その18 んー……勘?


翌朝。

パーカス中央地区 カナコ邸中庭―



「フンガー!」


 薄い霧状の雲がわずかに青い空を覆うだけの晴天の下、かのーの気合の籠った声が中庭に木霊した。

 ぴょんと飛び跳ねたかのーの、遠心力を伴って繰り出された棒の一撃が、風を切ってカナコの頭上へと迫る。

 が、しかし。

 

「おっと」


 唐竹割に放たれた少年の攻撃はあえなくカナコの構えた棒によって受け流され、木と木のぶつかる乾いた衝突音を派手に立てるのみに留まった。

 ムフン、と悔しそうに鼻息を吐き、かのーは棒を挟んでカナコの顔を覗き込む。

 小柄なのになんて膂力だろう。

 頭一つ以上大きいバカ少年が両手に力を籠めて押し込んでも、カナコはびくともせずに余裕の表情でそれを押し返している。


「アッハッハ、アンタなかなかいい打ち込みするじゃないか。それ、お返しするよ!」


 と、嬉しそうに笑い声をあげ、かのーの『押し』をスッといなすと、カナコは持っていた棒を回転させて胴凪を繰り出した。

 弾かれた棒を慌てて手元へ戻し、かのーはなんとかその一撃を受けとめる。

 ジーンと痺れる振動が手を伝わって腕を昇ってくるのがわかり、少年はフンガッ――と、歯を食いしばった。

 もちろんそれだけで攻撃は終わらない。


「ほれ、続けていくよ!」

「ドゥッフ!? ちょ、まっ!?」


 続けざまに連続で繰り出されたカナコの突きが、かのーに次々と襲い掛かる。

 顔を真っ赤にしながら少年は棒を回転させ、かろうじてその突きを受け止めた。

 もはや防ぐので手一杯。身軽な少年が後ろへ飛び退く隙すら与えてくれず、カナコの年季の入った棒による攻撃は次第にバカ少年を追い込んでいった。

 仕方なく、持ち前のスピードで何とか間合いを詰め、かのーは再び鍔迫り合いに持ち込む。


「どうしたね? さっきから防戦一方じゃないか」

「ムカー! うっさいズングリボディ! ちょっとブレイクタイムディスヨ!」

「アッハッハ、レディに向かってずんぐりとは失礼な小僧だ」


 と、荒い鼻息を吐きながら叫ぶかのーを覗き込み、カナコはやれやれと苦笑した。

 そんな二人を、近くの庭石に腰かけ、頬杖をつきながら眺めていたアリは、にやにやしながらかのーにはっぱをかける。


「どうしたのカノー。昨日は『オレサマのほーが強いディス( ̄▽ ̄)』とか言ってたじゃない?」

「ドゥッフ、黙ってろスー! まだまだコレからディス!」


 よし、休憩終了――

 額に血管を浮かび上がらせ、子供の野次に大人げなくも本気で怒りながら、かのーはカナコを押し返し渾身の力を籠めて棒を横に薙ぎ払った。


 つい先程の事だ。朝が苦手な微笑みの少女なっちゃんとは対極的に、朝にめっさ強いバカ少年かのーが暇を持て余してうろうろしていた所を、アリが呼び止めたのは。

 別に大した用事もなかったかのーが、少女に案内されるがままに中庭に出ると、そこではカナコが早朝の棒術鍛錬の真っ最中であった。

 アリから聞いたけど、あんたも棒術やってるんだろ?ならいっちょ手合わせしないかい?――と、豪快な笑い声と共にそう言ったカナコの言葉で、なし崩し的に練習試合が始まったのである。

