その34-1 彼女が無事ならそれでいい

 暗闇をひたすら走った。

 足が痙攣してる。肺が焼けるように熱い。もうどれくらい駆けっぱなしだろう。

 一時間……二時間……多分もっとだ。

 それでも追っ手の気配が切れることはなかった。

 むしろその数は増え、距離は徐々に詰まってきている。

 やつらは口々に待てだの止まれだのと叫んでいたが冗談じゃねえ、待ってたまるか。

 捕まったらどんな仕置きが待ってるかなんて容易に想像がつく。


 だが流石にもう限界だ。

 行く先々は封鎖されていたし、この街から出ることも能わねえ。

 どうやらここまでか――

 俺はパンパンに張った足を止めその場に蹲った。

 だがその時だった。


「――こっちだ!」


 誰かの声が聞こえた。


「こっちだ! 早く隠れて!」


 誰だ一体? ああもう誰でもいい。

 俺はその声に誘われるがまま、よろよろと走った。

 倒れ込むようにして逃げ込んだその場所は、どこかもわからねえ汚い路地裏だった。

 異臭が漂うどぶの流れる、店と店との小さな隙間。そこにその声の主は身を屈め、壁に張り付くようにして、通りの様子を窺っていた。

 顔は闇夜のせいでよく見えなかった。

 ややもって通りを追っ手が通過していく気配がした。

 どうやら気づかれなかったようだ。息を押し殺すようにして壁に張り付いていたそいつが、ほっと胸をなでおろすのが見えた。

 刹那。雲に隠れてた月光が路地裏を照らし、やっとその男の素顔を露にした。

 俺は息を呑んだ。透き通るような蒼い瞳に、日に焼けた褐色の肌、そして燃えるような赤い髪に、彫は深いが整った顔立ち――

 この大陸の人間じゃないことは一目見てわかった。


「もう大丈夫だ。しばらく休める」


 そう言って奴は白い歯を見せて笑った。

 言葉の節々に訛りがあった。やはりこの大陸の人間じゃねえな――俺は思った。

 

「助かったぜ、恩に着る。ところでアンタは――」

「心配いらない、君と『一緒』さ……」


 乱れる呼吸を精一杯落ち着かせながら、俺が壁にもたれて尋ねると、奴は徐に左手の甲を俺に向けて見せた。

 そこに見えたのは、青い貝の刺青だった。俺の手の甲に彫られたものと同じ――即ち、逃亡奴隷。

 俺は無意識に深い息を吐いていた。その顔が相当安心したように見えたんだろう。

 奴は苦笑を浮かべ、そして俺とは反対側の壁に持たれるようにして腰かける。

 少しの間二人とも無言が続き、辺りは表通りと逃げ惑う奴隷達と、それを追う警備隊の喧騒だけが支配していた。

 

「やはりこの叛乱は失敗かもしれないな」


 沈黙を打ち破り、奴はぼそりとそう呟いた。


「どうしてだ?」

「北地区の丘の様子を窺ってきたが、警備隊の包囲が完了しかけている。南地区も同様だ。逃げるのは難しい――」

「何諦めてやがる? 俺は逃げるぜ、意地でもな」


 元々逃げ出せるかは一か八か、そう思っていた事じゃねえか。

 まあいざ叛乱に乗じて脱出してみれば、当初聞いていた合流地点も直前で変わるし、しかも行ってはみたが警備隊が張り込んでいる始末。

 慌てて逃げたから何とか捕まらずに済んだものの、どう見ても俺達の中に仲間を売った奴がいるとしか思えねえが。

 所詮は奴隷、烏合の衆だ。仕方ねえといえば仕方ねえ。


 だが冗談じゃねえ、こんなことで諦めてたまるか。

 逃げてやる。地の果てまでだって逃げて逃げて逃げて、そして自由になってやる。

 俺はギリリと歯を食いしばり、男と睨みつけながらそう言った。

 すると奴は、俺のその顔を見て、嬉しそうに笑いながら一人頷いた。

 そしてこう言ったんだ。


 そうか、わかった――と。

 

 やにわに奴は立ち上がると、路地裏の奥を指差しながら俺を見下ろした。

 

「逃げるなら東地区だ。復興が完了していない瓦礫の中を通っていけば警備隊にも見つからないだろう」

「まて、アンタはどうする気だ?」

「僕は警備隊を引き付ける」

「……何?」


 こいつはいきなり何を言い出しやがる?

