第七章 年に一度のお祭り

その30-1 タケウチの血


翌朝。商業祭当日。

パーカス中央地区 カナコ邸サロン―

AM6:05


 小鳥の囀りが聞こえる。カーテン越しに降り注ぐ柔らかな陽の光が網膜を刺激する。

 今日も外はいい天気のようだ。

 テーブルに突っ伏していつの間にか寝てしまっていた日笠さんは、ごしごしと目を擦りながら上半身を起こした。

 周りでは、未だみんなが寝息を立てて眠っている。


 東山さんとシズカが戻ってきたのは昨夜深夜過ぎ。

 こちらは間一髪だったようだが、なんとかお店は守れたようだ。あとは警備隊に任せてきたので大丈夫だろうとシズカが言っていた。

 そしてカッシーとエリコ達が怪我をしたトッシュをつれて戻って来たのはその二時間後だった。

 残念ながらこちらは間に合わなかったとのこと。

 アイコは誘拐され、しかもかのーとアリは彼女を取り返すために逃走した馬車を追っていったらしい。

 なんて無茶なことをと、カッシー達から話を聞いた日笠さんは額を押さえて俯いていた。

 その後しばらくの間馬車屋アウローラで二人が戻るのを待っていたが、いくら待てども二人が戻ってくる気配はなかったため、トッシュの怪我も心配だったカッシー達は一度カナコ邸に戻って来たというわけだ。

 そして今に至る。

 

 とうとう、夜が明け朝が来た。

 しかしかのーとアリからは何の音沙汰もない。

 二人は大丈夫だろうか、もしかして逆にウエダの手下に――

 最悪の状況を頭の中に思い浮かべてしまい、少女はその妄想を振り払うように慌てて首を振る。

 と、廊下に続く扉が開いて、カナコとシズカが入って来るのが見え、日笠さんは立ち上がるとぺこりと頭を下げた。


「カナコさん、アリちゃんは――」

「残念ながらまだ戻ってない」


 険しい表情のまま、カナコは少女の問いに力なく首を振ってみせる。

 カッシー達と交代でメイドの一人を馬車屋アウローラへ向かわせ留守番をお願いしたが、やはり誰も戻ってこなかったそうだ。

 彼女も昨夜から一睡もせず、娘と少年の帰還を祈る様に待っていたが、その祈りも空しく二人が家の門を叩くことはなかった。

 そうですか――と、返事をして日笠さんも残念そうに俯いた。

 

