第五章 難関を突破せよ
その22-1 それぞれの思惑(前編)
パーカス。
東地区 並木通り―
時刻は昼時前。
来た時は朝であったが、今では陽もすっかり天高く昇り、休日の露店街は人で溢れ返っていた。
その大通りを肩を怒らせ、悔しそうに歯噛みしながらウエダは歩いていく。
「カナコめ……! 余計な事をしやがって、くそっ! 計画が台無しだ!」
すれ違う人々が彼を見て驚くのにも目をくれず、ウエダは怒りのあまり口角泡を飛ばしながら一人呟きを続けていた。
「なんとかして取り戻さねば……このままでは大損じゃないか!くそっくそっ大赤字だ!」
「――ふん、やっぱりそっちが地か?」
と、握り拳を作って思わず叫んだウエダに向けて、背後から低い声が投げかけられ、青年は途端にぴたりと歩みを止める。
やにわに振り返ったウエダの顔は、いつも通りの慇懃な笑顔へと戻っていた。
「……あなたも人が悪いですねツネムラさん。黙って背後から近づくなんて」
「今の態度の方がよっぽど好感がもてるぜ。年相応でな」
野望高き青年のその顔を見るや、ツネムラはサングラスを指で押し上げ、皮肉を籠めてそう言った。
ウエダはふんと鼻息をつくと、大げさに肩を竦めてその言葉に応える。
「生憎商売柄のクセでしてね。染み着いてしまったものは中々直せないものです」
「よっぽどひねくれた人生歩んできたんだな」
「それはお互い様でしょう?」
「ふん……」
まあいい、とツネムラはウエダに歩み寄り、頭一つは低い彼を見下ろした。
「で、『神器の使い手』を売るっていうんで、わざわざ足を運んでやったんだが、どうするつもりだ?」
「と、いいますと?」
「あの娘はもう無理だろう。カナコも出てきちゃ強引な手も使えねえ。この商談はなかったことにさせてもらうぜ」
契約対象は『神器の使い手』のみだ。それ以外の奴隷など買うつもりは毛頭ない――
わざとらしくとぼけてみせたウエダに対し、ツネムラは全身から苛立ちを迸らせながら眉を顰める。
だが、本業マフィアの威圧にも涼しい顔で、ウエダはまるで人事のように、ほほう――と、小さく溜息をついただけであった。
「てめえ……なんだその余裕は?」
「いえ、コル・レーニョの副頭領ともあろうお方が、随分とせっかちだと思いまして」
「その呼び方はやめろ。俺は奴等の仲間になったつもりはねえ」
鼬は誰にも懐かねえ。
サングラスの奥の三白眼をぎらつかせ、ツネムラは不快感を露わにする。
やれやれと肩を竦ませ、ウエダは口の端に苦笑を浮かべてみせた。
「『神器の使い手』は何もあの娘だけではありません。他にも既に発見済みでしてね」
「ほう……」
にきびの跡が残る頬をにやりと歪ませ、ウエダは懐から手帳を取り出すとそれを開く。
「先日新規に奴隷を捜しに行った際、偶然発見しまして……現在問屋と交渉中です」
「……他にもいたか」
厄介そうにツネムラは呟いた。
一瞬その表情が影を落としたことに、饒舌になっていたウエダは気が付かなかったが。
「あの娘も私はまだ諦めていませんよ。ですが時間がかかりそうだ……そこで新しい『神器の使い手』を紹介させていただきます」
「……どうだかな。また寸前で
「十分心得ていますよ、ですから今後ともごひいきにしていただきたいのですが?」
手帳をたたむと胸に仕舞い、ウエダは営業スマイルを浮かべつつツネムラを見上げる。
ツネムラはゆっくりと目の上の傷痕をなぞり思案していたが、やがて胸元から煙草を取り出してそれを咥えた。
「一週間だ」
煙草の先にマッチで火をつけながらツネムラは低い声で期限を提示する。
「一週間以内にその奴隷を俺の元へ連れてこい。できなければこの話はなかったことにする」
「ハハハ、厳しいお言葉で」
「既に一度失敗していることを忘れるなよ?」
てめえも商人なら期日は守れ。でなきゃ次はねえ――
そう付け加えるとツネムラは踵を返し歩き出した。
「ああそういえば、ツネムラさん――」
と、歩き出したツネムラに対し、ウエダは思い出したように手を叩き彼を呼び止める。
なんだ?――と言いたげにツネムラは顔だけ向き直った。
「――あなた組合長と知己の仲のご様子でしたが、どういったご関係で?」
ニコニコと営業スマイルを浮かべ、ウエダは慇懃な態度で尋ねる。
