その28-1 本当の『大罪人』

夜。

パーカス北地区はずれ

馬車屋『アウローラ』屋根裏部屋入口―


「アリちゃん。夕飯を作ったんだけど、食べませんか?」


 屋根裏部屋に続く天蓋を遠慮がちにノックをした後、アイコはそう言って少女の返事を待った。

 しかし返事はなく、続くのは静寂のみだ。

 昼間の一件以来、アリが部屋から出てくる様子はない。

 時刻既に二十時を回り、すっかり日が暮れた今も中に籠ったままだ。

 

「アリちゃん……その、気持ちはわかるけれど、何も食べないのは身体に毒だと思うの」


 もう一度ノックをしてから、アイコはまた遠慮がちに声を投げかけてみた。

 やはり返事はない。

 手に持った皿をぎゅっと握り、アイコはしゅんと落ち込んだように俯く。

 そして、彼女の後ろで固唾を呑んで様子を見守っていたトッシュを振り返った。

 少女の困ったような視線を受けて、トッシュは腰に手を当て深い溜息を漏らす。

 やはりだめか。お腹がすけば出てくるかもしれないと思ったが、聡明な姪はそんな子供騙しの作戦には引っ掛からないようだ――と。


「ムフ、メシの匂いがするディスね」


 と、鼻をクンカクンカとさせながら唐突にトッシュの背後からにゅるりと顔をだしかと思うと、かのーはアイコの持っていたサンドイッチを発見し、涎を垂らす。

 どうやら食べ物の匂いにつられてここまでやって来たようだ。

 あろうことか『子供騙し』のこの作戦に見事に引っ掛かり、姿を現した先輩を見て、アイコは吃驚しながら思わず後退さる。


「これ、食べてもいいディスか?」

「せ、先輩……これはそのぉ、アリちゃんの分で――」 

「おーいスー! サンドイッチ食べないノー? おいしそうダヨー?」


 困ったように苦笑を浮かべたアイコの言葉を遮り、まったくもってデリカシーのないバカ少年は、乱暴に天蓋を叩きながらアリに尋ねる。

 だが、やはり少年の問いかけに対しても屋根裏部屋から少女の返答はなかった。


「いいのー? ネーネー、オレサマ食べちゃうヨー?」


 と――

 

「……勝手に食べなさいよ」


 やっとのことで、溜息混じりの小さな小さな呆れ声が聞こえて来て、トッシュとアイコは嬉しそうに顔を見合わせる。

 だがしかし。

 

「ムフ、そんじゃ、お言葉に甘えていっただきマース」


 言うが早いが、かのーはパンと手を合わせた後、アイコの持っていた皿の上のサンドイッチをひょいひょいと口に投げ込んでいった。

 あっ――と、アイコは残念そうに声を漏らしたが、時すでに遅し。サンドイッチは言葉通り『あっ』という間に皿の上からその姿を消す。


「先輩……本当にお腹が空いていただけだったんですね……」

「ンー? ソーディスヨー? お、これオイシイネ。タレパン中々リョーリうまいディス」

「は、はあ……ありがとうございます」


 てっきり目の前のこの先輩が、もう少し深い思慮があって行動していたのだとばかり思っていたアイコは、本当に何も考えていなかっただけと気づき、顔に縦線を描いて落胆していた。

 と、その様子を眺め苦笑していたトッシュは、アイを気にするように尚も屋根裏部屋を見上げるアイコに気づくと、少女の肩をポンと叩く。

 

「ありがとう、アイコちゃん。もういいんだ」

「ごめんなさいトッシュさん……その、私のせいで――」


 昼間起きた一件は、この店を訪れていた日笠さんからすべて聞いていた。

 自分を捜しにやって来ていたウエダという奴隷商人のこと、そしてそのせいでアリが自らの出自に気づいてしまったこと――

 私がここに逃げ込まなければこんなことにはならなかっただろう。

 責任を感じ、少女は唇を噛みしめる。

 そんな彼女の心境に気づき、トッシュはにこりと笑って首を振ってみせた。

 

