第六章 勝ち得たモノと失くしたモノ

その27-1 嘘っていってよ!


 さらに歩くこと数分。

 ここがトッシュさんの家だろうか。

 丘の上に見えた、馬の絵が描かれた看板の掛けられたその家を眺め、日笠さんは足を止める。

 だがシズカが店の前を素通りし、さらに奥へと歩いていくのに気が付くと彼女は目をぱちくりとさせて敏腕秘書を呼び止めた。


「あの、シズカさん。どちらへ?」

「裏口です。お嬢様には気づかれぬようにとの社長の指示ですので」

「ああ、なるほど」

「トッシュ様には話をつけてあります。どうぞこちらへ」


 と、店の裏手に通じる小道に足を踏み入れながら日笠さんを振り返り、シズカは道の奥へ誘うように少女へ手を翳してみせる。

 日笠さんは誘われるままにシズカの後に続き、二人は店の裏に通じる扉の前までやってくるとお互いを見合った。

 やがてシズカがドアノブに手をかけ、そっと扉を引いて中の様子を確認する。

 

 だがそこで彼女はぴたりと手を止め、やにわに驚きの色を顔に浮かべてみせた。

 どうしたのだろう?――日笠さんは彼女のその様子に気が付いて小首を傾げる。


「シズカさん?あの――」


 そう尋ねた少女に対し、シズカはすっと右手を差し出し言葉を制した。

 そして答える代わりに視線で少女を誘導する。

 中をご覧ください――と。

 意を察して口をつむぐと、日笠さんは扉の空いた隙間からそっと中を覗き込み、そしてそこに見えた人影に気づくや、目をぱちくりとさせた。

 裏口から見えた店内では、何人かの人影が対峙するようにして佇んでいるのが見えた。

 手前に見えたのは、トッシュ、アリ、そしてツンツン髪の少年――話に聞いていたアイコの姿は見えない。

 どこかに隠れているのだろうか。まあそれはいい。

 問題は、店の入り口側に佇む、縦縞の商人服を着た恰幅のよい男とその連れらしき数人の男達――

 

「……ウエダ?」


 どうしてあいつがここに?――

 という疑問と共に、しかし既に日笠さんの頭の中では、それに対する懸念と答えが生まれつつあった。

 それは言わずもがな、トッシュが匿ってくれているはずの少女の存在。

 と、同じ答えに辿りついたのであろうシズカも、表情を変えぬまま、しかしウエダの行動力に感心するように息を漏らしていた。

 

「あの方も、なかなか耳が早い……」

「ま、まさかばれちゃったとか?」

「わかりませんが、不穏な空気ですね――」


 カナコからは、アリには気づかれないように、と言われている。

 さてどう動くか――シズカは様子を窺うようにして中の会話に耳を澄ませた。

 


♪♪♪♪



パーカス北地区。

馬車屋『アウローラ』店内―

 

「出てって!」


 その小さな身体一体どこからこんな声が出せるのだろう?

 聞いた者が感心するしかない母親譲りの大声で、アリは開口一番そう言い放つと、目の前に立っている恰幅の良い奴隷商人を、碧い双眸で睨み付けた。


 アリが正しいと信じる解決方法を見せておくれ――

 そう言われて、威勢よく母親の下を飛び出したものの、何も思い浮かばずはや五日。

 私は何をやっているのだろう、焦りと自己嫌悪に苛立つ彼女の前に、その『元凶』たる人物が、相も変わらない嫌らしい笑顔と共に現れたのだ。

 当然ながらアリの怒りは爆発した。


 だが店が震える程の少女の大声を受けても、その笑みを絶やすことなく、店を訪れたその商人――ウエダはほとほと困り果てたように嘆息すると、アリへと肩を竦めてみせる。

 