「言いたかないが、状況から考えるにミイラ取りがミイラになった可能性もある」

「そんな――」

「ジタバタしてもしょうがないだろ。とりあえず顔洗ってきたらどうだい?」


 寝ぐせが付いてるよ?――

 そう付け加えてカナコは顎を一度しゃくってみせる。

 だが彼女のその両手は耐える様にしてずっと握られたままだ。日笠さんはそれに気づくと、心配そうに表情を曇らせていた。

 と、二人の会話と気配に少年少女とエリコ達も続々と目を覚ます。


「ん……もう朝か?」

「おはよう、カッシー」

「まゆみ、かのーとアリちゃんは?」


 ソファーから身を起こし開口一番そう尋ねた東山さんに向けて、日笠さんは首を振ってみせた。

 流石の風紀委員長も残念そうに眉を顰めて床に視線を落とす。


「そう……」

「アイコちゃんの方も心配だわ。変なことされてないといいけど」


 そう言ってガシガシと頭を掻きながら大きな欠伸をしたのはエリコだ。

 まあ彼女アイコの方は、あの二人かのーとアリと違って、十中八九誰が誘拐したかはわかっている。

 最悪の場合は、王家の権限使ってでも奪い返してやる――と、彼女は密かに息巻いていた。

 しかしまあ、何とも重苦しい雰囲気だ。

 作戦決行日だというのに、アイコは誘拐され、アリとかのーは行方不明。

 早くも支障が出始めているこの有様だ。

 何でうちらはこう、計画を建てても事が思い通りに進まないのだろう。

 理由はわかっている。次から次へとトラブルが起こり過ぎなのだ。

 トラブルの神様に憑りつかれている――ササキはそう表現していたが、あながち間違いじゃないかもしれない。

 日笠さんはトホホ、と溜息を吐く。

 と、腕を組み、何やら思案をしていたカナコは意を決したように顔をあげると、暗い顔で黙っている少年少女達を一瞥した


「気持ちを切り替えなあんた達。今は商業祭に集中するべきだよ」

「カナコさん、でも――」

「楽器を奪い返すチャンスはこれっきりなんだ。今を逃したらあんた達帰れなくなるんだろ?」


 二兎追う者なんとやら――もとい今回はもう追っているので三兎、いや四兎だろうか。

 いずれにせよ、全てを成功させなくてはならないという、何とも綱渡りな状況なのだ。

 目先の状況に惑わされて機を逃すな――カナコはそう言っているのである。

 

「なに、アイコちゃんのことは私とオシズに任せときな。必ず助け出してみせる」

「カナコー、ドンパチするならその時は私にも声かけてよね?」

「姫――」

「何よチョク、アンタまさか止めるつもり?」

「まさか、その時は俺も付き合うッスよ」

「アッハッハ、そりゃ助かる。英雄様が二人も付いて来てくれるとは心強いねえ」

 

 かつて共に旅をした三人は、各々口元に強気な笑みを浮かべて頷き合うと少年少女達を向き直る。

 後は任せておけ――そう言いたげに。

 

 と――

 

「ドゥッフ! ズングリー! どこいるディスカー!」


 やにわに廊下から聞こえてくる、変な訛りの少年の声。

 

「この声――」

「やっと来た……まったく心配かけるんだから」

 

 無事だった。でも遅い! 何やってたんだ――

 聞き間違えようがない何とも癖のあるその声に、一同は一斉にサロンの入口を振り返る。

 刹那、乱暴に扉を蹴り開けて雪崩れ込むようにして中に入って来た少年の姿を見て――

 てっきりツンツン髪のバカ少年の登場を想定していたカッシー達は、その少年を見るや、全員同時に頭の上に『?』を浮かべていた。


 誰ですかあなた――と。

 

 はたして、怒りの形相でサロンに雪崩れ込んできたのは、サラサラのキューティクルヘアを真ん中で分けた、見た事もない少年だった。

 だが呆然とする一同を余所目に、その少年は、訝し気に自分を眺めていたカナコを発見するや否や飛ぶようにして彼女へ詰め寄る。

 

「いたーっ! ズングリー!」

「……あんた誰だね?」

「ムッカー、何言ってるディスカ! 俺ディスヨ!」


 やっぱりかのーの声がする。

 しかし、不思議や不思議。声はすれども姿は見えず。

 どこ行ったんだあいつと、カッシーは周囲を見渡していた。

 だが、狐につままれたような顔でじっと少年を見つめていた日笠さんが、やがておそるおそるといった感じで彼に言葉を投げかける。


「……もしかして、やっぱりかのーなの?」


 ――と。

 確かに髪はサラサラキューティクルだが、顔はよく見ると糸目だし、口も人を小馬鹿にしたような逆三角形だ。

 日笠さんの言葉に、一同はまじまじと少年を顔を覗き込み、言われてみれば――と、納得したように頷く。

 だがとうの少年は、そんな彼等を呆れた表情で一瞥していたが。


「何言ってんノーひよっチ? 頭大丈夫ディスカ?」

「私はいたって正常よ、あなたこそどうしたの?」

「ドシタノって何ガー?」

「かのー……なんだその髪?」

「ムフ、髪?」


 と、カッシーに指を差されて尋ねられ、そこでようやく少年――かのーは思い出したように、ポンと手を打ってみせた。


「ああ、コレネー河に落ちた。忘れてたディス」

「か、河?」

「落ちた?」


 河に落ちたって、一体何をやってんだろう。

 呆れた口調で鸚鵡返しに尋ねたカッシーに、だがかのーはこくりと頷いてみせた。

 刹那。

 彼は唐突に顔を真っ赤にしながら全身に力を漲らせ始める。

 

