その34-3 オレサマの子分だろ?

 無事だった。よくやってくれたシズカ、それにあんた達――

 カナコは人知れず『母親』の顔に戻り、愛娘の無事に人知れず涙を堪えていた。

 と、入口からアリに続いてやってきた顔見知りの少女の姿を発見し、なっちゃんと東山さん、そしてハルカは手を振って彼女を出迎える。

 彼女の傍らにはツンツン髪の少年と敏腕秘書の姿も見えた。


「まゆみ!」

「お待たせみんな!」


 日笠さんは三人娘に気が付くと途端に顔を綻ばせ、手を振り返していた。

 よかった、どうやら皆無事のようだ――なっちゃんは、ほっと安堵から胸を撫で下ろす。

 一方で警備隊に守られるようにしてやってきたアリを見上げ、ウエダは二の句が継げずに茫然とその場に佇んでいた。


「ウエダ! 観念なさいこの卑怯者!」

「そんな馬鹿な……何故お前が――」

「残念ですが、お嬢様は返していただきました」


 と、呟くように疑問を投げかけたウエダの言葉に、シズカは淡々と答え歩み寄る。

 逆に一杯食わされねえようにな?――今になって青年の脳裏にリフレインするのはあの白髪の狂人ブスジマが放っていた去り際の台詞。


「おまえか……おまえの仕業かっ! この『あばずれクノイチ』め!」

「それはお互い様でしょう『人攫い』――」


 恨めしそうに吐き捨てたウエダに言い返し、シズカは小脇に抱えていたファイルを彼の前へと投げ置いた。

 途端表情を強張らせ、彼は慌ててそのファイルを拾い上げると、隠すようにして抱きかかえる。

 今更そんなことをしても遅い。喧嘩を吹っかけてきたのはそちらが先だ――

 敏腕秘書は小さな嘆息と共に、蔑むような視線で青年商人を見下ろしていた。

 

「直近数年の売上計上と収入支出に関する調書を拝見させていただきましたが、ざっと見積もっておよそ二百万ピースの租税申告漏れがございました。これは一体どういう事でしょうか?」

「そ、それは――」

「調べればもっと出てくるとは思いますが……貴社にはあまり良い税理士がいらっしゃらないようですね、ウエダ様?」

「ぐっ……」


 終わった。全ておしまいだ――抱えていたファイルを力いっぱい地へと叩きつけ、ウエダはがっくりと項垂れる。

 シズカはそれを見届けると、傍らにいた警備隊長へ向き直り目で合図を送った。

 いかつい顔の隊長はそれを受け部下達に指示を出す。

 連行しろ――と。

 命を受けた警備隊二名が、ウエダの両脇へと屈みこみ彼の腕を掴んだ。

 

「くそっ! くそっくそっ! 何が同じ土俵だバカにしやがって!」

「見苦しい……」

「だまれ! だまれ! 人をコケにするのも体外にしろこのアマどもっ!」


 何たる屈辱だろう。何たる侮蔑だろう。

 端からあの女カナコは、自分など眼中になく、相手にすらしていなかったのだ。

 そう、彼女が十億という大金を惜しげもなく提示して一気に勝負を決めたのは、単なる力技ではない。

 この会場に来訪していた異国の大富豪、王族、武器商人といった連中を牽制するためだったのだ。

 カナコは彼等に向けて、商人の街の組合長として断固たる意志を示したのである。 

 即ち、この商品はあんた達には渡せない。この大陸の『楽器』は一つたりともあんた達にはやらないよ――という意志表明メッセージ

 そうすることにより、彼女は密かに神器の使い手と呼ばれる少年少女達を護ったのだ。

 自尊心もなにもかも、全てを失った青年は目を剥き、天を仰ぐようにして叫ぶ。


「十億なんて馬鹿げてる! そんな金が出せてたまるか! ふざけるな!」



 刹那。

 自暴自棄になった青年商人は理性を捨てた。

 全てを道連れにしてやろうと――

 警備隊に抑えられながらもウエダは口角泡を飛ばし、吼える様にしてカナコを睨みつけた。



「大罪人と交わって娘を生んだ卑賎者のクセに! 奴隷と娘を作ったこの偽善者めっ!」



 やにわにざわついていた会場は潮が引いたように静まり返る。

 青年の血走った双眸を真っ向から受け止めながら、カナコは怒りとも驚愕ともつかない表情を浮かべていた。

 日笠さんとシズカは思わず表情を強張らせ、そして心配そうに碧眼の少女を向き直る。

 はたして。


「あなた……まだそんな事を――」


 アリはショックを受けつつもなお、負けるものかと健気にウエダを睨みつけていた。

 だがそんな少女をウエダはゆっくりと振り返り、もはや作り笑いなど一切浮かべぬ濁った瞳と共に覗き込む。

 

