その25-1 タレパン娘!?
三十分前。
パーカス北地区はずれ、馬車屋『アウローラ』―
つい先刻まで、お騒がせ姫とその元お付きの青年が立ち寄っていた馬車屋に、新たな客が来訪する。
「これはまた……今日は珍しく来客の多い日だ」
年季の入った古い扉が軋みながら開き、取り付けてあったベルが鳴ったのに気が付くと、店主である男は入口に目を向け呟くように言った。
そして彼は調整していた馬車の車輪を静かにその場に置くと、エプロンで手を拭きながら中に入って来たその可愛い客へと歩み寄る。
と、やってきた男に向かってぺこりとお辞儀をすると可愛い客――アリは、ニコリと笑って彼を見上げた。
「こんばんは、おじさん」
「いらっしゃいアリ。こんな時間にどうしたんだい?」
続けて店に入って来たツンツン髪の少年にちらりと目をやり、男はやや驚きの表情を顔に浮かべながらもすぐにアリへと視線を戻す。
「突然ごめんなさい。お邪魔だった?」
「まさか。可愛い姪が尋ねてきたんだ、邪魔なわけがないだろう。ただ義姉さんが心配していると思ってね」
夕陽はつい先程リード河の向こう側へとその姿を消した。
辺りは夜のしじまに包まれようとしている。六歳の少女が理由もなく出歩いていて良い時間ではない。
彼女の母親である義姉はこのことを知っているのだろうかと、男は少し懸念していた。
だがこの聡明な姪が家に帰らず、あえて自分を訪ねて来たという事は、何か事情があるのだろう――
同時に男はそうも感じ取っていたのだ。
はたして、アリは男のその言葉を受けて、何かを思い出したように膨れ面を浮かばせ俯いていた。
愛しい姪の年相応の仕草を見て苦笑すると、彼はアリの頭を優しく撫でる。
「で、後ろの彼はどちらさまで?」
「えっとカノーっていうの……私の部下よ」
「コイツの親分様ディース」
ほぼ同時に男の問いかけに回答したアリとかのーは、これまたすぐにお互いの顔を覗き込み、憤慨したように睨み合っていた。
誰が親分(部下)だ?――と。
それを見て男は白い歯を見せて可笑しそうに笑っていたが、やがてスッとかのーに向けて手を差し出す。
「はじめまして、トッシュ=チェレスタ=スフォルツァンドと言います。姪のアリがお世話になったようで」
「ムフン、凄くお世話シテマース。ほんとにクソ生意気なガキで困ってるヨー」
「調子に乗るんじゃない!世話してあげてるのはこっちでしょ?」
「ハハハ、よろしくカノー君。それでアリ、私に何のようだい?」
閑話休題。
突然訪問してきた姪に優しい微笑みを向けながら、トッシュはその理由を尋ねる。
アリはその言葉を受け、しばらくの間もじもじとワンピースの裾を弄りながら黙っていたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「その、今夜叔父さんの家に泊めてもらいたくて――」
「……義姉さんと喧嘩でもしたのかい?」
「喧嘩じゃないわ。喧嘩じゃないけど……家には戻れないの」
そこまで答えてから、アリは昼間の事を思い出し下唇を噛んだ。
喧嘩じゃない――アリのその言葉に、トッシュは意外そうに目を見開いていたが、すぐにその表情は穏やかなものへと戻る。
この愛らしい姪が、母親である義姉の事が大好きな事はよく知っている。
だからこそ、少女のこの反発は意外だった。
しかし喧嘩ではないとはどういうことだろう。
やれやれと溜息をついて、トシはアリの背後に立っている少年へと目を向ける。
一体何があったのか?――と尋ねるように。
だがトッシュのそんな視線の意図に、このバカ少年が気づくはずもなく、彼は我関せずで鼻をほじってぼへーっとしていた。
仕方なく彼は再びアリに視線を戻す。
自分と同じ碧い瞳が申し訳なさそうに自分を見上げているのに気づくと、彼は仕方ない――と、もう一度小さな溜息をついた。
「……だめ?」
「義姉さんの家と同じで、うちは家事炊事分担だ。それでもよいかい?」
聞こえて来た優しい口調の叔父の声に、アリは満面の笑みで頷いてみせる。