 だが、結果はご覧の通りのありさまだった。時間が経つにつれてかのーは防戦一方に追い込まれていったのだ。

 そもそも実力の差がありすぎる。

 組合長になった後も、毎日欠かさず棒術の稽古をしていたカナコと比べて、かのーの棒術は所詮付け焼刃の我流である。

 そもそも棒だって虫捕り用にその辺からもってきたものだし、はなから相手になるレベルではなかったのだ。


 それでも負けじと、かのーはギブアップせずに粘り強くカナコに挑んでいたが――


「そろそろいい時間だし、この辺でしまいにしようかね」


 と、にやりと笑い、カナコは横から襲ってきたかのーの棒を軽く捌くと、鋭く重い突きをお返しとばかりに放った。

 なんとか紙一重でそれをかわすかのー。

 だが、カナコは攻撃の手を緩めず、素早く自分の棒を飛び越えるように跳躍して回し蹴りを繰り出したのだ。

 奇襲の名人、奇襲にやられる。

 これはかのーも予想していなかったらしく、態勢を崩していたバカ少年は、カナコの回し蹴りをもろに顔面に食らって吹っ飛んだ。

 悲鳴をあげて錐揉みに回転しつつ、バカ少年はズシンと地に倒れる。


「勝負ありだね」


 同時に着地したカナコはかのーを振り返って、豪放に笑い声をあげた。

 ひょこひょこと足を引き摺ってやってきたアリは、地べたに大の字に寝転がるかのーを覗きこむと、勝ち誇ったようににんまりと笑う。


「ほーらごらんなさい。やっぱり母さんの方が強かったでしょー?」

「ムキー、キックはヒキョーディス! いまのナーシ!」


 しかしかのーはそんなアリを余所目にひょいと跳ね起きると、地団太を踏みながらカナコを睨みつけていた。


「またいつでも相手してやるよ。もっと腕あげてきな」


 そう言ってカナコは地に落ちたかのーの棒を拾って彼に投げ渡す。

 パシンと棒を受け取り、クルリと回して肩に担ぐとかのーはムフンと大きな鼻息を一つ吹かした。


「ガッデーム、覚えてろよズングリ……」

「アッハッハ、でもなかなかいい筋いってたよ。あんた本当に師匠の息子じゃないのかい?」


 と、棒でトントンと肩を叩きながら、カナコはもう一度確認するようにかのーの顔をマジマジと眺め、首を傾げてみせる。

 あんたの親父って、棒術の達人じゃなかったかい?――

 練習試合がはじまる前に、カナコは懐かしそうにかのーの顔を眺めながらそう尋ねていたのだ。

 だが当のかのーはなんのことだかと肩を竦めるばかりである。

 

「ドゥッフ、さっきからシツコイヨー! だいたいオレサマのオヤジは全然オレサマと似てないディス」

「ねえ、母さんの棒術の師匠って、そんなにカノーに似てるの?」

「似てるもなにもそっくりだよ。名前も同じ『カノー』だったしねえ」


 アリの疑問に、その通りといわんばかりに大きく頷いて、カナコはなおもかのーの顔を見つめていた。

 棒術は異国の大陸『ツェンファ』で発祥した武術であり、オラトリオ大陸ではあまり浸透していない。

 カナコがこの棒術を習ったのは、カノーという、バカ少年そっくりで名前まで同じな怪しい男性からだった。

 しかしそれももう十五年近くも前の話であるが。


「ふーん、そうなんだ。その人は今どこに?」

「もうパーカスの街にはいないよ」

「え、そうなの?」

「丁度アリが生まれたくらいの時かね。『ムフン、ちょっとダイヤ掘りに行ってくるディス( ̄▽ ̄)』とかいって、この国から飛び出していったから」


 道場は借金で潰れて今は別の店が立っているし、あれからまったくもって音信不通。

 今頃はどこで何してんだろうねあの師匠は――と、カナコは懐かしそうに微笑む。


「ムフン、でもそいつオレサマと似てるってコトはサー?かなりハンサムなんデショー?」

「そうさねえ……糸目で『▽』な口してて、眉毛が太かったよ。なんか一筆書きできそうなシンプルな顔さ」

「ムキー! そんな奴と似てるとか言うなこのズングリ!」

「いや、そっくりじゃない……」

「あ、いたいた。おーいアリちゃーん!」


 と、三人がほのぼのとそんな会話をしていると、カナコ邸からぞろぞろと出てきた少年少女ご一行がやってくるのが見えて、カナコは手を振って彼等を出迎える。


「おはようございますカナコさん」

「おはよう、みんな揃ってどこかお出かけかい?」

「ええ、ちょっと用事があって」


 と、日笠さんはカナコにそう答えると、彼女の傍らにいたアリを向き直った。


「アリちゃん、昨日お願いしてた件、頼んでもいいかしら?」

「ノトおばさんのお店のこと?もう行くの?」

「うん、早い方がいいと思って……」


 話を聞いた限りではいつウエダという奴隷商人がまた店に来るかもわからない状況のようだ。

 ならば、早めに言ってハルカと合流した方がいいだろう。

 一緒に来てもらえる?――と、アリの傍に屈みこむと日笠さんは首を傾げる。


「いいわよ。それじゃ案内するね」


 と、アリは大きく一回頷くと、ニコリと微笑んだ。

 そしてかのーの下へひょこひょこと足を引き摺って近寄ると、彼の短パンの裾をちょいちょいと引っ張る。

 