「やれやれまた貴女ですかお嬢様。私達、つくづく縁がありますね」

「あなたと縁なんかあってたまるもんですか! いいから出て行きなさい!」

「そんなに煙たがらなくてもご迷惑はおかけしませんよ。今日は後ろの方に用がありましてね……なに、用が済めば貴女の言う通りすぐに立ち去りますので、どうかご容赦を」


 と、たとえ子供相手でも慇懃に一礼をして、ウエダは彼女の背後に立っていたトッシュへと顔を向けた。

 冗談じゃない、こいつが言いだすことはわかっている。きっと叔父が匿っているあのお姉さんを狙ってきたんだ――

 聡明な少女は、既にウエダの目的を察してますます怒りを露にすると、そうはさせじと一歩足を踏み出していた。

 しかし、背後に立っていたトッシュが少女の肩に手を乗せ、その行動を制する。


「下がっていなさいアリ」

「でも――」

「いいから。私に御用ということですが、どういった内容でしょうか?」


 自分の後ろに隠すようにしてアリの前に進み出ると、トッシュはウエダを見据えて尋ねた。

 ほっとわざとらしく胸を撫でおろす素振りをしてみせながら、ウエダは改めて営業スマイルを浮かべ、トッシュに向けて一礼する。


「助かりました。どうもそちらのお嬢様は私の事が嫌いのようでね――改めまして、私はウエダというものです。西地区で奴隷商人をしております」

「奴隷商人……」


 すぐにピンときた。この男が何を求めてここへ来たのかも。

 トッシュは僅かに表情を強張らせ、しげしげとウエダを一瞥する。

 その表情の変化を若き奴隷商人は見逃さない。

 ウエダは瞳に野望の火を灯しながら、トッシュの碧い瞳を覗き込む。

 

「単刀直入に申し上げます。あなたが匿ってらっしゃる娘を私に譲って欲しいのです」


 やはり――と、息を呑み。

 トッシュはしかし、平静を装いながらウエダのその問いに向けて惚けるよう首を傾げてみせた。

 

「仰る意味がわかりません。娘とは?」

「……ご存じないと?」

「この店には私一人しかいません。そのような娘の話など聞いたことがないのですが」


 どこか別の家と間違えているのでは?――

 苦笑を浮かべつつ、まったくもって見当違いであるとトッシュは肩を竦める。

 

「その娘は奴隷市場から逃げ出した奴隷なのですよ」

「奴隷、ですか?」

「ええ。逃亡した奴隷を知っていて匿うのは罪にあたります。それはご存じですか?」

「そうなんですか? まだこの大陸に来て日が浅いものでして……ですが何度言われても、知らないものは知らない」

「……あくまで白を切ると?」

「どう捉えるかはそちらの勝手ですが、そのような娘は見た事もありません」

「ならば仕方ない。警備隊に訴え出て、こちらの店を捜索してもらいますが?」

「どうぞご自由に」


 計画通りにいけば、明後日にはアイコはこの街を脱出する。

 警備隊がこの店に来る頃には彼女はもうここにはいないはずだ――

 トッシュはニコリと白い歯を見せて笑いながら毅然とした態度で答えた。

 白々しい――

 笑みは絶やさないが、その口の端を苛立ちで引き攣らせつつ、ウエダは飄々と言い逃れを続けるトッシュを見据え、口の中で唸り声をあげる。


「逃げ出した奴隷の娘は巷で『神器の使い手』と噂されている、奇跡の楽器を操る娘なのです」

「ジンキノツカイテ?」

「そうです、そしてそちらにいる方のお知り合いでもある。ですよね?」


 と、ウエダは椅子を漕ぎながら座りつつ、面白そうに様子を窺っていたかのーを向き直り、彼に尋ねた。

 だがツンツン髪のバカ少年はケタケタと笑い声をあげたのみで、YESともNOとも答えない。

 まあいい――と、肩を竦めウエダは話を続ける。


「そちらの方がいらっしゃるという事は、逃げ出した娘が関係していると思ったのですがね……失礼ですが、彼とはどういったご関係で?」

「姪の知り合いで、たまたま遊びに来ていただけですが――」


 自分の背後で依然としてウエダを睨みつけているアリをちらりと振り返った後、トッシュはやや躊躇ったがやがてウエダの問いに答えた。

 刹那。

 野望高き青年商人は、張り付けたような笑みの奥で光らせていた瞳に、さらに欲望と勝機の火を灯す。

 

