その33-3 歌劇『魔弾の射手』

「お頭の言ったとおりだぜ。本当に来やがった」

 

 あいつウエダは甘い、奴等のしぶとさをわかっちゃいねえ。いいか? お前らはここに残れ。奴等きっとあのガキを助けに来る。もし来たらとっ捕まえんだ。ただし殺すんじゃあねえぞ? 奴等をどうしてやるかは……俺が決めるからなあ――

 

 ウエダの店を去る際にブスジマは自分の配下にそう指示を残し、ツネムラの下へと向かっていたのだ。

 はたしてブスジマの予想通り、アリを救出にやってきたかのーを発見した彼の配下達はこうして退路を断つため姿を現したわけだ。

 まあしかし、この少年があろうことか屋根から飛び降りて脱出しようとしたのは想定外だったが。


 聡明な碧眼の少女は、突如として姿を現した男達を眺めつつ、瞬時に彼等が何者かを理解してかのーの陰に隠れた。

 この男達の格好には見覚えがある。アイコさんを攫って行った連中と同じ服だ――と。

 だがやにわにバカ少年は自分の陰に隠れたアリの両肩をがっしりと掴むと、即座に彼女を抱えて自分の前へと持ってくる。

 思わずきょとんとしてしまった少女は、しかしややもって、どういうことよ?――と、少年を見上げた。

 もちろん、嫌な予感を十分過ぎる程感じながら。

 案の定、バカ少年はケタケタと笑いながら、少女が予測していたいくつかの選択肢の内の一つを口にする。


「ヨシ、行くのディス我がコブンヨ!」

「はあ!? 何言ってんのよ?」

「オレサマはその隙に逃げるディス。あとヨロシク」

「あんたって奴は……最っ低っ! か弱い少女を囮にして自分は逃げるつもり?!」

「親分を助けるのは子分としてトウゼンデショー!」

「誰が子分よ! このバカノー!」

「いいから行くディスヨこのバカスー!」

「いやよ! あなたが行けばいいじゃない! あ、ちょっと押さないでよ!」

「うるせええええ! 静かにしろてめえらっ!」


 なんて緊張感のないガキどもだ――

 と、お互いを前へと押し出し、醜い囮の擦り付け合いを始めた二人を見て、盗賊の一人が呆れたように怒鳴る。

 髪を引っ張り、ほっぺをつねり、取っ組み合いの喧嘩寸前になっていたかのーとアリは、その怒鳴り声を浴びて渋々ながらも再び構えた。

 結局当初のとおりアリが少年の背後に隠れる形で――


「たくっ、とにかく観念するこったな。大人しくしてりゃ、手荒な真似はしねえよ」


 どっちにしろ囮を立てようが、この数相手に逃げられるわけがないだろう――

 じわりじわりと包囲を狭めながら盗賊は諦めろといわんばかりにほくそ笑む。


 さて困った。どうしたものか――

 かのーは少ない脳みそをフル回転させて、状況の打破を模索していた。

 当然ではあるが、少年の考える選択肢の中に『戦う』などという勇敢な行動は含まれていない。

 あるのは

 1.一目散に逃げる

 2.そのまま逃げるのは悔しいので煽ってから逃げる

 3.スーになすりつけてその間に逃げる(既に失敗)

 ――以上の三つだ。

 とどのつまり、どの選択肢を選んでも主行動は『逃げる』一択に決めていたバカ少年は、糸目の奥で周囲を一瞥し必死に逃走経路を見定めていたのであった。

 

 と――

 

 やにわに少年はにやりと笑みを浮かべる。

 こっそりと盗賊達に気づかれぬように背後へ回り、こちらへ向かって杖を翳した良く知る人物を発見して。

 

 4.やっぱり誰かになすりつけてその間に逃げるディス ←New!


