その20-1 神器の使い手


 一触即発。

 真っ向から火花を散らし睨み合っていたカッシー達とツネムラは、勢いよく開かれた扉の前に佇む女性を向き直り、はたと動きを止める。その背後には彼女付の敏腕秘書シズカも一緒だ。

 一方で豪放な組合長は彼等に気が付くと、雁首揃えて対峙している彼等を不思議そうに眺めながら片眉を吊り上げる。

 

「カ、カナコさん……?」

「ん? あんた達何やってんのさ?」

「ドゥッフ……」


 と、傍らから荒い鼻息が聞こえて来て彼女はドアの真横を向き直る。

 鼻を抑えて屈みこみ、痛みに耐える様に震えているバカ少年の姿が見え、カナコはさらに不思議そうに頭の上に『?』を浮かべた。

 

「おや、どうしたね? ツンツン髪」

「オメーのせいディスヨこのズングリ!」

「アッハッハ、こりゃ悪かったね」


 どうやらカナコの開けた扉の直撃をくらったようだ。

 まあ言い出しっぺのくせに早々に入口近くまで退避していたのだから自業自得だろう。

 

「母さんっ!」


 固唾を呑んで成り行きを見守っていたアリは、途端にぱっと顔を明るくし、思わず身を乗り出した。

 カナコは愛娘に対してニコリと微笑むと、のっしのっしと店内に足を踏み入れ、対峙する一行の傍までやってくると彼等を一瞥する。

 