そして嬉しそうに彼に飛びつくと、ぎゅっとそのエプロンを握りしめた。
ポンポンとアリの背中を叩き、トッシュはにこりと笑う。
「ありがとう叔父さん」
「どういたしまして。夕飯まだだろう? 今支度をしよう。君も食べていきなさい」
「アタリマエデショー! で、オレサマのベッドはどこディスカ?」
「……彼も泊まるの?」
てっきり彼は姪を送ってきてくれたものだとばかり思っていた。
遠慮なく言い放ったかのーを見て、トッシュは面喰ったように言葉を詰まらせていたが、やがて苦笑しながらアリに尋ねる。
本当に礼儀がなってないんだから――それを受け、少女は表情を引き攣らせながら釘をさすようにかのーを睨み付けた。
「えっとその……できればカノーも泊めてほしい」
だめ?――と、もじもじしながら上目遣いでそう尋ね、アリは首を傾げる。
六歳児に気を遣わせているなどとは露程も気づかずに、かのーは当然の如く泊めてもらえると思ってケタケタと笑っていたが。
事情はよく分からないが、彼は今の姪にとって必要な存在のようだ――
少女の機微を察し、トッシュはニコリと微笑んだ。
「倉庫の屋根裏でよければ空いている。掃除は自分でしてもらうことになるが好きに使いなさい」
「エー、掃除メンドーイ」
「もう! 泊めてもらえるだけ感謝しなさいよこのバカ!」
途端に愚痴をこぼしたかのーを『イッ!』と睨み付け制すると、アリは叔父を向き直り、誤魔化すようにして笑ってみせた。
どっちが年上なのかこれではわからないな――と、トッシュは苦笑する。
「本当にありがとう叔父さん!」
「可愛い姪の頼みを断るわけにはいかないさ。でもねアリ――」
「?」
「義姉さんをあまり困らせてはいけないよ?」
「……わかってる」
少し不貞腐れながらもコクンと頷いた姪を見て、トッシュは満足そうにアリの頭を撫でる。
と――
「ああ、そうだった。それともう一つ――」
「なぁに?」
「訳あってもう一人……あーそう……知り合いが今泊まっているんだ」
「叔父さんのお知り合い?」
なんと説明しよう――
頭の中で考えた後、ややもってそう言い放ったトッシュに向けて、アリは首を傾げて尋ねた。
「ああ。今夕飯の支度を手伝ってもらっている。仲良くできるかい?」
「もちろん! どんな方? ご挨拶しなきゃ」
叔父の知り合いと聞いて少女の頭の中に浮かんだのは、彼と同じような目と髪の色をした男性である。
そうとは知らず、元気よく返事をしたアリに微笑むとトッシュは頷くと店の奥を向き直った。
「おーい、アイコちゃん。ちょっと来てくれ」
「あ、はい!」
あれ、女の人!?――
やにわに店の奥から女性の声が聞こえ、予想外だった叔父の知り合いにアリは目をぱちくりさせる。
それとは別に、頭の後ろで手を組んでいたバカ少年も、プクリと鼻の穴を膨らませた。
「このパターン二度目ディスヨ?」
「……カノー?」
数秒後。
奥から手を拭きながら姿を現したやや垂れ目の少女を見て、案の定少年は頭の上に『!』を浮かびあがらせる。
だがそれは、現れた少女も一緒だったのだ。
「え? え? あ、あの……加納先輩……ですか?」
「ドゥッフ!? タレパン娘!?」
♪♪♪♪
パーカス中央地区。
カナコ邸サロン―
『ア、アイコちゃんがいた!?』
エリコの話を聞いて、カッシー達は一斉に立ち上がると食い入るようにして彼女に詰め寄る。
メイドが持ってきてくれた紅茶をこぼしそうになって、エリコは落ち着け――と、目で彼等を制した。
商業祭での話もまとまり、その後夕食も終えてサロンで一息ついていた彼等は、そういえばとエリコが話だした馬車屋での一件を聞いていた。
最初のうちは、へぇ、とかふーん、とか適当に相槌を打っていた彼等であったが、話が進むにつれ、やがてその顔はんん?、と疑問に曇り、ついにはご覧の通り彼女に詰め寄る結果に至ったというわけだ。
ちなみにカナコとシズカは商業祭の準備のため書斎に戻ったため、サロンにいるのはカッシー達とハルカ、そしてエリコにチョクである。