「私は私の意志で君を匿ったんだ。アイコちゃんが気にすることではない」

「トッシュさん……」

「さ、夜も遅い。今日はもう寝なさい」


 明日は商業祭初日。

 昼間訪れたシズカから、義姉と彼女の仲間達が何をしようとしているかは聞いている。

 彼等が実行しようとしている一大作戦が滞りなく完了した後、アイコはカナコ邸へ移動することが決まっていた。

 少し早いが、もし万が一にもウエダが警備隊に報告した場合を想定してのことである。

 どうしたものかと、戸惑うように思案していたアイコは、しかしややもってコクンと頷くとトッシュに一礼して部屋へと戻っていった。

 だが、階段を降りる途中で思い出したように足を止め、かのーを振り返る。


「あの……先輩」

「ナンディスカータレパン」

「明日は頑張ってくださいね。私はこの場から動く事はできないけれど、鈴村君のこと、どうかよろしくお願いします」

「ムフ、まかしとけなのディース」


 もちろんこのバカ少年も、その内容を理解したかは別として、日笠さんから明日の作戦については一通り説明を受けていた。

 いい? 明日は色々あるからちゃんと朝一で戻ってくるのよ?――と、カナコ邸に戻る間際、日笠さんはまるで幼稚園児に言い聞かせるように何度も何度も少年に念押ししていたほどだ。

 かのーは、モムモムとサンドイッチを未だ口の中で頬張りながら、アイコに向かってぐっと親指をたててみせる。

 少年のその仕草見て、アイコは安心したように遠慮がちに微笑むと、ぺこりとまたお辞儀した後、階段を降りて行った。

 屋根裏部屋に続く細い廊下には、バカ少年とトッシュだけが残る。


「さて……カノー君。ちょっと付き合ってくれないか?」

「えー、メンドーイパス」


 朝にはめっぽう強いが、夜には弱いこの少年は既に結構眠くなってきていた。

 誰が好き好んで、濃い顔の男の誘いに付き合うか――と、本能に赴くまま忠実に生きるこの少年は欠伸しながら即答する。

 正直な子だ、と苦笑しながらそれでもトッシュは言葉を続けた。


「そう言わずに頼む。少し話があるんだ」

「……話?」

「ああ。ついてきてくれるかい?」


 トッシュはそう言って、首を傾げたかのーに頷くと、踵を返して階段を降りていく。

 バカ少年は仕方がない――と言いたげに大きな鼻息を一つつき、彼の後についていった。

 

 

♪♪♪♪



 同時刻。

 パーカス中央地区、カナコ邸。

 カナコの私室ベランダ―


「そうかい、アリはついに知ってしまったんだね――」


 ベランダの手摺に手を付き、カナコは夜空から煌々と街を照らす月を見上げながら呟くように言った。

 つい今しがた昼間の一件の報告を終え、カナコの返答を待っていたシズカは、その言葉を受けて一礼する。

 その後ろには彼女と一緒にカナコの部屋を訪れていた日笠さんの姿もあった。

 貴女にも是非ついてきて欲しい――つい先程、自分の部屋を訪問してきたシズカにそう言われ、特に断る理由もなかった少女は一も二もなく賛同していた。彼女もカナコの口から聞きたいことがあったからだ。