「カノー、行くわよ。肩車して」

「ドゥッフ、なんでオレサマも行かなきゃナンネーディスカ?! 一人で行けばいいデショー!」

「ボケッ! おめーも行くに決まってんだろ!」


 部員のピンチなのに何さぼろうとしてんだこのバカは――と、カッシーは拳をわなわなと震わせながらかのーを睨みつけた。

 と、いうわけで、渋々ながらかのーは身を屈ませるとアリを肩車して立ち上がる。

 

「母さん、ちょっとマユミお姉さん達と、ギオットーネに行ってくるわ」

「ノトさんの店かね?」

「はい、アリちゃんとかのーが言うには私達の仲間を匿ってくれているようでして」

「ふーむ、なるほどね……」

「母さん?」


 と、僅かな間ではあったが険しい表情を浮かべたカナコを見て、アリは不思議そうに首を傾げた。

 しかしカナコはすぐに元の表情に戻るとにこりと笑って首を振る。


「いやなんでもない。気をつけて行っておいで」

「わかったわ。よしカノー、出発よ!」

「人使いの荒いガキディスヨ……あ、そうだズングリ!帰ったらまた勝負シロディス」

「アッハッハ、いつでも勝負してやるよ」

「それじゃいってきます」

「ああ、またね」


 ぞろぞろと門を出て行ったカッシー達と愛娘の姿が見えなくなるまで、カナコは笑顔で見送っていた。

 しかし彼等の姿が視界から消えると、彼女は踵を返して大きな声でメイドを呼ぶ。


「誰かいるかい?」


 直に近くで洗濯物を干していたメイドの一人が、足早にやってきた。


「お呼びでしょうかカナコ様」

「オシズを呼んでくれるかね? それと用事ができたから出かける準備をお願い」

「かしこまりました」

「昼までには戻る。それまで留守をよろしく頼むよ」

「はい」


 さてと――と小さな声で呟いて。

 カナコはメイドの横を通りすぎ、豪邸の中へと消えていった。



♪♪♪♪



パーカス東地区。並木通り―


 つい最近知ったことではあるが、オラトリオ大陸の暦は元いた世界と同じ七日で一週間、一年は三百六十五日というサイクルらしい。

 まあ、舞が考えた世界構想とリンクしている部分が多々ある世界なのだから、それも納得といえば納得な理ではあるが。

 そして今日は所謂日曜日に当たる日らしく。普段は賑わっている東地区も休日の朝と事で未だ人通りは少なかった。

 そんな東地区を、少年少女達はアリの案内の下、ギオットーネというパン屋へと向かっていたのだが。


「みんな早く~! こっちこっちーっ!」

「ドゥフォフォー、カッシー達オソイヨー」


 通り二つ分は離れた先からカッシー達を振り返り、アリとかのーは大はしゃぎで彼等を手招いた。

 

