その33-2 カノーなんか大っ嫌いっ!

パーカス 西地区ウエダの店 屋根上―

PM 2:00


 少年の小脇に抱えられ、絶叫をあげながら逃げ回る事はや一時間強。

 アリは素直に少年の『逃げる』ことに関する天性の才能に感心していた。

 凄いことだと思う。もう一時間以上も逃げ続けているのに、まだ捕まっていないことをだ。

 素直にこの少年の事を称賛したいと思う。

 建物の中を縦横無尽に逃げ回り、そして時に隠れ、追いついてきた男達を嘲笑い、ヒットアンドアウェイで叩きのめし、そしてまた逃げる――これを『行き当たりばったり』で続けることができる『鬼ごっことかくれんぼの天才』ともいえる才能をだ。


 だがしかし――

 やっぱりこんな状況の時くらいノープランは勘弁してほしい。

 今少女は切なる思いと共に心底そう感じていた。

 一面に広がる平坦な倉庫の屋根を眺めながら。


「もう! どうしてあなたは人のいう事を聞かないのよ!」

 

 かのーの小脇から頬を膨らませつつ彼を見上げて、アリはヒステリックに叫んでいた。

 そっちはだめ! だめだって! カノーストップストップ!――と、いくら叫んでも、本能の赴くままにケタケタ笑いながら、バカ少年は階段を一足飛びで上がっていってしまったのだ。

 ここが何階か? そしてこの先に何があるのか? 六歳の少女でさえしっかり把握して警告していたというのに、とりあえず目の前の敵から逃げる――これだけを優先していたこのツンツン髪の少年は、やはり気が付かなかったようである。

 

 最後の階段を勢いよく駆け上がり、その先に見えた扉を乱暴に蹴り壊し――

 そして途端、眼前に広がった一面の屋根上を眺めて、かのーはようやくもって顔に縦線を描いていた。

 やっべ、行き止まりじゃん――と。 


「やっぱり最初に扉を壊して逃げたのは失敗だったのよ! あなたが入って来た天窓から脱出すればよかったじゃない!」

「ムッカー! 捕まってたクセにエラソーに何言うディスカー! 大体テメーあの高さ登れるノー? ムリデショー?」

「の、登れるわよ! あなたが来るちょっと前に、私踏み台を作って天窓から逃げようとしてたの! 本当にあとちょっとだったんだから」

「プププー、でもシッパイしたデショー? 崩れてドッシーンって落ちてたジャン? キャーとかも言ってたヨネ?」

「見てたの?! だったら助けなさいよ! ひ、ひどくない?!」


 バカにするように口を押えて噴き出したかのーを見上げ、アリは顔を真っ赤にしながら悔しそうに睨みつける。

 だが無駄話もそこまでだった。


「いたぞ! こっちだ!」


 階下から聞こえてきたその声を聞いて、まずい!――と、二人は顔を見合わせた後、バカ少年は再び脱兎の如く逃げ出していた。


「待て! いい加減観念しろ! もう逃げ道はないんだぞ!」


 男の声はもはや息も絶え絶えといった様子だった。

 いい加減うんざりだ。これ以上無駄な抵抗はやめてくれ――といった心境がありありと感じ取れる警告であったが、そんなのに構うかのーではない。

 

「どうするのよ!? 見つかっちゃったじゃない!」

「ドゥッフ、逃げるしかないに決まってンデショ!」

「逃げるって言っても、こっちに逃げたって――」


 さっきも言ったじゃない。ここは屋根、建物の一番上、そして出入り口はさっき飛び出してきた一つしかない。

 それはあなたもわかってるでしょ?――

 アリは目を白黒させながら、しかし一縷の望みに賭けて少年が走っていく前方へと顔を向けた。

 だがその途端、少女はがっくりと頭を垂れる。

 見まい、気づくまいと無視し続けていたその先に、無情にもどんどん迫って来ていた『屋根の端現実』を目の当たりにして。

 やはり鬼ごっこもここまでのようだ。

 

「かのー、ストップストップ!」

「ムフン、ナンデー?」

「なんでって行き止まりじゃない! もうこうなったら覚悟を決めてあいつらと戦うしか――」

「エーナンデー?」

「え?」

「マダ逃げられるデショー?」

「…………は?」


 ああ、もう最悪――

 そこで少女は気づいてしまった。

 かのーの走る速度が落ちるどころか上がっていることに。

 途端に顔を真っ青にしながらアリはバカ少年を見上げる。

 ちょっと待ってよ! また?! またなの?!――と。

 

「何考えてんのよっ!?」

「ヘーキヘーキ。オレサマネー、四階から落ちてもダイジョーブだから」

「いやーっ! 降ろして!」

「いっくよスー! アーイキャーンフラァァァァーーイッ!」

「やめてえええっっ!」


 も う 落 ち る の は ご め ん よ !

