と目で意思疎通をすると、音瀬交響楽団の二大美少女はほぼ同時に魔曲の発動を開始したのだ。
一人は『詠唱』、もう一人は『演奏』――
そして今に至る。
「ひよっチOKディス! ヤッチャッテー!」
わかってるわよ、もう調子のいい!――聞こえてきたかのーの声に僅かに眉を動かして、日笠さんは目を開ける。
なっちゃんが奏でた魔曲『白鳥』の効果で視力を奪われ悶え苦しむ盗賊達に向けて、少女は杖を翳し生み出したる光の弾丸達へ
あいつらを射抜け、友を助けて――と。
「穿て! 聖なる弾丸っ!」
少女の号令と共に、光の帯を空に描き数多の弾丸は放たれた。
刹那、集いに集った盗賊達はようやく回復してきた視界の中に、自分達に向かって迫りくるその弾丸を捉え――
何が起こっているかを理解する暇も与えられず、断末魔の悲鳴をあげて次々と倒れていった。
これが会長が送ってくれた新曲か。なるほど、凄い威力だ――
ぶすぶすと弾丸に射貫かれた箇所から煙をあげつつ床に伏す盗賊達を眺めながら、身を起こした東山さんは眉間にシワを寄せる。
「みんな大丈夫? 怪我はない?」
しかしすぐに聞こえてきた自分の身を案じるその声に表情を和らげ、彼女はにこりと強きな笑みを浮かべながら二人の美少女を向き直った。
本日二回目の魔曲発動は流石に堪えたようだ。杖に寄り掛かる様にして膝をついていた日笠さんは、しかし三人の無事を確認すると汗だくの顔に笑みを浮かべ返す。
「ありがとうまゆみ、なっちゃん。助かったわ」
「どういたしまして。恵美のおかげで一網打尽にできたわ」
「でも、こういう無茶はもう控えてよね?」
「ごめん……でも、信じてたから」
二人の魔曲発動のために時間を稼ぐのが自分の役目。
そして皆を護るのも風紀委員の役目――チェロ村を発つ時役割分担で決めた事だ。
東山さんは惑うことなく真っ直ぐに二人を見つめてそう応えると、彼女達の傍らに歩み寄り両手を差し伸べる。
苦労人の元部長、そして微笑みの少女は、そんな彼女を見上げてクスリと再び笑うと差し伸べられた手を握って立ち上がった。
「ムフン、オレサマの狙い通りディシタ」
『あなたは後で覚えておきなさいよ?』
と、途端に強気に戻って胸を張るバカ少年を一斉に向き直り、女は度胸の音高三人娘は声を揃えて殺気の籠った言葉を投げかける。
アリはそれでも気にせずドヤ顔でケタケタと笑い声をあげるかのーを見上げ、やれやれと肩を竦めていた。
まあとりあえず、それは後回しだ。何とか盗賊達を撃退できたが、他はどうなっているだろう――
東山さんは二人に肩を貸して二階席の端から階下の様子を窺う。
一階に動く人の既に数はまばらだった。
観客達の避難はほぼ完了したようだ。見えたのは相変わらず獅子奮迅の活躍で盗賊達を相手にしているカッシー(と時任)、カナコにシズカそして中央のエリコ達。
「ムフン、トドメと行くディスヨ!」
言うが早いがかのーは鼻息を一つ吐き、棒を肩に担いで一階へ飛び降りる。
まったく相手が劣勢とわかった途端、急に強気になって現金な奴――
日笠さんは華麗に一階に着地するや笑い声をあげながら、残り僅かな盗賊達に奇襲を仕掛け始めたバカ少年を見下ろして額を押さえる。
まあいいか。
とりあえずあいつのことはほっといて、できる事をしなきゃ――
「あと一息ってとこかな?」
「加勢にいきましょうか」
「ええ。さ、アリちゃんも」
「うん、わかった!」
三人娘と碧眼の少女はお互いを見合って頷くと、疲労困憊の身体に鞭打ち一階席へと向かったのだった。
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