その14 ほっとくわけにはいかないわ

その日の夜。

パーカス南地区カナコ邸 カッシーの客室―


「全くあなたは突然いなくなったと思ったら……」


 と、もはや毎度のこととなってしまっていた、苦労人特有の溜息をつきながら――

 日笠さんは、床に胡坐をかき、しかし全く反省の色を見せずに鼻をほじるバカ少年を、呆れた表情で見下ろしていた。


 つい数時間前のことだ。

 夕食の支度ができたとメイドに呼ばれ、カッシーが案内されるままにやってきた食堂で目にしたのは、ゆうに何十人は座れそうな立派な長テーブルにカナコ達と共に着席し、一足先にとパンをつまみ食いしているかのーの姿であった。

 すっかりカナコ邸の一員の如く馴染んで、当たり前のようにそこにいたバカ少年の姿を目の当たりにし、まったくこいつは何をしているのだ――と、カッシーが脱力してしまったのはいうまでもない。

 まあ彼だけでなく、時間差で食堂にやってきていた日笠さんになっちゃん、手伝いを終えて厨房からやってきていたこーへいに東山さんに、ついでにエリコやチョクも――

 誰一人例外なく呆れた表情で少年との再会を迎えていたことを補足しておく。

 当のかのーはというと、彼に気が付くや、対して悪びれる様子もなく、むしろ大威張りで出迎えていたが。

 

 なにはともあれ。

 なんだあんた達の知り合いだったのかい?そりゃよかったじゃないか――

 と、事情を聞いたカナコが、今更一人や二人客が増えたってどうって事ないと、大して気にせず豪放な笑い声をあげる中。

 メイド達と遅れて会社から駆け付けたシズカも着席し、全員揃った所で大所帯の夕食がはじまる。


「母さん。私ね、この前言ってたあの公園、遂に奪い返してやったわ!」

「ハッハッハ、よくやったじゃないかアリ。それでこそタケウチの娘だよ」

「ムフ、オレサマのおかげデショー?親分を敬えヨ、スー」

「うるさい、アンタなんかいなくても、一人で何とかできたわよバカノー!」

「でもアリちゃん、おっきくなったわねー。段々カナコに似てきたわ」

「ほんとですかエリコ小母様?」

「うん、眉とか口元とか、あの頃のカナコそっくり」

「えへへ~そうかな」

「チョクさんごめん、そこの塩とってくれないか?」

「あ、はい。これッスね」」

「ミヤノさん、それはコショウです。塩はこちらですよ」

「あっと、すいませんっス、シズカさん」

「おーい、このシチューやばくね?」

「うん、美味しい。凄い濃厚だけど後を引くっていうか……」

「カナコさん、あとで作り方、ちゃんと教えてもらえないでしょうか?」

「こんなんでよければいくらでも教えてやるよ、あとでレシピに起こしておくさね」

「ありがとうございます!」

「それより、おかわりいる奴は遠慮しないでいっとくれよ」

「ムフン、オレサマオカワリー」

「んじゃ、俺ももらおっかな?」

「カナコ、私もちょうだい!」

「姫……」

「アッハッハ、遠慮は不要さ。どんどん食べとくれ」


 タケウチ家家訓。『食事は皆で楽しく賑やかに囲んで食べろ』。

 今は亡きカナコの祖母がいつも彼女に言っていた言葉だった。

 カナコにアリにシズカにメイド達。それに加えてカッシー達にエリコにチョクとその数二十名近く。

 

 悪くないなこういうのも――

 がやがやと会話の絶えない食卓の風景を眺め、日笠さんは思わずクスリと微笑む。

 大所帯での夕食は、それはもう賑やかに、そして和やかに団欒の時は経過していった。


 やがて、朝から何も食べていなかった少年少女とエリコが、寸胴一杯だったシチューを見事に完食し、彼等が大満足で声高々に感謝の呪文ごちそうさまを唱えあげると、団欒の一時は終わりを迎える。


 というわけで。

 お腹いっぱいになった彼等は、とりあえず今後の事を相談しよう――と、自主的にカッシーの部屋に集まったのだが、彼等がまず行ったのが冒頭の通りの『バカ少年へのお説教』だったのだ。

 

