その31-3 まけるもんか!

パーカス 西地区ウエダの店 二階廊下―

AM11:50


 音もなく天井の梁から廊下へ着地し、シズカは周囲を警戒するように見渡すと足早に角に身を隠した。

 彼女はそのまま覗き込むようにして再び廊下の様子を窺い、人の気配がないことを確認すると一番近い扉へ張り付くようにして接近する。

 ここまでは見つからずに侵入することができた。思ったよりも人の気配が少ないのが僥倖だった。

 どうやら、ここの従業員ウエダのてしたも商業祭のためにその多くが出払っているようだ。

 ドアノブに手をかけ、彼女はそっと回す。

 が、ノブは僅かに回転した後、何かにつっかえる様にして彼女の手に抵抗をしていた。

 鍵がかかっているようだ――

 シズカは髪留めをすっと抜き取ると、無音で広がって落ちた長い髪をそのままに、それを鍵穴へと差し込んだ。

 ものの数十秒もしないうちに、鍵穴から歯車が外れるような音が小さく鳴り響き、彼女はゆっくりと扉を開けると中の気配を窺う。

 そして誰もいないことを確認すると無念そうに僅かに眉を顰め、そのまま部屋の中へと侵入した。

 音を立てぬように後ろ手に扉を閉め、敏腕秘書は息を漏らす。

 ここにもいないか――と。


 潜りこんではや二時間が経過しようとしている。

 にも拘らず、拉致されたあの二人の居場所は未だ探り当てることができていない。

 この建物は構造上、一階が店――所謂ショーブースとなっていた。

 まあ実際にはショーブースとは名ばかりの、奴隷を監禁している牢屋だ。

 まるで飼養された鳥の群れのように奴隷達が檻に閉じ込められ、買い手を待つ場所となっている。

 当初シズカは二人がこの一階にいると睨んで忍び込んでいた。

 だが彼女の予想を裏切り、天井から窺った牢屋には二人の姿を見当たらなかった。

 となると、二人はこの上――

 そう考え、シズカはこうして順当に二階の部屋をあたってきていたのだが、残念ながら今侵入したこの部屋が二階では未捜索となる最後の部屋だったのだ。


 残るは三階――

 敏腕秘書のその顔に僅かに懸念の色が浮かぶ。

 あまり時間をかけすぎるとそれだけ発見される可能性は高くなる。

 共に忍び込んだ少年少女達は無事だろうか。

 急ぎ二人を探し出さねば――三階の捜索に乗り出そうと、彼女は決意新たに部屋を出ようとした。


 と――

 ドアノブに手をかけたシズカは、そこで何かに気づいたように部屋を振り返る。

 そしてやはりと確信し、彼女はドアノブから手を放すと部屋の中央へと歩んでいく。

 その部屋は誰かの書斎だった。

 一際大きな仕事用の机の上には、山のように書類や本が積まれており、壁に沿うようにして並んだ書棚には、ナンバリングされたファイルが綺麗に番号順にソートされしまわれている。

 一目見てこの部屋が誰の書斎であるかを悟ると、シズカは机の上に置かれていた書類の一束を手に取りそれに目を落とす。

 いくつもの数字が所狭しとばかりにずらりと並ぶその書類上を、彼女の目は忙しなく動き回っていた。

 しかしやがて眉を顰めると、彼女は顔をあげ今度は書棚に居並ぶファイルへと目を向ける。

 

 調べてみる価値がありそうだ――と。

 

 やにわに敏腕秘書は書棚に近づきそのうちの一冊のファイルを手に取ると、何かを探すようにしてその中身を調べ始めたのであった。

 