「ンンンンンンン――」

「お、おいどうした?」

「か、かのー大丈夫?」


 突然様子がおかしくなった少年の挙動を眺め、日笠さんは心配そうにかのーの顔を覗き込んだ。


 と――


「フンヌリャーー!!」


 気合一発。

 ピンと背筋を伸ばしてかのーが叫び声をあげると――

 彼のサラサラキューティクルヘアは一瞬にして逆立ち、元のツンツン髪へと戻ったのである。

 

「ムフ、直った」

「びっくりさせんなボケッ!」


 なんだそりゃ――

 一同はあまりにふざけた少年の体質に、思わず脱力する。

 というか気合で髪を立たせていたとは。形状記憶合金みたいな髪だなあ――と、いつも寝癖がひどいハルカだけはちょっと羨ましく思っていたが。

 閑話休題。

 元の髪型に戻ったかのーは、途端にゲジゲジ眉を吊り上げカナコを振り返ると、食って掛かる勢いで再び彼女に詰め寄った。


「ズングリ、あのエセトルネコの家はどこディスカ?」

「トルネ?――ウエダのことかね?」

「そうディス! 早く教えロッテ!」


 思いっきりカナコの肩を掴み、顔がくっつく程近づいてかのーはがっつくように先を促す。

 少年のその様子から、カナコは想定していた最悪の事態を頭に思い浮かべ、密かに拳を握りしめた。

 しかしそれでも彼女は動揺を億尾にも出さず、詰め寄る少年の見上げてその目を覗き込む。


「教えてやるが、あんた知ってどうする気だね?」

「決まってんデショー! スーとタレパンを助け出ス!」

「助け出すって……かのー、アリちゃんはどうしたの?」


 そういえばこの少年と一緒に行動していたはずの、碧眼の少女の姿が見当たらない。

 珍しく慌てふためいているバカ少年の様子から只事ではないことはなんとなく察していたが、もしや――

 剣呑な表情を浮かべて日笠さんはアリの行方を尋ねた。

 はたして、かのーの答えは少女の予想通りのものだった。


「ユーカイされた。スーもタレパンも……チェロ村のヒャハハヤローに連れ去られたディス」


 表情は相変わらず変わらない、一筆書きのような顔そのものだったが、その口調は幾分落ち込んだものだった。

 だが少年が発した言葉の中の意外な人物の名前に、一様に落胆していたカッシー達は、んん?――と、顔を顰める。

 

「ちょっと待て、ヒャハハヤロー?」

「もしかして……ブスジマのこと?!」

「ソーディス、髪白くなってタケド、あいつディシタ」


 悔しそうに鼻息をついて答えたかのーを見て、カッシーは口をへの字に曲げた。

 どういうことだ? あいつ確か捕まったはずだろ?