「事実を言って何が悪いのですお嬢様? 貴女がいかに声を大にして否定しようと、貴女に流れる奴隷の血が変わることはない!」


 見る見るうちに青ざめて唇を噛み締める少女に向けて、ウエダは愉悦を覚えながら指を突き付けた。

 そして声高らかに笑い声を響かせると、彼はとどめとばかりに口を開く。



「貴女は大罪人の娘! 貴女は奴隷から生まれた娘! 即ち貴女も奴隷なのです! そう奴隷! 下賤なる奴隷!」



 聴くだけで辟易し、反吐がでるほど憎悪に満ちたその罵声の下、耐えるようにしてひたすら俯く少女を眺め、静まり返っていた会場は再びざわつきだした。


「なによあいつ! いきなり何を言い出すの?」

「アリちゃんが奴隷って――」

「許せない! 可哀そうです!」


 荒唐無稽も甚だしい――事情を知らない三人娘は、なお狂言を吐き続けるウエダを睨みつけ、少女を助けようと一歩足を踏み出す。

 だが彼女達よりも先に、我慢の限界を超えた二人の女性が同時にウエダへ向かって歩み寄ったのだ。

 それは――

 

「もうダメ! あったまきたわ、いい加減にっ!」


 両手に持っていた杖を握りしめ、青年商人へと振り上げる日笠さん。

 そして――


「外道……一度首を刎ねないと分からないか?」


 瞳の奥の怒りを灯し、涼しい音色と共に苦無を抜き放ったシズカ。

 まずい! これはまずい! 商業祭初日から中央地区が血に染まる事態になる!――

 優秀なる若き警備隊二名は咄嗟に青年商人の腕を話すと、殺気だった眼差しで迫る二人の女性の前へと立ち塞がった。

 危うく血の雨が降るところだった――ぎょっとしていた警備隊長は、勇気ある部下の判断にほっと胸を撫でおろすと、目で彼女達を引き離せと指示を送る。


「ちょっとどいてよ! 相手間違えてるでしょ!?」

「後生です! どうかお見逃しを――」

「ど、どうか二人とも落ち着いてください!」

 

 美人二人は端正な顔に怒りを浮かべ、猶の事警備隊に訴えるが警備隊に羽交い絞めにされウエダから引き離されていった。

 情けないほどに狼狽していたウエダは、引き攣った笑い顔を浮かべながらほっと息をつく。

 そして、なおも溜飲下がり足りない彼は見下すように再びアリへと視線を向けた。

 どうだ? 所詮はこんなものだ。お前を助けようとするものなどやはり誰もいない――と。



 だがしかし――



 愉悦と共に少女を見下ろしていた青年は、背後に感じた気配に気づき、ゆっくりと振り返る。

 そしてそこに立っていた人物を見るや、彼は浮かべていた卑賎な笑みを消し去り、思わず短い悲鳴をあげたのだった。


「カナコさん……」

「社長!」


 振りほどこうと暴れていた日笠さんとシズカは、ほぼ同時にウエダの前に立ち塞がったその人物の名を口にして驚きのあまり目を見開く。


「母……さん……?」


 呆然とした表情で自分を見つめる愛娘の声が聞こえ、カナコは歯を食いしばった。

 もう止められない。理性の箍はとっくのとうに外れてる。

 自分の事ならまだ耐えることはできた。

 だが旦那と、そして愛しい娘をここまで貶めれては話は別だ。

 悪いねヨハン、私もまだまだ青いみたいだ……誓いを破ってしまうけれどいいだろう?――


 怒りも、悲しみも、憎しみも、全てが限界を通り越した『無表情』でウエダの前に立ち尽くし、カナコは血が出る程に握りしめた右手をゆっくり振り上げる。


 と――





「ムフン、オーイそこのクソガキー」





 爆発寸前の怒りが支配する張り詰めた会場の中。

 その小ばかにするような何とも軽い声は、やけによく通って聞こえた。

 母親の鉄槌がウエダに向かって振り下ろされる最中、少女ははっとしながらその声の主を振り返った。

 と、愛娘のその挙動によって、僅かに戻った理性が豪放磊落な組合長の拳を寸でのところで留める。


 その声の主であるツンツン髪のバカ少年は、相変わらずの人を食ったような態度でこちらを見ていた。

 だがその糸目も、神経を逆なでする様に半笑いとなった逆三角形の口も、どことなくいつもと違うようにアリには感じたのだ。


 彼の顔は問いかけていた。

 テメーそれでいいんディスカ?