♪♪♪♪



同時刻。

パーカス 中央地区

商業祭限定 オークション特設会場―

AM11:50



「五万九千ピース!」

「六万五千ピースよ!」

「六百八十万ストリングだ!」

「ええい七百万ストリング!」

「なんの七万千ピースでどうだ!」


 司会進行役の女性が初値を高々と宣言した途端であった。

 会場から堰を切ったように声があがり、ギオットーネを求める入札者によって競りはスタートする。

 額はうなぎのぼりで上がってゆき、あっという間に七万ピースを超えた。

 頃合いだ――

 会場の気勢に呑まれることなく、その競り合いをじっと眺めて期を窺っていたマメ娘は、キラリと目を光らせ手を挙げる。


「十二万ピースでお願いします!」


 声高らかにそう宣言して、ハルカは手をブンブンと振ってみせた。

 一気に値の吊り上がった入札額に、会場から驚きの声があがる。

 彼等だけではない。隣に座っていたなっちゃんと東山さんも、耳を疑うようにして少女を振り返り、目を白黒とさせていた。

 そんなに値を上げて大丈夫なのか?――と。

 だが豪放磊落な組合長は、マメ娘のその戦略を瞬時に悟り、感心したようにほほう――と息を漏らす。


「ハルカちゃん?」

「ちょっと飛ばし過ぎじゃ――」

「大丈夫です先輩方」


 心配そうに尋ねてきた先輩二人をちらりと見ながらそう答え、しかしハルカはやや緊張の面持ちのまますぐに司会を向き直った。


「十二万ピース! 十二万ピースがつきました! さあ他にはいらっしゃいませんか?」


 周囲を焚きつけるように司会の声が響き渡る。

 しかし小柄な少女が一気に吊り上げたその入札額に出鼻を挫かれたのか、会場からはその額を追おうとする声が中々発されようとはしなかった。

 それならば――と、彼女は持っていた木槌をやにわに振り上げ、競りの終了を告げようとする。

 と――


「十二万五千ピース!」


 周囲からため息が漏れた。

 木槌の動きをピタリと止めて、そうこなくては――と、司会の女性は顔に喜色を浮かべる。

 やっぱり来た。絶対邪魔しに来ると思っていた。

 向こうの狙いはわかっている。今度こそお店を手中にし、私を手に入れるつもりなのだ――

 ゆっくりと手をあげ、対抗の意を示した青年商人を振り返り、ハルカは親の仇のように彼を見据えて、可愛い唸り声をあげていた。

 まけるもんか!――と。


「さあ十二万五千ピース! そちらの男性が十二万五千です! 他にいらっしゃいませんか?」


 胸がドキドキする。さっきから掌の汗が止まらない。

 けれど。

 ここまでは計算通り――

 クリクリの瞳に闘志を燃やし、ハルカは口の端に笑みを浮かべると、さあいくぞ!――と、手を上げた。


「十三万ピース!!」

「そうこなくてはお嬢さん。さあ、十三万ピース! そちらのお嬢さんが十三万ピースです!」

「十三万六千ピース!」


 ウエダの声がすぐさま、被せるようにして放たれる。

 もちろん商魂逞しいマメ娘も負けてはいない。


「十三万八千ピースです!」

「十四万ピース」

「十四万五千ピース!」

「……十五万ピー――」

「なんの! 十五万七千ピースですっ!」


 これはもはや一騎打ち。

 歌うように続いていく競りの応酬に、水を差すような第三者の参戦はもはやなく、会場に集まっていた人々は固唾を呑んでその成り行きに注目していた。


「……十六万ピース」

「十六万五千!」

「十六万六せ――」

「十六万七千ピースですっ!」

「くっ……十六万八千!」


 まさかここまで粘るとは。

 背後に組合長がついているとはいえ、既にかなりの額だ。

 あの娘とノトにこれだけの大金を返済できるだけの当てがあるというのか?

 まずい、このままでは『本命』の競り落とし用に準備していた予算に影響が――

 ウエダの表情が徐々に苦渋に満ちていく。

 明らかに誤算であるといいたげな彼のその表情に気づくと、ハルカはよし!――と心の中でガッツポーズをとっていた。

 と、静観していたカナコが満足そうに笑い声をあげる。


「アッハッハ、一気に決めちまいな」

「はい!」


 カナコの言葉に元気溌剌返事をして、マメ娘は勢いよく手を上げた。

 とどめです!――と言いたげに。

 

「二十一万です!」


 ここに来てまたもや更なる急吊り上げ。

 歓声に近いどよめきが、会場の至る所からあがる。

 司会の女性は、やや興奮した眼差しでハルカを見ながら頷くと、対抗馬を求めるように会場を一瞥していた。


「二十一万が出ました! さあ他にどなたかいらっしゃいませんか?」


 会場の視線が一斉にウエダへと向けられる。

 何だ終わりか? 勝負しないのか?――と。

 しかし、恰幅の良いその青年商人は、悔しそうに歯噛みしながら拳を震わせたのみ。

 いくらまてども、彼のその口から少女が提示した額を上回る言葉が出てくることはなかったのだ。

 

 かくして。

 

 コン!――と、司会が振りおろした木槌が、乾いた木を打ち付け合う音色を会場へ響かせると――

 少女と青年商人の一騎打ちは終了し、『判決』が下される。

 

「それでは商品No.51『ギオットーネ』は、二十一万ピースでそちらのお嬢様が落札です!」


 刹那。

 少女の健闘を称えるような、称賛の拍手が周囲から沸き起こった。

 途端、緊張の糸が切れてしまったハルカは、高鳴る胸を抑えながら、へたり込むようにして椅子に腰かける。

 と――

 

「ハルカちゃん!」

「やるじゃないっ!」

「わわっ、先輩方!?」


 喜びのあまり抱き着いてきた先輩二人に、目を白黒させつつ、小柄なマメ娘はちらりと傍らの席へ目を向けた。

 そしてそこに見えた、満足そうに笑みを浮かべるカナコに気づき、ようやくもって少女は実感する。

 

 勝てた! 奪い返したんだ――と。

 

 感極まって込み上げてきた目の端の涙を拭い。

 ハルカは顔をくしゃくしゃにしながら元気よく笑い返してみせた。

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