その35-3 今のお前は二股かけた
「アンタ正気? 自分でなに言ってんのかわかってる?」
相手は既に役が確定。それもフォーカード。
対してこっちは『
圧倒的に不利なのは誰の目にも明らかだ。一体ここからどうやって勝負を覆すつもりなのか?
にも拘らず、このままでいい。続行だ――確かにそう聞こえた。
エリコは耳を疑いつつ、血相を変えてクマ少年を問い詰める。
だがこーへいはお騒がせ王女のその視線を受けてなお、涼しい顔で首を振ってみせたのだ。
「わかってねえなあ?」
「わかってないのはアンタよこのバカクマッ! 負けたらどうすんのよ? 楽器は? アイコちゃんは? 馬車だって約束守れなきゃ譲ってもらえないのよ?」
「んー、そんときゃごめんな?」
「ご、ごめんなって、はあ!?」
「コーヘイ! 絶対仕切り直すべきっスよ!」
「いいや、このままでいい……いや、このまま『が』いい。ギリギリのゾクゾクが楽しめるからギャンブルなんだってばよ?」
ぷかりと吐き出された紫煙が、わっかを作って宙に浮かんでいく。
自信満々の表情でにんまりと笑ったこーへいを見て、エリコもチョクももはや返す言葉がなかった。
そして今更ながら彼等は理解する。この普段はマイペースでお気楽な極楽な少年の本質をだ。
ここまでのギャンブル狂だったとは――と。
「こーへい」
と、呆れる二人とは別に背後の登録者席から名を呼ばれ、クマ少年は振り返る。
そして椅子に座り、手を膝の前で組みながら自分を見つめていた我儘少年に気づくと、彼はなんだ?――と、首を傾げてみせた。
「……勝てるんだろうな?」
「んー、まあなー?」
「一応聞くぜ、根拠は?」
「おーい、いうまでもねーだろ?」
そう、元より彼の考えは変わっていない。
この大会に出ると決めた時から変わっていないのだ。
そして『勝てるか』ではないのだ。『勝って当然』――
我儘少年の目を真っ直ぐに見ながら、こーへいは淡々と答える。
カッシーは深い溜息をついた後、意を決したようににへらと笑った。
やっぱりこいつは変わってない。元いた世界から変わっていない。
いい意味でも悪い意味でも『平常運転』だ。
でも形は違えど、こいつの根底にあるものは自分と一緒だと思う。
こいつはこいつなりに覚悟決めているんだ。
チェロ村を旅立つ時……いや、この世界にやって来た時に。
うちらは運命共同体、どんな結果になろうと一蓮托生。ならばそう――
「わかった。頑張れよ、こーへい」
「カ、カッシーまで!?」
「こいつがこう言い出したらもう無理だ。あとは任せようぜ?」
信じられない――そう言いたげにこちらを向き直ったエリコに対し、カッシーは覚悟を決めた眼差しで言い返す。
お騒がせ王女はなおそのまま、何かを言いたげに口をパクパクとさせていたが、やがて断念したように小さな溜息をついた。
そしてカツカツとヒールの音を立てながら登録者席まで戻ると、大きな音を立てて席につく。
「ひ、姫?」
「好きにすれば?」
「んー、あんがとなー? えっと……レッドカレーだっけ?」
「うるさい! その代わり絶対勝ちなさいよね!」
「へいへーい」
肩越しに手を振りながら、のほほんとクマ少年がそう答えるのを見届けると、エリコは眉間をカリカリと掻きながら腹を決めたように腕を組んだ。
当惑するように様子を窺っていた眼鏡青年はそのやり取りを見届けた後、仕方なく登録者席に戻ると、剣呑な表情を浮かべたまま腰を降ろす。
「――てわけだ。続行でいいよな?」
こーへいは嬉しそうににんまりと笑うと、モッキーを振り返り小首を傾げてみせた。
モッキーは、好敵手の意図がわからず珍しく戸惑うようにして憮然とした表情のまま彼を見据える。
「先輩……」
「おーい、なんだその表情。やるだろ?」
「……恩に着る」
「んじゃ、決まりだ。おーいおっちゃん、再開しようぜ?」
ややもってコクリと頷いた好敵手を満足そうに眺めながら、こーへいはそう言って傍らにいた支配人を見上げる。
「それはもちろん、こちらとしても願ってもないことなのですが、しかし――」
「んー?」
「このまま続行となると山にあるカードの中身も既に決まっていますが、よろしいのですか?」
支配人は困ったように眉尻を下げクマ少年に尋ねた。
続行はありがたい。こちらとしてもこんな形で決勝戦を終わらせてしまっては、何とも不完全燃焼なその結果に観客が暴動を起こしかねないからだ。
だがディーラーがイカサマに使ったカードをそのまま使っても結果はわかっている。
だから仕切り直すと彼は提案していたのだが、このまま続行を提示したこーへいの要望を汲むとなれば試合そのものが成り立たないのだ。
