その28-2 商人の誇り

「必要悪――だとしても、私は納得いかなかった。奴隷達もこの街の復興が終わったら解放すると決めた。誰がなんといおうと組合長の権限でね――」


 月を見上げ、感情を押し殺すようにして淡々と語るカナコの後ろ姿を静かに見つめながら、日笠さんは剣呑な表情を浮かべる。


「ところが、組合の年寄り達は頭は固くてね。おまけに強欲ときたもんだ。私との約束を反故にして、『復興が終わった後は、用済みになった奴隷を売りさばいて儲けよう』って言い始めたのさ」


 それどころかどこで嗅ぎ付けたのか、トッシュの兄との関係を明るみにあげ、奴隷解放を取り下げろと脅しにかかる始末であったのだ。

 当然若き組合長は激怒した。なんて身勝手な奴等だこの老害どもめ――と。

 

「私もまだまだ若造だった。正直、組合長の座なんてどうでもいいとも思ってたから、自分が正しいと思った事を、力で行動に移してしまったんだ」

「それって、もしかして――」

「そう、それが七年前の奴隷の反乱さね」


 全身全霊をもって、彼を解き放ちたかった。

 彼は人間だ。私を愛してくれている。私も彼が愛しい。

 なのに何故奴隷というだけで、何もかも許されないのか――


 正しいと思ったことは意地でも曲げなかった。

 そうやって生きて来た。

 納得いかないならとことんやってみろ。

 そう教わって生きて来た。

  

 だからとことんやってやる。

 こんな馬鹿馬鹿しい制度も、そしてその制度がなければ復興すらできないこんな街も。

 だったら全部なくなってしまえばいい――

 

 そう考えた彼女はとうとう行動に出たのである。


「街の警備が手薄になる夜を狙って奴隷達を全員解放した。好きにしなってね――私はその混乱に乗じて、旦那とトッシュとどこか遠くへ逃げるつもりだった」


 なんて大胆な事を――思わず目をぱちくりとさせた少女に気づき、カナコは肩を竦めて自虐的に笑ってみせた。



♪♪♪♪



「いつか祖国に帰るのが夢だった。必ず帰れると信じていた。だが、この国で奴隷となったら最後、死ぬまで奴隷。そして恋人との仲も認められない。兄はいつも悩んでいたよ――」


 昼は碧い空を見上げ、そして夜は月を眺め、毎日の如く苦悩していた兄の顔を思い出し、トッシュは悔恨の表情を顔に浮かべる。


「ある日、とうとう商人達の間で兄と義姉さんの関係が噂になり始めた。兄はそのことに気づくと、義姉さんとの関係を絶とうとした」


 商人の誇りと自らの夢を語る義姉が大好きだった。

 だから兄は、自分のせいで彼女の未来が閉ざされることを恐れたのだ。

 トッシュが付いた長い溜息は、河から吹いてくる風に乗り丘の上へ消えていく。


「聞けば聞くほどナイスなブラザーディス」

「けれど、義姉さんはそんな兄の思惑に気づいていた。だから兄が自ら身を引くより前に行動に出た」


 それが七年前の反乱の理由。

 義姉は商人としての誇りよりも、そしてこの街の未来よりも、兄という一人の人間を選んだのだ。

 それが若気の至りであったとしても、トッシュは身内として嬉しかった。


 そしてだからこそ。

 どうしてあの時、自分はこの無謀な計画を止める事ができなかったのか。

 何故、『自由』という希望に目を奪われ、反乱に賛成してしまったのか――

 トッシュは悔やみきれない悔恨を顔に浮かべ左手甲の刺青を見下ろす。

 