 そして現在に至るのであるが――


「ドゥッフ、いなくなったのはオメーラのほうデショー! まったくもー、全員そろってマイゴになりやがっテ!」

「ボケッ! 迷子になったのはお前だっ!」


 と、ケタケタと何も考えていない笑い声をあげ、ドヤ顔で肩を竦めたかのーにツッコんだのは、やはりというかブチンと切れた我儘少年であった。

 間髪入れずに繰り出されたカッシーの石頭がかのーの額に命中すると、それがゴングとなり、この世界に来て何度となく繰り返されてきた、もはや様式美といってもいい喧嘩が開始される。


「ドゥッフ!? 何するディスカこのバカッシー! ちょっとはハンセイしろディスヨ!」

「そ れ は こ っ ち の 台 詞 だ っ つ の !」

「はあ、しかもこんな小さな子に助けてもらうなんて……」


 カッシーの連続頭突きを食らい地に伏せるかのーを見て、日笠さんは心底情けないといった顔で再び溜息をついた。

 そして近くの椅子にちょこんと腰掛け、可笑しそうに我儘小僧とバカ少年達のやり取りを眺めていたアリを向き直る。

 

「ごめんねアリちゃん。うちのバカが迷惑かけて」

「いいのよ、私も『一応』カノーには助けてもらったんだから」


 日笠さんの視線に気づき、アリはにこりと微笑んでお気になさらず、と首を振ってみせた。

 ちなみに食事が終わってすぐに、少女はかのーに付き添う様にしてカッシーの部屋にやってきていた。

 なんだかんだ言ってこのバカ少年が気に入っているのだろう。

 幼いのにほんと、しっかりしてる子だなあ――と日笠さんは感心しながら、少女の可愛い微笑みに思わず顔を綻ばせる。

 

 つい先刻初めて彼女と出会った時は、失礼とは思いながらも日笠さんは流石に面喰ってしまっていた。

 私の娘だよ――と、自慢げに碧い目をした赤毛の少女を紹介するカナコに、こんにちは、はじめまして!――と、礼儀正しく元気よく挨拶をするハーフの顔だちをした少女。

 既婚者であるとは聞いていたし、よく見れば確かにカナコの面影があるし親子だとはすぐわかった。

 すぐわかったのだが……まさか国際結婚とは思わなかった。

 アリをしげしげと見つめつつ、日笠さんは思わず目をぱちくりさせていたのである。

 だが話をしてみれば、その実、しっかりした受け答えもできるし、かといって変に大人ぶっているわけでもない至って素直な女の子。見かけで判断してしまったことを反省しつつ、日笠さんは今やすっかり彼女のファンとなっていた。


 余談だが、姿が見えない父親について。

 カナコの話によると、アリの父である人物はスタインウェイという国の、さらに西に位置する小さな島の出身らしい。

 偶々パーカスに積み荷の搬送のためにやってきた際にカナコと出会い、そして結婚に至ったとのこと。

 職業は船乗りで、世界を股にかけて航海しているらしく、アリが生まれてからは一度もパーカスに帰って来ていないのだという。

 

 寂しくない?――

 その話を聞いた日笠さんは、思わずそうアリに尋ねてしまっていた。

 しかし少女は迷う様子もなく、すぐに首を振って寂しそうに微笑むと、母さんもオシズさんもメイドの皆もいるから平気よ――と、答えていた。

 なんて健気な子だろう――

 日笠さんは、キュンとなってアリの頭をなでなでしてしまっていたことを補足しておく。

   

「ところでエリコ小母様から聞いたのだけど、マユミお姉さん達は、お友達を捜して旅してるんでしょ?」

「えっと……そうなの、ちょっとみんなと逸れちゃって」


 子供らしい好奇心から尋ねてきたアリを見下ろし、さてどこまで話してよいものかと迷いつつ、日笠さんは言葉を選びながらその問いに答える。

 と、アリは彼女のその返答を受け、一人合点がいったように深く頷いた。

 そしてニコリと年相応のあどけない笑顔を浮かべ、さらにこう問いを投げかけたのだ。


「じゃあ、今日パン屋で会ったあのお姉さんもお友達の一人なのね。良かったね、見つかって」


 ――と。


「……え?」


 日笠さんは、口を真一文字に結びつつ、目を皿のように丸くして思わず絶句してしまった。

 彼女だけではない。

 馬乗りになってバカ少年の首を締めていたカッシー然り。

 早くバカの喧嘩が終わらないかしら――と、本を読んでいたなっちゃん然り。

 そして火の付いていない煙草をプラプラとさせながらソファーに腰かけ頬杖を付いていたクマ少年も、微笑ましく日笠さんと少女のやり取りを眺めていた東山さんも――

 