 そして、カナコが帰宅したとの報を受けると二人は彼女の部屋を訪れていたのである。


「ま、しょうがないさね……いずれは話さなきゃならない事だったから」


 僅かな間の後、カナコはシズカを振り返ると、珍しく歯切れが悪そうな苦笑いを浮かべつつ、彼女を労うように頷いてみせる。


「申し訳ありません、私が付いておりながら――」

「あんたが謝ることじゃないさオシズ。それに事実は事実だ、そうだろう?」

「ですが、あの男を亡き者にしてでも口を封じておくべきでした」

「アッハッハ、やめとけやめとけ。あんな小者に構うだけ時間と労力の無駄さね」


 なんとも物騒な発言をしたシズカを豪放に笑い飛ばし、だがカナコは手摺に背もたれると、憂うようにバルコニーの床へと視線を落とした。

 なんだかんだで、愛娘に隠していた真実がばれた事は、彼女にとってショックだったのだろう。

 と、どことなく元気がない彼女を心配そうに見つめていた日笠さんは、やがて意を決したように口を開く。


「あの――」

「なんだい?」

「ウエダが言っていたことは……本当なんですか?」


 あの青年商人が言っていた事は信じられない。

 いや、信じたくない――日笠さんは心のどこかでそう思っていた。

 だってこれではアリがあまりにも可哀想過ぎるのだ。

 あれは、あわよくば商談を有利に進めるために、ウエダが口から出まかせに言い放った妄言だった――実はそうだったらどんなに良いだろう。

 一縷の望みに賭けるようにして、少女はカナコに尋ねていた。

  しかし、少女のその問いかけに対する豪放磊落な組合長の回答は明快であった。


「ああ、本当だよ」


 まったくもってその通り――

 カナコはなんともあっさりそう言い切ると、竹を割ったような快活な笑顔を浮かべる。


「まったくあの若造ウエダもよく調べたもんだ。しっかり隠蔽したつもりだったんだがね」


 あの商売に対する一途な執念は嫌いじゃない。やり方はてんで好きにはなれないが――

 そう付け加え、感心したように腕を組むと、カナコはまたもや豪放な笑い声をあげた。

 祈る様にして返答を待っていた少女は、彼女のその言葉を聞き、やはりそうか――と、残念そうに肩を落としていた。


「じゃあやっぱり、カナコさんの旦那さんは――」

「と、言いたいところだがね。ウエダの言っていた事には一つだけ間違いがある」

「え……?」


 と、再び希望を瞳に灯しながら日笠さんは顔を上げた。

 そんな少女に対し、カナコはピンと指を立てて見せると、真顔に戻りこう言ったのだ。

 

「私の旦那は無実だよ。本当の『大罪人』はこの私だ――」


 ――と。

 

 どういうことだろう? カナコさんが大罪人?――

 意図がわからず、日笠さんは戸惑うようにして言葉を噤む。

 少女のその様子を見て、カナコは苦笑すると七年前の真実を語り始めたのだった。

 


♪♪♪♪



「もう十年だ。私と兄がこの国に流れ着いてから、随分と時が経ってしまった――」


パーカス 北地区外れ。

馬車屋『アウローラ』前の丘―


 眼下に広がるパーカスの夜景を一望しながら、トッシュは感傷に浸るようにして話し始めた。

 今宵も空には雲一つない。

 月の光が、街を眺めるトッシュと、そしてその後ろに佇み、頭の後ろで手を組んで欠伸をするバカ少年を、青白く照らしている。


「私と兄は、この大陸の遥か西に位置する、小さな島国の出身でね。小さな貿易船の船乗りをしていた」

「フーン、ソーディスカー」

「十年前のあの日も、積み荷をたんまりと船に載せ、祖国への帰路を順調に航海している最中だった」


 順調だった。本当に順調だったのだ。来る日来る日も雲一つない晴天だった。

 しかし、海の天候は時として船乗りの予想をいとも簡単に裏切る。

 何やら雲行きが怪しい――そう彼が気づいた時にはもう手遅れだった。

 

「丁度この大陸の北東に差し掛かった時だった、船は突如として現れた嵐に見舞われたんだ」


 碌な準備さえする余裕もなかった船は、遭えなく波に飲まれ転覆。

 仲間の悲鳴が聞こえる中、彼も海へと放り出された。

 足掻こうにもどうすることもできず、彼は大荒れの海上を流れに身を任せ、木の葉の如く漂うことしかできなかった。

 意識を失った彼が目を覚ましたのはその翌日。

 昨日の嵐がまるで嘘のような晴天の下、波間を漂う板切れの上だった。

 大丈夫か?――と、いう馴染みのある声によって――

 

「兄が助けてくれたんだ」

「ムフ、イカスブラザーじゃないディスか」

「ああ、自慢の兄だった。彼がいなければ、私は恐らく波に飲まれ死んでいたと思う……そして奇跡的に生き延びることができた私達は、このオラトリオ大陸の東側に漂着した」

 

 ああ、陸だ。陸が見える。助かった――

 この時ほど神に感謝したことはなかった。

 トッシュと彼の兄はお互いを抱き合い、涙を流して喜んだ。

 しかし、彼等を待ち受けていた現実はあまりにも非情だったのだ。


 徐にトッシュは左手に嵌めていた黒の手袋を外し、そして少年へとその甲を翳す。

 ナンディスカー?――と、少年が覗き込んだ彼の甲に見えたのは、月光に照らされて青白く浮かび上がった貝の刺青だった。


「ドゥッフ、タトゥー?」

「この国の奴隷は、左手の甲に貝の刺青を彫られる習慣があった。貝の種類によってどこの街からやってきた奴隷かを判別するためにね」


 もっとも、それは十年前の話であって、両国の戦争が終結して国力が回復してきた今では、大規模な登記簿による管理が可能となったため、刺青の習慣もなくなったようだ。


「無事陸に辿りついたはいいものの、運悪く野盗に囲まれてね……逃げる間もなく捕まった。そして私と兄は奴隷として売りに出され、流れ流れてこのパーカスにやってきた。そして、丁度一年が過ぎた頃だろうか……初めて義姉――カナコさんに会ったのは」