 だが普段のコイツの発言はあてにならないが、今回だけは間違いなさそうだ。

 なんかコイツにしてはやけに気合入ってるし。

 てことはだ。事態はかなりやばい状況になってきたってことじゃないだろうか。

 ウエダだけでなく、とうとうコル・レーニョまで絡んできたってことは、悠長にアイコの事を後回しにもできなくなったということだ。

 我儘少年は、顰め面を浮かべながら日笠さんをちらりと見る。

 彼女も同じ考えに至っていたようで、少年が自分を見ていることに気が付くと、青ざめた顔で小さく頷いて応えていた。

 そんなカッシー達を余所目に、かのーはますますもって切羽詰まった様子でカナコの肩を揺らしながらウエダの家を問い詰める。


「ズングリー! いいから早くあいつの家の場所を教えロヨ!」

「落ち着きな若造、アンタ一人で行く気かね? そんなことしても人質が一人増えるだけだ」


 食い込むほどに力の入ったバカ少年の手を払いのけ、カナコは諭すようにかのーの目を見据える。

 だが少年は隠すことなく怒気を含んだ糸目を彼女に向け、大きな大きな鼻息を吹きだして睨み返していた。


「テメーは、スーが心配ジャネーノカヨ?」

「なんだって?」

「アイツ、ズングリのコト信じて待ってんダヨ! ダディがドレイって言われても、ハンザイニンって言われても、テメーから聞くマデ信じないって待ってんダ!」

「……へぇ、そうかい」

「落ち着いてる場合ジャネーダロ! テメーの娘が捕まってんだゾ! 心配ならサッサと――」


 刹那。

 カナコは少年の胸倉を引っ掴むと、ぐいっと引き寄せその額と額を打ち付けた。

 そしてギロリとかのーを睨みつける。


「やかましい若造! タケウチの血を舐めんじゃないよこのスットコドッコイ!」


 豪邸全体が震撼する程の一喝だった。

 ビリビリと窓が震え。庭の木にとまっていた小鳥達が一斉に飛び立つ。

 その気迫にその場にいた全員が思わず身を竦ませ、目をまん丸くしていた。

 ただ一人、彼女をよく知るエリコだけはもう慣れたものだ、とキンキンする耳を喧しそうにトントンと叩いていたが。

 

「にゃむ!?」


 と、やにわに可愛らしい寝ぼけ声が聞こえて来て、東山さんは振り返る。

 なっちゃん……まさかまだ寝てたとは流石だわ――

 ソファーから上半身を起こし、何事かと目をしぱしぱさせている起き抜けの少女が見えて、やれやれと東山さんは眉間のシワを押さえた。


「心配じゃないかだって? 心配してるに決まってるだろうが! この一週間どれだけ私が我慢してたと思ってるんだい? たかが一週間かそこらしかアリを知らないガキが偉そうに語るな! 私がこの世で一番あの子を愛してるんだ! 覚えとけ!」


 あの子は私の誇りだ。自慢の娘だ。旦那の忘れ形見だ。

 心配に決まっているだろう。

 だが、あの子が私に反発してまで、自分なりの解決方法を捜そうとしてたんだ。だったら、見つけて帰ってくるまで待っててやるのが母親ってもんだ――

 カナコは歯を剥き出しにして、お返しだとばかりにかのーに食って掛かる。

 

「いいかいツンツン髪、アリはタケウチの血を引く娘だ。あの子はあんなケツの青い商人にも、群れなきゃなんもできない盗賊どもにも、ちょっとやそっとじゃあ負けやしない。だから落ち着けって言ってるんだよ。わかったかい?」


 当たり前だ、娘は助けるに決まってる。それにウエダの家を教えないとも言っていない。ただ準備は必要だろ?――

 胸倉を掴んでいた手を放すと、カナコはふんと息をつきそう付け加える。

 ようやく解放されたかのーは未だキンキンする耳を叩きながら、悔しそうに俯いた。

 

「くっそー……ベラベラ口が回る奴ディスネ――」

「当たり前だ、年季が違うさね。大体あんた棒はどうしたんだい?」

「ドゥッフ、ヒャハハヤローに折られタ」

「呆れたねえ、手ぶらで乗り込むつもりだったのかい?」


 と、やれやれと肩を竦め、カナコは踵を返す。

 そして傍らに控えていたシズカを向き直り、こう言ったのだ。


「オシズ、倉庫の鍵を持って来ておくれ。七番のね」


 ――と。

 ぺこりと一礼してサロンを出て行くシズカを見届けると、よし、と気合を入れカナコは一同を振り返る。


「ついてきな、あんた達。戦闘準備だ」

「せ、戦闘準備?」

「一体何する気ですか?」

「アッハッハ、それは見てのお楽しみさね」

 

 と、訳が分からず鸚鵡返しに尋ねたカッシー達に対し、豪放磊落な組合長は快活な笑い声をあげたのだった。

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