 だが少女の心の叫びも空しく、バカ少年は全力疾走で屋根の端をダン!――と踏み込んで。

 

 

 河風そよぐ青空へとその身を投じたのであった。

 

 

「あっ――」


 少女の瞳に映ったのは本日二度目の大パノラマ

 前方百八十度、視界一面に広がるリード河は本当に綺麗で、雄大に流れるその大河をいくつもの帆船が出入りする光景はロマンチックですらあった。

 ああ、商業祭は既に始まっているようだ。中央地区の大通りを大勢の人が行き交い、大盛況しているのがここからでもわかる。

 本当に綺麗だ、私の街ってまだこんな見た事がない景色があったんだ。

 全てが無事に終わった後、お弁当を持ってまた眺めにきたい。母さんと二人で、波止場に腰かけ河を眺めながらサンドイッチを食べるんだ。

 

 ああ、本当にもったいない。

 ここが何もない空中で。

 そして幾人もの男達に追われて命の危機に晒されている状況で、やむなく身を投げたシチュエーションでなければどんなに良かっただろう。

 そしてもうダメだ。限界だ。

 さようなら私の現実逃避。

 そしておかえりなさい。

 半日のうちに『三度』も空を飛ぶ私の非常識な現実――


 やにわに少女の身体は真っ逆さまに落下を開始した。


「HAHAHAHAHA!」

「ひゃあああああっ!?」


 見る見るうちに、店の前の芝生が近づいてくる。

 ああ、これは流石にダメだ。直撃だ。きっと痛いんだろうな――

 思わずきゅっと目を瞑り、アリはかのーの胴にしがみ付く。

 そんな少女の背中をむんずと掴むと、ツンツン髪の少年はあろうことか、べりべりと彼女を引きはがした。

 

「ムフン、着地のジャマディス♪」

「へっ!? えっ!? 嘘でしょ!?」


 嘘じゃないディース本気ディース!――

 と、かのーは吃驚するアリをぽいっ♪――と、空中へと放りだす。


「酷いっ! おぼえなさいよこの薄情者!?」


 切歯扼腕、悲鳴に近い叫び声をあげ、アリは目一杯に涙を貯めつつかのーを睨み付けた。

 だが刹那――少女は視界に映ったその光景に碧い瞳をぱちくりとさせ、恨み節の一つでも叫んでやろうと開きかけていた口を噤む。

 視界からどんどん離れていくバカ少年は、手に持っていた棒を空中でくるりと一回転し、そしてやり投げの選手が如く少女アリ目がけて投げようとしていたのだ。

 何をする気よ?――と、アリが尋ねるよりも早く――

 

「まったねースー!」


 ケタケタと笑い声をあげる少年の手から、六尺の棒は勢いよく放たれた。

 ひっ――と短い悲鳴をあげて目を閉じた少女が着ていたワンピースの袖を、棒は正確無比に通り抜けあっという間に反対側からその頭を覗かせる。

 そしてそのまま倉庫の壁に勢いよく突き刺さり、彼女の落下を縫い止めた。

 

 ドゥッフ、成功ディス♪――

 晴天の下、干された洗濯物と化した少女を見上げ、かのーは満足そうに鼻息を吹かす。

 数秒後。

 大きな衝撃音と共にバカ少年は地へと激突し、芝生のキャンパスに漫画のような人型の陥没を作り出したのであった。

 

「信じられねえ、本当に飛び降りやがった……」


 二人を追ってきた男達は、ぜーはーと息を切らせつつ、屋根の端から下を覗き込んで呟く。

 なんて奴だ、生きてるのかあの小僧――

 芝生に出来上がったそれはそれは見事な人型の穴をまじまじと見下ろしながら、彼等は呆れを通り越して思わず称賛の溜息を吐いていた。


「無茶しやがって……」

「おい、どうする?」

「ガキは無事だろう。とにかくあいつをとっ捕まえるぞ――」


 逃がしたら、それこそ旦那ウエダに何を言われるかたまったものではない。

 男達はお互いを見合って一度頷くと、壁に縫い付けられたアリを捕まえようと、階下を目指し踵を返した。

 

 が、しかし――

 

 男達の踏み出した足は、僅か一歩で止まる事となる。

 河から吹く風に腰まで伸びた絹糸のような黒髪を靡かせながら、こちらに向かって歩み寄ってくる女性の姿を発見して。


 男達の目には、彼女のその身を覆う黒いスーツが、まるで黒装束のように見えていた。

 男達の耳には、ゆっくりと淑やかに屋根を踏み鳴らす彼女のパンプスの音が、まるで死刑宣告のように聞こえていた。

 風の音だけがやたらと耳朶を打つ中、彼女の真っ黒な瞳が殺気を帯びて見開かれる。

 十間程まで男達との距離を詰めて歩みを止めると、女性は両手を広げてその袖から苦無を取り出し、十字を描いてそれを構えた。

 