 全員が一様に言葉を失い、アリを向き直って固まっていたのだ。

 それってなんのこと?――と。


 アリは皆に注目され、吃驚したように碧い瞳を白黒させる。

 

「え? な、なに? もしかしてお友達じゃないの?」

「い、いや……」

「ア、アリちゃん、パン屋で会ったお姉さんって?」


 と、ブンブンと首を振って、しかしなおのこと驚きを拭え切れていないカッシーの代わりに、日笠さんは恐る恐るといった感じでアリに尋ねた。

 聡明な少女は、彼女のその反応で大よその経緯を理解したようだ。

 アリは呆れたように眉根を寄せると、カッシーの下でボロ雑巾と化して突っ伏しているバカ少年をちらりと見つつ話を続ける。 

 

「カノーに聞いてない? 今日夕飯の買い出しにパン屋に寄った時に、お姉さんとあったの。皆さんと同い年くらいの」

「い、いや、初耳なんだけど……」

「ちょっとカノー! 何にも話してないの? まったくもう……」

「ちょっと待ってアリちゃん。でもどうしてそのお姉さんが、私達の捜している『お友達』だと思ったの?」


 読んでいた本を膝の上に置き、なっちゃんは食い入るようにソファーから身を乗り出してアリに尋ねた。

 少女の話から同じ疑問を抱いていた東山さんやこーへいも、その通りと頷きながらアリの返答に注目する。


「だってそのお姉さん、カノーの事知ってたから。てことはお姉さん達の知り合いなんじゃないかなって、思ったのだけれど――」


 はたして、聡明な碧瞳の少女は言わずもがな――と、目をぱちくりさせるとこう答えた。

 そして、ちがうのカノー?――と、言いたげにアリはバカ少年へ向き直る。

 釣られるようにしてカッシー達もかのーへと一斉に視線を向けた。


「かのー、どういう事なの?」

「おい、どうなんだっつのバカ」

「ムフン、そーだった! 忘れてたディスヨー」


 と、マウントポジションを取っていたカッシーを、いとも簡単にエビ反りして跳ね除けると、かのーはケタケタと笑いながらむくりと起き上がる。

  

「んとねー、パン屋にハルカいたディスヨ」

「……は?」

「だからハルカディース。あのちっこいマメ娘だってバ」

「……マメ娘?」

「おーい、ハルカってもしかしてよ?――」

「ヴァイオリンパートの、竹達遥さんのこと?」

「ハルカって言ったら、それしかイナイデショー? オマエラバカナノー? アタマワルイノー?」


 もしやと思い、訝し気に眉間にシワを寄せつつ尋ねた東山さんに向かって、バカ少年はケタケタと笑いながら答えた。


 竹達遥。通称『ハルカ』――

 カッシー達の後輩で、音高交響楽団二年生の女の子である。1stヴァイオリン担当。

 性格は明るく、行動的で元気溌剌。身長はとても小柄で150あるかないかくらい。

 クリクリの瞳とカエルのヘアピンがチャームポイントな彼女は、小動物的コケッティシュな魅力を持つ少女であり、ヴァイオリンパートの癒し系であった。

 そんな彼女の特技は『お金のやりくり』。

 見た目のコケティッシュさとは裏腹に、『守銭奴』と言ってもいいくらい金銭の扱いに長けており、その特技を活かして一年の時から音オケの会計を担当していた。

 学校から各部へ分配される予算は、決して多いとはいえない金額であるにもかかわらず、それでも昨年、今年と無事に演奏会を開くことができていたのは、偏に彼女が倹約・節約で上手く部費をやりくりしてくれていた部分が大きい。

 まさに縁の下の力持ちな少女なのだ。

 ついでに言うと商売上手でもあり、文化祭では部の出し物であった『フリマ』で、見事に黒字を出して部の財政を潤わせていた。

 

 そのハルカが、どうもパン屋にいたってことらしいが……だがちょっと待て――

 途端にカッシー達は全員額に青筋を作り出し、怒りの形相でかのーを睨みつける。

 