「兄は反対した、この計画は無謀過ぎるとね。けれど義姉さんは計画を強行した」


 しかし反乱の計画はあろうことか商人達に漏れていた。

 組合の年寄り達は、警備を倍に増やし、尚且つ水面下で金をチラつかせ、奴隷達を懐柔しようとした。

 元々結束が固いわけでもなかった奴隷達は、カナコに付き従う者と、リスクを恐れ現状に甘んじようとする者の二派に分かれた。


 それでも強行された反乱当日。

 奴隷達は当然の如くお互いの足を引っ張り合い、結果カナコが企てたその反乱はあっけなく失敗に終わる。


「混乱に乗じて、何割かの奴隷は無事に逃げる事ができた。だが義姉に付き従った大半の奴隷は逃げる前に捕まった。兄も私も――」

「オーイ、ヤバクネー?」

「騒ぎが終息に向かうと、商人達は反乱の首謀者を躍起になって探し始めた。当然真っ先に疑われたのは義姉さんだ。街は大騒ぎになった」


 噂はあくまで噂、しかし建前上組合の年寄り達は彼女に謹慎の処分を下していた。

 カナコはもはや覚悟を決めていた。責任を負い、甘んじてどのような処罰も受けるつもりだった。

 だが事態は彼女の思惑を離れ独り歩きしていく。


 まさか組合長が反乱の首謀者だったなんて――

 いやいやそんなわけがないだろう、彼女は魔王を倒した英雄の一人だ。そんなことをするわけがない――

 どうだかなあ、あの組合長、奴隷に肩入れしていたって噂もある――

 もし事実ならば、この街は対外的にも信用を失い、復興どころではなくなるだろうよ――

 おいおい、それは困るぞ。一体どれだけの金をつぎ込んだと思っているのだ――

 そうだ、このままでは皆大赤字だぞ?――

 まてまて彼女が首謀者というのは、まだあくまで噂なのだ――

 そうだな。きっとこの反乱の首謀者は別にいるはずだ――



 いや、そうでなければ困るのだ!――

 皆で真犯人を探せ! なんとしても捕まえろ!――



 利で動く商人達の思惑は奇しくも一致することとなった。

 この騒動を自分達の手で解決し、パーカスの自治を今後も弦管両国から認めさせるには、『組合長以外』の真犯人の存在が必要不可欠だった。

 だからこそ。

 真相を知らないカナコを信奉する若き商人達も、そして真相を知る組合の年寄り達も、真犯人ひとみごくう捜しに躍起になっていったのだ。

 

 だがそんな者など見つかるわけがない。当然と言えば当然だった。

 皆が目を逸らそうと、反乱の首謀者は紛うことなくカナコ本人なのだから。

 真犯人など見つからない。ではやはり犯人は彼女なのか?――と、日を追うごとに疑惑と焦りはどんどん大きくなる。

 皆の不満が限界に達しようとしていた。

 

 しかし、突如として転機が訪れた――

 

「あわや暴徒と化した商人達が、組合所に向けて雪崩込もうとする寸前だった。反乱の首謀者だと名乗る男が現れた――」



♪♪♪♪



「カナコさんの……旦那さんが?」


 目の前の女性が放ったその言葉に、日笠さんは吃驚して目をぱちくりとさせる。

 二の句が告げられない様子の少女を見て、カナコは彼女はゆっくり頷くと、当時を思い返して無念そうに目を細めた。


「反乱を計画したのも、起こしたのも全部自分のやった事だ――そう言って組合に出頭したんだ」

「それで……旦那さんはどうなったんですか?」

「組合は旦那のその話を全面的に認めた。即日臨時の私的裁判が開かれた……街の皆の前でね――」


 早い話が公開処刑だ。

 思いのほか組合に対する商人達の不審と不安は限界に達していたのだ。

 組合はわかり易い形でこの事件を終息させる必要があったのである。

 

 もちろんカナコは猛反発した。

 全ては私がやったことだ。彼は無実だ! 裁かれるべき当人はここにいる!――

 恋人が出頭したと聞いた彼女は、飛ぶようにして組合へやってくると開口一番そう言い放ち組合の年寄り達に詰め寄っていた。

 

 しかし、彼等はカナコの申し出を棄却した。

 未だ復興の半ばであったこの街パーカスには、皆を引っ張っていく存在が必要不可欠だった。

 魔王を倒した英雄の一人である、カナコ=タケウチというカリスマには、まだ利用価値がある――組合の年寄り達はそう判断したのだ。


 ただし罰は必要だ。もう二度と、彼女がこのような事を考えぬような罰を――

 そうも考えた彼等は、カナコへ被告人の処刑に立ち会うよう求めた。

 

 その日のうちに、中央地区に造られた簡易法廷で裁判は行われた。

 白日の下、連行されてきた反乱の首謀者へ、街の皆の怨嗟と怒りの眼差しが向けられる。

 罵倒と共に投じられる石の中、彼はそれでもまっすぐ前を向き法廷に立っていた。


「判決が下されるまでに大した時間はかからなかった。元々結果なんてわかっていた茶番だったしね」


 反乱の罪は重い。被告を有罪とし、絞首刑に処する――

 裁判長の読み上げた判決に、怒号を上げる聴衆に交じり、カナコは生気のない瞳でぼんやりと恋人を見つめていた。


 何度となく叫びたかった。私が首謀者だ、彼は無実だ――と。

 だが彼女にはそれができなかった。

 あの人の目がそれを許さなかったから。



 『誇り』を忘れてはいけない。

 君は商人だろう? ならばこれから君のすべき事はなんだ?――



 判決が下され、死刑台へ連行されていく彼の目はカナコにそう語っていたのだ。

 そして叫ぶことができなかったもう一つ理由。

 それは、彼女の中に宿っていた、新しい生命の未来のため――

 

 お腹を抑え、呆然と絞首台を見つめるカナコの前で。

 彼の足を支えていた台は無情にも蹴りぬかれた――



「アリが生まれたのはその半年後だった。旦那の忘れ形見になってしまったけどね――」 

「……」

「あの時程自分の過ちを悔やんだことはなかった。生まれて初めて大泣きした……正しいと思った事は意地でも曲げない。けど、それを『力』で押し通そうとした結果がこのざまさ」