 マミーに任せてそれで終わりでいいのかヨ?

 自分の道を探すんダロ?――と。

 


「おいスー! テメーのコト言ってるディスヨ、聞こえてマスカー?」


 茫然と自分を見つめる少女に焦れたかように、かのーは再び問いかける。

 戸惑うように小首を傾げ、アリは数間先のその少年をじっと見つめていた。

 

「……カノー?」

「テメーの名前は『ドレイ』っていうんディスカ?」

「……」

「ナニ黙ってんノー? アンサーミー。『ドレイ』って言うんディスカって、聞いてるデショー?」


 少女はその問いかけに拳を握りしめ俯いていたが、やがてブンブンと首を振ってみせる。

 その『応え』を待っていた。ならやるべきことは一つだ――かのーはケタケタ笑いながら満足そうに鼻息を一つ吐いた。


「そうデショー? 違うダローが。だったら言ってやれっテ、そこのドアホーに」

「カノー……」

「テメーの名前は『ドレイ』なんかじゃネーダロ? だったら、そこのカンチガイもハナハダシーエセトルネコに、テメーの名前を教えてやれヨ」

「カノー……私はっ――」


 そう、あいつは今喧嘩のバーゲンセール中。

 おまけに恥も外聞もあったもんじゃない子供ガキの喧嘩のタイムセールも実施中だ。

 おあつらえ向きに、あちらからこっちの土俵に降りてきてくれたのだ。

 だったらズングリなんかに任せてんジャネーディスヨ!――

 かのーはクルリと棒を回しウエダに向かって突きつける。


「ぶちかましたれスー……おまえオレサマの子分だろ?」


 ぎゅっと小さな手を握り締め、そして負けるものかと再び瞳に闘志を灯した少女のその背中を、少年の言葉がポンと押した。

 彼女の一挙手一投足に皆が注目する中、アリはコクンと頷きウエダを睨みつける。


「な、なんだその目は!? 奴隷のくせに!」

「私はっ……私の名前はアリよ!」

「だ、黙れ奴隷っ! お前など――」

「もう一度言うわ、私の名前はアリ=スフォルツァンド=タケウチ! 奴隷なんて名前じゃないっ!」


 道は一つじゃない。母さんに見せておくれ、アリが正しいと信じる解決方法を――

 謝ることはありませんお嬢様。貴女はタケウチの娘です。貴女が信じる道を堂々と進めばよいのです――

 ガキはガキらしくぶちかましてサー、そんで蹴っ飛ばしてアイツとケンカすればいいジャン――


 そうだ。

 今はまだこれしかできないけれど。

 ほんとに『子供』で『力技』だけれど。

 けど、これが私が今出せる答え――


 強き意志を灯した碧い瞳は決して怯むことなくウエダを見据え、挫けぬ不屈の闘志は、その背中を押して一歩前へと踏み出させる。

 それこそまさに、タケウチの血が生み出す『商人の誇り』――

 少女のそのあまりの気迫にウエダは気圧されし、思わず後退っていた。


「ひ、ひいぃっ!? その目をやめろ! よせっ! 私を見るな!」

「やかましい! 出直してきなさいよこのスットコドスコイ!」


 思いきり振りかぶられた少女の足が、ウエダの脛へと勢いよく放たれる。

 見事なローキックを食らった青年商人は、情けない悲鳴をあげながら中へと飛び跳ねた。


 刹那、会場からどよめきがあがり、しかしそれはすぐに少女の勇気と度胸に対する歓声と拍手になり変わる。

 やれやれ、咄嗟の所で暴動は阻止できた――見事な切り返しによりその場を収めた聡明な少女に感謝の意を籠め敬礼を送ると、警備隊長は部下に合図を出した。

 連れていけ――と。

 脛を押さえて蹲っていたウエダは無念の表情と共にがくりと肩を落とす。


「ドゥフォフォフォー! やりゃできんジャン! それでこそ我がコブンディース!」

「はいはい、もう子分でいいわ……ありがとう、親分さま?」


 引き摺られるようにして連行されるウエダを余所目に、かのーはアリ目がけて親指を立ててみせる。

 だがそんな親分からの称賛に、何とも子供らしい、顔いっぱいの笑みを浮かべて応える少女の表情には、もはや迷いも葛藤もなかった。

 呆気に取られてその光景を眺めていた日笠さんとシズカは、お互いを見合って嬉しそうに頷き合う。


 と――


 やにわに背後を振り返り、アリはそこにいた大好きな母親の顔を見上げた。


「ただいま、母さん――」


 愛娘がみせた、やけに大人びた、そして何かが吹っ切れたように清々しい表情――