 俺はその真意を問うように、奴の顔を思わず覗き込んでいた。

 と、奴は自嘲気味に微笑むと、わかりやすい程に俺の顔から放たれていたのだろう、その疑問に対してこう答えたんだ。

 

「東地区には警備隊が集まりつつあるようだ。一人で突破するのは難しいだろう。僕が囮になるから君はその隙に脱出しろ」

「冗談じゃねえ、アンタ捕まる気か?」

「恋人が捕まったんだ。恐らく弟もね……だから僕一人逃げるわけにはいかない」

「だからってアンタまで捕まって何になる?」

「このままでは彼女が責任を問われることになる。そうなったら彼女はもう――」

「責任?……まて、もしかしてアンタの恋人ってのは――」


 奴は何も答えなかった。

 ただ寂しげに笑ったのみだ。


「誰かがこの叛乱の責任を取らねばいけない。だから僕は残ろうと思う」

「……本気か? アンタただじゃあすまねえぞ?」

「彼女が無事ならそれでいい」


 そう言って俺を真っ直ぐ見つめる奴の視線には一切の躊躇も迷いもなかった。

 覚悟を決めた男の目って奴だ。

 だが、すぐにその決意の眼差しを引っ込めると、奴は元の穏やかな顔つきに戻り無言で頷いてみせた。

 さあ、いこう――ってな。

 

「時間がない。こうして話している間にも、警備隊による街の包囲は厳しくなる」

「……本当にいいのか?」

「構わない。君の幸運を祈る」


 キザなことをいいやがって――俺は苦笑した。

 奴もはにかみながら、頭の後ろを掻く。


「アンタ名前は?」

「ヨハン。ヨハン=グロッケン=スフォルツァンド」


 そう名乗ると、奴――ヨハンは白い歯を見せてこう言ったんだ。

 

「一つお願いがある」

「なんだ?」

「もし逃げ延びることができたら――を――れ」

「……え?」


――っと!――-ソー選手!――だ!


「何言ってんだ、聞こえねえよ?」

「――んな――があっ――生き――」

「おい! どうしたヨハン!」


――これはすごい!――選手――ロです!


「どんな辛い事が――っても――生きぬ――て――」

「おい! ヨハン! おい! はっきり言えよ!」






―なんという速攻でしょう! リュウ=イーソー選手! 早くも決勝進出決定です!―



♪♪♪♪



パーカス 中央地区 市民ホール。

カジノ大会 特設会場 登録者専用VIP席―

PM 2:25


 割れんばかりの歓声に包まれる会場の中、中央に設置された特設スクリーンに映し出されたリュウ=イーソー――もといモッキーの顔をぼんやりと眺め、ツネムラは額に噴きだしていた汗を拭う。

 夢か――と。

 懐かしい夢だった。忘れたくとも忘れられない悪夢だった。サングラスを取り眉間を押さえながら、彼は溜息を吐く。

 今になってこんな夢を見た理由はわかってる。

 あのガキのせいだ。スクリーンにどでかく映っている食えないガキの放った、あの言葉――

 忌々しそうに画面に映るモッキーを見上げ、ツネムラは喉の奥で低く唸った。


「ヒャハハ! どうした副頭領? 顔色がよくねえぜ?」

 

 と、背後から聞こえてきた白髪の狂人の声に気づき、黒鼬の首領は途端に眉を顰めるとギロリと彼を振り返った。

 

