その29-4 なんでアイツがいんノー!?
数分前。
パーカス中央地区、西地区より。
「首尾よくいきましたね、お頭っ!」
石畳を疾走する馬車の中。
気を失って床に伏せる少女を一瞥した後、男は背後にいた白髪の狂人を振り返った。
白髪の狂人――ブスジマはその言葉を受け、ニヤリとほくそ笑む。
「ヒャハハハハ! ちょろいもんよ!」
鼬のダンナもだらしねえ。商人の街だかなんだかしらねえが、そんなルール知ったことか。
俺達は盗賊だ、欲しい物は奪えばいい。神出鬼没のコル・レーニョをなめてもらっちゃ困るぜ――
未だ完治しない割れた顎の端からだらしなく涎を垂らし、ブスジマは狂ったように笑い声をあげる。
だがしかし。
響き渡った何とも乱暴な着地音に、悦に浸っていた彼は、なんだ?――と、不機嫌そうに眉を顰めた。
「お頭、あいつら追ってきやがった!」
「ああん? 追ってきた?」
と、狼狽する部下の言葉に返答し、ブスジマは馬車の後部へと歩み寄る。
そして、面倒くさそうに後方を覗き見た後、彼はその目を見開いた。
見えたのは非常識にも台車に乗って馬車を追走してくる、二人の子供。
ちょっと待て、なんで台車で馬車に追いつけた?――
何ともふざけたその光景を目の当たりにして、流石の狂人も僅かに動揺の色を目に浮かべる。
だがそれもほんの一瞬だった。
追走してくる二人のうち、ツンツン髪をした少年に気づくと、ブスジマの瞳は怨嗟に染まり、途端彼の身体から狂気が迸りはじめた。
「ヒャハハハ……見ぃつけたぁ。 逢いたかった! 逢いたかったぜぇ『チェロ村の小英雄』様!」
聞こえて来た何とも狂った笑い声に、部下達は背筋に冷たいものを感じ思わず息を呑む。
と、狂人は徐に懐に手を伸ばし、しまっていた『それ』を取り出すと、愛おしそうに撫でた後、部下を向き直った。
彼の持つ『それ』とは、拳大ほどの直径を持つ短い筒の根元に引き金のついた火器――
「速度を落とせ、あいつらに近づけろ!」
「落とすってお頭、一体どうする気ですか?」
そんな事をしたら追いつかれてしまう――部下の一人が怪訝そうにブスジマを振り返る。
だが白髪の狂人は手に持つ筒を少年目がけて構え、べロリと舌を覗かせた。
「決まってるだろ? あのガキを打ち落とす! ヒャハハハ!」
じっくりと嬲るように照準を合わせ、ブズジマは狂気に満ちた笑い声を闇夜の街に響かせた。
♪♪♪♪
「ヒャハハヤロー!? なんでアイツがいんノー!?」
あの顔は見覚えがある。なんか髪は真っ白になってるし、フルボッコにしてやったから随分間抜け面になってはいるが、知ってる顔だ。
でもアイツ捕まったんじゃないっけ? ヴァイオリンのイケメンナイトがレンコ―してったはずだが。
いやまあそれはいい。それより今問題なのは、あいつが持ってるあの武器だ。
あれはヤバイ。あの形はヤバイ。ロサンゼルスで散々っぱら揶揄ったらアメ公ドモが怒って取り出したモノに似ている――
と、馬車の後部から姿を現した白髪の男を見て、かのーは口を引き攣らせた時だった。
徐々に速度を落とし、台車に近づきつつあった馬車の後部で、ブズジマが舌を出しつつ筒を構える。
何かが来る!――
「カノー、どうしたの?」
「伏せロ、スー!」
少年の叫び声とほぼ同時に、火薬特有の爆音が轟いた。
同時に筒の先から放たれた拳大程の鉄球が、唸りをあげて台車に迫る。
反射的にかのーは台車の取っ手を握りしめ、両脚を思いっきり石畳に押し付けた。急ブレーキがかかった台車は一瞬のうちにその速度を落とし、馬車から放れていく。
訪れた反動により前に飛び出しそうになったアリは、短い悲鳴をあげ、少年の身体に咄嗟にしがみ付いて耐えた。
と、数瞬後に目の前の石畳が粉々に砕け、破片がパラパラと二人の身体に降り注ぐ。
言うまでもなく地を直撃した鉄球によるものだ。