 それに気づくと、カナコは嬉しそうに微笑みながら振り上げていた拳を降ろす。


「おかえりアリ、あんたの道は見つかったかい?」

「……うん」


 確かに見つけた。でも道ともいえないような、結果はでこぼこ道ぶちかましだったが。

 子供しか歩けない小さな小さな裏道だけど、でも後悔はしていない――

 恥ずかしそうに頬をポリポリと掻きながら、しかしニコリと微笑みアリは頷いた。


「でもね――」

「ん?」

「もっといい道があると思うの。だから母さん、一緒に探すのを手伝って」

「……アッハッハ、わかった」


 狐につままれたような表情でアリを見下ろしていたカナコは、やがて豪放な笑い声をあげ大きく一度頷いた。

 そして彼女は娘の頭を優しく撫でると、徐にその前に屈みこむ。

 

「アリ、謝らなければならないことがあるんだ」

「なに?」

「父さんのことだ……あんたの父さんは――」

「――いいの」


 遮るようにしてそう言うと、アリはゆっくりと首を横に振り、にこりと笑ってカナコの目を見つめる。

 そして、きょとんとする彼女に対し、少女はさらにもう一度首を振ってみせた。


「私、母さんのこと信じてる。母さんは今でも父さんのことが好きでしょう?」

「アリ……」

「そうでしょ母さん?」

「……ああ、もちろんさね」

「なら、私も父さんが好き。だって母さんが好きになるくらいの人だったんだもの。恥ずかしいことなんて一つもない。やましいことなんて一つもない――」


 この母が惚れるほどの男の人だったのだ。

 大罪人と呼ばれようと、奴隷だろうと、母が誇れる男性の生き方に何一つ恥ずべきことなどないはずだ――


「だから……私は母さん父さんも大好き」

「アリ……」

 

 そう言ってにこりと笑ったアリを見て、カナコは思わず目を潤ませると優しく少女を抱き寄せた。

 ヨハン、あんたの娘は立派に育ってるよ。飛び出す前より随分といい顔つきになって帰ってきた――満足そうに少女の背中をぽんぽんと叩き、カナコは目を閉じる。



 優しくするだけが愛情とは限らないのではないでしょうか――



 今ならなんとなくだが、あの時シズカが言っていたあの言葉の意味が分かる。

 お互いを思いやり、信じあう母と娘のその光景を眺め、なるほどね――と、日笠さんは一人敬服するように満足げに微笑んでいた。

 

「信じることも愛情――か」」

「……マユミ様?」

「なんでもありません」


 小首を傾げたシズカに向かってクスリと笑って少女は首を振る。


「まゆみっ!」


 と、そこに三人娘がやって来て日笠さんは手を振って出迎えた。

 カナコはアリを抱っこして立ち上がると、そんな彼等へと歩み寄る。


「なっちゃん、トロンボーンは?」

「おかげさまで無事ゲット^^」

「些かびっくりな落札でしたけど……」

「……社長? 中々有意義な買い物をしたようで――」

「アッハッハ、わかるかね? 去年の利益が全部吹っ飛んじまったよ。まあ、てなわけだ。今年は気合入れて働かなきゃねえ」

「畏まりました……」


 これはまたスケジュール調整をし直さなければ――

 倍は稼いでやるぞとなんとも愉快そうに笑うカナコを見て、シズカはやれやれと、しかし嬉しそうに溜息を吐いていた。


「それよりあんた達こそアリを助けてくれてありがとう。この通り礼を言わせてもらうよ」

「いえお互い様ですからお気になさらず。でもそれよりアイコちゃんが――」


 ぺこりと頭を下げたカナコに対し、日笠さんは慌てて手を振って謙遜すると、救出できなかったアイコの話を皆へと伝える。

 話を聞き終えたカナコとなっちゃん達は剣呑な表情を浮かべ、どうしたものかと首を捻っていた。


「既にツネムラの手に?」

「そう――」

「あいつに渡ったとなると厄介だねえ、一筋縄ではいかなそうだ」


 だが盗賊とはいえ話が通じない相手ではない。

 それにエリコ達の方も気になる――

 カナコは顎に手を当て思案をしながら、ふむ――と口の中で唸った。

 

「隙を見て奪い返すか、それとも交渉してみるか――」

「カナコさん?」

「アッハッハ、まあとりあえず応援がてら行ってみようかね、あんた達?」


 そう言って豪放磊落な組合長はパチリとウインクをしてみせたのだった。

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