その23 条件次第よ
パーカス北地区はずれ。
馬車屋『アウローラ』―
「いらっしゃい」
おや客か?珍しい――
閉店間際に滑り込んできた二人の男女に気付き、店主は彫りの深い顔にそんな感想を分かりやすく浮かべていた。
まあ無理もない。北地区は所謂パーカスのベッドタウン。商人達の居住区にあたる地区だ。
そんな北地区のはずれもはずれの丘にあるこんな馬車屋に、客が来るのは稀であった。
と、入ってきた一組の男女――エリコとチョクも、自分達を出迎えたその店主の顔を珍しそうに凝視していた。
二人に歩み寄ってきた店主が羽織る油で汚れたエプロンも、左手に嵌めていた黒い手袋も、それは別に珍しくはない。
だがその男性の無造作に縛った長髪は赤く、そしてその瞳も透き通るような碧い眼をしていたのだ。
そして、元は白かったのであろう小麦色に焼けた肌も、はっきりとした目鼻立ちも彼がハ=オン人種ではなく、異国の出であることを如実に表している。
「失礼、ここは馬車屋であっているッスか?」
近づいてきた店主はチョクより頭一つは大きかった。
自然と見上げる姿勢となりながら、チョクはメガネを指で押し上げつつ彼へと尋ねた。
あえて尋ねたのは、今まで回ってきた馬車屋と比べてもかなり狭い店内に点在している物に違和感があったからである。
木造の倉庫を改築して造られたのであろうその店内は、掃除が行き届いており、作りかけの馬車の部品が部屋の一角に積まれている。
だがその他にも木のテーブルや椅子、同じく木で精巧に組まれた船の模型に木彫りの人形など、所謂木工品が売り物としてそこかしこに展示されていたのだ。
「ははは、ご覧の通り辺鄙な場所にある店でして、馬車だけでは食べていけなくてね」
チョクが放った言葉の意図に気づき、店主らしきその男は白い歯を見せて苦笑する。
言葉の節々に訛りがあった。やはりその容姿通り、この大陸の人間ではないようだ。
「ですが、馬車もちゃんとありますよ。どういった馬車をご希望ですか?」
にっこり笑って男はテーブルの上にあったカタログを手に取り、パラパラとめくりながら中ほどで開くとチョクへと差し出した。
「ご予算はいか程の物を?」
「あー、その予算は五千ピースなんスけど」
「フム、となると二人乗り辺りですね。丁度作りたての新車の用意が――」
「いえ、二人乗りじゃなくて」
「……おお、なるほど、これは失礼。早とちりしました」
と、何を思ったのか男はポンと手を打った後、詫びるようにぺこりとお辞儀をする。
何を納得したのか訳が分からずチョクは『?』を頭の上に浮かべ、首を傾げた。
「お子様もご一緒ですか?そうなると少し小さいですが、四人乗りの――」
「……ち、違うッス! 四人乗りでもないッス! ついでに言うと彼女と俺はそういう関係ではないッス!」
眼鏡を曇らせキョトンとしていた青年は、我に返ると大慌てで全否定した。
傍らにいたエリコはなんだこいつ?――といった呆れ顔で男を見ている。
これは失敬、またもや早とちり――
男は再び真っ白な歯を見せて苦笑いを浮かべると、ガシガシと荒っぽく髪を掻いた。
「そうなのですか、てっきり奥様かと。では何人乗りをご希望ですか?」
「あーその……は、八人乗りを……」
「はい?」
「……その五千ピースで買えたらなー……と――」
「え?」
最後の方はもはや蚊の鳴くような小さな声であった。
耳を傾ける男に向かって、チョクは祈る様に手を合わせ、親指をちょいちょいとくっつけ合わせながら上目遣いで彼を見る。
と――
「あーもうまどろっこしい! 八人乗りの馬車がいるの。五千ピースで譲ってもらえないかしら?」
眉間をカリカリと掻きながら大きな溜息をつくと、業を煮やしたお騒がせ王女はバッサリと眼鏡青年の交渉を断ち切り、単刀直入に男へ尋ねた。