 頭上に浮かんだ豆電球と共に閃いた新しい選択肢を迷うことなく選ぶと、途端にバカ少年は得意絶頂でケタケタと笑い声を響かせた。

 まるで新しい悪戯を考え付いたガキ大将のように。

 まるで面白い遊びを思いついた小学生のように。

 つい先ほどまで、狼狽しつつ顔に縦線を描いていた少年の豹変ぶりに、盗賊達は動きを止めナイフを持つ手に力を籠める。

 

「なんだてめえ、急に笑い出しやがって!?」

「ムフン、いいこと思いついたディスヨー」

「いいこと? 何言ってやがる?」


 と、尋ね返した盗賊に向かい、かのーは持っていた棒をクルリと回して突きつけた。そして宣戦布告ディース!――そう言いたげにドヤ顔を浮かべ、ぷくりと鼻の穴を広げる。

 

「オメーラも捕まえてやるディス。チェロ村の時みたいにネー」

「……てめえっ!」


 調子に乗りやがって、お頭は生け捕れと言っていたが、少しは痛い目合わせないと気が済まねえ――少年を囲う盗賊達の身体から怒気と殺気がみるみるうちに立ち昇りだす。

 それでも少年は彼等の怒りなどどこ吹く風で、小ばかにするような笑い顔を絶やさずに肩を竦めてみせた。


「三秒やるディス。道を開けてどっかイケ」

「ふざけるな! 立場わかってんのかこのガキ!」

「アッソー、ジャーショウガナイネー」


 刹那、かのーは笑うのをやめるとムフンと鼻息を一つ吐き、得意満面の表情を浮かべながらこう言い放ったのだ。



「コーショーケツレツディース。ひよっチー! こいつらヤッチャッテー!」



 ――と。

 盗賊達の怒りに火に油を注ぐ行動を取り続ける少年を、呆れ顔と共に窺っていたアリは、突如彼の口から飛び出たその言葉に目を見開く。

 そして糸のように細いバカ少年の目が見つめる、その視線の先を辿って前方を向き直ると、その先に佇んでいた人物を発見して顔を輝かせた。


「マユミお姉さん!」


 喜色に満ちた少女の声につられ、盗賊達は狐につままれたような表情で一斉に背後を振り返った。

 同時に風に乗って聞こえてきた、小さく、囁くような呪文の詠唱――

 はたして盗賊達の視界に見えたのは、街路樹に隠れるようにして佇み、手にした樫の杖をこちらへと翳して、詠唱を続ける少女の姿であった。

 

 

♪♪♪♪



 数分前。

 いた! あいつったら何やってるのよ?

 やっとのことで何とか二階の一画まで到達していた日笠さんは、地面に出来上がった人型の穴を見下ろし、やれやれと額を押さえていた。

 およそ一時間前、縦横無尽に逃げ回る足音と、それを追いかける大人数の怒声が響き渡り、たちまちのうちに騒がしくなった建物の中を、彼女も慎重に少しずつ移動して上を目指していたのである。

 とはいえ、潜入は十八番と称していたシズカや、とにかく身軽なかのーと異なり、彼女は普通の女の子だ。

 度々廊下を往来するウエダの手下達から隠れては移動し、隠れてはまた移動し――を繰り返していたため、ここまで来るのに大分時間がかかってしまっていたが。

 そんな彼女が何度目かの移動を決心し、慎重に廊下へと飛び出した時だった。

 やにわに外で鳴り響いた、ズシン――という衝撃音。

 何事かと彼女は窓に駆け寄って一階を見下ろし、地面にぽっかりとできていた人型の陥没に気づくと目をぱちくりとさせる。

 そしてその穴からにょきっと顔を覗かせたよく知る少年の姿を発見し、彼女はお決まりの如く額を押さえていたというわけだ。

 