しかしその目はギラギラと冷たい光を放ち、ツネムラの動向を抜け目なく観察していたのは言うまでもない。
途端に背中から殺気を放ち、『黒鼬』は三白眼でウエダを射抜く。
「……それを知ってどうする?」
「いえいえ、個人的に興味があっただけです」
「おまえも早死にしたくなければ、余計な詮索はしないほうがいいぜ?」
ドスの利いた声でそう警告し、ツネムラは雑踏に消えていった。
おお怖い、だが調べてみる価値はありそうだ――
冷や汗をかきつつも、ウエダはにやりと笑みを浮かべ、そして彼も雑踏に姿を消していったのであった。
♪♪♪♪
同時刻。
同じくパーカス東地区―
「ん……?」
「どうしたんスか姫?」
と、エリコはすれ違った人物に、既視感を覚え足を止める。
先を歩いていたチョクはややもって振り返ると、不思議そうに首を傾げた。
「なんでもない。今の男、なんか見覚えがあった気がして」
誰だったっけ――ぽりぽりと頭の後ろを掻きながら、エリコは記憶の糸を手繰る。
しかし思い出せない程度の男ということは大した奴でもなかったのだろう――と彼女は気を取り直すと、先刻の続き!――とばかりに拳を振るわせ始めた。
「それよりカッシー達よ! 私を置いて出かけちゃうなんてひどくない?」
途端に隠すことなく怒りの感情を顔に浮かばせ、エリコは同意を求めるようにチョクに言葉を投げかける。
ご覧のとおり、朝起きてから彼女は不機嫌であった。
理由は彼女の言動にもある通り、自分を置いて出かけてしまった少年少女達のせいだ。
昨日の夜、突如現れたリュウ=イーソーなる少年に大敗を喫した彼女は、このままでは帰れない!――と、その後も、カジノに入り浸っていたのである。
もちろん、カッシーとこーへいは、付き合いきれんと早々に見切りをつけて先に帰ってしまっていたが。
とにかく、何とかして質に入れた指輪分だけでも取り返さねばならない。
決死の覚悟でスロット、ルーレット、ポーカーなどなど巡回し、エリコがやっとのことで指輪を取り戻してカナコ邸に戻った頃には、既に夜が明けようとしていた時分であった。
一晩かけて結局プラマイゼロ。
悔しさと疲労に歯噛みしつつ、倒れるようにしてベッドに潜り込んだ彼女が目を覚ましたのは、つい先刻の事である。
あーよく寝たわ――と、切り替えが早い彼女が、気分爽やかに食堂を訪れた頃には、当たり前ながらカッシー達はハルカに会いに出かけた後であった。
おまけにカナコもシズカも出かけたとメイドから聞かされ、一人モグモグと朝食(正確に言うと昼食)を頬張りながら、『除け者にされた』と彼女はご機嫌ななめであったのである。
ちなみに、カッシー達は彼女を除け者にしたわけではない。
一応日笠さんが気を利かせて彼女を起こしに行っていたのであるが、何度ノックしようが全く起きる気配がなかったので、仕方なく少女は諦めていたのだ。
というわけで、期せずして一人『お留守番』となり、暇を持て余していた彼女であったが、丁度そこにタイミングよく……いや、タイミング悪く戻って来たチョクを捕まえ、午後からの馬車捜しにこうして同行していたわけである。
話を元に戻そう。
「姫が寝坊するからでしょう?あの子達だって目的があるわけですし」
と、眼鏡の青年は少年少女達をフォローするようにエリコを諫める。
日笠さんから、昨日アリが見かけたという彼等の仲間についてはチョクも聞かされていた。
「だって昨日遅かったから」
「まーた夜更かししたんスか? 一体どこ行ってたんです?」
「え、いやーそれは……ちょっと飲みに――」
「飲みに?……姫、息抜きはほどほどにしてくださいよ? カッシー達の手伝いをするんじゃなかったッスか?」
「わかってるわよ! たくっ……誰のために昨日私が苦労したと思って――」
釘を差すかの目でこちらを見据えるチョクに対し、エリコは尚も不満そうに口を尖らせ、頭の後ろで手を組みながら愚痴をこぼす。
「なんか言ったっスか?」
「別にー、なんでもなーい。それよりアンタの方はどうなのよ? 馬車は手に入りそうなの?」
長いお説教が始まりそうな気配を感じたエリコは、話題を変えようと自ら話を切り出した。
