その29-3 追い越しちゃうゾー!
パーカス北地区。丘に通じる坂路―
風を切って台車は走る。
北地区は街の中でも高所にある地区だ。まだまだ傾斜は続く。
少年が舵を取る木製のその台車は、坂道をノンストップで下っていった。
ブレーキなどもとよりない。もはやかなりの速度だ。
落ちたら大けがは免れないだろう。
少年のハーフパンツをしっかりと掴み、アリは難色を顔に浮かべかのーを見上げる。
「カノー、どうするつもりなの?」
「いったデショー、追いかけるんディスヨ」
「でも、どうやって? 向こうは馬車よ?」
今は傾斜のおかげで台車は加速を続けている。
だが下りきったらあとは減速のみだ。到底馬が牽引する馬車に追いつけるはずがない。
少年は、もしかして『その場の勢い』で台車をひっぱりだして追走を始めたのではないか?
ありえないことではない。だってこいつは何も考えていないんだから。
いつだってこいつは、本能のままに行動してるだけだから――
短い付き合いながらも、聡明な少女はこのツンツン髪の行動原理を理解していたのだ。
しかし、だからこそ。
本能のままに行動する少年だからこそ。
馬車に追いつける――この少年は確信しているのだ。
「スー、『ニシチク』ってドッチ?」
「え?」
改めまして、私はウエダというものです。西地区で奴隷商人をしております――
あいつはそう言っていた。
「ニシチクってどっち側ディスカー?」
「港の方よ、河側」
アリはそう言って、かのーの後ろから夜景の向こう側に広がる大河を指さしてみせる。
指さした先に傾斜はまだまだ続いていた。ニヤリと嬉しそうに笑い、バカ少年は舵を切る。
「好都合ってやつディス!」
「カ、カノー?!」
「スー、足はもうダイジョブディスカ?」
「うん、もう治った」
「なら、シッカリ掴まってロヨー!」
言うが早いがかのーは、景気づけとばかりに地を蹴って勢いをつけた。
刹那、ドリフト気味に台車はU字を曲がり切り、あろうことか道を飛び出し草地に突入したのだ。
そう、一直線に『西地区』を目指して――
道は舗装された石畳から悪路に変わり、途端振動が少女の身体を襲う。
石畳の道は斜面に対し垂直に、U字を繰り返して少しずつ下れるように敷かれていた。
馬車や荷車は構造上下り坂に向いていないため、このような道の敷き方をされているのだ。
つまり普通に下るよりは必然的に大回りとなっている。
ならば道なんか気にせず真っすぐ下ればイイジャン――
どうもバカ少年の本能はそう
はたして。
転がるようにして台車は草地を滑り、道なき道の疾走を開始する。
何ともご機嫌にケタケタと笑い声をあげ、かのーは台車が転倒しないよう巧みに舵を取りながら、木を避け、茂みを貫きひたすら西地区目指して台車を加速させていった。
だが同乗者の少女はたまったものではない。
「ひゃ、ひゃあああ!?」
これはもはや暴走と変わらない。いわばブレーキのないジェットコースター。
自然と悲鳴が口をついて飛び出し、アリは顔面蒼白で必死にかのーにしがみつく。
何度目かの茂みを抜けた途端、視界が急に開けた。
風の質が変わる。切るような風の唸りが突然収まった。
そこは一面背丈の低い草が生い茂った丘の『終着点』。
開けた視界の向こうに、中央地区の街並みが夜の灯を点在させながら姿を現す。
そう、北地区に該当する区域が終わろうとしているのだ。
と――
「カノー! あれっ!」
追いついた。本当に追いついちゃった。
まさに有言実行。こいつの本能侮りがたし――
丘下の道を駆け抜ける『目標』を発見しアリは叫んだ。
少女の示した方向を眺め、石畳を相変わらずの猛スピードで走る馬車を確認すると、かのーは得意気に鼻息を一つ吹かす。
「ムフン、ハッケンディース!」
やにわに台車をぴょんとジャンプさせ、空中で方向転換すると、少年は見事なドリフトを披露し進路を馬車へと向ける。
土を撒き散らして西へと舵を取った台車は、丘の上を馬車と並走するようにして追跡を再開した。
だがしかし。
先ほども述べた通り、北地区に該当する区域は終わろうとしていたのだ。
それはつまり、『丘』の終わりを意味する。
「カノーっ! 待ってストップ!」
前方に見えて来た丘の終着点――即ち『崖』に気づき、アリは悲鳴ともとれる叫び声をあげた。
