その16 何よこいつ……

十分後。

娯楽堂『ミリオナリオ』換金所―


「おー、結構儲けてね? もしかしたらこれで、馬車買えねーかな?」


 と、小さな袋一杯のピース金貨を受け取って中を覗き込み、こーへいはにんまりと微笑む。

 そんなクマ少年を横目で眺めつつ、カッシーはもはや呆れるしかなかった。


「まったくおまえは、ちょっと目を離した隙に」

「んーまあちょっと物足りないけど、いい息抜きになったぜ?」

「あのなこーへい、息抜きはいいけどあんまり目立った事すんなよな?」

「んー、なんでだ?」


 金貨の入った袋をポンポンと放り投げて弄びながら、こーへいは首を傾げる。


「あの二人、一応お忍びの旅らしいしさ。俺達が目立ったら下手すると迷惑かかるだろ?」


 もちろん『あの二人』とは、言わずもがな、エリコとチョクのことだ。

 話を聞く限りだと、色々目立って管国に居場所がばれるとまずいことになるらしい。

 まあその理由はどうあれ、一応協力してもらっている身としては、彼等に迷惑がかかるような行動は慎むべきだろう。

 しかし当のお気楽極楽なクマ少年は、そんなこと全然考えていなかったようだ。


「おー、なるほどなー?」


 と、彼は合点がいったとポンと手をうつと、のほほんと大らかな笑みを口元に浮かべていた。

 だめだこのクマ――そのあっけらかんとした笑みを見て、カッシーはやれやれと顔を抑える。

 それにしても、たった二、三枚のコインをあっという間に数百倍にするとは。

 知ってはいたが、相変わらず異常なまでに賭け事に強いやつだ――


「おまえさ、どうやったらそんなにバカ勝ちできるんだよ?」

「んー、そりゃやっぱりあれだなー?」

「あれ?」

「勘」

「聞いた俺がバカだった……」


 全てを勘に託してあとは信じりゃいいのさ。それが賭け事ってもんじゃね?

 割と本気でこのクマ少年は思ってる。

 トントン、とこめかみを人差し指で叩き、得意げに猫口を作ってそう断言しこーへいを見て、しかしカッシーは理解できん――と、口をへの字に曲げていた。

 

「でさー、ーカッシー?」

「なんだよ?」

「このカジノによ? 毎日打ち止めにしていく、強い奴がいるらしいぜ?」

「……だめだからな?」


 先刻支配人が言っていたことを思い出しながら、途端にキラキラと目を輝かせ始めたクマ少年を睨みつけ、カッシーは先手を打って釘を差す。

 皆まで言うな。お前の言いたいことはもうわかった。

 どうせそいつと勝負したいとか言い出すつもりだろう?――

 はたして、こーへいは咥えていた火の付いていない煙草を、反抗の意を示すようにプラプラとさせ、眉尻を下げる。

 

「おーい、マジか?」

「当たり前だ! 俺さっきなんて言った?」

「へいへーい」


 予想通りかよ――

 カッシーは溜息をつき、そしてガシガシと頭を掻いた。


 やはりこれ以上ここに長居するのはまずい。

 こーへいこいつカジノここに滞在させることは、クマの目の前にシャケが大量に泳ぐ生け簀を用意するようなもんだ。

 下手に目立つこととなる前に、さっさとエリコと合流しておいとました方がいいだろう。

 そう結論に至るとカッシーはこーへいを向き直り、そろそろ帰ろうぜ――と口を開きかけた。

 

 だが――



「キィーー悔しいっ! もっかい勝負よっ!」



 途端に、聞こえてきたホール中に響き渡るお騒がせ王女の悲鳴に、カッシーは開きかけた口を酸欠の金魚のようにパクパクとさせる。

 そして彼は、ホール中の客という客がその声の主を一斉に振り返ったのを見て、思わず脱力しながら項垂れた。


「あのよーカッシー」

「……なんだよ?」

「別に俺等が気を遣わなくてもさ? あの王女さん勝手に目立ってね?」

「……わかってるから、それ以上言わないでくれ」


 と、自分の気遣いを一瞬にして無駄にした声の主を振り返り、少年はこーへいの正論に悔しそうに答える。

 悲鳴が聞こえたのはブラックジャックのブースだった。

 見れば、大勢の観客が取り囲むブースが一つある。どうやらあそこにいるらしいが……。


「なんでなんでなんで!? アンタ一体なにしたのよ! くぅぅぅぅ……もう一回よっ!」


 再びエリコの絶叫が聞こえてきた。

 だが先刻の悲鳴と比べてかなり切羽詰まった、四面楚歌な状況を匂わせるその『絶叫』に――

 一体なんだ?、と二人はお互いを見合うと、やにわに剣呑な表情を浮かべ、足早にブラックジャックブースへと向かっていったのだった。

 