「だやい……お覚悟を――」


 風鈴のように涼しい女性の声色が放ったその言葉を聞いた時、男達は思わず生唾を飲み込み自分達の近い未来を悟る。

 恐怖心に煽られつつも彼等は職務を全うしようと、やぶれかぶれで突撃を開始したのだった。

 

 

♪♪♪♪



パーカス 西地区ウエダの店 一階店前―


 数分後。

 芝生に空いた人型の穴からにょきっと手が伸び、穴の端を掴む。


「ムフ、回復完了」


 ちょっと痛かったが、まあとりあえずは結果オーライ――

 かのーは身軽に穴から飛び出すと、服に着いた土汚れを払い落とし、得意気に鼻息をついた。

 と――


「カノー! 早く降ろして!」


 やにわに頭上から聞こえてきた少女の声に、バカ少年はぴくりと耳を動かし、そうだった――と振り返る。

 そして棒に吊るされ洗濯物状態のアリを見上げてケタケタと笑い声をあげた。

 刹那、少年は助走をつけて店に駆け寄ると、慣れた動作で勢いよく壁を蹴りつける。

 少年の放った打突の振動は、壁を駆け上り少女の身体を支えていた棒へと伝わっていった。


「ひっ!? やだっ!? ちょっと待って!」

 

 途端にグラグラと揺れ始めた棒を眺め、アリは目を剥き顔を真っ青にする。

 頭の後ろで手を組んで、そんな少女を面白そうに眺めながらかのーはにやりと笑った。

 

「ドゥッフ、降ろしてホシーのか、待ってホシーのかドッチナノー?」

「降ろし方ってものがあるでしょ!? 何考えてるのよ!」

「メンドクサーイ」


 言うが早いが、バカ少年はもう一度壁を勢いよく蹴りつける。

 更なる振動が棒を伝わり、壁との接合面を揺らしたかと思うと、棒は少女の重みに耐えきれずカクンと垂れさがった。

 物理法則に従って、少女の身体は『物干竿』を滑り落ちてゆく。


「もう! カノーなんか大っ嫌いっ!」


 結局こうなるんだ――

 涙目で空中へと放り出されたアリの身体は、再び落下を開始した。

 背中を通り過ぎる、ぞわりふわりとした何とも嫌な感触に耐え切れず、思わず目を閉じた少女の身体は――

 やがて真下で待っていたバカ少年の腕の中にすっぽりと収まる。

 

「ムフ、大成功ディース」


 我ながらナイスキャッチ――ケタケタと笑いながらかのーはさらにもう一回壁を蹴りつけた。

 そして勝利を宣言するかの如くゆっくりと右手を上げると、振動で抜けて落ちてきた棒を掴む。


「ネー? 逃げられタデショー?」

「…………」

「ドシター? スー?」

「……あなたと一緒に旅してるユーイチお兄さん達って、本当に大変だろうなって、ふと思っただけよ」

「フーン、ソーディスカー」

「そうよ! まったくもう!」


 もう怒るのを通り越して逆に呆れるしかない。

 本当に行き当たりばったりなんてふざけた脱出方法だろう。

 一生分は叫んだ気がする――未だに早鐘のように高鳴っている胸を抑え、かのーの腕の中でアリは深い深い溜息を吐いたのだった。

 だが、ややもって。

 少女は自分を抱きかかえる破天荒な少年を見上げ、クスリと笑う。

 まあいいか。それでも彼は、助けに来てくれたのだから――と。


「何笑ってるディスカ?」

「別に……ありがとうカノー」

「ムフン、もっと敬え我がコブン」

「もう、すぐ調子に乗るんだから」

「よし、ソンジャ帰るぞスー」


 と、アリを降ろしツンツン髪の少年が彼女の頭を撫でた時だった。

 本能的に感じた嫌な気配に、彼はぷくりと鼻の穴を膨らませる。

 刹那、黒い影がそこかしこから気配を露にし始めたのに気づき、かのーは慌てて棒を構えていた。


 店前の街路樹、壁の隙間、中庭に置かれた大八車の影、果ては店の中から――その影は人の形を成しつつ続々と出現していたのだ。

 それは先刻まで自分を追っていたウエダの手下とは異なる、出で立ちは様々だが、深い緑に統一された服装に身を包んだ男達。

 特筆すべきは手に持つその短剣に、そして彼等の頭を包む緑のバンダナに描かれた、とある動物だった。

 一度見たら忘れられない、チェロ村を劫火に包んだ悪党どもの象徴トレードマーク


 即ち、『蜷局とぐろを巻いた蛇の紋章』――

 逃がさない。

 逃がすわけがないだろう神器の使い手よ?

 

 『神出鬼没のコル・レーニョ』――そう呼ばれる盗賊達は、一斉に懐にしまっていたナイフを抜き放つと――

 下卑た笑みを口元に浮かべ、かのーとアリを囲い始めたのだった。

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