「てめえ、こんな前まで来やがって。面が割れても知らねえぞ?」

「大丈夫だ、皆勝負に夢中で気づきゃあしねえよ」


 ヒャハハと狂った笑い声をあげ、ブスジマはVIPと一般席を隔てる柵に寄り掛かると、案ずるなと言わんばかりに舌を出してみせる。

 まあいい――ツネムラは舌打ちしながら正面を向き直り腕を組んだ。


「それよりすげえじゃねえか、代打ちのあのガキ。ついに決勝進出を決めやがったぜ?」

「なんだと?」

「なんだよ見てなかったのか? ほれ、あれだよ」


 そう言ってブスジマは特設スクリーンに向かって顎をしゃくってみせる。

 言われるがままツネムラが見上げた画面には、はたしてナタリー=シルバーマンを下し、見事リュウ=イーソーが決勝進出を決めた旨の速報テロップが流れているのが見えた。

 上位四名を厳選なる抽選で分けた一対一のトーナメント戦の初戦は、ルーレットによるサドンデス勝負。

 即ち所定のコインから開始して、どちらが先にコイン十万枚に到達するかを競うものだった。

 だがしかし、結果はご覧の通りピンポイント九点張りを三連続で的中させた、モッキーの電光石火の勝利で幕を閉じていたのだ。

 一進一退の名勝負を予想していた観客達からは、良い意味で期待を裏切った少年に対し、惜しみのない称賛の拍手が送られていた。

 

 と――


―ああっと! どうやらもう一方の勝負も勝者が確定したようです。十七番ナカイ選手! 六十四番プリエト選手を下し決勝進出となります!―


 モッキーの勝利決定より遅れること約五分。もう一方の決勝進出者も確定する。

 特設スクリーンにでかでかと現れた、ダブルピースを決めるクマ少年の顔を見て、三白眼の少年はちっちっちと舌打ちをしていた。

 そうこなくては困るぜ先輩――と。

 

「よっしゃ! いいぞこーへい!」

「フッフッフ、アタシとの特訓の成果ね!」


 いや、あれはあまり意味がなかったと思う――

 ドヤ顔で胸を張るエリコの傍らで、チョクは心の中でそうツッコんでいたが。


―これで決勝進出者が確定致しました。これより三十分のインターバルを挟み、決勝戦を開始します! 皆様、決勝まで勝ち進んだ二人の勝負師達に盛大な拍手を!―


 支配人のアナウンスに合わせ、観客席からは割れんばかりの拍手が惜しみなく二人の少年へと送られる。

 そんな中、クマ少年と三白眼の少年はルーレット台を挟み、お互いを喜々とした表情で見合っていたが、やがて同時に踵を返し会場を後にしていった。

 こーへいは東へ、モッキーは西へ――

 と、控室へ消えていく二人の姿を見送るとエリコはそそくさと立ち上がりカッシーを振り返る。

 

「さっ、カッシー! 私達も行きましょうか?」

「へ? 行くってどこへだ?」

「大会規定読んでないの? 決勝戦は登録者もホール中央にて立ち会うこと――って書いてあったじゃない」

「……マジか?!」


 まあ恐らくは場を盛り上げるための演出の一環だろう。

 決勝戦に限って、登録者も代理人の背後で観戦することとなっていたのだ。

 途端に顔に縦線を描き、あがり症な我儘少年は口をへの字に曲げる。

 まずい、それはまずい――と。

 だが少年がぐずるのをある程度予想していた彼女は眉尻をあげ、いいから来いと言わんばかりにカッシーの手を引っ張ったのであった。

 

 一方で、もう一人の決勝進出を進めた代理人の登録者も、サングラスを掛け直し、のっそりと席を立つ。


「おっ、出陣かい副頭領?」

「立会いとして出なければならねえんでな……あとその名で呼ぶんじゃあねえ」

「へいへい、ところでお願いがあるんだがよお?」

「なんだ?」

 

 振り返りもせず、鬱陶しそうにそう尋ねたツネムラの背中に対し、ブスジマは笑い声をあげながら話を続ける。

 

「決勝戦なんだが、俺も立ち会わせてくれねえか?」

「何? てめえ、何考えてやがる?」

「ヒャハハ! 別に他意はねえよ。ただ間近であいつらの勝負が見たいだけだ」


 と、不審そうに顔だけ向け、眉根を顰めて尋ねたツネムラに対し、白髪の狂人は茶化すように肩を竦めてみせた。

 しばしの思案の後、ツネムラは溜息を吐くとアイコを連れて歩き出す。

 

「好きにしろ、面が割れても俺は知らねえがな?」

「ヒャハハ、恩に着るぜ黒鼬の旦那」


 そう言って、ぞっとするほど狂気に満ちた瞳と共にほくそ笑んだブスジマの企みに、だが既に背を向けて歩き出していたツネムラが気づくわけもなく――

 

 はたして暗雲漂いだした会場で、それぞれの譲れぬ目的を賭けて異世界でもあいまみえる事となった好敵手同士の戦いが、今始まろうとしていた。

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