その22-2 それぞれの思惑(後編)

夕刻。

パーカス北地区 大通り―


 この街のシンボルでもあるオレンジ色の陽の光が辺り一面を照らしている。

 そんな日暮れ間際の北地区を、ひょこひょこと足を引きずりながらアリは歩いていた。

 ギオットーネを飛び出して以来、少女の顔はずっと地面を向きっぱなしだ。

 母さんなんかに負けるもんか――

 と、勢いで飛び出してきてしまったものの、あの店を取り戻すことができる妙案などそう簡単には思い浮かばない。

 時間だけが無駄に過ぎていき、何も進まないまま、とうとう時刻は夕暮れ。

 脚元から伸びる自分の長い影を見つめ、アリは悔しそうに唇を噛み締めていた。


「おーいスー」


 と、そんな少女の気持ちなど知ったことかと言わんばかりの能天気な声が彼女の背中へ投げかけられ、アリは足を止める。


「返事しろヨクソガキー」

「……なによ?」


 再度投げかけられた呼び声に少女は大きな溜息を吐くと、鬱陶しそうに振り返った。

 少女の後ろを黙ってついて来ていたバカ少年は、ようやく振り向いた彼女を見下ろし、ムフンと一つ、大きな鼻息を吹かす。

 

「オレサマハラ減ったディスヨ、もう帰ろうゼー」


 見事なまでの腹の音をならしながら、かのーはどうだと言わんばかりに胸を張ってみせた。

 まったくもう、何威張ってんのこいつ――と、呆れながら、アリはひょこひょこと足を引き摺ってかのーに近づくと彼の顔を睨みあげる。

 

「帰れるわけないでしょ! あんなこと言って出てきちゃったんだから」

「知らないッテの、それはオメーのツゴーデショ? オレサマはハラ減ったんディス。もう先帰ってイイ?」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」


 と、薄情にも踵を返そうとしたかのーのハーフパンツをぎゅっと掴み、アリはぷくりと頬を膨らませた。

 一人は正直心細い。けれどこんなバカにそれを言うのは恥ずかしいし、それに悔しい――

 葛藤する気持ちは少女の顔を気恥ずかしさに紅く染め、結果アリは『怒り』にそれを変えてバカ少年へと言い放つ。


「最っ低っ! こんな可愛くて小さな女の子が助け求めてるのよ? ちょっとは協力てやろうとか思わないのこのバカ!」

「ムッカー、いつオメーが助けを求めたヨこのバカスー!」

「い、今よ今! 文句ある?」


 歯切れ悪くそう言って、アリはフンと胸を張ってみせた。

 だがそんな少女を見下ろして、かのーはニヤリと勝ち誇ったように笑みを浮かべる。

 底を見透かされたような気分になり、アリは思わずうっ、と身動ぎした。


「な、なによ?」

「ムフーン、オメー飛び出したはイイケドサー、何もアイデアないんでショー?」

「そっ、そうだけど……まだこれからじゃない! きっと何とかしてみせるんだから!」


 何よカノーのくせに、なんだかすっごい腹が立つ――

 そう思いつつも図星を突かれたアリは、かのーから思わず目を逸らす。

 弱い者にはめっぽう強いバカ少年はここぞばかりにドヤ顔で少女を覗き込んだ。

 

「カッコワルーイ、あんだけオーグチ叩いて出てきたのにネー?」

「だってしょうがないじゃないの、考えてるんだけど思いつかないのよ。おばさんの店を取り戻す方法を――」

「ムフ、そんなの考えるまでもないディスヨ」


 と、目に涙を浮かべて俯いてしまったアリに向かって、かのーはケタケタと笑いながら即答する。

 どういうこと?――

 少年の意図するところがわからず、アリは碧い瞳を潤ませながら首を傾げた。


「よーするにサー、スーはあのニセトルネコをギャフンって言わせたいんデショ?」

「トルネ……? ま、まあそうだけど……」


 なんだかちょっと違うけれど、まあ間違ってはいない。

 聡明な少女は否定せず先を促すように頷いてみせた。

 