「ちっ、避けやがった……しかしこりゃすげえ威力だ、気に入ったぜ!」
出発前に本部からくすねて来た出所不明の火器だったが、なかなかどうして――
先から硝煙をあげる筒を満足そうに眺めながら、ブズジマは懐から鉄球を取り出し再装填を始める。
次は外さねえぞ――と、憎悪に満ちた視線を少年へとむけながら。
「な、なによ今の? どうなってるの?」
「あれはヤバイ」
アリは背後を振り返り、粉々に砕けた石畳を見つめつつ息を呑む。
予想していた銃とは違ったが、どっちにしろ当たればただでは済まなそうだ。
台車の上で胡坐を掻きながら、焦げ臭い煙をあげるストラップサンダルの裏をフーフー吹いていたかのーは、ぼやくように答えた。
「カノー、知ってるの?」
「当たるとイタイ」
「どう見ても痛いだけじゃ済まないでしょ!?」
呑気なやりとりもそこまでだった。
白髪の狂人が再びこちらに向けて照準を合わせ始めたのが見え、かのーは舌打ちする。
二度目の耳を劈くような爆音が街中に木霊した。
今度は角度が浅い。まずい、避けられない――
本能でそう悟ると、バカ少年は右手に持っていた棒を構えて咄嗟に防御の構えを取った。
高速で迫った鉄球は唸りをあげて棒に直撃する。痺れるような衝撃が両手を襲い、思わず棒から手を離しそうになって少年は歯を食いしばって踏ん張った。
だが所詮はその辺で拾った木の棒、小さな砲弾とも形容できる鉄球の直撃にいつまでも耐えられるはずがないのだ。
ややもって、棒は鈍い音を立てながら真っ二つに砕け散った。
辛うじてベクトルを変えることができた鉄球は、スライス気味に少年の脇を通過していく。
オノレ、あのヒャハハヤロー!――
まさに相『棒』だった虫捕りの必需品を壊され、少年は額にびきびきと青筋を浮かべた。
だがしかし――
直後、背後で聞こえた破壊音に、バカ少年は『?』を頭の上に描く。
やがて小刻みに震えだした台車の異変に気づき、二人は嫌な予感がしつつ恐る恐る振り返った。
尊い相『棒』の犠牲により直撃は免れていた。そう『直撃』は。
しかし、ベクトルを変えたその鉄球は、不幸にも台車の後右端に着弾し、真下にあった車輪を見事に吹っ飛ばしていたのだ。
ドゥッフ、マズイ!――
途端にガクンと台車が傾き、二人は衝撃に耐えるようにしがみ付く。
なんとか制御しようと少年は取っ手を握るが、もはや焼け石に水だった。
制御不能に陥った台車はやにわに蛇行をはじめ、とうとう脇に逸れて別の道を進んでいく。
みるみるうちに遠くなっていく馬車をアリは悔しそうに振り返っていたが、もはやそれどころではない。
遊園地のコーヒーカップの如く回転し、坂を滑り落ちていく台車から振り落とされまいと、少女は必至でしがみついていた。
刹那。
目の前に見えてきた真っ暗な闇に気が付いてアリは息を呑む。
灯り一つない、遥か向こうまで続く『闇』。
そう。
夢中で馬車の追跡を続けていた二人は、いつの間にか西地区の最西端まで到達していたのだ。
西地区の最西端、それは坂の終点。最も街で低い地域、即ちその先にあるのは――
「河!?」
そうリード河。
聞こえて来た少女の声に、かのーは意を決して足を踏ん張った。
「フンガー! 止まれッ!」
ブスブスと焦げ臭い匂いが、少年の履くストラップサンダルの底から立ち込め、台車は火花を散らしつつ急激にその速度を落としていく。
だが一歩遅かった。
見えてきた波止場の行き止まりを無情にも通過して、台車は河へと特攻し――
かのーとアリは再びその身を宙へと誘われた。
人生で。
僅か六年とちょっとしか生きていない人生で。
日に二度も空を飛んだことがある少女なんて、この世界で私くらいじゃないだろうか。
暗闇の中、上も下もわからない空中で涙目になりながら、アリはそんな事を考えていた。