 しかしまあ、あの衝撃音といい、目の前に見える人型の陥没といい、まさかあいつ飛び降りて来たというのだろうか。

 そんな疑問を抱きつつ、様子を窺っていた少女の耳へ次に聞こえてきたのは、同じく聞き覚えのある碧眼の女の子の悲鳴――

 やにわに落下しながら視界に現れたアリの姿を見て、日笠さんはほっと安堵の表情を浮かべる。

 アリちゃん、無事だったのね。けれど……何で彼女まで上から?――

 と、そこまで疑問を重ねてから、日笠さんは頭の中でとある結論に至り、顔に縦線を描きながら深い溜息を吐いていた。

 あのツンツン髪のバカ少年が、はたしてここに至るまでどのような行動を取ったのかが、手に取るようにわかってしまったからである。

 嗚呼、わかりたくなかった。こんな『非常識』な想像を容易にできてしまうようになっている自分が情けない――

 僅か三年、されど三年。色濃い連中の破天荒な行動にすっかり毒されつつある自分を悟り、日笠さんはトホホと眉尻を下げる。

 

 だがしかし。

 そうそう悲観している場合でもなさそうだ。

 アリをキャッチし、声高らかに笑うかのーを囲むように近づく人影に気づき、日笠さんは慌てて踵を返すと一階目指して駆けだした。

 助けなきゃ――と。

 

 気づかれないようにこっそりと。

 息を殺してひっそりと。

 日笠さんはかのーとアリを囲む盗賊達にばれないように、慎重に外に出ると店の前に生えた街路樹に身を隠し様子を窺う。

 何とかここまではこれた。さてこの後どうするか? あまり考えている時間はなさそうだ――

 意を決したように少女は首に下げていたペンダントをちらりと眺め、徐に手にしていた貰ったばかりの樫の杖を盗賊達へと翳す。

 

 今回の魔曲は『多対一』向けの攻撃魔曲だ。使いどころを誤ると味方にも被害が出る可能性がある――

 

 脳裏にリフレインしたのはササキの言葉だった。

 大丈夫、テストは実施済みだ――自分を落ち着かせるように日笠さんは心の中でそう呟く。流石にぶっつけ本番は怖かったから、魔曲を貰った直後、こっそり試してみていたのだ。

 効果はなるほど、確かに『多対一』向けな、この状況にうってつけの魔曲だった。

 けれどできる事ならテストなんかしなくてもいいように、内容は教えてもらいたい。それこそ無駄な時間だろう。

 まったくどこまで意地悪なんだろうあの会長は――

 こんな状況にも拘わらず、考えているうちにササキに――いや彼だけでなく、ついでに誰もかれも好き勝手に行動しすぎなオケ部員パーティーメンバーに沸々と怒りが込みあげてきて、日笠さんは一人眉を顰める。

 

 いけないいけない。集中だ――

 

「祖は魔を貫く聖なる射手。陽光を紡ぎその爪を砥げ、月光を編みその牙を育め――」


 詠唱を開始した少女の身体を蒼白い仄かな光が包みだす。

 手に持っていた樫の杖の先端が呼応するように白い光を帯び魔力を放ちだした。


「奏でよ玉薬の音を、虚空を裂いて我に仇なす者を貫け――」


 と――


「コーショーケツレツディース。ひよっチー! こいつらヤッチャッテー!」

「――は? って……えええええ?!」


 やにわに聞こえてきた、バカ少年の何とも人を食った軽い声に、少女は吃驚して目を開ける。

 そして彼女は一斉に自分へと向き直った盗賊達に気づいて目をぱちくりとさせた。

 もう! あのバカ、こっそりやるつもりだったのに!

 な ん で ば ら す の よ ! ?――


 訴えるようにかのーを睨みつけ、日笠さんは顔を真っ赤にしながら、口をパクパクさせる。

 だがそこで少女は、はっと我に返ると口を押さえた。


 しまった! 詠唱が――と。


 時すでに遅し。

 少女の周りに集まりつつあった魔力は、途端に蛍のようにいくつもの青白い光となって宙へと散っていく。 

 詠唱キーワードを中断すると最初からやり直し――何度か実験してわかっていた事なのに、あまりにも唐突にあのバカかのーが振ってくるから思わず止めてしまった。

 周囲の視線を集める中、日笠さんはわかりやすい程に狼狽の色を表情に浮かべ、思わず後退る。

 流石のバカ少年も中々発動されない魔曲の効果と、彼女のその表情から、なにやらやばい――と感じ取ったようだ。


「ドゥッフ!? 何ヤッテンノーひよっチ! 早く撃つディスヨ!」


 先刻までの余裕はどこへ行ったのか、一筆書きで描けるようなシンプルなその顔に焦りの色を浮かべかのーは叫ぶ。

 だが返って来たのは、怒りに震える少女の罵声だった。

 