このままでは崖下へ真っ逆さま。早くブレーキ! ああ、そんなものなかった。でも何とかしないと――
目を剥いて少女はかのーを見上げる。
しかし返って来たバカ少年の答えは、あろうことかとっても楽しそうな一言だった。
「ムフ、台車は急に止まれない」
「はぁ!?」
刹那。
喧しいくらいに聞こえていたローラー音が消える。
少女を乗せた台車は
耳朶を打つのは、甲高い風の音。
そして眼下に広がるのは上も下も、そして右も左も見渡せる生まれ育った街の夜景。
「あ――」
こんな状況にも拘わらず、それはとっても綺麗で、少女は思わず目を見開き、溜息をついてしまった。
だがそれも一瞬だった。
聡明な少女の理性は、逃避しかけた主を現実へと引き戻す。
街を照らす月の中にそのシルエットを落とし込んでいた台車と少年少女は、物理法則にしたがい放物線の頂点を越えると――
当たり前だが落下を開始した。
お尻がひゅんと浮き、背筋を羽がなぞったような、なんとも嫌な感覚が少女の脳を刺激する。
「ひゃああああああああ!?」
「ブフォフォー! ターノシー!」
夜空に響く少女の絶叫と、バカ少年の愉快そうな笑い声――
緩やかな放物線を描き、しかしかなりの速度で台車は落下していった。
「落ちる! 落ちてる!? どうすんのよ?!」
「HAHAHAHAHAHA!」
みるみるうちに迫ってくる民家の屋根に気づき、アリはぎゅっと目を閉じるとかのーの足にしがみつく。
あわや激突のその瞬間、かのーは台車の前方を素早く持ち上げ、屋根と平行になるようにして車輪を着地させた。
派手な着地音と共に、オレンジの顔料で染められた色鮮やかな屋根瓦が四方八方に飛び散る。
と、着地の衝撃で少年を掴んでいた手がすっぽぬけ、少女の身体がふわりと宙に放り出された。
まずい、落ちる――
やけにゆっくりと景色が後ろへと飛んでいく中、アリはあっと口を開く。
刹那、にょきっと伸びたバカ少年の手が少女の小さな手をがっちりと掴み取った。
「途中下車は認めないのディース!」
ちらりと少女を向き直り、かのーは台車の後部を思いっきり蹴りつける。
飛び石の如く、台車は続けざまに屋根から屋根へとジャンプを繰り返し、その度に屋根瓦が派手に宙を舞った。
何とも無茶苦茶な台車の追走により、閑静な中央地区の高級住宅街は、たちまちの内に喧騒に包まれる。
少年の腕一本で辛うじて繋がっている少女にとってはたまったものではなかった。
なんという非常識。今度はあろうことか屋根の上を走り出すなんて。
もはや悲鳴すら口に出せず、アリは目いっぱいに涙を浮かべ、必死の形相でかのーの腕にしがみつく。
「ムフ、ラストスパート!」
と、微かに聞こえた馬の嘶きにピクリと眉を動かし、かのーは再度台車の後ろを蹴りつけて、前部を持ち上げた。
やや大きめに飛び跳ねた台車は、屋根から空へと躍り出ると、その先に現れた十字路に豪快に着地を決める。
火花を散らしてドリフトを決めた台車は、ようやくもってその身を『道』へと舞い戻らせた。
そこは中央地区も終わりかけ、西地区に差し掛かった緩やかな坂道。
再び聞こえ出したローラー音の下、かのーは大変ご満悦といった表情でケタケタと笑い声をあげる。
「チョー面白カッター! もう一回ヤリターイ!」
「冗談じゃないわ……もう二度とごめんよ!」
当初の目的を忘れ、割と本気でそう言い放ったバカ少年睨み付け、アリは心の底からこみ上げてきた感想を彼へと投げつけた。
これが終わったらもう金輪際台車には乗りたくない。まあ台車に乗って宙を舞い、屋根の上を飛び跳ねるなんて、もう二度とないだろうが。
叫びすぎて軽い酸欠気味になった頭を抑え、バカ少年の非常識さを改めて実感しながらアリは溜息をつく。
だがしかし。
「ムフ、でも追いついタ!」
「えっ?」
やにわに聞こえた得意気なかのーの声に、少女は我に返ると前方を向き直った。
はたして、少年の言葉通り、見えたのは闇夜を荒々しく疾走する馬車の姿。
その距離およそ十五オクターブ――
俄然闘志がわいてきた。アリは端正な眉を吊り上げ、それを見据える。
「アイコさんっ!」
「追い越しちゃうゾー!」
少年が勢い良く地を蹴った台車は再び坂道に突入し、馬車へと迫った。
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