「仲間に会いに行くとか言っときながら喧嘩かねあんた達? 別に止めはしないが、店の中で暴れるって事は、この街の商人全員敵に回すって事だと思いなよ?」


 それでもやるかね?――

 威勢のよい通る声でそう言い放ち、カナコはカッシー達とその奥のツネムラを順繰りに睨みつけて回った。


「カナコさん……」

「でもよー? こいつらハルカをさ?」

「いくらエリコの知り合いでもこればっかりは譲れないねえ。で、どうするんだい?うちら敵に回す覚悟があるってなら、続けてごらんよ」


 仁王立ちで腕を組み、カナコは強気な笑みを浮かべて一行の反応を待つ。

 彼女の言葉が冗談ではないことは、その身から溢れ出る気焔から十分過ぎるほどわかった。

 カッシーはその気迫にすっかり気勢を削がれ、仕方なく構えを解くと、バツが悪そうに口をへの字に曲げる。

 続いて東山さんにこーへいも――そしてそれを見てツネムラも構えを解くと、舌打ちしながら踵を返し、椅子に戻ってどかりと腰をおろした。

 助かった――

 なんとか大乱闘の危機を免れることができたと、日笠さんは一人ほっと胸を撫でおろす。

 カナコはそれを見届けた後、よろしい――と満足そうに笑い、のっしのっしと彼等の横を通り過ぎると、レジ前で足を留めた。


「ノトさん久しぶりだね。息災だったかい?」

「く、組合長……どうして突然?」


 突如現れた組合長を見て、ノトは面食らったようにぽかんとしていたが、やがて我に返るとそうカナコへ尋ねた。

 アッハッハと豪快に笑い飛ばし、カナコはレジに寄り掛かると彼女を見上げる。


「なあに、ちょっと面白い話を耳にしてね」

「面白い話?」

「あんたが奴隷を買うって話さ――」


 そう言って反応を窺うように、カナコは同じく傍らにいたウエダへと顔を向けた。

 ウエダはそんなカナコの視線を受け、僅かに驚きの表情を顔に浮かべたが、すぐに可笑しそうに一度笑い声をあげる。


「奴隷制度にあんなに反対してたノトさんが奴隷を買うなんてねえ、しかもこの店を売りに出してまでときたもんだ。こんな面白い話ないだろう?」


 組合に提出された商談の決済は最終的に全て組合長の元に届く。

 三日前の事だった。カナコの下にこのきな臭い商談の契約書が組合から届いたのは。

 申請者は最近街でよく名を聞くようになった若い奴隷商人。

 そして相手はカナコの祖母の代から続いている小さなパン屋。

 しかも交換対象として店を提示するとは、あの女主人ノトさん何を考えているんだ――

 気になったカナコは、シズカに命じてこの物々交換に関する情報を洗い出していたのだ。


 そしてつい昨夜のことである。

 シズカから提出された報告書に目を通し、やはり――と、彼女が書斎で小さな溜息をついていたのは。


「流石は組合長相変わらず耳が早い――」

「で、あんたがウエダかい?」

「お初お目にかかります」

「愛想笑いがうまい奴だね」

「……これは厳しいお言葉で。」


 真顔でけろりとそう言ったカナコに対し、しかしウエダも表情を変えず笑みを浮かべたまま、慇懃に軽く頭を下げた。

 しかしお互い目は全く笑っていない。


「アタシは根が素直でね――それでだ、アンタの作戦はうまくいったのかい?」

「もう少しと言ったところでしょうか。生憎邪魔が入りましてね」


 肩を竦めてウエダはそう言うと、カナコの背後で様子を窺っているカッシー達をちらりと見る。

 視線に気づき、少年少女達は慇懃無礼なその青年を一斉に睨み返していたが。

 表情一つ変えずに冷静に対話を続けるウエダに感心しつつ、カナコは話を続ける。


「しかしよく考えたもんだ。『物々交換担保契約』なら、『査定』までなら購入側の同意なしで申請が認められているからねえ」


 と、レジに置いてあった契約書に目を落とし、うんうんとカナコは頷き――

 途端にウエダの顔から笑みがストンと落ちた。

 しかし彼は心中に僅かに生まれた焦りを表情に浮かべず、なお平静を装ってカナコの様子を窺う。

 

「さて、なんのことでしょう?」

「とぼけんじゃないよ。慣れてない相手ならぱっと見、契約が成立したように見えるから、大方それを狙ったんだろ?ノトさんを脅すつもりでさ」


 図星かい?――

 カナコはレジに身体を預けながら片手をひらひらとさせ、青年に向かって小首を傾げてみせた。

 訳が分からず、ノトは狐につままれたような顔でカナコを見る。


「あの組合長、一体どういうことなんです?」

「ノトさん、あんたもう少し人を疑う事を覚えたほうがいい。お人よし過ぎるよ?」

「す、すいません……」

「端的に言えば、まだ契約は成立していないってことさ。この店はまだあんたのモンだ」

「……ええっ!?」


 元々姿勢の良い彼女はカナコの言葉を聞いてさらに背筋をピンと伸ばすと、目を白黒させながら契約書を手に取る。

 そして、食い入るようにして内容に目を通し始めた。


「そ、それじゃ――」

「その契約書はまだ査定の段階でのいわば『見積もり書』のようなものさね。よく読まないと一見契約成立しているようにみえるが、いくらなんでも、購入者の同意抜きで、商人組合だってこの店を差し押さえにはできないよ」


 契約書にはしっかり目を通しな。あんたも商人だろう?――

 安堵のあまり契約書を持つ手を震わせるノトに向かってカナコはそう付け加えた。


 物々交換担保契約は、弦菅両国の戦争時に設けられた化石のような契約制度である。

 当時は戦時中だったため、両国の貨幣の価値が暴落し、まともな商売にならなかった。苦肉の策として商人達は貨幣を介さず物同士での売買を成立させるためにこの制度を考案したのだ。

 組合が間に入る事で取引の公正さを保ち、基準がわかりにくい物同士の取引を助成する制度であったのだが、いかんせん契約が締結するまでに時間を要すること、そして申請手順が複雑なこともあって、両国の争いが終結し、マーヤの善政によって貨幣の価値が安定してくると、この契約制度を使って商談を進める者はほとんどいなくなった。