案の定、男は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で碧い目を見開き、まじまじとエリコを見据えている。それを見て、途端にチョクは顔色を変え、泣きそうになりながら隣にいたエリコを向き直った。
「ひ、姫っいきなり過ぎですよ! 交渉には順序というものが――」
「ないならないで、はっきり言ってもらった方がこっちも助かるでしょ?」
どうせ荒唐無稽な要望なのだ。YESかNOかで返答してもらった方が話が早い。
エリコは腰に手を当て、男を覗き込むようにしてその返事を待つ。
「で、どうなのよ? 譲ってもらえない?」
「フーム、八人乗りですか……」
目を白黒させていた男は、紅い髯の生えた顎を撫でつつ、渋い顔を浮かべて考え込んでしまった。
まあそりゃそうだろな――
どう見てもこれでは無理難題を吹っ掛けるクレーマーである。
長考に入ってしまった男を見据え、これは今回も駄目そうだ、とチョクは早くも肩を落としていた。
だが――
ふと男は、エリコの指に嵌められていた鷹の紋章が刻まれた紅い指輪に気が付くと、ピクリと眉を動かし顔をあげる。
そして一人、よしと頷くと彼はチョクを向き直ったのだ。
「いいでしょう。五千ピースで八人乗りですね?」
「へ……」
「あなたの言い値でお譲りしますよ」
幻聴か?――と、チョクはおろか、エリコまで信じられないと言いたげな表情で男の顔を覗き込む。
そんな二人に向かって、男は静かな微笑を浮かべつつゆっくりと頷いてみせた。
「ほ、本当に?! 本当にいいんスか?!」
「ちょっとアンタ嘘じゃないでしょうね? 今更冗談とか言っても認めないわよ?」
「冗談ではありませんが……ただし、条件付きです」
途端に押し倒さん勢いで詰め寄って来たエリコとチョクを見下ろし、男は諫める様に両手を翳して話を続ける。
と、二人は聞こえてきた言葉に動きを止め、訝し気に眉を顰めていた。
「条件ッスか?」
「ええ、そうです。こちらの条件をのんでいただけるなら、あなたの言う通り五千ピースで馬車をお譲りします」
「で、どんな条件よ?」
やっぱりだ。道理で話がうますぎると思った――
やにわに警戒の色を瞳に浮かべ、エリコは肘を抱くようにして腕を組むと男に向かって話の先を促した。
と、男は徐に踵を返すと店の奥へと歩き始める。
「ちょっと、どこ行く気?」
「ここでは何なので奥へ……大丈夫です。貴女が今想像しているような物騒な条件ではありません」
どうぞこちらへ――
そう付け加え、男は店の裏手に続く扉をくぐって姿を消した。
エリコとチョクは、どうしたものかと迷う様にお互いを見合ったが、やがてエリコが肩を竦めてみせると、男の消えた扉へ歩き始める。
「姫? いいんスか?」
「話だけでも聞いてみましょ? それからでも判断するのは遅くないわ」
彼女の勘でしかないが、男に悪意は感じられなかった。
それに、今は多少危険な橋を渡ることになったとしても馬車が必要なのだ。
意を決した彼女は、なお心配そうに声をかけてきた青年にそう返事をし、そそくさと扉の奥へと姿を消していった。
戸惑う様にその場に佇んでいたチョクも、仕方なく彼女を追って歩き出す。
男を追って店の奥に進んだエリコは、そこに広がっていた光景を目の当たりにして思わず息を呑んだ。
それは二階まで吹き抜けとなった倉庫だった。
床は土がむき出しとなっており、半分外と変わりない。そして屋根のところどころに採光のための天窓が備え付けており、倉庫内を薄ぼんやりと照らしていた。
その軽く三十畳はありそうな倉庫の中に、天窓から差し込む沈みかけた夕陽の光に照らされて、大小様々な馬車が停められていたのだ。
ややもって追いついてきたチョクも、彼女の背後で足を止め倉庫の中を一瞥して小さな溜息を漏らしていた。
