その29-1 囲師は周することなかれ

「……ええ~~」


 七年前の真実を聞き終え、余韻に浸っていた日笠さんは場の空気を読まずに流れ出した電子音に、思わず辟易した声を漏らした。

 バルコニーに優雅に流れるその曲はそう、『カヴァレリア・ルスティカーナ』。

 

 まったくなんだってこう、あの人は間が悪いのか――

 日笠さんはポケットから携帯を取り出すと、呼び出しを続けるその画面に目を落とし、深い深い溜息を一つ吐く。

 

 『着信:佐々木智和』

 

 どうしよう。凄い出たくない。話したくない――

 画面に表示されたその文字を、物凄く複雑な表情で見つめ続ける少女に気づき、カナコはどうしたのだ?――と眉を潜めた。

 

「なんだねそりゃ?」

「あ~~えっとその……ま、魔法の道具のようなものでして」

「魔法の道具? あんたの世界のものかい?」

「そうです。遠く離れた相手と連絡を取るための道具で――」


 なおも優雅に曲を奏でる携帯を物珍しそうに眺めるカナコに、日笠さんは誤魔化すように笑いながら答える。

 少女の説明を聞いたカナコは興味深いといった様子で感心しながら何度も小さく頷いていた。

 

「その音はつまり、誰かがマユミ様に連絡をしてきたということですか?」

「ええ。そうなんですけど――」

「なんだ、なら早く答えてやったらどうだね?」

「えっとその……出たくないっていうか、無視したいっていうか――」

「はあ?」


 訳が分からずカナコとシズカは頭の上に『?』を浮かべる。

 そのやりとりの間も、カヴァレリア・ルスティカーナの調べは途切れることなく流れ続けていた。

 早く出たまえコノヤロー――まるでそう言っているように。

 仕方なく日笠さんは意を決して画面を指でスライドさせ、携帯を耳に近づけた。



「……もしもし?」

―オッス、オラ佐々木! いっちょやってみっかコノヤロー!―


 プッ――ツーツーツーツー――


 だめだ耐えられない。本当にイラッとくる。

 身体が無意識に反応して通話を切ってしまったことに、日笠さんは驚いていたがしかし後悔はなかった。

 

「なんだね、もう終わったのかい?」

「はい、なんか切れちゃったみたいです」


 けろりと嘘をついて少女はにっこりと微笑む。

 異世界でも留守電モードとかできないものだろうか?――と、割と本気で考えながら。

 

 と――

 

 もはや様式美。

 またもや流れ出したカヴァレリア・ルスティカーナの調べに、想定内だとわかりつつも、日笠さんはがっくりと肩を落としていた。


「マユミ様、また鳴っていますが――」

「……もうっ!」

「うちらに気を遣ってるのなら遠慮しないでいいんだよ?」


 いやそういう訳ではないのだが、と日笠さんは苦笑しつつ再び画面を見つめる。

 しかしこれ以上引き延ばすのは逆に二人に気を遣わせてしまうようで申し訳ない。

 仕方なく少女は画面の上に指を這わせた。


―この前もそうだったが、いきなり切ることはないだろう、ンー?―

「つまらない一発ギャグはいいので、用件をお願いします!」


 なんでこの人、電話の時だけやけにテンションが高いのだろうか。

 普段とのギャップに半ば呆れつつも、日笠さんは開口一番電話向こうの生徒会長にそう言って釘をさした。


―つれないな日笠君。久々の電話だというのに、もう少し付き合ってくれたってよいじゃないか―

「いつもタイミングが悪すぎるんですよ。今深刻な話をしていたんです」

―そんなこと言われても、そちらの事情までわかるわけがな……まて、いいことを思いついた―

「なんです?」

―ペンダントにカメラ機能を付与してそちらの状況を二十四時間……――

「やめてください!」


 携帯を勝手に弄られた挙句、常に監視されるような機能まで付けられては、こっちの身がもたない。

 大体あの怪しい生徒会長のことだ。盗撮紛いの行為に悪用する可能性だってある。

 ああ、もう疲れる。これはさっさと話を聞いて切り上げた方が自分のためにもよさそうだ。

 早くも頭が痛くなってきて少女は額を抑え、小さな溜息を吐いていた。


「それで用件は一体なんですか?」

―ああそうだった。新しい魔曲が完成したので送ろうと思ってな―

「えっ、新しい魔曲? 本当ですか?!」


 だが新曲と聞いて途端に声を弾ませ、少女は目を輝かせながら思わず携帯を両手で持ちなおすと再確認するように尋ねる。

 現金な子だ――とやや呆れる様に失笑しながらも、ササキはそうだと返答していた。

 