 まあそんな契約制度であったおかげで、カナコはなんともまあ懐かしい制度で商談を進める奴がいるものだ――と、この件に気づくことができていたのだが。

 

 まてよ……ってことは――

 話を聞いていたカッシー達は、そこで一つの結論に至り、んん?と不可解そうにお互いを見合った。


「最低……あなた騙してたわけっ!?」


 だが彼等が口を開くよりも早く、聡明な少女が、彼等の心境を代弁するようにわなわなと拳を震わせながらウエダを睨みつける。

 それでも焦りの色を億尾にも顔にださず、ウエダは肩を竦めるのみで、まだ余裕の表情をその顔に浮かべ続けていた。


「ばれてしまいましたか……できれば穏便に事を済ませたかったのですが」

「ひどい、詐欺じゃない!」

「詐欺とは人聞きの悪い。それとも『窃盗』として被害届を警備隊に出した方がよろしかったですか?」

「いいや、それも違うだろウエダ?」


 と、一回り低い声色でそう尋ねつつ――

 カナコは一転神妙な顔つきとなる。


「母さん、どういうことなの?」

「こいつは端からそんなつもりはないのさ。警備隊に訴えることも、契約を成立させることもそもそも望んじゃいない」


 こんな手の込んだことをする奴だ。その気になれば偽造でもなんでもして契約成立できたはずだ。

 けれどもウエダはそうしなかった。

 『物々交換担保契約』だって初めから申請のみで留め、あくまで脅しのためにしか使うつもりはなかったのだ――

 昨夜、シズカのまとめた報告書を読み終え、カナコは一つの結論に至っていた。

 それは――


「ノトさんには失礼だが、今あんたが匿っている娘は、ウエダにとってこの店の何倍もの価値を持つ『商品』なんだよ」

「ど、どういう事ですか組合長?」

「早い話が、娘は今高値で売れるって事さ。それはもう法外な値段でね。なんせあのコル・レーニョ盗賊団が咽喉から手が出る程欲しがってる『神器じんきの使い手』なんだから」

「神器の……使い手?」


 そう言えばさっきウエダも言ってた。一体なんのことだ?――

 カナコの口からも飛び出した聞きなれない言葉に、カッシー達は一斉に顰め面を浮かべる。

 その通りとカナコは強気な笑みを浮かべてみせた。

 

「話によると、コル・レーニョ盗賊団は、チェロ村で奇妙な楽器を使う少年少女達にこっ酷くやられたらしいじゃないか」


 この話、もしかして俺達の事か?――

 ポーカーフェイスが苦手な我儘少年は、はっとしながらカナコを向き直る。

 しかし彼等がその張本人である『チェロ村の小英雄』とばれぬように、カナコは敢えてそ知らぬふりをしながら話を続けていった。

 

「盗賊どもはそりゃあ吃驚しただろう。なんせ年端もいかない少年少女によって一部隊が全滅したんだから。だが、その楽器の話を聞いた頭領は閃いたのさ。『その楽器をうまく使えば、今より盗賊団の力は格段に強くなる』ってね――」

「まさか――」

「その通りさ。頭領の命令で各地に拠を置く盗賊団コル・レーニョは今、躍起になって捜してるんだ。奇跡の力を奏でる楽器と、その奏者である『神器の使い手』と名付けた少年少女達をわがものとするために――」


 そこまで言ってから、カナコは黙して語らず椅子に座り、話を聞き続けていた男を振り返る。

 そして顎をしゃくって確認するように彼に向かってこう言い放った。


「そうだろ? マフィア『黒い鼬ドンノラ・ネーロ』のツネムラさん?……いや『コル・レーニョ盗賊団副頭領』のツネムラって呼んだ方がいいかい?」


 豪放磊落な組合長のその問いかけを受け――

 

 

 

「またよく調べたもんだなカナコ……大したもんだ」


 パーカスを根城にする裏社会の首領ドン、アキオ=ツネムラは感心したように、その口元に不敵な笑みを浮かべたのであった。

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