「こちらです」
と、聞こえてきた男の声に従ってエリコは向き直る。
倉庫の端でこちらを向いて立っている男の姿が見えた。
その傍らに布が被さった大きな物体が鎮座しているのに気づき、エリコはもしや――とそれを凝視する。
「少し年代物ですがね――」
歩み寄ってきた二人にそう答えると、男は徐に布を引っ張った。
露になったその正体を見上げ、エリコは思わずほう――と感嘆の吐息を漏らす。
はたしてエリコの予想通り、姿を露にしたのは大型の馬車であった。
「七年前に私の師が造ったものです。随分前の代物なのでややデザインは古いですが、十人まで乗れるはず」
久々に姿を拝んだその馬車を見上げ、男は誇らしげに言った。
男の言う通り、昨今のモデルと比べるとややアンティークな感じがするデザインの馬車だ。
布に覆われていなかった部分には大分埃が積もっており、長きにわたって天窓から差し込んでいた日により所々色もくすんでいるが、それ以外は問題なさそうだった。
先日まで乗っていた王室御用達の馬車のように豪華な装飾こそないが、他は遜色ない。見た目より質と機能を重視した、いかにも
「七年前って……これちゃんと動くの?」
「ええ。手入れをすればきちんと動くようになるはずです」
と、埃の積もった馬車の胴体を、思いつめた表情で撫でながら男は呟くように言った。
「造ったはいいものの、訳あって乗り手がいないまま、ずっと倉庫の肥やしになってましてね……これでしたら五千ピースでお譲りしましょう」
「ほ、本当にいいんッスか?」
「もちろん。ですが、さっきも言ったとおり条件付きです」
よろしいですか?――
男は二人を向き直り、確認するように首を傾げてみせた。
エリコはちらりと馬車を眺めた後、頭の中で秤にかけるようにしばしの間思案していたが、やがて男を見上げる。
「それは条件次第よ……とりあえず話を聞かせて」
「なんてことはありません。パーカスの外まで運んでほしい人物がいるのです」
「人物?」
「そうです」
鸚鵡返しに尋ねたチョクに、その通りと男は頷いてみせた。
返答に困りチョクは眉尻を下げながら、ふむと唸り声をあげる。
と、眼鏡の青年が何を考えているかわかったのか、男は苦笑を浮かべるとゆっくりと首を振ってみせた。
「大丈夫です、怪しい者ではありません。とある女の子と男の子を街の外まで運んで欲しいだけです」
「女の子と男の子?」
「はい。ちょっと事情があってこの街の者には頼めないのですよ。ですがあなた達なら、問題なく彼等を託せそうだ」
そう言って、男は再びエリコの指に目を落とした。
そして再度確認するように彼女の
「失礼ですが貴女は管国王家と関係あるお方ですね?」
「……何故それを?」
「以前義姉の仕事を手伝った際に、何度かその指輪の紋章を見たことがあります」
「……」
「答えるのが嫌ならば結構です。あなた方にも事情がありそうですし」
でなければそれなりに高貴な出の者が、五千ピースで馬車を譲ってほしいなどと無理な交渉などしてこないであろう。
黙して答えないエリコに対し、男は必要以上に詮索をせず話を続ける。
「それにあなた方は旅慣れていそうですし、見たところ腕もそれなりに立つ方々であるとみうけました。違いますか?」
「そこは『その通り』と、言っておくわ」
はたして、やや自慢げに即答したエリコを見て、チョクはやれやれとそっぽを向きつつ溜息を一つついた。
使いこまれた感のある外套の下の旅装束。そして、腰に下げられている、よく手入れされている武器――男は二人の出で立ちからそう判断したのだが、はたして、彼はエリコのその答えを聞いて、間違いではなかった――と、笑顔を浮かべる。
「ではどうでしょうか。もちろんこの馬車を使って運んでもらって結構です。どうか引き受けていただけませんか?」
