その21 奪還の糸口


 残念、あわよくば居場所がわかると思ったんだけどよ?

 やっぱあいつに会うにゃあ出るしかねーのかね?――

 ポケットから手を出し、ついでに中に入ってた『カジノ大会観覧券』を取り出すとこーへいはそれに目を落としながらにんまりと笑う。

 

「中井君――」


 だがやや問い詰めるような口調で自分を呼ぶ声が聞こえてきて、クマ少年は思案を一度打ち切り振り返った。


「んー? なんだ委員長?」

「まったく、何考えてるのよ。いきなり立ち塞がるからひやひやしたわ」


 腰に手を当て、東山さんは呆れ気味に眉間にシワを寄せる。

 そんな彼女の諫言もなんのその。お気楽極楽なクマ少年は、咥えていた煙草をピコピコと動かしながら僅かに眉を上げたのみだった。

 

「へーきへーき、あのおっさんは、そんな悪い奴じゃねーと思うだよなー?」

「……どうせまた勘でしょう?」

「おー? よくわかったな、凄くね?」

「はあ……もういいわ。それよりも――」


 なんとか一触即発の大乱闘は避けることができた。

 そしてハルカも連れ去られることなく、無事に奪い返すことができた。

 

 けれども――

 

 店は重く苦しい雰囲気に包まれている。

 その静まり返った店内に響く、押し殺すような泣き声の主を向き直り、東山さんは眉間のシワをより深く刻んだ。

 

「おばさん……ごめんなさい……ごめんなさい!」


 ハルカはノトのエプロンをぎゅっと握り、彼女の胸に顔を埋めつつ子供のように泣きじゃくる。

 だがノトは責める素振り一つなく、いつも通りの温和な笑みを浮かべ少女の頭を優しく撫でていた。

 

「気にしないで。私はもう少しで取り返しのつかない過ちを犯すところだった」

「でも……私のせいでお店が――」

「さっきも言ったでしょう。お店なんかなくても商売はできる。そしていつかきっと取り戻せる……」


 でも誇りは買えない。

 一度手放したら二度と買い戻せない。

 あなたが。

 『ハルカ』という少女が、今無事にここにいるということ。

 それが私の商人としての誇りなのだ――


 にっこりと笑ったノトを見上げ、ハルカはクリクリの瞳からぽろぽろと大粒の涙をこぼし、とうとう抑えることなく大泣きしだした。

 東山さんの視線を辿り、そんな二人を眺めながら、こーへいも困ったように猫口を浮かべる。

 

「悔しいわね、なんとかならないものかしら?」

「んだな……」


 試合に負けて勝負に勝った――とはいえ、失ったものは大きい。

 彼女ノトが決断してくれなければ、ハルカは連れ去られていたのだ。

 今の自分達は一蓮托生、運命共同体。ハルカの恩人は自分達の恩人でもある。

 何とかしてこの店を取り戻せないだろうか――

 東山さんは無念そうに俯いて拳を握りしめる。

 

「ムフ、あのアイツの家燃やしちゃえバー?」

「……案外いいかも」

「良くない! もう、なっちゃんまで何言ってんの……」


 大体そんなことしたら、うちらだってこの街にいられなくなる。

 バカ少年の無責任な発言に、真顔で頷いた微笑みの少女を向き直り、日笠さんは慌てて諫めた。

 と――

 