―今回の魔曲は『多対一』向けの攻撃魔曲だ。使いどころを誤ると味方にも被害が出る可能性がある。そこは注意したまえコノヤロー―

「多対一って……一体どんな効果なんですか?」

―クックック、それは使ってのお楽しみだ―


 やっぱりね、そう言うと思った――

 日笠さんは不満そうに口を尖らせる。

 妙に秘密主義で、肝心なところを隠す癖がある人なのだ。

 彼の意地の悪さを十分過ぎるほど理解していた少女は、諦めたように嘆息した後、そそくさとペンダントの端子を携帯にセットした。

 

―例によってキーワードは自分で決めたまえ―

「わかりました」

―準備はいいかね?―

「はい」


 少女の返事の後、ピロコン♪ と林檎製特有の受信音を一つあげて、データの転送が開始される。

 

『ダウンロードしています:Der Freischütz――』


 これってたしか……なるほど『多対一』か――

 画面に表示された曲名を見て、日笠さんは即座に効果を想像し、なるほどと納得する。


「今度は何してんだい?」


 と、奇妙な板に向かって話し始めたと思ったら、今度はペンダントをくっつけ始めた少女を見て、カナコはなんとも不思議そうな顔で尋ねた。


「あー、ちょっと新しい魔曲のデータを」

「でーた? 魔曲?」

「『神器の使い手』が使うという噂の魔法のことですか?」

「えっと、その……まあそんなところです」


 説明するには話が長くなるし、自分もそんなに専門的な部分は詳しくない。

 興味津々といった様子で尋ねて来た二人に誤魔化すようにしてそう答えてから、日笠さんは携帯に耳を近づけた。


「会長、ダウンロード始まりました」

―わかった。ところで君達は今どこにいるのだ? 無事ホルン村にはついたのかね?―

「えっとそれがですね――」


 そういえばあの森での一件以来、彼とは連絡を取っていなかった。

 日笠さんは、この一週間で起こった出来事を端的にササキへと報告していく。

 携帯の向こう側の生徒会長は、少女の報告に呆れと喜びの混じった相槌を打ち続けていたが、すべて聞き終えると、思わず感嘆の息をついていた。


―委細はわかった。しかしまあ君達はあれだな?―

「あれ?」

―本当に次から次へとトラブルに捲き込まれるな。トラブル大好きっ娘なのか君は?―

「やめてくださいその言い方っ! そんなわけないでしょっ!」


 揶揄うようにそう尋ねたササキに対し、心底嫌そうに日笠さんは答える。

 だがややもって彼は、携帯の向こう側で思案を始めたかと思うと、やにわに剣呑な唸り声をあげた。

 どうしたんだろう?

 ササキの漏らしたその唸り声がやけに気になって、少女は思わず首を傾げる。

 

「あの、会長? どうかしたんですか?」

―いや、まずいのではないかと思ってな―

「まずい?」


 まずいって、どういうこと?――日笠さんはますます持って眉根を寄せた。

 

―『囲師は周することなかれ』と言うだろう日笠君―

「は、はい?」

―追いつめすぎると、鼠も猫を噛むぞコノヤロー?―

「あの、どういうことですか会長? もっとわかり易く言ってください!」


 相変わらずの遠回しな言い方に、思わず舌打ちすると、少女は声を荒げてササキに尋ねた。

 途端に緊迫した表情を浮かべた日笠さんを見て、カナコとシズカは、訝し気に様子を窺い始める。


―……危険だな。むしろ今まで無事だったのが不思議なほどだが―

「いい加減にしてください会長! 危険ってどういうことです?」


 と、とうとう怒気を含んで再度尋ねた日笠さんに対し――

 クックック――という、お決まりの含み笑いを携帯の向こう側で浮かべ、ササキはようやくもって危惧していたことを少女へ話し始めた。



♪♪♪♪



 深夜。

 パーカス東地区 パン屋『ギオットーネ』前―


 人の気配は感じられず、草木も眠るその時刻の中、聞こえて来るのは風に揺れる広葉樹のざわめきのみだ。


 と――

  