「このバカ! なんでばらすのよ! こっそり撃つつもりだったのに――」

「結構時間あったデショー!? もしかしてまた痛いキーワードとか付けたんディスカ!?」

「なっ!? い、痛くないもん! 今回割と短めだもん!」

「ハアー!? ユー学習能力ナイノー!? バカナノー!?」

「あなたに言われたくないっ!」


 お前が言うな!――と、顔を真っ赤に、しかも涙目になりながら日笠さんは怒鳴り返す。

 だが口論もそこまでだった。

 

「妙な動きを……野郎ども! そっちの女も捕まえろ! 怪しい動きに気をつけろ!」


 少女の周りに集まりつつあった魔力を見て面食らっていた盗賊達は、しかしどうやら杞憂だったと気づくと一斉に動き出す。

 二手に分かれ一方はかのーとアリへ、そしてもう一方は日笠さんへ――


 どどどどどどうしよう?!――


 パーティーのまとめ役である少女は顔色を真っ白にしながら、思わず身を竦ませる。それでもなんとかしなくてはと、彼女は気丈にも杖を構え直すが、既に盗賊達は彼女のすぐ傍まで近づきつつある状況であった。

 これでは再詠唱の余裕はなさそうだ。

 まさに万事休す――

 仕方なく日笠さんは覚悟を決めて盗賊達を睨みつける。

 何とも腰の入っていないへなちょこな構えと共に。

 

 と――

 

 振るえる手で杖を握りしめる少女の眼前に、それは突如として降り注いできた。

 迫る盗賊達を包み込むようにして宙で大きく開いた黒いそれは、蜘蛛の糸のように彼等を覆い、そして絡み取り、動きを封じたのだ。

 途端にあがる盗賊達の吃驚した悲鳴。


「なんだ?! 何が起こった!?」

「くそっ、妙な事をしやがって! 動くんじゃねえぞこのガキどもっ!」

「ドゥッフ、何ディスカー!?」

「……網?」


 ようやくもって盗賊達の動きを封じた物体の正体を理解した日笠さんが呟く。

 そう、それは彼女の言う通り、鉄線の編み込まれた黒い投網――

 でも何故こんなものが――少女は狐につままれたような表情で、網に絡まり悔しそうに吠える盗賊達を眺めていたが、しかしやにわに頭上から聞こえてきた声により、その理由を把握するに至る。

 

「マユミ様、今のうちです!」

「シ、シズカさん!?」

「Oh! ニンジャイカスー!」


 今が好機チャンス!――

 屋根上からこちらを覗く敏腕秘書の姿をその目に捉え、日笠さんはよしと頷くと構えた杖に意識を集中しだした。

 

「祖は魔を貫く聖なる射手。陽光を紡ぎその爪を砥げ、月光を編みその牙を育め――」

「イタタタタター! やっぱりひよっチガー! ひよっチが懲りてないヨー!」


 う、うるさいなあ! あいつめ、あとで覚えておきなさいよ――

 途端に聞こえてきたかのーの声を無視して、少女は詠唱を続けていく。

 

「奏でよ玉薬の音を、虚空を裂いて我に仇なす者を貫け――」


 刹那、日笠さんの周りに再び魔力が集い始め、彼女の身体を青白い光が覆っていった。詠唱と共に光を増す樫の杖が、集まりだした魔力を制御するように一際白い光を放つ。やがて凝縮された魔力は、少女の詠唱によって紡がれ、魔曲の効果を具現化しだした。

 やにわに、少女の周囲に彷徨うように出現しだした数多あまたのそれは――

 例えるならば無数の『光の弾丸』。

 宙に漂う直径十センチ程の針状の弾丸の群れは、低い振動音をあげ、射出の合図を今か今かと待っているようだった。


 カール・マリア・フォン・ウェーバー作曲 歌劇『魔弾の射手Der Freischütz』――


 少女の詠唱によって紡がれ具現化されたこの魔曲こそ、まさしくササキが送った魔曲第三弾である。


 あれはなんだ!? あんなもの見た事がない!