はたしてその問いを受け、こーへいはしばしの間どうしたものかと思案していたが、やがてにんまりと笑いながら支配人を再び見上げる。
「んじゃ、おっちゃんがシャッフルしてくんね?」
「わ、私がですか?」
「んだ、ついでにもう一個提案してもいいかー?」
「な、なんでしょうか?」
「好きなところから五枚引かせてくれ」
どうせブタだし、全て引き直すつもりだった。
ルール上、配布はディーラーの役目だが先刻までのやり取りで、運営側もグルだと周りには疑われている。
だから好きなところから自分が引くのはどうだろう。
観客も納得させたうえで勝負を決するには、少し変則的だがこれでいいんじゃね?――と、彼は提案したのだ。
少年の提案を受け、やぶさかではないと支配人は頷くと彼はモッキーを向き直る。
「そ、それはリュウ選手がよろしければ私は構いませんが」
「だってよ、いいかモッキー?」
「俺は構わないぴょん……けど……」
「んー?」
「……本当に先輩はそれでいいのか?」
モッキーには未だに彼の意図が掴めない。
こちらの役はフォーカード。勝つにはストレートフラッシュ以上が絶対条件だ。
自由に選べるという変則ルールだとしても、『全て引き直してストレートフラッシュを揃える』ことができる確率が、果たしてどれ程だと思っているのだろうか。
素人でもすぐにわかる程その勝率は低い。だから彼の仲間は必死に止めた。仕切り直すべきだ――と。
それでもこのクマ少年は続行にこだわったのだ。
その意図はなんなのか。その理由は何故なのか、三白眼の少年にはそれがわからない。
しかし当惑の表情で尋ねたモッキーに向かって、こーへいは意外そうに僅かに眉を顰めた後、すぐに元のお気楽極楽な表情に戻るとこう答えていた。
「おーい、もちろんいいに決まってんだろ?……けど、そっちこそ『本当』に『続行』で『いい』んだな?」
――と。
三白眼の少年は逆に返って来たその問いかけに少しの間言葉を詰まらせていたが、やがて無言で頷いていた。
やはり彼の意図する意味が掴めないが故に――
刹那、猫口ににんまりと不敵な笑みを浮かべ、クマ少年は支配人を向き直る。
「んじゃ、決まりだな。よろしく頼むぜおっちゃん?」
「わかりました。それでは――」
ぺこりと一礼して支配人は観客席を振り返り、事の成り行きとたった今決まったばかりの変則ルールを彼等に向けて説明しだした。
何やら動きのあったカジノブースをどよめきと共に窺っていた観客達は、当初支配人の謝罪と報告に半信半疑の様子だった。
だが話を聞くにつれ、クマ少年の粋な提案となおもって逆境に挑むその精神に感心したように、彼等は一斉に声援と拍手を送り始める。
かくして、再開の場は整った。
「ヒャハハ! あのガキトチ狂ったか? 儲けモンじゃねーか旦那、これで首が繋がったなア!」
「うるせえてめえは黙ってやがれ! いいか? 次余計な事してみろ……生きてこの街出れると思うなよ?」
「へいへい、わかったよしょうがねえなあ」
と、ゲラゲラと笑いだしたブスジマにギロリと睨みをきかし、ようやくもって彼の胸倉を放すと、ツネムラはモッキーを向き直る。
これから先は何人の妨害も俺が許さねえ――と。
再び静まり返った会場の中、やや緊張した面持ちの支配人が入念にカードをシャッフルする。
そしてポーカーブースの中央にそれを置くと、彼は慣れた手つきで山をスライドさせ、カードを横並びに配置していった。
どうぞ――そう言わんとするように、支配人が両手を翳してこーへいにカードの選択を促す。
カッシー、エリコ、チョク。モッキー、ツネムラにブスジマ、果てはその場に集った観客が固唾を呑んで見守る中。
並べられたカードを眺めていたクマ少年は徐に顔を上げ、そして対面に座る好敵手を見つめる。
相変わらずののほほん顔の奥に、熱く燃える『勝負師の魂』の片鱗を静かに垣間見せながら。
「なあモッキー、お前さっき、恩に着る――っていったよなあ?」
そう言ってこーへいは並べられたカードの中の一枚を手に取り、手元に置いた。
呟くようにそう尋ねたクマ少年を同じく見つめ、モッキーは小さく頷く。
「恩に着るのは俺の方だぜ? もっと長引くと思ってたんだ。お前っていつも粘り強いからさ?」
「……どういう意味だぴょん?」
「決まってんだろー? これで俺の勝ちが決まったってことさ」
猫口の端が静かに笑みで歪む。
さらにもう一枚、今度は並べられたカードの右端から抜き取りながらこーへいは答えた。
「あんたの勝ち?」
「そうだ、おまえは勝ちに拘って自分の勝負を捨てた」
三枚目。
今度は左端から四番目のカード。
抜き取ったそのカードを手札の左端に置き、彼はぷかりと煙草を吹かした。