「母さん、酷いよ……こんなのおかしい」


 それまでじっと黙って俯いていた赤毛の少女は、ゆっくりと顔を上げカナコを見据える。

 カナコは答えない。

 愛娘の責めるような潤んだ碧瞳を真っすぐに受け止め、しかし穏やかな表情でアリを見下ろしながら、少女の言葉を続きを待つように黙っていた。


「ノトおばさん可哀想じゃない。悪いのはどう見てもウエダじゃない……なのにどうして母さんはあいつらが正しいって――」


 初めて見た。母の驚く程冷静で厳しい顔つきを。

 けれどどうしても納得がいかない。

 どうして正しい事をしたノトおばさんが苦しんで、ハルカってお姉さんは泣いて――

 そしてそれでも母は、ウエダが正しいというのだろうか。


「アリは私にあいつらを止めてほしかったのかい?」

「……だって母さんは組合長でしょう?」

「組合長の力で、無理矢理にでも止めるべきだったと?」

「……そうよ。母さんはみんなのリーダーなんでしょう?ならあいつをこてんぱんに――」


 そこまで言ってからアリは言葉を詰まらせた。

 本心を言うならそうして欲しかった。

 明朗快活に弱き助け、悪しきを挫く。それこそが少女がいつも見ていた母親の姿だった。

 だが、聡明な少女は自分が何を言おうとしているかに気づいたのだ。

 だから言葉を止めた。

 カナコは愛娘のその聡明さに気づき、親バカながら感心するように優しく微笑む。


「まあできなくもないがね」

「なら――」

「でもそれじゃあ、コル・レーニョと変わらないじゃないか。私もウエダも、そしてノトさんも盗賊じゃない。うちらは商人だ」


 力を使って自分の意のままに相手を従わせる――それは自分の求める解決法ではない。

 商人なら商人らしく、この街のルールに従って解決していくべきなのだ。


 やはり賢い子だった。少女は母親が何を言おうとしているのかを理解する。

 だがそれでも納得がいかない――子供ならではの純粋な正義感を双眸に露にし、アリは勢いよく首を横に振ってみせた。


「でもこんなの間違ってる! 母さんのやり方は……嫌い」

「ア、アリちゃん……」


 親子の喧嘩を静観していた日笠さんは、キッとカナコを見上げてそう言い放ったアリを見下ろし、どうするべきかと困ったように眉根を寄せる。

 そんな日笠さんを余所目に、少女の母親は豪放に笑い声をあげると、ゆっくりと屈んでアリの頭を撫でた。

 

「そうかい、ならアリの正しいと思うことをやってみな」

「母さん……」

「道は一つじゃない。母さんに見せておくれ、アリが正しいと信じる解決方法を」


 バカにするわけでもない。

 そして揶揄うわけでもない。

 至って大真面目に、そして優しい微笑みと共にカナコは愛娘へと問いかける。


 だが少女はその母親のその発言を『挑戦』と受け止めたようだ。

 アリはむっと下唇を突き出しなら、カナコをじっと見つめ、ややもって無言でコクンと頷いてみせた。

 そしてクルリと踵を返すと、ひょこひょこと入口に向かって歩き出す。

 

「カノー、いくわよっ!」

「ハァー? なんでオレサマまでいかなきゃイケナイディスカ!」


 我関せずを決め込んで、面白そうに親子喧嘩を眺めていたバカ少年は、不意に名前を呼ばれ面喰って叫んだ。

 が、有無を言わさずかのーの手を掴むと、アリは彼を強引に引っ張って歩き出す。


「いいから来なさいっ!」

「一人で勝手に行けばいいデショー!――って、蹴んなこのクソガキー!」

「ちょ、ちょっとアリちゃん!?」


 どこ行く気なの?――

 と、日笠さんが心配そうに駆け寄ろうとしたが、カナコがスッと手を差し出してそれを制する。

 差し出された手に気付いて歩みを止め、しかしすぐに日笠さんはカナコを向き直ったが、彼女は娘を信頼しきった笑みを浮かべてそれに応えていた。

 大丈夫、心配ない――と。


 カラン、と鈴の音を鳴らして扉が閉じる。


「よろしいのですか社長?」

「アッハッハ、うちの家訓さ。好きなようにやらせてやりな」


 タケウチ家、家訓『納得いかないなら、とことんやってみろ』。

 あの子は私の娘だ。きっと私すら考えつかないような答えをもってくるさね――

 愛娘とバカ少年が消えた入口を見据え、カナコは満足そうに笑ってシズカの問いかけに答えた。


「さて、それじゃ始めるとするかねオシズ」

「かしこまりました」


 アリはアリ、そして私は私だ――

 パンと手を叩いて気合を入れると、カナコは踵を返しノトとハルカへ歩み寄る。

 グシグシと鼻を鳴らしていたマメ娘は、なんだろう?――と、近づいてきたカナコを涙で濡れた目で見据えた。

 

「ノトさん、アンタこのまま泣き寝入りするつもりはないだろ?」

「え?」

「どうなんだい?」


 と、豪放磊落な組合長は、強気な笑みをその口元に浮かべ、二人の顔を覗き込む。

 ノトは彼女のその言葉にしばらくきょとんとしていたが、やがて意を決したように力強く頷いた。


「……ありません!」

「ハルカだっけか、あんたはどうする?」

「……悔しいです! このまま泣き寝入りなんて絶対嫌!」


 できるならばこの店を取り返したい。私を助けてくれたおばさんのために――

 カナコの言葉に呼応するように、ハルカはごしごしと涙を拭うと、真っ赤になったその瞳にやる気を灯す。


「上等だ、そうこなくちゃねえ。オシズ聞いたかい?」


 二人の返事を聞いて心底嬉しそうに一度頷くと、カナコは傍らに控えていた秘書の名を呼んだ。

 

「と、いうわけだ準備といこうか」

「かしこまりました」


 シズカは軽く会釈をしてそれに応えると、鞄から先程受理したばかりの『物々交換担保契約書』と手帳を取り出す。

 ノトもハルカも、様子を窺っていたカッシー達もカナコのその言葉を受け、意図がわからず目をぱちくりとさせていた。


「あ、あのカナコさん、一体何をするつもりなんですか?」

「何って、決まってるじゃないか。この店を取り返すんだよ」

「と、取り返すって……そんなことできるのか?」

「ああ、ウエダの若造を一泡吹かしてやろう。商人らしくね」


 アッハッハ――と、小気味よく笑い声をあげ、半信半疑で問いかけて来たカッシー達にカナコは言った。


「でも、商人らしくってどうやって?」

「『物々交換担保契約』で契約が交わされた商品は、一度組合預りで保管されます。その後手数料を頂いたうえで、引き渡しをするのです」

「は、はあ……」

「その際、希望があれば引き渡し方法を現金にすることも可能です。その場合、組合で査定した見積もりに準じた形で物品を売りその売り上げをお渡しすることになるのですが――」