 もしやあれが噂の『神器の使い手』が奏でるという奇跡の力なのか?

 ああいや、今はそれはどうでもいい。

 逃げろ! 逃げろ! 逃げろ!

 あれは! なんだかとてもやばい気がする!――

 

 投網に絡まれ必死にもがく盗賊達は、少女の周りに出現した無数の光の弾丸を見るや直感的にそう悟り、我先にと逃げ出そうとした。

 しかし忍特性の鋼線はナイフを当てようが噛みつこうが切れるはずもなく、もがけばもがく程彼等の手足を絡み取っていく。

 時間切れ――少女の挙動がそう告げた。

 狙いすまして射出の時を待つ弾丸達へ号令を送るため、日笠さんは杖の先端を盗賊達へと向ける。

 何かが来る!――本能でそう悟ったツンツン髪の少年は、アリの身体を掴むと咄嗟にその場に伏せた。



「穿て! 聖なる弾丸っ!」



 凛とした少女の命と共に、数多の光の魔弾は空を切って放たれた。

 憐れ盗賊達は光の帯を虚空に描き飛来する弾の群れを躱すこと能わず――

 途端に店前に断末魔の絶叫が響き渡る。

 やがてその絶叫も聞こえなくなった時。

 盗賊達は投網の中で一網打尽にされ、ボロボロになって伸びていた。


 よし、うまくいった――

 日笠さんは、ふうと一度深呼吸をすると、翳していた杖をゆっくりと降ろす。

 そして額の汗を一拭いしてから、彼女は心配そうに前方に声をかけた。


「かのー、アリちゃん、大丈夫?」 

「ムッカー! いきなりナニスンノーひよっチ! オレサマじゃなかったら当たってたディスヨ!」


 その声に反応し、ガバッっと立ち上がったツンツン髪の少年は、額に大きな青筋を一本作りつつ、憤慨した様子で日笠さんに歩み寄る。

 対して少女は自業自得だと言わんばかりに呆れたように目を細め、近づいて来たかのーの顔を覗き込んでいた。

 そんな中、音もなく芝生へと着地したシズカは、地に倒れる盗賊達を一望し、少女が発動した奇跡の効果に一人戦慄する。

 動く者は一人もいない。まさに一掃。まさに殲滅。

 これが『魔曲』か、なんという威力だろう。コル・レーニョが求める理由もわかる。

 確かにこの奇跡は使い道を誤れば一気に危険な『力』になりかねない。

 

 だがしかし――


「しょうがないじゃない。だって時間がなかったんだから」

「だから何度も言ってるデショ! イタイ呪文やめろっテ!」

「やだ、だって痛くないもん。これは私の拘りなの! やっぱり魔法はこうでなくちゃ――」

「イタタタタタ! やっぱりひよッチがイタイヨー! ドクゼツードクゼツー! 早くキテー!」

「カチーン! あったまきた! 大体あなたがあそこでばらすからピンチになったんでしょう? いい気味よ!」


 お互い顔がくっつく程に近づいて口喧嘩を再開した日笠さんとかのーを眺め、シズカは人知れず微笑を浮かべた。

 彼等なら使い道を誤ることもないだろう――と。


「シズカさん……」


 と、そこで足元から聞こえて来た声に、敏腕秘書ははっと顔色を変えゆっくりとその声の主を見下ろす。

 声の主である少女――アリは申し訳なさそうに、だが不貞腐れる様に眉根を寄せて上目遣いで彼女を見つめていた。

 