と――
「スー!」
と、少年の呼び声と共に、少女は背中を掴まれる感触に気づき振り返った。
見えたのは、鼻息荒くにやけ面を浮かべるバカ少年の顔――
「カノー!?」
「うまく着地シロヨーわがコブン!」
「えっ!? えっ!?」
言うが早いが、かのーは空中で猫のように身を翻し、戸惑う少女の身体を、波止場目がけて思いっきり放り投げた。
「えええええっ!?」
遠ざかっていた陸地が、みるみるうちに近づいてくるのが見えて、アリは目をまん丸くする。
数秒後。
ベクトルを変えた少女の小さな身体は、くるくると回転しながら波止場に積んであった麻袋の山に落下した。
同時に闇の中から聞こえて来る、派手な着水音。
予期せぬ来訪者によって喧騒に包まれていた波止場は、再び静寂に包まれた。
「いった~い……」
強かにお尻を打ち付けてしまい、アリは涙目になりながら起き上がる。
だが状況を思い出し、少女は慌てて麻袋の山から飛び降りると、河を覗き込んだ。
しんしんと流れていく河の水面は、鏡のように月を映している。
まるで何事もなかったかのように。
「……カノー?」
どこいったのあいつ――
途端に襲ってくる不安を振り払うようにして、アリは少年の名を呼ぶ。
だがいつものような人を小馬鹿にするケタケタ笑いも、荒い鼻息も返っては来ない。
「カノーッ! ねえ、どこいったの!?」
嘘だ。そんなわけない。あいつに限ってそんなことあるわけない!――
剣呑な表情を浮かべ、アリは脳裏をよぎった最悪の結果を頭を振って消し飛ばした。
と――
背後から足音が聞こえてきて、河面を覗き込んでいた少女は顔をあげる。
よかった、本当によかった。人騒がせなんだから――
徐々に近づいてくるその足音に、アリは安堵の表情を浮かべ振り返った。
「まったく、心配させな――」
見上げた少女を、月が生み出した大きな影が覆う。
安堵の表情は一瞬にしてその顔から消え去り、そして少女の言葉はその半ばで強制的に中断されることになった。
「ヒャハハ! お嬢ちゃん、遊びましょ♪」
白髪の狂人が差し出した、大きな手により口を塞がれて――
♪♪♪♪
十分後。
大河の中からにょきっと手が現れ、波止場の縁を掴む。
やがて大きな水飛沫があがったかと思うと、全身ずぶ濡れのかのーがひょっこりと姿を現した。
流石はギャグ体質。水に落ちたくらいでは何ともなかったようだ。
少年はブルブルと犬のように身体を震わせた後、ムフン一度鼻息を吐く。
「シィィィット! あのヒャハハヤローめ……オボエテヤガレヨ!」
絶対フクシューしてやる――
そして手に握っていた無残な姿になってしまった棒をポイっと投げ捨てながら一人呟くと、先刻陸に向かって投げた少女の事を思い出し、周囲を見回した。
「おーい、スー! 大丈夫ディスカー?」
返事はなかった。聞こえて来るのは波止場に打ち付ける河の流れのみだ。
仕方なく、びっちゃびっちゃ、と滴る水を振り撒きながら、バカ少年は波止場を歩き回ってアリの姿を捜す。
しかしいくら捜せど少女の姿はなかった。
と――
ぽつんと不自然落ちていた小さな靴に気づき、かのーは首を傾げる。
見覚えのある靴だった。スーが履いてた靴だ。
あのバカ、靴脱いでどこに行ったんだ?
まさか自分が投げそこなって河に落ちたのだろうか。
いやそんなはずはない、河に落ちる瞬間あの少女が波止場に着地したのは確かに見た。
じゃあなんで?
なんでスーは片方だけ残して消えた?――
拾い上げたその靴をじっと見おろし、少女が片方だけ靴を残すような最悪の状況を思い描くと――
かのーは近くに積んであった木箱を思いっきり蹴り飛ばし、悔しそうに鼻息をついたのだった。
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