♪♪♪♪


娯楽堂『ミリオナリオ』

ブラックジャック対戦用ブース―


 このカジノは通常のディーラー相手にプレイできるだけでなく、互いの合意が得られれば客同士がチップを賭けて勝負をすることも可能だった。

 レートは通常よりも低めという事もあって、腕に自信のある者達が自分の実力を競いあうための、どちらかというとエキシビジョン的な要素の強いブースであったが。

 

 その対戦用ブースの一画で、お騒がせ王女は窮地に陥っていた。


 どうしてこうなったの?――

 彼女は悔しさと怒りに満ちた表情を浮かべながら唇を噛み、じっとディーラーの配るカードを見つめている。

 心なしかその顔色はあまりよくはない。

 

 そしてその彼女を窮地に陥れた、所謂『対戦相手』はというと。

 その人物は、全身を薄汚れた外套で包み、フードで顔の上半分を覆い隠した、まさに『謎の人物』であった。

 フードに覆われていない顔の下半分から覗かせた、やや厚ぼったい唇と、顎に生えた不精髭から、辛うじて『男』であるという事はわかる。


 つい先ほどのことだ。彼女がカッシーと別れ、一人ブラックジャックの対戦ブースに勇んでやってきたのは。

 彼女は度胸もあるし、何より動物的な勝負事に対する勘も持っている。

 毎度の事ながら言わせてもらうが、王女にしておくには勿体ないほどに、彼女のギャンブルセンスはかなりのものだった。

 並のプレイヤーでは彼女の相手になどなるわけがなく、結果はもちろんエリコの連勝に次ぐ連勝。

 まったく自分の才能が恐くなるわー!てかさー、もちっと骨のある奴いないワケー?――

 既に指輪を取り返してもお釣りが来るほどに持っていたチップは膨れ上がり、調子に乗った彼女は勝利の美酒に酔いしれていたのだった。


 そう。

 この『謎の男』が、ふらりと彼女の対面に座るまでは――



 何よこいつ……――と、汚い身なりのその男を訝し気に眺めるエリコを余所目に。

 彼は無言で懐から一枚のチップを出すと、静かにそれをテーブルの上に置き、トントンとテーブルを叩いてディーラーにカードを催促する。


 たった一枚だけ?こいつ舐めてんの?


 テーブルに置かれた一枚のチップをまじまじと見下ろした後、エリコは不愉快そうにその男を睨みつけた。

 だが彼はそんな彼女の視線など気にも留めず、不精髭を軽く一撫でしながら、ただただエリコの同意を待っていた。

 周りの観客からも溜息と失笑が漏れる中、エリコはやれやれと肩を竦める。


 まあいいか、さっさと終わらせてやるわ――

 今更一枚くらいどうってことないと、彼女はチップを一枚場に投げて、その勝負を受けて立ったのだ。

 

 だが、しかし――

 

 彼女がその判断を『誤りであった』と痛感するのに、それほど時間は要さなかった。

 初戦は『17』と『18』で、僅差ながら男の勝利。

 ちぇ、っと舌打ちして、渋々ながらエリコはカードをディーラーに戻す。


 次の勝負。

 男は勝ち得たチップを全額賭けた。

 そして、次の次の勝負も、そのまた次の勝負でも、彼は迷うことなくチップを全額賭けていったのだ。


 一回でも負ければ即終了な、まさに大博打的な賭け方にもかかわらず、だがチップは一枚から二枚に、そして二枚から四枚にと倍々に増えていく。


 ――八、十六、三十二、六十四、百二十八、二百五十六、五百十二。

 そして千二十四枚――

 