「姪――そうおっしゃいましたか?」

「ええ……それが何か?」

「なるほど、確かに似てらっしゃる。それでは貴方は組合長の義弟さんと? なるほど……なるほどね、クックックック」


 非情を通り越し、もはや残忍といった表現が近い輝きをその目に秘め、ウエダは押さえきれなくなった興奮を笑いと共に放っていた。

 よもやとは思ったが、これは棚ぼただった。

 これは使える。あの小憎たらしい女を揺するのに――と。

 

「何よ? あなた何笑ってるの?」


 背筋が思わず冷たくなるような、なんともいえない嫌な悪寒を感じ、アリは剣呑な表情を顔に浮かべてウエダを見上げる。

 

「失礼しました、お嬢様。とても良いことが分かりましてね……興奮のあまり笑ってしまいました」

「よい事?」

「場合によっては貴女にもお聞かせしましょう。ところで、どうあっても娘は譲ってもらえない――という事でよろしいですか?」

「貴方もくどいですね――」

「わかりました、では手段を変えましょうか」


 口を開きかけたトッシュの言葉を遮り、そう言ってウエダは腰の後ろで手を組みつつ、一歩トッシュへと近づいた。

 手段?――と、トッシュは首を傾げて、青年に話の先を促す。


「一つお尋ねしたい。貴方は五年前に逝去されたこの店の主から、店を譲渡されたとのことですが、それは間違いないですか?」

「その通りです。師から譲り受け、この店を継ぎました。それが何か?」


 この店の前主であるトッシュの師は生涯孤独であった。既に高齢であった彼の師は、馬車工の全てを弟子である彼に伝授した後、店を譲ると遺言を残して五年前にこの世を去っていた。

 以来、彼は師の遺言に従い、一人この馬車屋を切り盛りしている。

 だがそれが何だというのだ?――

 なんとなくではあるが、師を冒涜されたようにも感じトッシュは不快そうに顔を顰めてウエダに問い返す。

 不可解である――

 しかし、青年商人は肩を竦め、そう言いたげに眉尻を下げると、わざとらしくもこう問い詰めたのだ。



「奴隷の貴方に相続できる資格はないでしょう?」



 ――と。

 空気が変わった。

 極めて普通の口調だったはずのウエダのその言葉は、やけにはっきりと少女の耳朶を打って聞こえて来ていた。

 だからこそ、アリは耳を疑った。

 今、この男はなんといったのだ?――と。

 碧い瞳にわかりやすい程動揺を浮かべ、彼女は目の前に立っている叔父を見上げる。

 叔父は微動だにしていなかった。

 彼のその両こぶしは握り締められ、何かに耐えるようにして震えていた。

 何故か叔父のその行為が、ウエダの放った度し難い妄言を肯定しているように見えて、少女は心の中に広がっていく疑心を振り払うように首を振る。

 気づけば彼女はウエダを見上げ、込み上げる怒りの感情と共に睨みつけていた。


「店の登記を調べればわかる話ですが、これも白を切りますか?」

「……」

「組合にこの事が知れれば、貴方も店も間違いなく終わりとなりますが? ああ、そればかりではない……組合長ぎりのあねにも、もしかすると迷惑がかかるかもしれませんね」

「……くっ」

「取引しませんか? 娘を引き渡してさえくれれば、このことはだまっておいてあげますよ?」


 さて、どうしますか?――

 俯くトッシュの顔を覗き込むようにして、ウエダは尋ねる。

 

