その32-2 家族の絆

パーカス中央地区。

カナコ邸客間―

PM 0:35


「どうぞ」


 ノックの音が聞こえて来て、トッシュはそれに応える。

 数秒の間の後、トレイを持ったノトと、メイドがゆっくりと中に入ってくるのがみえて、彼は目礼した。


「お昼ご飯です」

「ありがとうございます」


 トッシュは礼を述べて、ベッドから身を起こし座りなおすと、上半身に上着を羽織る。

 ベッドサイドテーブルの上にトレイを置き、ノトは運んできた小さな鍋の蓋を取った。鍋の中からほんわかと湯気が立ち昇り、美味しそうな匂いがトッシュの鼻腔をくすぐる。

 彼女お手製のパン粥だった。


「具合はどうですか?」

「大丈夫です」

「よかった。でも切創は熱が出るそうですから、あまり無理はなさらないでくださいね」

「申し訳ない。こんな大事な時に……」


 傷は比較的浅かったし、幸いにも腱まで達してはいなかった。昨夜のうちに医者の手によって縫合も済んでいる。

 小皿にパン粥をよそいながらノトが心配そうにそう諫めたが、彼女のその気遣いも空しくトッシュは悔恨の表情を浮かべ両拳を握りしめていた。

 昨夜の顛末を知ったのは今朝の事だ。

 アリとアイコが捕まった――目を覚ました彼は、義姉の口から告げられた最悪の結末に落胆の色を隠せずにいた。

 しかし自らの不甲斐なさを責める彼に向かって、カナコは普段と変わらぬ強気な笑みを浮かべながらこうも答えていたのだ。

 心配しなくとも二人は必ず助け出してみせる。だからあんたはゆっくり養生してな――と。


「義姉さん達は大丈夫でしょうか――」


 きっと今頃は皆、それぞれの目的に向かって一大作戦を繰り広げている頃だろう。

 ノトが差し出した小皿を手に取り、ぼんやりとそれを眺めながらトッシュは呟く。

 一緒に入って来たメイドが換気のため開いた窓から涼しい風が室内に吹いてきて、レースのカーテンを緩やかに靡かせた。

 やにわに顔を上げ、ノトは窓の外に広がる青い空を見つめながら、トッシュ同様心配そうに嘆息する。

 彼女の脳裏を過ぎったのは、元気いっぱいな小柄な少女の笑顔だ。

 

 と――


「心配ご無用です」


 窓辺に佇み、ノトと同じく外の景色を眩しそうに眺めていたメイドがゆっくりと二人を振り返り、案ずるなかれと口を開く。

 

「カナコ様は必ず助ける――そうおっしゃって家を出て行ったのです。ならば我等『家族』は家長の言を信じ、そのお帰りを待っていればよいこと――」


 血以上に深く濃い、タケウチという家族の絆。

 彼女のその顔に何ら不安の色はなく、主が帰還と共にもたらす勝利の報告を信じてやまない余裕の笑顔が浮かんでいた。

 メイドのその言葉を聞き、ノトとトッシュはお互いを見合うと、ややもって不安の色を表情から消し去る。

 代わりに浮かんだのはタケウチ家の結束に対する敬意と羨望の眼差しであった。

 それを見て、メイドも嬉しそうににこりと笑う。

 

「さてと、それでは夕飯の下拵えをしなくてはなりませんので私はこれで――」

「私も手伝わせてください」

「助かりますノト様、それでは遠慮なくお言葉に甘えさせていただきます」


 今夜はきっと勝利を祝う宴になる。腕によりをかけて御馳走を作らねば――

 本日の夕食当番であったメイドは、気合いも新たに可愛い鼻息を一つ吐くと、力瘤を作ってみせた。



♪♪♪♪



パーカス 西地区ウエダの店 三階屋根裏部屋―

PM 0:40


 使われなくなった器材が埃を被り乱雑に置かれたその部屋の中。

 木箱に本棚、椅子に机……大小様々なそれを積み上げた『塔』の頂で、少女は懸命に背伸びする。

 目指すは埃だらけで薄汚れた天窓だ。

 アリは息を止め、その『脱出口』に手を掛けようとあらん限りに全身を伸ばす。

 あと少し。あとちょっと――

 だがしかし。

 突貫工事で少女が作りあげたその塔は自らの重さとバランスに耐えられず、無情にもグラグラと揺れだした。

 

「!?」


 まずい!――

 慌てて背伸びをやめて、両手を広げバランスを取ろうとしたが時すでに遅し。

 少女は足下を眺めながら、顔に縦線を描く。

 

「わわわ……きゃあああ!?」

 

 揺れは徐々にふり幅を増すと、刹那、歪なその『塔』はゆっくりと傾きはじめ、大きな音を響かせながら崩壊する。

 宙へとその身を放り出された少女は悲鳴をあげながら落下していった。

 