 これでわかっただろう? 旦那は大罪人なんかじゃない、本当の大罪人は私――

 七年前の顛末を話し終え、ゆっくりと顔を上げるとカナコは寂しそうに笑いながら日笠さんを向き直った。

 日笠さんは、何も言えなかった。

 今この場でカナコへ投げかけるに値する言葉を、まだまだ経験の浅い彼女は持ち合わせていなかったからだ。

 カナコはかまわずに話を続ける。


「彼が身代わりになって教えてくれた。私は『商人』だということを。だからもう二度と力で押し通す事はしないって決めた。商人の『誇り』に誓ってね」

「それでノトさんのお店では――」

「アリは納得がいかなかったみたいだけどね」


 親バカながら、あの子は若い頃の自分にそっくりだ――

 カナコは嬉しそうに微笑みながらそう付け加える。

 そして彼女は、手摺から身を起こすと少女とシズカの下に歩み寄った。


「もっともっとこの大陸が豊かになれば、奴隷なんて必要なくなるんだ。じゃあそのために商人として私ができることってなんだろう――」

「……社長」

「それは経済的にこの大陸を豊かにすることさね」


 それこそが、身代わりになって死んだ旦那のために、唯一できる罪滅ぼし――

 強き意志の光を双眸に灯し、カナコはそう言って豪放に笑い声をあげた。



♪♪♪♪



「反乱は失敗に終わった。だが再度同じ事が起きるのを恐れた商人組合は、パーカスの復興が終わると特例として奴隷達を解放した」


 義姉がそう掛け合ったのか、それとも本当に再起を恐れて組合が日和見したのか、そこまではわからない。

 奴隷制度は残った。しかしあれ以後、この街パーカスにおける、奴隷に対する締め付けはかなり緩和されることとなった。


 復興が無事完了し、労働奴隷から解放されたトッシュは、その後この北地区にある馬車屋の店主の下、住み込みで働くこととなった。

 店主はカナコの祖母と知り合いだった。

 彼はカナコが反乱を起こした際、奴隷達の逃亡を助けるための馬車を密かに用意してくれていたのである。

 だが結局反乱は失敗に終わった。

 店主も逝去し、トッシュが跡を継ぐこととなった。

 馬車だけが残り、使われぬまま日の目を見ることもなく倉庫の肥やしとなった。

 そう、先日エリコとチョクにトッシュが見せた、あの馬車だ。


 七年の年月を経た今、師が作った馬車は当初の目的通り、追われる奴隷を逃がすため、自由への轍を生み出そうとしている。


「奴隷を匿うのは罪だ。逃がすのはもっと重い罪になるだろう……それでも私は、私の思う自由のために彼女を助けたい」


 お願い……助けて下さい――

 

 あの日店の裏で聞いた、蚊の泣くように小さな助けを求める呼び声。

 そして絶望と戦い、それでも諦めきれない明日への希望に縋ろうとする眼差し。

 彼女は昔の自分だ。だから匿った。

 そして彼女を逃がすことが、兄と義姉への贖罪になるのではないか――

 トッシュはそう思うのだ。

 

 と、パチパチと聞こえて来る拍手の音。

 振り返ったトッシュの目の前で、かのーは反動をつけて跳ね起きる。

 

「ムフン、なかなか面白い話ディシター!」

「そ、そうかい……ありがとう」


 今の面白い話だったか?――

 ちゃんと聞いていてくれたのか不安になりつつも、だがそこは突っ込まず、トッシュはポケットから手を出しバカ少年を向き直った。

 

「頼みがある、今の話を君からアリに話してくれないか?」

「ハー? 何でオレサマがそんな事しなきゃなんないディスカ?!」


 冗談じゃないと顔に縦線を描き、かのーは当然の事ブンブンと首を振ってみせる。

 少年の反応を予想していたトッシュは、しかし苦笑しながら話を続けた。


「このまま誤解した形で、アリに心を閉ざして欲しくないんだ」

「ナラ、おっさんが言うべきデショー?」

「多分、君の話なら聞いてくれると思うから――」


 義姉も兄も姪を愛している。

 彼等だけでなく、シズカさんも自分もだ。

 しかし彼女は今自分達を疑って、心を開いてくれていない。

 唯一可能性があるとすれば、目の前のこの少年だけだろう。

 先刻の屋根裏部屋前での顛末を思い出し、トッシュはかのーに頭を下げる。

 

「頼む、アリは君の子分なのだろう? 方法は任せるよ……」


 それだけ言うと、トッシュは踵を返し店に向かって歩いていった。

 後に残ったかのーは、頭の後ろで手を組みながら、単純な脳みそをフル回転させる。

 んなこと言われてもどうしろっちゅーねん!――と。


 

「ドゥッフ、世話のかかるコブンディスネ……」


 ツンツン髪のバカ少年は面倒くさそうに溜息を吐くと、一人呟いたのだった。

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