 その場にいた全員の予想を裏切り、今の今まで男の一方的な連勝が続いていたのだ。

 どうせすぐに終わるだろう。無謀な賭け方をするその男を、失笑を浮かべ眺めていた観客達は、やがてその笑みを引っ込め、しまいには驚愕の顔つきを浮かべる始末だった。


 なんなのよこいつ!?――

 エリコが男のその異様な強さに気付いた時はもう遅かった。

 男の前に出来上がった山積みのチップと反比例するように、いつの間にか彼女のチップは、当初の千枚にまで戻ってしまっていたのだ。

 もう一度言おう。

 彼女は度胸もあるし、何より動物的な勝負事に対する勘も持っている。

 毎度の事ながら言わせてもらうが、王女にしておくには勿体ないほどに、彼女のギャンブルセンスはかなりのものだった。


 だがそれは、あくまで一般人相手の場合の話だ。

 生粋の勝負師達を相手にするには、まだまだ彼女は力不足であったと言わざるを得ない。


 まずい、これ以上は負けられない――

 苦渋の表情を浮かべつつも、なんとしてでも勝ってやると息巻く彼女に向かって、男は無表情ポーカーフェイスで再びトントン、とテーブルを叩いてみせる。


 勿論続けるだろう?――

 彼は暗にそう言っているのだ。

 

 その挑発に、ピキピキと額に青筋を浮かべ、エリコは口の端を引き攣らせた。

 敵に背中を見せるは紅き鷹の王に非ず――好戦的で気性の激しい者を世に生み出してきたトランペット王家の御多分に漏れず、彼女もその一人だ。

 言われるまでもなく、今更降りるつもりなどまったくない。


「いいわ、残り全部賭ける。これで最後にしましょう、アンタもそれでいいでしょ?」

 

 上等よ。勝利か、玉砕か二つに一つ!――

 お騒がせ王女は、手元にあったチップ千枚を全て場に出し、どうだとばかりに男に向かって強気な笑みを浮かべる。

 男は初めて口元をニヤリと歪めると、彼女の提案に小さく頷いてみせた。

 

 二人の同意を確認したディーラーがカードを配り始める。

 どよめく観客が固唾を行方を見守る中、十一回目の勝負ファイナルラウンドは開始されたのだ。


 刹那。配られたカードじっと見下ろし、エリコはニヤリとほくそ笑んだ。

 滑るようにして、彼女の前に配られたカードはハートとダイヤのクイーン二枚――つまり『20』。

 一方、男の場にオープンされた二枚のうちの一枚は『6』だ。

 場に伏せられているもう一枚のカードが『10』か『絵札』だった場合『16』となる。

 『親』である男は『17』以上になるまでカードをヒットし続けなければならないため、バストになる確率が高い。


「ステイよ」


 勝利を確信したかのように声高々とそう宣言し、エリコは腕を組みながら椅子にもたれ掛かった。

 

 と――


「エリコ王女!」


 そこにようやく騒ぎを聞きつけたカッシーとこーへいが、人混みを掻き分けてやってくる。

 エリコは名前を呼ばれ、ちらりと二人を見たが、しかしすぐに正面の謎の男を向き直った。


「なんだったんだよ、さっきの悲鳴は?」

「ごめん、ちょっと負けこんじゃってさ。取り乱しちゃったわ」

「ま、負けこんだ?」

「んー、負けたってあいつにか?」


 少年達の問いに、エリコは小さく頷いて答えた。

 ほー、と謎の男を興味深げに見据えながら、こーへいは煙草に火をつける。

 どうやらこいつが、支配人おっちゃんが言ってた人物のようだ――

 誰が言うともなくクマ少年は直感的にそう感じ取り、猫口の端に楽しそうに笑みを浮かべていた。

 と、謎の男はやって来た少年二人に気づくと僅かに顔をあげ何か言おうとしたが、すぐに口を閉じ、静かにテーブルに視線を落とす。


「でも安心して。今回は勝ってみせるから」

「本当に大丈夫なんだろうな?」

「なによその顔。まあ見てなさい……さ、アンタの番よ?」


 心配そうに尋ねたカッシーに自信満々で言い放ち、エリコはカードを捲れと、謎の男を促した。

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