「ど、どこで!? どこで会ったんですかエリコ王女?」
「だからその馬車屋よ。北地区のはずれ。その店のトッシュさんっていう人が匿ってくれていたの」
今話すからとりあえず座りなさい――
と、一同を宥め、エリコは持っていたティーカップをテーブルに置く。
音瀬高校交響楽団トロンボーン担当で、カッシー達の後輩にあたる二年生だ。
丁度カッシー達がまだ二年生だった頃の六月に、とある事情でもう一人の少女と共に音瀬高校に編入してきた。
やや垂れ目気味の目尻と高めの目鼻立ちをしており、背は高めだが身体の線はほっそりとした女の子だ。
いつも肩下までの髪を緩めに纏めているシュシュがチャームポイント。
性格は一言で現すと大人しく気弱で、その細身な容姿も相まって、どことなく薄幸な、護ってあげたくなるような儚げさがある子であった。
ちなみに下に五人の弟と妹がおり、両親共働きなために彼女が家庭を切り盛りしているらしい。
『女は度胸、男は愛嬌』の音オケの中では珍しく、女の子らしい女の子といえる。
もしエリコがいう人物が、そのアイコであるとすればまさしく朗報だ。
「アイコちゃんもこの街にいるってことは」
「ええ。これで二人目、順調ね」
嬉しさと興奮で笑顔ほくほくになりながら、日笠さんと東山さんはお互いを見合った。
だがソファーに座りなおしたなっちゃんは、ややもって冷静になると、途端に沸き起こった疑問をエリコに投げかける。
「でもエリコ王女は、何故その子が私達の捜してる『アイコちゃん』だってわかったの?」
「だってその娘も、この世界に飛ばされた――って言ってたしさ」
エリコ曰く、その少女が話してくれた内容は、カッシー達から聞いていた『彼等がこの世界にやって来た経緯』と酷似していたのだ。
あんな突拍子もない話と酷似してるなんて、どう考えても彼等の仲間としか思えない。
エリコはすぐにピンと来ていたというわけである。
「それでもしかして、って思ってアンタ達の事聞いてみたら知ってたし」
「なるほどね――」
柏木先輩達もこの街にいるんですか?――と、それまで怯える様に自分を警戒していた少女が、途端に顔を明るくして尋ねてきていた様を思い出しながらエリコは答える。
話を聞く限りではどうやら私達の知っているアイコちゃんのようだ。
なっちゃんは薄い唇の下に指をあてつつ、考えを整理しながら一人頷く。
「でもそのトッシュさんだっけ? アイコともう一人を街の外に連れ出せっていってたんだろ?」
「ええ、そう。それが馬車を譲ってくれる条件。まあ、馬車は必要だし、結果的にその娘もアンタ達の仲間だったワケだし、渡りに船でしょ? OKしちゃったけどいいわよね?」
「そりゃもちろん」
反対する理由などどこにもない。馬車も手に入っておまけに捜していた部員とも合流できるのだ。
エリコの確認に対し、カッシー達は各々承諾の意を示す。
だがそれとは別に、彼等の頭の中にはまた別の疑問が生まれつつあった。
「でも、アイコちゃんをこっそり連れ出してほしいって……何故そんなことを?」
「そうね、街の人には頼めないって言ってたんですよね? 彼女この街の人に見つかるとまずいことでもしたんですか?」
「んー、それによ? もう一人の男の子ってのはどんな奴なんだ?」
と、ハルカが口を開いたのを皮切りに、日笠さんとこーへいもそれぞれが感じていた疑問をエリコに投げかける。
エリコは膝を組み直し、ティーカップを口に運んで一口それを飲むと、どう説明しようかと頭の中で整理を始めた。
「順を追ってそれぞれ答えるわ。いい?」
「あ、はい。お願いします」
「まず彼女を街から連れ出す理由だけど、それについては彼女が馬車屋に匿われるまでの経緯に原因があるの――」
そう前置きして、エリコは馬車屋で聞いたアイコのこれまでの行動をカッシー達に話し始めたのだった。
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