 『査定対象物件のため立入禁止―パーカス商人組合―』――

 そう記された紙が貼られる店の前に、数名の人影が集い始める。

 数は八人。闇に紛れるために、黒い服を身に纏ったその人影は、お互いを見合い一斉に頷くと、懐から小型の壺を取り出した。

 彼等は小さく振りかぶってその壺を店に投げつけると、下卑た含み笑いを小さく漏らす。

 刹那、陶器が割れる音と同時に中に入っていた液体が飛び散り、店の壁や扉に付着すると、あたり一面に咽せ返る様な香油の匂いが立ち込めだした。

 と、人影の一人が、腰に結わえ付けていた松明を手に取り、やにわに火打石を取り出すとそれに着火する。

 暗闇に生まれた灯りが周囲を照らし、集った男達の顔をゆらりと光の下に露にした。

 ニヤリとほくそ笑むと、男は手にした松明をギオットーネ目がけて投げつけようと、小さく振りかぶった。


 刹那。


 投げられたのは松明ではなく、男の身体だった。

 その身体はふわりと宙を舞ったかと思うと、一回転して勢いよく石畳に叩きつけられる。

 火の手が上がる様を想像し、下卑た笑いを浮かべていた他の男達は、鈍いうめき声をあげて気を失った男を見て、面を喰って表情を強張らせていた。

 

「あなた達でしたか、またお会いしましたね」


 主を失い、コロコロと石畳を転がっていく松明を拾い上げ、男を投げた人物――シズカは、硬直する男達の顔を確認するように順に照らしつけた。

 昼間、馬車屋で見た顔だ――

 松明の灯りに照らされ浮かび上がった男達をシズカは睨み付ける。

 

 と――

 

「てええええっ!」


 やにわに気合いの入った声が聞こえたかと思うと、同時に何かが唸りをあげて男達に飛来した。

 真横から飛んできたその物体に驚きの声をあげる間もなく、不幸にも激突した男の一人が勢いよく吹っ飛び、石畳の上を滑っていく。

 激突の拍子に木っ端微塵となったその飛来物はというと――

 

「き、木箱?」


 残った男達は、石畳に散乱する箱の破片をまじまじと眺め素っ頓狂な声をあげた。


「会長の読みどおりだったってわけね」


 と、木箱を投げつけた張本人である東山さんは、パンパンと手を払いながら男達に歩み寄ると、眉間にシワを寄せながら彼等を一瞥した。

 

「お、おまえら、どうしてここに?」

契約対象ギオットーネがなくなれば、契約は必然的に無効となる……なるほど、考えましたね。これなら無条件でハルカ様を奪い返せますが――」

「卑怯者っ! そんなこと絶対させないっ!」


 目論見がばれていたか――

 舌打ちが聞こえた。同時に刃が擦れる金属音が次々と並木道に鳴り響く。

 男達は懐に隠し持っていたナイフを一斉に抜き放ち、東山さんとシズカ目がけてそれを構えた。

 

 相手は六人、こちらは二人、しかも素手。

 だがしかし。

 『鬼の風紀委員長』はそれでも怯まない。


 タン!――と、小気味よく少女は石畳を踏み鳴らし、臆することなく怒りの形相と共に身構えた。

 と――


「使いますか?」


 隣にいた敏腕秘書はぼそりと呟き、懐から取り出したその物体を東山さんへと投げ渡す。

 見事にキャッチした少女は、しかしその物体をしげしげと眺め、眉間にシワを寄せた。

 それは二本の短い樫の棒を、鎖でつなげた打撃武器――


「……ヌンチャク?」


 なんでこんなもの持ってるのだろうか――

 という疑問はさておき、使ったことは勿論ないが素手よりましだ。

 東山さんは手にしたそれをとりあえず構える。

 