「かのー……」

「何ディスカー?」

「間違いないんだよな? 本当に、ハルカちゃんだったのか?」

「ウソ言ってドウスルヨー! あれはマメ娘ダタヨー!」

「なんではやくいわねーんだこのボケッ!」


 と、カッシーは再びかのーに飛びかかると、超高速ヘッドバッドを連続してお見舞いし始めた。


「ウボァー! カッシーちょっと待ってプリーズ! ノーサイボーが潰れるディス!」

「つ ぶ れ て し ま え こ の バ カ ノ ー !」


 またもや始まった取っ組み合いであったが、しかし今回は皆かのーを責めるような視線で冷やかに見下ろしている。

 だがもしかのーのいう事が事実ならば、寝耳へ水の果報だ。

 日笠さんは嬉しそうに、思わず口元に笑みを浮かべる。

 

「やったじゃない! ハルカちゃんがこの街にいる!」

「嬉しい誤算ね、怪我の功名ってとこかしら」

「んー、でもよ? かのーの言うことだぜ?」

「でも向こうからかのーこのバカを呼んだんでしょう?」


 ならば、やはりその女の子は、自分達の良く知る『竹達遥』ではないだろうか――

 なっちゃんは半信半疑で呟いたこーへいに対し、信憑性は高いのではないか?と首を傾げる。

 喧嘩を続ける二人を放置して、彼等はアリを向き直った。


「ねえアリちゃん、そのパン屋にいた子って、どんな子だったか覚えてる?」

「覚えてるけど、止めなくていいの? あの二人……」

「構わないから」

「放置の方向で^^」


 ドッタンバッタン派手に取っ組み合う二人をちらりとみつつアリは尋ねたが、東山さんとなっちゃんが即答したため、少女は口元に指を当てて、夕刻見た女の子の特徴を思い出せるだけ挙げていった。


「うんとね……目はくりくりってしてて、可愛い感じの女の子だったわ。髪はソバージュがちょっとかかってて、明るい茶色だった。身長はねえ……エミさんより小さいかな?」

「……これはやっぱり――」

「ええ。竹達さんだわ」


 やはり間違いなさそうだ――

 アリの証言は、自分達の知っている後輩の容姿と一致している。


「ドゥッフ! オレサマさっきからイッテルのに、なんでロクサイジのいう事はソッコー信じるディスカ!?」

「そりゃあ、日ごろの行いがなー?」

「あの人、やっぱりマユミお姉さん達のお友達なのね?」

「うん、話を聞く限りじゃ、多分そうじゃないかなって」

「だとしたら、急いだ方がいいかもしれない」

「……どういうこと?」


 やにわに表情を剣呑なものとし、アリはパン屋での顛末を日笠さん達へと話し出した。

 

「――奴隷商人が、ハルカちゃんを狙ってる?」

「うん、今はノトおばさんが匿ってくれてるみたいだけれど、あいつ明日も来るっていってたわ」


 確か明日は休業日でしたねノトさん。良い返事がもらえる事を期待しています――

 あのウエダという男は去り際にそう言っていた。もしそうであれば、明日もきっとハルカって人を奪い返そうとパン屋ギオットーネにやってくるはずだ。

 アリはコクンと頷きながら答えた。

 話を聞き終えた日笠さんは、何とも言えない懸念の表情を浮かべながら心配そうに息を呑む。

 もしアリの話が本当なら、あまりのんびりとしている時間はなさそうだ。

 彼女は心配そうに皆を向き直った。

 

「んー、奴隷商人ねぇ」

「そういえば浪川君も、パーカスで奴隷商人に捕まったって言ってたわ」

「恐らくハルカちゃんも捕まって、隙を見て逃げ出したところを発見された――そんな所じゃない?」


 詳細まではわからないが、アリから聞いた話を総合して考えれば中らずと雖も遠からず、といったところではないだろうか。

 しかし奴隷として人身売買まで行われているとは、流石はなんでも揃う商売の街……と、褒めてよいものか――

 なっちゃんはパタンと閉じた本をそっと顎に当てて渋い表情を浮かべる。

 