「うるさいぞっ! 静かにしてろっガキめ!」


 ややもって扉の外からうんざりしたような見張りの怒鳴り声が聞こえて来る。

 いててて……失敗か――

 幸いにも古びたベッドの上に落下していたアリは、全身埃だらけになりながらも頭を抑えて起き上がると、倒壊した『塔』であったその残骸を眺め肩を落とす。

 誘拐されてどれくらいの時間が経ったのだろう。もう商業祭はきっと始まっているはずだ。

 何とかしてここから抜け出さなきゃ。このままじゃ私のせいで母さんが――

 焦りは募るばかりだ。少女は天窓を見上げ、悔しそうに眉根を寄せる。

 

 と――


 そこで彼女は固まった。

 古ぼけた天窓の向こう側にべったりと張り付き、中を覗く妖怪のような『( ̄▽ ̄)』顔を発見して。

 既視感のある光景だった。ついぞ最近、いやほんの半日ほど前に見たような――

 それでもやっぱり、いきなり出てきたら吃驚するものは吃驚するわけで。

 必死に口を押さえて悲鳴をこらえながら、少女は目を皿のようにまん丸くさせる。

 そんな少女を余所目に、ぱかりと天窓を開けて、颯爽と屋根裏部屋に着地したバカ少年は、大きな鼻息を一つつき彼女に向かって胸を張ってみせた。


「ブフォフォー! スーはっけーん!」

「カノーっ!」

「ナンダヨ、結構元気ソーディスね」


 生きてた。もう会えないって思ってたのに。

 でもどうしてここに?

 まさか私を助けに……来てくれたの?――

 途端に心に湧き上がってくる様々な感情。

 ベッドから飛び出し、少女は思わずかのーの足にしがみつく。


「バカッ! このバカノー……死んだかと思ったじゃないっ!」

「ムフ、オレサマが死ぬわけないデショー?」

「ほんとに……ほんとに心配したんだから!」

「ナニ泣いてンディスカ? 親分が助けに来てやったんダカラもっと喜べヨ」

「な、泣いてなんかないわよ! もう!」


 慌ててごしごしと目元を拭うと、アリは誤魔化すように潤んだ瞳で少年を睨みあげた。

 そんなアリの頭を乱暴に撫でてムフン――と笑うと、かのーは屋根裏部屋の中を一望する。


「で、あのタレパン娘はどこディスか?」

「わからない……でもウエダの奴、あの白い髪の男にツネムラに届けてくれ――って言ってた。だからアイコさんはきっと――」

 

 今頃はツネムラの下に連れていかれた後だろう。少女は悔しそうに唇を噛みながら床へと視線を落とした。

 逆襲してやろうと密かに企んでいたかのーは、パチンと指を鳴らし、おでこに見事な青筋を浮かべる。

 だがここにいないのでは仕方がない。アイコもいないとなると長居は無用だ。


「ま、いっか。リベンジはお預けディス。脱出するディスヨわがコブン」

「脱出って……どうやって?」

「ムフン、決まってるデショ」


 新しい棒の威力を試すいい機会だ。

 かのーはにやりと笑うと、くるくると棒を回しながら扉を振り返って身構えたのであった。

 


♪♪♪♪



同時刻

パーカス 中央地区

オークション特設会場付近、カフェ―


 この女は今なんといったのか?

 幻聴かはたまた聞き間違いか。

 彼の目の前で今も強気な笑みを浮かべ、カナコは動揺することなく自分を見据えている。

 その威風堂々たる佇まいに、逆にウエダの方が動揺し言葉を詰まらせていた。


 お断りだ――

 確かに聞こえた。はっきり聞こえた。

 躊躇することなくそう言い放ったカナコに三人娘も目をまん丸くしながら慌てて向き直る。

 

「カ、カナコさん?」

「正気ですか?」

「アッハッハ、あんた達まで何言いだすんだい? 楽器を取り戻せなくなってもいいのかね?」


 仲間である少女達にまで、血相を変えて顔を覗き込まれカナコは苦笑しながら首を振ってみせる。


 落ち着け、はったりだ。

 本当は娘を盾にされ焦っているはず。

 それを隠してこちらの動揺を逆に誘うこの女の交渉術だ――

 その手は食わぬとウエダは再び作り笑いを顔に浮かべ、肩を竦めてみせる。


「下手なはったりはこの際辞めにしませんか組合長」

「はったり?」

「もう一度言いましょう、お嬢様の身が心配であれば楽器から手を引きなさい」

「アッハッハ、なら私ももう一度言おうか。お・こ・と・わ・り・だ」


 彼女の答えは変わらない。

 そんな『下の下』の取引など話にもならない――

 前言の撤回も訂正もせず、カナコはウエダの目を真っすぐに見据えていた。


「なるほど、所詮は奴隷の娘。どうなろうが知ったことではないと――そう言うことですか?」

「奴隷?」


 一体何のことだ?――なっちゃんは唐突に飛び出て来たウエダの言葉に眉根を寄せる。東山さんとハルカもそれは同様だった。

 