「じゃあ、ブチかましてやればいいジャン」


 頭の後ろで手を組みながら、ケタケタと笑い声をあげ、バカ少年はあっけらかんと言い切る。


「……は?」

「だからー、アイツぶっ飛ばしてやればいいンディスヨー」


 どうだとばかりに胸を張ったかのーを見つめ、あまりに荒唐無稽なその提案にアリはぽかんとしてしまった。

 だがややもって、大きな大きな溜息をついて肩を落とす。


「……あなたに少しでも助けを求めた私がバカだったわ」

「えー、なんでサー?」

「あのね、ウエダをぶっ飛ばして済む問題じゃないでしょう? ノトおばさんの店を取り返さなきゃならないの」

「なら、ブチかまして店も奪えばいいジャン」

「……もういい」


 頭が痛くなってきた――

 アリはおでこを押さえてやれやれと頭を振ると、諦めたように踵を返し再び歩き始めた。

 だがかのーはその場に立ったまま、そんなアリをバカにするようにケタケタ笑いだす。


「ムフ、やる前からビビッてるんじゃネーデスヨ、スー」

「うるさい! 子供のケンカじゃないんだから、もっと真面目に考えてよ!」

「どー見てもスーはガキデショー? 背伸びしてもクソガキはクソガキディスヨ」

「なんですって?」

「ガキはガキらしくぶちかましてサー、そんで蹴っ飛ばしてアイツとケンカすればいいジャン。なんでズングリのマネする必要あるディスカ?」

「……なによ、カノーのくせに」


 言ってることは無茶苦茶なのに、なんだかやけに説得力のある少年のその言葉に、アリは何も言い返せず、むすっとしながら歩き続ける。


 まどろっこしく大人ぶって張り合うより、子供らしく正面からぶつかりあえばいいのだ。

 だって子供なんだから――

 はたして、かのーがそこまで考えて発言したかはわからない。

 いやほぼ百パーセント、なんも考えず思ったことを口にしただけだ。

 しかしアリには彼がそう言っているように感じられたのだ。


「もうサー、今日は諦めたらどうディスカ?イジ張らないでズングリの家帰るディスヨ」

「……やだ」

「ジャー、ドウスンノー?」

「今日はおじさんの家に泊めてもらうことにする……」

「オジサン?」

「父さんの弟さん。この近くに住んでいるの」


 母さんのやり方は嫌い――

 あれだけ大きな事を言ってしまったのだ。このままのこのこと家に帰れるわけがない。何より悔しいのだ。

 でも、自分らしい正しい道ってなんだろう。

 母さんほど力もない。度胸もない。知恵もない。

 カノーの言う通り、あいつウエダの脛を思い切って蹴っ飛ばしてやったらどんなにスカッとするだろうか――

 アリは歩みを止めると、拳をぎゅっと握りしめ石畳へ視線を向ける。

 

 と――

 

 あの公園の時と同じく、アリの身体は突然ふわりと宙に浮く感覚に包まれた。

 案の定、見えたのはバカ少年のツンツンした後頭部と、急に開けた視界に広がるオレンジ色の夕陽――


「カノー?!」 

「サッサとそのオジサンの家教えろヨ、スー」


 オメー歩くの遅すぎディス。どこでもいいからハヤク飯食わせろ――

 そう付け加えてかのーはスタスタと歩き出した。

 アリは罰が悪そうにかのーの頭の上で頬杖をつく。

 だがややもって諦めたように、少女はかのーの髪を引っ張り、案内を始めた。

 

「この丘の上よ。そこを右に曲がって――」

「ムフ、スーさぁー?」

「なに?」

「オメーはオレサマの子分ダロー?何チンタラ迷ってるディスカ?」

「誰が子分よ……」

「もう少しダケ付き合ってヤルからサー。ウジウジしてないでさっさと決めるディスヨ」

「……うん」


 ムフン、と鼻息を一つ吹かしながらそう言った少年にを見下ろし、アリは嬉しそうに頷いた。



♪♪♪♪


 