「てかかのー! おまえもその話聞いてたんだろ?」

「ブッフォー、聞いてたディスヨー」

「じゃあなんで一緒に連れてこなかったんだよこのアホっ!後輩を危険な場所に放置するなっつの!」

「だってショーガナイデショー! ハルカが嫌って言ったんディスよ!」

「はぁ? 嫌ってなんで――」


 と、予想外の返事が返って来たことに、カッシーは手にこめていた力を思わず緩めた。

 キラーンとバカ少年の糸目が光る。

 刹那。グググ――と、束縛を押し返し、我儘少年のマウントポジションからまるで軟体動物のように素早く抜け出すと、かのーは彼の背後に回ってコブラツイストをかけた。

 

「うおっ!?」

「ムフン、お・か・え・し・ダ!」

「ぐああああっ!」

「ナンダコノヤロー!」


 今度は我儘少年が悶絶する番だった。

 ミシミシと悲鳴を上げる骨と共に絶叫するカッシーと、その後ろで得意そうに顎をしゃくれさせるかのーを見て、アリは顔に縦線を描く。

 そんな二人には目もくれず、日笠さん達は真剣な表情で話を続けていたが。

 まったく『慣れ』って怖い。

  

「おーい、どういう事だ?かのーの言う事が本当なら、ハルカが自分から断ったってことだろ?」

「違うの、『今逃げたら、ノトおばさんに迷惑をかけるから』って――」

「ハルカちゃんが言ったの?」

「うん」


 母さんならきっとなんとかしてくれるはず、だから一緒に私の家へ逃げましょうお姉さん――

 夕刻、ケタケタ笑いながら一緒に来いと手招きしたかのーと時を同じくして、アリもハルカにそう提案していたのだ。

 しかしハルカは一瞬迷うように俯いたが、すぐに顔を上げ、その誘いに対しゆっくりと首を振っていたのである。


 今私が逃げたら、あのウエダという商人が、逆上してノトおばさんを警備隊へ突き出しかねません。だからここを逃げるわけにはいかないんです!――と


「ハルカちゃん……」

「おーい、健気な後輩じゃねー?」

「ほっとくわけにはいかないわ」


 これは絶対助けなければ――

 アリの話を聞いて、日笠さん達は各々神妙な顔つきでお互いを見合う。


「うぐぐ……アリちゃん、そのパン屋に……ぐおおお! あ、案内してくれないか?」

「それはもちろん。だけど、ユーイチお兄さん大丈夫?」

「だ、大丈夫だっつの! よ、よろしく頼む」


 メキメキとコブラツイストを食らいながらも、カッシーは努めて真顔を維持しつつ、アリに向かって何度もコクコクと頷いてみせた。

 と、かのーはぽいっとカッシーを投げ捨てて、満足げにドゥッフと鼻息を一つ吐く。


「……カッシー大丈夫?」

「くっそ、かのー覚えてやがれ!」

「ムフン、久々にオレサマのショーリなのディース!」

「はいはい、かのーもその辺にしておきなさい」


 やれやれ、まったくもって緊張感がないなあ――

 床に突っ伏すカッシーと、その背中にむんずと足を乗せてふんぞり返るかのーを見て、日笠さんは呆れたように肩を竦めつつようやく二人の仲裁に入った。


 と――


 やにわに部屋の入口に通じる扉が三回ノックされる。

 一行が誰だろうとそちらへ向き直ると、返事を待たずして扉は乱暴に開かれ、外からエリコが顔を覗かせたのだった。


「いたいた、捜しちゃったじゃない。みんなして何やってんのよアンタ達?」

「あっと……ちょっと今後のことをさ」

「エリコ王女こそどうしたんですか?」


 一体何の用だろう――

 ツカツカと中に入って来たエリコを見て、一同は早くも警戒の色を顔に浮かべ始める。


 はたして。

 

「ねえ、この後時間ある?ちょっと付き合ってくれない?」


 出た! 出たぞこの笑顔! この笑顔は絶対良からぬことが起きる時の顔だ――

 ヴァイオリンで初めて会った時に見せた、数々のトラブルの発端となった『笑顔げんいん』を浮かべるお騒がせ王女を見て、カッシー達は思わず身構える。

 

「付き合うって……どこへ?」

「フフフ。ついてくればわかるって♪」



 と、彼女はパチリとウインクをすると、人差し指でちょいちょい、とカッシー達を招いたのであった。

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