だがその途端、チョクは顔に影を落とし、途方に暮れたように肩を落とす。
この様子じゃまだ馬車の目処はたっていなさそうだ――
眼鏡青年のわかりやすい表情の変化を見て、エリコはやれやれと肩を竦めた。
「今日の朝一で銀行に交渉しにいって、とりあえず限度額一杯お金を借りて来たッスけど――」
「へぇ、いくら?」
「五千ピースッス」
そう答えると、チョクは大きな溜息をついた。
結局いい案も思い浮かばず、彼はナオト=ミヤノ個人の名義でお金を借りることにしたのだ。
しかし個人名義での借り入れは五千ピースが限度だった。
管国の宰相補佐として借り入れを申請すれば、もっと高額の借り入れも可能であったはずだ。
しかし身分を証明しようにも、そのために必要な『割符』は財布と一緒に森で落としてしまっていたらしく、無理だったのである。
もっとも、国の立場ある人間として公費名義でお金を借りれば足がつくため、どちらにしろこの手は使えないのではあるが。
「やるじゃん、じゃあ早速馬車買いに行きましょうよ」
と、けろりと言ったエリコに向けてチョクは力なく首を振ってみせる。
「馬車の相場は一万ピースはするッス、少なく見積もってもあと五千ピースは必要なんスよ」
五千ピースで買えるのはせいぜい小型の二人乗り馬車までだろう。
合わせて八人いる我々が全員乗れるだけの馬車を買うには予算が足りない。
「じゃあ修理は?」
「今朝馬車屋に頼んで見積もってもらいましたが、『新しいのを買った方が安い』――って断られました」
成り行きで中央地区の宿屋に置いてきてしまっていたボロ馬車は、カナコが裏で手を回してくれていたおかげで、今朝早くカナコ邸まで届けられていた。
おかげで馬は四頭まるまる戻ってきていたが、馬車の方は車軸が完全に歪んでしまっているらしく、メイド経由で依頼して見積もりに来てもらった馬車屋は、見た途端にお手上げといった様子で、言葉通り両手を挙げる始末であったのだ。
そんなわけでいずれにせよ、新しい馬車に買い替えるしか手はないという事になっていたのだが。
それには些か予算が足りず、それでも何とか割り引いてもらえないかと青年は朝から馬車屋を回り値引き交渉をしていたのである。
だが結果は芳しくなく、午前中の結果は全て全滅というありさまだった。
「ふーん、馬車って結構値段張るんだ。知らなかったわ」
と、そもそも五千ピースが高いのか低いのかそれすらいまいち理解していないエリコは、あっけらかんと所感を口にする。
流石は王族、その金銭感覚が羨ましい――平民出のチョクは曇った眼鏡をハンカチで吹きつつ、恨めし気にエリコを見据えた。
だが落ち込んでばかりもいられない。
五千しかないならないでそれで何とか馬車を購入できる手を引き続き考えねば――
青年はよしと頷き、眼鏡をかけなおした。
「例えば中古の馬車なら或いは五千ピースでも何とかなるかもしれないッス」
「ええ、中古ぉ~? じゃあせめてソファーがついてる馬車がいいんだけど」
「我慢してください姫。そもそも普通の馬車にはソファーなんてついてません!」
「ええっ!? そ、そうなの!?」
VIP用の馬車となれば二万ピースは下らないのだ。天地がひっくり返っても無理!――
露骨に嫌そうな顔を浮かべたり、かと思うと純粋な驚愕を顔に浮かべたりと忙しいエリコを見て、チョクはトホホと溜息をついた。
「まあしょうがないか、ソファーは我慢してあげるわ」
「そうして貰えるとありがたいッス。とりあえず、午後も引き続き馬車屋を回ってみようと思うので」
西地区は全滅だった。今度は東と北を回ってみよう。
チョクは気合を入れなおし、メイドから借りたパーカスの地図を懐から取り出すとそれに目を落とした。
「わかった、じゃあ付き合ったげる。値引き交渉は私に任せなさい!」
「へ? 姫……値切りとかしたことあるんスか?」
「ないけど、面白そうだから。さ、いくわよ!」
凄い不安だ――
満面の笑みを浮かべて歩き出したエリコの後ろ姿を、チョクはしばらくの間顔に縦線を描きつつ眺めていたが、やがて意を決したように彼女の後を追って足早に雑踏に消えていった。
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