同時刻。

北地区、アリとかのーがいる場所から数百メートル離れた丘上――



 オレンジ色に染まったリード河の中に美しい夕陽が沈んでいく。

 大河はまるで海のように広い、向こう岸が見えないほどに。

 その大河に面した夕暮れの港では、人夫達が忙しそうに荷物を運んでいるのが豆粒ほどの大きさでここからは見える。


「夕日が綺麗だなぁーあはははははは」


 パーカスの街を一望できる、北地区の外れも外れの丘の上。

 白い柵に身を持たれていたチョクは投げやりに呟いた。


 丸眼鏡は当の昔に涙で曇って何にも見えない。

 けれど夕陽は本当に綺麗だな――ジョバーと頬を流れ落ちる涙をそのままにとチョクは思った。

 その傍らで、彼と同じく柵に頬杖を付きながら夕陽を眺めていたエリコは、ぼそりと呟いた青年を横目で眺めつつ、呆れたように溜息を吐く。


「もしもーし、チョクさーん?」

「うう……うううぐぐぐ……」

「あーもう辛気臭いなぁ! 泣くのやめなさいよ、男でしょアンタ!」


 と、先刻からずっとこの調子の眼鏡青年に、とうとう我慢の限界が来たエリコは、ペシッ!と彼の頭を叩いた。

 だが彼の涙は止まらない。相変わらずの泣き虫で泣き上戸だ。

 もっとも、彼が泣き出す大抵の原因は、このお騒がせ王女のせいでもあるのだが。


「ううう……そんな事いったって今日一日馬車屋回ってゼロッスよ? 零ッスよ? 『0』ッスよ?」

「何度も言わなくてもわかるっての」


 半ば逆ギレに近い金切り声でそう言ったチョクを、エリコは鬱陶しそうにジトリと眺める。

 二人は何とか五千ピースで馬車を買えないかと、パーカス中の馬車屋を虱潰しに回っていたのだが、やはりそんな甘い話がまかり通るはずもなかったのだ。

 中古ですらそれでは買えない――と、はなから相手にされない店が十件。

 なんとか値切るもののさすがは商人の街、残念ながら五千ピースまで値切ることができず諦めたのが八件。

 エリコが店主の態度にブチ切れて交渉どころではなくなること五件――

 結局日が暮れるまで回りに回ったが馬車は購入できずじまいだった。


 やはり五千ピースでは無理な話なのだ。

 これはもう腎臓売るしかないかもしれない――

 すっかり諦めモードに入ったチョクは光の消えた、死んだ魚のような目で自らの腹をじっと見下ろす。


「やっぱり俺なんかじゃ、馬車一つ手に入れることすら――」

「アンタねえ、それくらいにしときなさいよ? でないと本気で怒るから」


 と、自虐的にそう呟いたチョクを、エリコは額に青筋を浮かべながらギロリと睨みつける。

 うっ――と、咽喉を詰まらせ、しかししょんぼりと俯いてしまった青年を見て、彼女は舌打ちすると、仕方なさげに右手を差し出してみせた。

 ナンスカその手は?――

 チョクは鼻水でべとべとになった顔を『?』と、傾ける。


「借りてきたお金よこしなさい。あとは私が捜して回るから。アンタもう帰っていいわ」

「……え?」

「なんかさー、もうこうなったら意地なワケよ。わかる?」


 やれやれと頭をポリポリ掻きながら、同意を求める様にチョクに言った。

 

「最初はさ、カッシー達にも置いてかれちゃったし、暇つぶしのつもりで着いて来てたんだけど、一日中回ってこの結果は私のプライドが許さないのよ」

「は、はあ……ひ、姫?」

「そういうことだから、もう無理だって思うなら帰っていいわよチョク。私一人で探すから」


 訳が分からずぽかんとしているチョクにそう言ってニッコリ微笑むと、エリコは反動をつけて柵から身を起こし、スタスタと歩き出す。

 しばしの間の後、我に返った眼鏡の青年は慌てて彼女を追いかけていった。


「姫っ! おまちをっ!」

「なに?」


 返事はすれども歩みは止めず、エリコ姫は早足で緩やかな坂道を登っていく。

 仕方なくチョクは彼女の横を同じ速さで並んで歩きながら話を続けた。


「そ、そんなことできるわけじゃないッスか!」

「なんで?」

「なんでって……姫を一人置いて俺だけ帰るわけには――」

「別に私は平気よ、気にしないで結構」

「そんな……そ、それに馬車を諦めてはカッシー達が――」

「その事わかってんだったら、簡単に諦めてんじゃないわよ!」


 ようやく足を止めると、エリコは真横を向き直り、眼鏡青年の鼻面へ指を突き付ける。

 その瞳が興奮のせいか爛々とルビーの光を灯し始めていた。

 あまりの迫力に言葉を詰まらせ、チョクは寄り目になりながら彼女が突きつけた指を見つめる。


「いじけて事態が好転すると思ってんの? 馬車がないと困るのは私達だけじゃない、あの子達も困るの!」

「……す、すいませんッス」

「いい?諦めていいのは、本当に本当に無理な時だけ。もう駄目だっ歩けない!動けない!――って、くらい窮地ピンチになるまでは行動あるのみ!」


 それが私の生き方――

 自らを親指で差し、堂々と胸を張ってエリコはチョクを見上げる。

 久々に聞いたいかにも彼女らしいその持論に、チョクはしばらく面食らっていたが、やがて懐かしそうに苦笑した。

 

「ははは……ほんと、姫は全く変わって無いッスね」

「アンタが守りに入ってるだけでしょ。出世して老けたんじゃないの?髪と一緒にさ」

「なっ、老けてないッスよ!ハゲてないッスよ!」


 と、慌てて髪を押さえチョクは反論する。

 それを見て、エリコは強気な笑みを浮かべてみせた。


「ま、どうしても見つからなかったら私も一緒にカッシー達に頭下げてあげるから」

「姫……」

「まだ日暮れまで少しあるでしょ、もう少し探してみるわよ。わかった?」

「は、はいッス!」

「よーしオッケー! そんじゃ、そこに入ってみましょうか?」

「……へ?」


 と、お騒がせ王女は斜め前を向き直りながらチョクに言った。

 素っ頓狂な声をあげ、眼鏡の青年はエリコの視線を辿る。


 そこに見えたのは河から吹いてくる穏やかな風に揺られる、馬の絵が描かれた『看板』――

 街中の『それ』はもう回りつくしてしまったと思っていた。

 けれど。

 彼女の言う通りだ。諦めなければ希望は見つかる――



「あ……馬車屋。あはは……まだあったッス」


 ずり落ちた眼鏡の奥から再びジョバーっと涙を流し、チョクは心底嬉しそうに呟いた。

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