「シズカさんは?」

「だやい……素手で充分です。一気にかたをつけましょう。」


 手にしていた松明を投げ捨てると、コキコキと腕を鳴らし、シズカはかかってこいと言わんばかりに男達に向かって手招きした。

 ふざけやがってこのアマ共!――

 数に勝る男達は、一斉に二人へ襲い掛かる。


 さて借りたはいいものの、これはどう使うのか。

 確か格闘マニアの兄が、よく観ていたカンフー映画ではこんな感じだったような――

 やたら怪鳥音を発する細身の男性が振り回していたヌンチャクの動きを、頭の中でイメージしながら、少女は正面から襲ってきた男を油断なく見据える。


 両手に持ったヌンチャクを前に翳し、少女は気合いと共にそれを右側に引く。

 そして右脇下に向かってヌンチャクを回し左手でそれをキャッチすると、勢いよく男目がけて繰り出した。

 下から上へ空を切って飛び出したヌンチャクは、男の持っていたナイフを天高く弾き飛ばす。

 馬鹿な?!――と、目を見開く男を置き去りに、少女の持つヌンチャクはその勢いを緩めずさらに唸りをあげる。

 右に左に遠心力を付け、演舞の如く少女の周りを飛び交っていたそれは、やがて男の脳天へと振り下ろされた。


「ていっ!」


 気合一閃。

 東山さんの掛け声と同時に、男は豚のような鼻息とも悲鳴ともつかない声をあげ、石畳の上に倒れる。

 返って来たヌンチャクを器用に脇に挟み込んで制止すると、東山さんは残心と共に構えなおした。


「意外といけるかも?」


 得意気にそう呟き、少女は凛とした気焔と共に残った男達を睨み付ける。


 一方で少女の死角を庇うようにして構えていたシズカは、同時に襲い掛かって来た三人の男達の刃を華麗に回避すると、そのうちの一人の背後に素早く回った。

 ぎょっとしながら男は背後に回ったシズカ目がけて返す刃を繰り出す。

 シズカは冷静にその切っ先を避けると、男の小手を掴み捻り上げた。

 そして激痛に悲鳴をあげる男の足を刈るようにして払い、バランスを崩して膝をついた男の喉元目がけて肘を打ち落とす。

 蛙が潰れた様な声と共に、男は地に伏して動かなくなった。


 いとも簡単に伸された仲間を見て怯んだ、残る二人のその隙を、敏腕秘書は逃さない。

 続けざまに左側にいた男の懐に飛び込むと、彼女はその鳩尾目がけて肘を繰り出す。そして目を剥き、苦しそうな呼吸音をあげる男の小手を捻りあげ、その内側をくぐるようにして関節を決めると、彼女は気合いと共に男を投げ飛ばした。

 クルリと一回転して石畳に叩きつけられ、男は泡を吹いて失神する。

 これで二人目。あと一人――

 

 と、苦戦する仲間に気づいて、東山さんの相手をしていた男達が矛先を変え、シズカ目がけて飛びかかった。

 前方に一人、右側に二人。

 期せずして挟撃を食らう状況に陥ったにもかかわらず、しかし敏腕秘書は冷静に手首を捻ると、スーツの両袖から取り出した二枚の苦無を踊るようにして前方、右手にそれぞれ放った。

 空を裂いて放たれた鋭利な苦無は正確に男達の甲を射抜き、男達は激痛に身悶えしながら動きを止める。


 鬼の風紀委員長はその隙を見逃さない。

 敏腕秘書もいわずもがなだ。

 

「はあっ!」

「てっ!」

 

 東山さんのヌンチャクによるアッパーカットと、シズカの流麗な回し蹴り――

 二人はすれ違うようにして交差すると、同時に二人の男を天高く打ち上げていた。


 あと一人――


 音を立てて石畳に叩きつけられた二名の男達の向こう側で、東山さんとシズカはお互いの死角を庇うようにして構えながら、残った男を睨み付ける。

 ややもって。

 すっかり戦意喪失した男は数歩後退ると踵を返し一目散に逃げていった。


 東地区に再び静寂が舞い戻り、二人の女性は、静かに息をつきながら構えを解く。

 まさに間一髪だったが、なんとかパン屋ギオットーネは護れたようだ。

 ナイスな読みでした会長――

 ほっと安堵の表情を浮かべ、少女は見事に危機を予想した生徒会長に向けて、頭の中で礼を述べる。

 

「エミ様、お怪我はありませんか?」

「大丈夫です。あ、これ、ありがとうございました」


 と、手に持っていたヌンチャクを折りたたむと、東山さんはそれをシズカへと差し出した。礼は不要と微笑を浮かべて首を振ってみせると、シズカはヌンチャクを受け取る。


「それにしても見事な腕前ですが、何か武道の心得が?」

「いえ、特には」

「……特には?」

「私、格闘技は習ってないので」


 未経験であの動き、なんてセンスの塊だろう――

 額の汗を拭いながらあっさりとそう答えた少女を、呆気に取られて眺めつつ、シズカは珍しく狐につままれたような表情を顔に浮かべていた。

 

「シズカさんこそさっきのあの動き、なんていう格闘技ですか?」

「ニンジュツです」

「忍術? 忍者が使う技?」

「よくご存じで」

「名前だけですけどね」


 忍術といいヌンチャクといい、この人一体何者なんだろう――

 一方でまったくもって謎に包まれた敏腕秘書を眺め、東山さんも眉間にシワを寄せていたが。

 

「こちらはなんとかなりました。あとは馬車屋アウローラですが――」

「カッシー達はうまくやっているかしら……」


 北地区に向かったカッシーとエリコ達の事を思いだしながら、東山さんは心配そうに眉間にシワを寄せたのだった。

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