「あーその……さっぱりわからん」


 難しい話はちんぷんかんぷんだ。

 淡々と説明するシズカに首を傾げ、カッシーは困ったように眉根を寄せた。

 シズカは表情一つ変えず、そんな少年を余所目に構わず話を続ける。

 

「此度の契約でウエダ様は現金での引き渡しを希望されておりますので、組合にてこのギオットーネを売却し、その売り上げを引き渡すことになっています。その際の『仕組み』に、ギオットーネ奪還の糸口があるのです」

「んー、どういうことだ?」

「物品を現金に換金する方法ですが、組合が主催している競り売りを利用しております」

「競り売り?」

「つまりオークションです」

「……なるほどね」


 と、そこまで聞いて、得意の微笑と共に相槌をうったのは、やはりというかお決まりというか『微笑みの少女』である。

 また先を越された――と、少し悔しそうに口をへの字に曲げつつ、鈍いカッシーはなっちゃんを向き直った。

 そんな我儘少年に向けて、なっちゃんは小気味よさげにクスクスと笑い、軽く首を傾げてみせる。


「そのオークションに参加して、店を買い戻す――そういうことでしょ?」

「ご名答だよ」


 聡い娘だ。

 感心するように頷いて、カナコはノトとハルカを向き直った。


「そういうわけだ。ウエダがこんな化石になった契約制度を引っ張り出してきてくれたおかげで、まだギオットーネ奪還の機会チャンスが残ったってことさね」


 あいつウエダもバカだねえ。小細工など弄せずに素直に真っ向から取引していれば、こんなことにはならなかったのに。

 まあ、何か理由があったのかもしれないが焦りは禁物だ。

 商談は情報戦。じっくり確実に詰めてこそ利益につながるもの。

 その辺まだまだ詰めが甘い若造だ――ざまあみろとカナコはほくそ笑む。


「とにかく、そのオークションでこの店を落札すれば――」

「ああ、お店もハルカも無事取り返せるってことか」


 よかった。

 細かい話はわからないが、とにかくこの店を取り戻す手段はまだあるということだ。

 カッシー達は嬉しそうにお互いを見合う。

 

「でも組合長、私にはお店を買い戻すだけのお金は――」

「アッハッハ、その辺は緊急事態だ。私が立て替えておくよ、もちろん無利子無期限でね?」


 他でもない。この案件は親友マーヤから頼まれた『神器の使い手達』への協力にも繋がることなのだ。

 任せておけ――と、カナコは心配そうに口を開いたノトに向かって器用にウインクしてみせる。

 ノトとハルカが満面の笑みで何度もお礼を述べたのは言うまでもないだろう。

 

「それで、そのオークションっていつ開かれるんだ?」

「次回のオークションは……六日後となります」


 シズカは手帳を開いて手早く確認すると、我儘少年の質問に答えた。

 と、敏腕秘書の、その返答を聞いてピンと来たカナコは、にやりと笑う。


「六日後ね、なるほどなるほど……アッハッハ、こりゃ派手でいいねえ」

「カ、カナコさん?」

「六日後は『商業祭』の開催日です。オークションも、その中のイベントの一環として行われる予定となっております」

「しょ、『商業祭』?」


 なんだそりゃ――

 聞きなれない言葉がシズカの口から飛び出して、カッシー達は一斉に首を傾げながら尋ねた。

 その通りとシズカは小さく頷いてみせる。


「パーカスで年に一度開催される、街をあげての一大イベントです」

「早い話がお祭りさね」

「お、お祭り?」

「んー、祭りねえ……なーんかわくわくしてきたぜ?」


 このパーカスで年に一度行われる『商業祭』の中で行われるイベント……そういえばカジノの支配人も言ってたっけ?――

 胸ポケットに挟んでおいた『カジノ大会』チケットを再度手に取り眺めながら、こーへいはにんまりと笑う。

 それを見て、やれやれとカッシーは額を抑えた。


「まあそういうわけさねあんた達。ぱーっと派手に反撃してやろうじゃないか!」


 不敵な笑みを浮かべそう言ったカナコを見て、一同は力強く頷いたのだった。

 

 

 

 

 だがしかし――

 この時は、この場にいた誰しもが、まったくもって予想だにしていなかったのだ。

 いやたとえ天才生徒会長とて、聡明な微笑みの少女とて、予想などできなかっただろう。

  

 この街をあげたお祭りの裏で、まさか自分達が一大作戦を繰り広げることになろうなどとは――

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