「おいかのーっ! 勝手に先行くなっつの! 俺達場所わかんねーんだぞっ?」

「バッフゥー、そう思うならオマエラがちゃんとついてコイなのディース!」


 カッシーの忠告もなんのその、かのーはケタケタ笑い声をあげ、スキップしながら角を曲がりひょいっと姿を消す。

 それを見て、腹立たし気にカッシーは唸り、やれやれと日笠さんは肩を竦めていたが。


「くっそーあいつめ……」

「まったく、何度言っても団体行動の取れない奴なんだから」


 仕方なくカッシー達は歩く速度を速めて二人を追いかける。

 曲がり角を曲がると、そこは広葉樹が植えられた並木道だった。

 涼やかな風が葉を鳴らすその並木道の端には、小さな商店街が並んでいる。


「ギオットーネはもう少し先よ、ついてきて」


 追いついてきたカッシー達に、待っていたアリが通り二つ分先を指差す。

 一行は再び歩き出した。


「ハルカちゃん……無事だといいけれど」

「ハルカちゃんのことも気になるけれど、昨日カッシー達があった鈴村君のことも気になるな……」


 と、日笠さんはカッシーとこーへいを向き直って言った。

 朝食の席で彼等から聞いたカジノでの一件。

 勿論、リュウ=イーソーと名乗るモッキーそっくりな少年のことだ。

 話を聞いた日笠さん達はさすがに驚きの色を隠せずに言葉を失っていた。


 鈴村祐也すずむらゆうや。あだ名は『モッキー』。

 音オケホルン奏者で、カッシー達より学年は一つ下の二年生。

 カッシーとは、同じ中学出身で先輩後輩の間柄である。


 髪を中わけにした、やや面長の青年で、やや鋭い三白眼と厚めの唇が特徴。

 性格は寡黙で不愛想。あまり口数は多くなく、とっつきにくい感じがするが単に人見知りなだけで、親しくなればそうでもない。

 そんな彼には類まれなる素質を持った一面があった。

 それは昨夜彼がカジノで見せた『勝負師ギャンブラー』としての一面である

 『技巧テクニック』と『分析アナライズ』を駆使して、冷静に勝負に挑むその戦い方は、『運』と『勘』を頼りに勝負に臨むこーへいとはまったく真逆のスタイルと言える。

 それ故にクマ少年『中井晃平』とはライバル関係でもあった。

 ちなみに、二人は音高に入ってから何度か勝負をしているが、結果は全て引き分けに終わっている。

 

 そのモッキーがカジノにいたのであるが――


「でも、なんでカッシー達のこと『知らない』っていったのかしら?」

「それがわかんねーんだっつの……」


 自分達のことを全く知らない素振りだった事。

 そして『ツネムラ』という男に付き従い、何故か今度開かれるという『カジノ大会』に出ようとしていること。

 彼の目的が全く読めないのだ。

 一体何をしようとしているのか――改めて考えなおしてもさっぱりわからず、カッシーは腕を組んで唸り声をあげる。

 

「本当にモッキーじゃないのかもしれないわ」

「なっちゃん……?」

「浪川君の時みたいなことも考えられるってことよ」


 と、アリが傍らにいた事に気づき、なっちゃんはちらりとかのーの肩上にいた少女を見た後に、少し表現を遠回りにして答える。

 ヴァイオリンで騒動が起こる発端ともなった、浪川そっくりであるというアニマート公『ナミカワ前王』のように、カッシー達がカジノで見た『リュウ=イーソー』という少年も、実はモッキーそっくりなこの世界の住人なのではないか?――彼女はそう言っているのだ。

 ちなみに、この世界にはややこしいことに、自分達や、自分達の身近な人物をモデルにした『そっくりな人物ドッペルゲンガー』が存在する――という仮説については、既にカッシーと日笠さんから聞いて把握済みである。


 確かにその可能性もありえるな――

 と、なっちゃんの仮説を受け、カッシー達は頷いていた。


 だがしかし――


「んーにゃ、あれはモッキーだったぜー?」


 自信満々、断言するようなのほほん声が聞こえて来て、一同はクマ少年を振り返った。

 一番後方を、火の付いてない煙草を咥えながら歩いていたこーへいは、一斉に自分を向き直った一行に気づくと、にんまりと猫口を浮かべてみせる。


「あいつはモッキーに間違いない」

「じゃあなんで俺らを知らないっていったんだよ?」

「それはわかんねーけどよ? でもあれはモッキーだったぜ?」

「こーへい、いやに自身満々だけど……なんか根拠でもあるの?」


 と、珍しく強気に出た彼をちょっと意外そうに見つめながら、日笠さんは尋ねる。

 だがその問いを受けてのクマ少年の回答は、いつも通りの言葉であった。


「んー……勘?」

「やっぱりね……」


 案の定、しかしきっぱりとそう言い切ったこーへい見て、一行はやれやれと溜息をついた。

 しかし、彼の言う通りリュウ=イーソーなる少年が、自分達の後輩であって欲しいところだ。

 もしそうであれば、この短期間で二人も部員と合流できることになるのだから。

 

「ところで柏木君、全然関係ないこと聞いていいかしら?」

「なんだよ委員長?」

「鈴村君て、なんで『モッキー』って呼ばれてるの?」


 『鈴村祐也』の一体どこを取れば、『モッキー』になるのか。

 彼が入部してきてからずっと気になっていた疑問を、東山さんは思い切ってカッシーに尋ねる。

 

「あーそれは、あいつが中学入学してきたころだったんだけど」

「うんうん……」

「その頃同じ苗字の奴が――」


 と――


「ついたわよマユミお姉さん。あれがノトおばさんのやってるパン屋さん」

「ムフ、チョココロネ食べてもいいディスか?」

 

 丁度その時だった。アリが皆を振り返って笑顔で前方を指差す。

 一同が少女の指先を辿り前方を見上げると、そこには『パン屋ギオットーネ』――そう掘られた木の看板が取り付けられた小さなお店が見えたのだった。

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