 懐かしそうに目を細めて当時を思い出しながら、トッシュは話を続ける。

 

 

♪♪♪♪

 

 

「当時、私はオラトリオ大学を卒業したばかりでね。大学で学んだ経済学を活かして、このパーカスを立て直してやる――って、気合いばかりが空回りする若造だった」


 今から九年前の事だ。

 弦管両国の戦争が終結し、生き残った商人達は戦禍によって廃墟寸前にまで陥ったパーカスを立て直すため、再起を誓って集結していた。

 カナコもその一人だった。

 マーヤ達との冒険を終えてパーカスに戻った彼女は英雄として迎えられ、そして皆の声に押し上げられる様にして、新たな商人組合長に就任することとなった。

 彼女はその推挙を甘んじて受け、そしてその名に恥じぬよう全身全霊、心血を注いで街の復興に取り組んだ。

 

「この街のやられようといったら、そりゃあもう酷いもんでね。ほぼ一から立て直す必要があったのさ、そのためには大量の人手が必要だった。それで組合の年寄り連中は、安価な労力として、大陸中の奴隷を掻き集めることを提案しだしたんだよ」


 バルコニーの手摺に背中を預け、当時を懐かしむ様に口にしながらカナコは夜空を見上げる。


「その奴隷の中に旦那がいたわけさ。もちろんトッシュもね」

「旦那さんが?」

「ああ、男前だったよ旦那は。なんたって海の男だしねえ。おまけに優しくてイケメンで、頼り甲斐があって――」

「コホン……社長」


 返答に困って苦笑している日笠さんに気づき、シズカが助け舟を出すと、カナコは大笑いしながら首を傾げてみせた。

 冗談さね――と。

 

「アッハッハ、でも皮肉なもんだ。あれだけ反対してた奴隷制度のおかげで旦那と会うことができたのだから」


 そうだ。私は反対だった。

 多くの人々が『それが当たり前』と考えている、『人が人を物として扱う』この制度に――

 当時の青かった自分を思い出し、カナコは悔やむ様に眉根を寄せて再び床へと視線を向ける。



♪♪♪♪



「それでもこの街パーカスを復興させるには、どうしても大量の人手と労力が必要だった。義姉さんもそれを知っていた。だから奴隷を使役することに抵抗があったとしても、必要悪と受け止めていたんだと思う」


 理想や綺麗事を並べていては、この街はいつまで経ってもあの日に戻れない――

 義姉の苦悩は相当のものだったろう。

 河から吹いてくる涼しい風に目を細め、トッシュはポケットに手を入れると、当時の姉を憂慮するように息をつく。


「兄と義姉さんは上手くやっていた。人目を避けてばれない様に逢瀬を繰り返していたよ。それはもう傍から見てても、恥ずかしいくらいの相思相愛ぶりだった」

「ドゥッフ、あのズングリがディスか……」


 いつの間にか丘の端に胡坐を掻いて、足をプラプラさせていたかのーは、頭の中で豪快に笑い声をあげるカナコを思い浮かべ顔に縦線を描いた。

 トッシュは苦笑しながら話を続ける。

 

「けれど、この大陸では奴隷に人権はない。二人が結ばれることなど夢のまた夢の話だった。もちろん結婚など認められるわけもない。ましてや義姉さんは、パーカスの商人組合長……奴隷で兄との関係が明るみになれば、周りが許すはずもなかった」

「――それで、『ハンラン』ディスカ?」


 にゅるりとブリッジをして、かのーは背後にいたトッシュを見上げる。

 妙に鋭い発言をしたバカ少年を、トッシュは沈痛な面持ちのまま見つめていたが、ややもって無言で頷いてみせた。


「思いつめた義姉さんと兄はとうとう行動に出た。周りの奴隷達を巻き込んでね――」


 そこまで言って、トッシュは月を見上げる。

 あの日の晩も、こんな月が明るい夜だった――と。

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