「勝負の女神様ってのはよ? すっげー嫉妬深いんだよ。常に彼女を見続けてないと、やきもち焼いてすぐにそっぽを向いちゃうんだぜ?」
「……何を言って――」
「んー、わかんねー?」
四枚目。
次は中央。目の前にあったカードを迷いなく抜き取りクマ少年は手札の一番右に置く。
まるでそのカードが何であるかわかっているかのように。
「今のお前は二股かけた……
おかげで運は全てこっちに回って来た。
だからこの勝負は俺の勝ちだ――
五枚目。
最後のカードを静かに引き終え、こーへいはそのカードを手札の一番右に置いた。
―ナカイ選手、これで全てのカードを引き終えました。長かった最終戦に決着がつこうとしています。はたして優勝はどちらの選手の手に! それではナカイ選手、オープンをお願いします!―
支配人の実況を受け、こーへいは一番左端の手札をゆっくりと捲る。
カードはスペードの『10』。
そして立て続けに捲った次のカードはスペードの『J』。
もしや――と。
何かを連想させるその手札に勘のいい者達がどよめきを上げ始めた。
次のカードに手を伸ばしつつ、こーへいは考える。
『運』という、どうしようもなく逆らえない力は存在する。
そしてそれを察知するために、『勘』という動物的本能はあるんじゃないだろうか――と。
当初、『運』の流れは間違いなく目の前の
少年の発する愛しき人を助けようとする生命の輝きに、勝負の女神様も引き寄せられていたのだ。
ところが、どこかの誰かが二人の勝負に水を差した。
仮に『トラブルの神様』とでもしておこうか。
男だか女だかわからないその厄介な神様は、場の運を掻き乱してしまったのだ。
だがクマ少年は考える。自分に配られた『ブタ』札を眺めながら。
今目の前に用意された『勝負』は、好敵手に傾いた運の及ばない、誰かのちっぽけなイカサマによって用意された『勝負』だ。
ならこの勝負、余裕で勝てるんじゃね?――と。
だから彼は言った。
このままでいい、このままがいい――と。
躊躇することなく、こーへいは次のカードに手を掛けた。
三枚目、捲られたそのカードはスペードの『Q』。
観客席から迸ったどよめきはさらに大きさを増していた。
疑うことなく、その次のカードが果たして何であるかを知っているかの如く。
少年は四枚目のカードに手を掛ける――
はたしてこーへいの持ちかけた提案を、モッキーは受け入れた。
今思い返せばそれがあいつの運の尽き――クマ少年はそう考える。
いつものモッキーなら自尊心を傷つけられたイカサマ行為に異議を唱え、かつこーへいが提案した『続行』も跳ね除け、正々堂々『仕切り直し』を要求していただろう。何故なら彼も少年も生粋の勝負師だからだ。
だが彼は珍しく焦っていた。らしくない程に冷静さを欠き、勝ちに拘っていた。
勝負を楽しむ余裕も失うほどにだ。
理由は推して知るべし、恋人のためということはクマ少年も十分わかってる。
結果、
勝負の女神様は当然ご立腹だ。だから彼女はこっちをちらりと見て笑ってくれた。あなたは私だけを見てくれるの?――と。
「嘘でしょ?……ありえないわよ」
表になったそのカードはスペードの『K』。
これは奇術か、はたまた奇跡か?
捲られた四枚目のカードを見て、鳥肌が立つのを感じながらエリコは思わず呟く。
「け、けど……もう『A』はもう全部出っちゃってるッスよ?」
相手の役は『A』のフォーカード。つまり山にはもうない。だから『あの役』は無理なはず――
同じく目を疑うような現実を目の当たりにし、身を震わせていたチョクは残念そうに唸り声をあげていた。
残すところはあと一枚。まあ仮に『9』を引いても勝ちは勝ちだ。
だがしかし。
彼なら何かやってくれる。
たった一枚だけある『あの役』を完成させるカードをきっと見せてくれる――
そんな期待が脳裏を離れない。拭いきれない。
もはやその場にいる全員が、まるで縫い付けられたかのように視線を外すことができず、食い入るように
おかげで運は全てこちらに傾いた。
ならあとは彼女に任せてカードを選べばいい。
彼女を信じて疑わなきゃ、毒を飲んでも死なねえさ。
ま、逆に少しでも疑えば、転んだだけでも命を落とすかもしんねーけどよ?
けど、彼女が大丈夫って笑うんだったら、『運命』だってなんだって変える事ができるはずだ。
それが賭けに勝つってことじゃねーか?
そう、だから
にんまりと心底楽しそうな笑みをその猫口に浮かべ、こーへいはゆっくりと手を伸ばす。
水を打ったように静まり返った会場の中、彼は勝負の女神に誘われるがまま、伏せられていた最後の一枚を捲った。
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