「家族だ誇りだなどと口で言っていても、その実あなたも『利』を優先する人間だったと――」

「それくらいにしとけよ若造」


 刹那、本能から思わず身を竦ませたくなるような低い声が青年の言動を制する。

 流れる様に卑下の言葉を羅列していたウエダは、喉元を手で掴まれたように言葉を詰まらせカナコを見下ろした。

 

「おまえは私の『家族』を舐めすぎだ」

「は?」

「若造、アリを閉じ込めた部屋の扉は板でしっかり打ち付けたか? 鎖で施錠したか? 見張りはちゃんと十人は付けたかね? まさか、どこかに鍵かけて閉じ込めただけじゃあないだろうね?」

「……おっしゃっている意味が分かりませんが――」


 突然何を言いだすのだ?――と、ウエダはきょとんとしながら冷や汗を堪えつつ首を傾げた。

 椅子にもたれ、腕を組んで彼を見据えていた豪放磊落な組合長は、それを見て面倒臭そうに溜息を吐く。

 

 まだわからないのかこのバカは――と。


「馬鹿も休み休みにしろって言ってるんだ。そんなもん、私の『家族』は簡単に突破しちまうよ?」


 

♪♪♪♪



同時刻

パーカス 西地区ウエダの店 三階屋根裏部屋前廊下―



 バン!――と。

 凄まじい衝突音が廊下に響いたかと思うと、扉があらぬ方向に開き――もとい吹っ飛んだ。

 蝶番を半分以上ひしゃげさせて開いたその扉は、部屋の前で見張りをしていた男もろとも吹っ飛んで壁にサンドイッチにする。

 憐れ、彼ははが起きたかわからないままに意識を失った。


「ムフン、成功♪」


 新しいこの棒中々いいディスネ――

 扉を吹き飛ばした張本人――かのーは、棒を一回転させて床に立てると、ケタケタと笑いながら廊下へ飛び出した。


「まったく! なんであんたは後先考えずに行動するの!?」


 だが恐る恐る廊下に歩み出たアリは、得意げに胸を張るバカ少年を見上げて顔に縦線を描く。

 どうするの?――そう尋ねた少女が止める間もなく、かのーは遠心力を付けた強烈な棒の一撃を扉へと放っていたのだ。

 部屋の鍵は閂状の小さな鉄棒が一つかけられたのみの、非常に簡素な施錠であった。

 所詮は子供と油断して、屋根裏部屋に閉じ込めていたのが仇になったといえよう。

 ご覧の通り鍵は扉もろとも吹っ飛んで、真ん中でへし折れた無情な姿を、ぽろりと廊下の床に晒していた。


「だってメンドクセー」

「だからって、こんな大きな音立てたら――」


 と、鼻をほじりながらそう答えたバカ少年に呆れて、アリが大きな溜息を吐いた時である。

 やにわに廊下が騒がしくなり、複数の足音がどやどやとこちらに向かって駆けてくるのが聞こえて来た。

 やっぱりね――と少女は額を押さえて首を振る。


「ほら見なさい! こうなるのがちょっとはわからない?」

「ドゥッフ、どっちにしろヤルコトは一つデショ? だったらシンプルな方がイイに決まってるダロが」

「もう! ああいえばこう言うんだから……で、どうするのよ?」


 屋根裏部屋は三階の端も端だ。既に退路は断たれている。

 もの数秒もしないうちに、きっとそこの廊下の角から物音を聞きつけたウエダの手下たちが姿を現すだろう。

 どこへ逃げよう? どうやって逃げよう? なんとかしなきゃ――

 アリは剣呑な表情を浮かべつつ退路を捜すようにして周囲を見渡した。

 

 と――

 

 その身体がふわりと宙に浮く。この感触はこれで三度目。

 思わず短い悲鳴をあげ、目をぱちくりさせた少女の身体を小脇に抱えると、かのーは得意げにムフンと息をつく。

 

「カ、カノー?」

「しっかり掴まってろよスー」


 言うが早いがかのーは勢いよく壁を蹴り上げ、廊下の真上に続いている梁に手をかけた。

 そしてそのまま鉄棒に登るようにしてクルリと身を一回転させると、梁の上に身を躍らせる。

 同時に下から聞こえてくる、あっ――という声を置き去りに、バカ少年は颯爽と梁の上を走り抜け、呆然と彼を見上げる男達の真上を通過した。

 

「ジャーネー、戦略的撤退ディース!」


 嘲笑うかの如き捨て台詞を残し、かのーは男達の背後に着地すると――

 今さっき彼等が姿を現したばかり廊下の角を曲がり脱兎の如く逃走を開始したのであった。

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