 だがしかし――


「待ちなさいよ! さっきからあなた何を言ってるの?」

「何をとは?」

「バカなこと言わないで! 叔父さんが奴隷なわけないでしょう!」


 まるで自分に言い聞かせるように少女は叫んでいた。

 そうだ、そんなはずがない。大好きな叔父が奴隷だなんて、そんなはずがない。

 馬鹿にするのも程がある――

 しかし少女の動揺がありありと取れるそんな反論に、ウエダは取り合う様子もなく続けてトッシュへと問いかける。

 

「だ、そうですが、もしや姪御さんにはお話ししていないので?」

「……」

「叔父さん! どうして黙っているの? 何か言ってやってよ、こんな事言われて腹が立たないの!?」

「……」

「……叔父さん?」


 嘘だ。

 どうして黙っているのだ――

 自然と少女が叔父の背中に投げかける言葉は覇気を失っていく。

 なおもまだ握った拳を開かずに、そして自分を振り向かずもせずに、ただただ俯き続けるトッシュを見上げ、アリは仕方なく彼の服の袖を引っ張った。

 

「嘘でしょう? 嘘っていってよ! ねえ、叔父さん!」


 叔父はそれでも何も言わない。

 強く何度も引っ張られる服の袖に反応するように、さらに握りしめた拳に力が籠められる。

 ややもって。

 信じられない――碧い瞳を見開き、力なく叔父の袖を握っていた小さな手を降ろすと、アリは唇を噛み締めた。

 

「いいえ、嘘ではありません」


 と、断言するように放たれた青年商人の言葉が少女の願いを踏みにじる。

 ウエダはアリを見下ろし、愉悦に濁った瞳を笑わせながら小首を傾げてみせた。


「お嬢様、残念ながら貴女の叔父さんは奴隷なのです。それは変えられようのない事実」

「そんなこと信じられるわけ――」

「叔父さんの左手を見た事はありますか? 貝の刺青が彫られていませんでしたか?」


 それでも必死に叔父を庇おうとした健気な少女の反論を遮り、ウエダは尋ねた。

 縋るようにして、少女が見つめた叔父の左手は。

 しかし黒い手袋に包まれ、その中までは知ることができなかった――

 

 だからこそ少女は確信する。叔父と出会ってからの記憶を辿って。

 そして、叔父がこの手袋を外していたところを見た事がない――と。

 


「叔父さん……お願い。答えてよ……あいつの言ってる事は嘘だって」

「……アリ」

「そんなに気にすることはありませんよお嬢様」


 と、愉悦に染まる満面の笑みと共にウエダは屈みこみ、彼は落ち込む少女に向かって小さく頷く。

 そして彼は――


 憎き組合長によって溜まっていた鬱憤を晴らすがごとく、彼女の娘へと向けて躊躇なく、更なる追撃を開始した。

 


「そうです、気にすることはないのです……何せ、貴女も同類なのですから」



 どういうこと?――

 聞こえてきたその言葉の意味がわからず、アリはウエダへと顔を向ける。

 刹那、トッシュは目を見開くと、表情を強張らせ青年の肩に掴みかかっていた。

 

「よせっ! あんた何を考えてる?」

「やはりそうでしたか。どうやら組合長は娘さんに何一つ教えてらっしゃらないようだ」


 締め付ける様に自分の肩を掴むトッシュを見上げ、小気味良さそうに笑みを浮かべた後、ウエダは再び少女を向き直った。

 嫌な予感がする。心臓が高鳴る。

 こいつは一体何を言おうとしているのだろう。

 聞かない方がいい。そうだこいつのいう事なんか信じなければいい。

 そう考えつつも、少女の瞳は吸い込まれるようにして、青年商人から逸らすことができないでいた。


「同類って……何言ってるのよこの嘘つき!」


 ごくりと息を呑み、やっとのことで紡ぐことができたのは精一杯の虚勢――

 そんな彼女に対し、ウエダはぞっとするほどの冷酷な笑みと共にこう告げたのだ。

 

  

「叔父さんのお兄さんも奴隷だったんですよ」


「……え?」


「わかりませんか? つまりあなたのお父さんも奴隷だったのですよ。そう……あなたは奴隷から生まれた娘なのです」


 ――と。

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