「ごめんなさい、私のせいで――」

「お嬢様」

「私、母さんに反抗して飛び出して……でも何もできなくて、結局みんなの足を引っ張っただけで――」


 刹那。

 もじもじと両手を合わせ、ようやくもって言葉を放ったアリの小さな体を――

 シズカは無言で抱き上げると、力いっぱいぎゅっと抱きしめる。

 突然のその抱擁に、アリは吃驚して目を丸くした。

 

「シ、シズカさん?」

「本当にご無事でよかった――」


 抱きしめられていたから、彼女のその顔は見えなかった。

 けれど普段はとてもクールで、表情一つ変えない敏腕秘書の声が微かに震えていたことに気づくと、少女はそっとシズカの背中に手を回す。

 掌に伝わって来た彼女の背中の温もりが、なんだか嬉しくて、自分が情けなくて、アリは込み上げてきたその感情を堪えきれず、ぽろぽろと涙を流していた。

  

「ごめんなさい……本当にごめんなさい」


 と、聞こえて来た少女の泣き声に気づくと、シズカは彼女降ろして屈みこむ。

 そしてアリの頭を優しくなでると、その顔を覗き込み小さく首を振ってみせた。


「アイコ様を助けようとしたそうですねお嬢様。立派な心掛けです」

「シズカさん……」

「謝ることはありませんお嬢様。貴女はタケウチの娘です。貴女が信じる道を堂々と進めばよいのです」


 もし道を誤ったら、それを正すのは我等家族の役目だ。

 それに彼女はもうわかっている。

 どんな相手だろうと、決して怯むことなく悪に立ち向かえるその度胸。

 残酷な過去を知っても、なお挫けず進めるその精神。

 それこそがタケウチの血に流れる『商人の誇り』の本質――

 

「ですがお嬢様はまだ小さい。誰かを頼ることは決して恥ではありません。ですからもっと私共かぞくを頼ってください」

「……」

「一緒に道を探しましょう。社長もきっとそれを望んでおります」


 にっこりと優しい微笑みを浮かべシズカは首を傾げてみせる。

 敏腕秘書その微笑みを受け、アリはごしごしと涙を拭うとやがてコクリと頷いた。

 

「シズカさん、アリちゃん――」


 と、そこに日笠さんとかのーがやってくるのが見えてシズカは立ち上がる。

 どうやら喧嘩は終了したようだ。もっとも、バカ少年のその頬には大きな赤い『もみじ』が見事に出来上がっていたが。


「マユミ様、カノー様ありがとうございました。おかげでお嬢様を助けることができました」

「どういたしまして。あ、でも……こいつから聞いたんですが、アイコちゃんがツネムラの下に――」

「そうだ、あの白い髪の男に連れて行かれちゃったの!」


 早く彼女を追わないと――日笠さんの言葉を聞いて、アリも今朝の出来事を思い出し血相を変えながらシズカを向き直る。

 アイコは既にツネムラの手に渡った。と、なると恐らく彼女は今カジノ会場か、或いは黒鼬のねぐらか――元の冷静な敏腕秘書の表情に戻ったシズカは顎に手を当て、一人小さく頷いた。

 だがしかし――

 

「アイコ様の行方も気になりますが……その前に寄るところがあります」

「寄るところ?」

「商人組合と、警備隊の詰め所です」


 剣呑な表情を浮かべる日笠さんに対しそう答えると、シズカはやにわに懐から一冊のファイルを取り出してみせる。

 なんだろう?――日笠さんだけでなく、かのーもアリも彼女が取り出したそのファイルを眺め、一斉に首を傾げていた。


「あの、シズカさん……そのファイルはなんですか?」

「切り札です」

「切り札?」

「はい。タケウチ家に喧嘩を売った者がどういうことになるか、身をもって知っていただかなければ――」

「シ、シズカさん?」

「フフ……フフフフフフフフフフフフ」


 不敵な笑みを口元に浮かべたシズカの、その冷徹で、そしてなんとも『悪い顔』に――

 日笠さんとアリは、つられるようにして引き攣った笑い顔を浮かべていたのだった。

 

 

PM 2:15 シズカ、かのー、日笠さん

ウエダの店よりアリを救出完了――

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