「……犯罪の片棒を担ぐのはごめんなんだけど?」
話を聞く限りその少年少女は、街の者に知られるとまずい立場のようだ。
そんな彼等をこっそり街の外に連れ出せと。
どうにもきな臭い。本当に平気なのだろうか――エリコは訝し気に男を見上げ、もう一度確認するように彼へと尋ねた。
男はしばしの間困ったように口を閉ざしていたが、やがて歯切れ悪く話し始める。
「確かに彼等を逃がすのは『罪』になるかもしれません。しかし私はそうは思わない」
誓って言える。自分の行為は誤ってはいないと――
男は堂々たる眼差しでエリコを見据えて答えた。
「罪? どういうこと? その子達一体何したの?」
「申し訳ありません、これ以上は承諾していただけないと――」
「……まあいいわ、『答えるのが嫌なら結構』よ?」
エリコはそう言って肩を竦めると、俯いてしまった男の傍らを横切り馬車に近づいた。
『
と、やや日焼けした馬車のボディに、そう刃物で刻まれた小さな跡が見えて、彼女はじっとその文字に視線を向ける。
そしてその文字を静かに撫でた後、面倒くさそうにカリカリと眉間を掻くと、エリコは意を決したように口を開いた。
「いいわ。その条件、引き受ける」
――と。
男は彼女のその返答を聞き、安堵に胸を撫でおろすと、白い歯を見せて嬉しそうに笑みをこぼす。
「ありがとう、それでは取引成立ということで」
「姫、いいんスか?」
「これ逃したら恐らく馬車は手に入らないわ。仕方ないでしょ……でも、本当に外に運ぶだけ。それ以上は何もしない、それでいいのよね?」
男を振り返り、エリコは念を押す。
もちろんそれで構わない――男はそう言いたげに深く頷いてみせた。
そして徐に踵を返し、彼は倉庫の二階に続く階段へと顔を向ける。
「聞いていたかいアイコちゃん、降りてきなさい。君とユーヤ君を逃がしてくれる人が見つかった」
やにわに男は誰かを呼ぶ素振りを見せた。
と――しばらく間を置いて、誰かが恐る恐る階段を降りてくる足音がして、エリコとチョクはその足音の主へと視線を向ける。
「トッシュさん?」
若い女性の声が男を呼んだ。
やがて天窓から差し込む夕陽のスポットライトの下に、その声の主が姿を現す。
現れたのはすらりと細身な体つきをした、やや垂れ目の少女だった。
肩下までのミディアムショートをシュシュで緩く束ねたその少女は、怯える様な眼差しでエリコとチョクを一瞥した後、ペコリをお辞儀をする。
と――
「この子が今お話した女の子です。あともう一人、男の子が――」
「――ア、アイコさん? アイコさんじゃない?」
「ね、姉ちゃん!? なんでここにいるッスか!?」
少女を紹介しようと男が口を開いたのもつかの間、エリコとチョクはほぼ同時に素っ頓狂な声を放ち、ずずいと少女に詰め寄っていたのだった。
訳が分からず顔に縦線を描き、間近に迫った二人の顔を交互に眺めながら、少女はその勢いに思わず仰け反る。
「ああああああのどちらさまですか? いきなりなんなんです?!」
「姉ちゃん何言ってるんスか! 俺ッスよ! ナオトだってば!」
「ん? んん? 待ってチョク、アイコさんにしては随分若くない?」
「姫何言ってんスか! 姉ちゃんはいつまでも若々し……って言われてみれば」
と、二人はがっしりと少女の肩を掴みぐいっと引き寄せると、目を皿のように見開いた凄まじい形相で彼女の顔をマジマジと眺め始めた。
ひっと悲鳴をあげ、怯える様に少女は目を瞑る。
「ひっ! い、一体何なんですかぁ!?」
「おや、知り合いだったのかい?」
「いえ! しょ、初対面です! たたたた助けてトッシュさん!」
しばらくの間、少女の震え声が倉庫に響き渡っていた。
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