第四章 奇跡~再会~

その13 気に入らないわね

パーカス東地区

パン屋ギオットーネ―



 店内は、陳列された食指をくすぐる様々なパンの他に、珍しく人によって溢れていた。

 とはいえ、決して広いとはいえないこの店は、十人も入店すれば既に満員に近い許容量スペースしかないといえばなかったのだが。

 そして、そのたった十人に満たない来訪者も、どうやらお客ではないということは、店内に漂う険悪な空気からして十二分に感じ取ることができる。

 

「帰ってください、うちにそんな娘はいません!」


 と、レジを挟んで対峙する五人の男達に向かって、店主らしき熟年の女性はもう一度声を荒げ断言した。

 肩までの茶色い髪をおさげにし、白いエプロンに包まれたスレンダーな胴体は、爪先から頭のてっぺんまでピシっと一直線に伸びており身長よりも高く見えた。

 何十年と笑ってきたからこそできる小さなシワを口の周りに携えた、優しそうなその女性は今、普段あまり表現したことがない『怒り』の感情を不器用に表情に浮かべて、必死に男達を睨みつけている。


 そして彼女が睨みつけている、男達の中心にいたその人物はというと。

 このパーカスでは西地区の商人が好んで羽織る、青と白の縦じまの長衣を身に纏った、恰幅の良い男であった。

 年齢はおそらく二十代前半だろうか。女性と比較してもかなり若く見える。

 やや切れ長の細い眼とニキビの跡が残る頬、そして厚めの唇をしており、決して秀麗とはいえない容姿ではあったが、その瞳には商魂逞しい闘志がギラギラと輝いていた。

 彼は精一杯の虚勢を張り、震える脚を必死に隠して、なお抵抗する彼女の健気さに感心するように沈黙を続けていたが、やがてゆっくりと口を開く。


「嘘はいけないノトさん。あの娘がこの店に逃げ込んだという情報は既に掴んでいるのです。彼女は大変価値のある『商品』でしてね……申し訳ありませんがお返しいただきたい」


 慇懃無礼。そんな言葉がぴったりくるような、丁寧ではあるが相手を見下すような、ねっとりとした口調で男は言った。

 しかし女性はますます持って形の良い眉を吊り上げ、白い肌を紅潮させる。


「ですから何度も言っているじゃないですか。そんな娘はこの店にはいません!これ以上こんなことを続けるのであれば、営業妨害として警備隊を呼びますよ?」

「私も事を荒立てるのは好きではないのですが、警備隊を呼ぶというのであればどうぞお好きになさってください。しかし……警備隊を呼んで困るのはそちらでは?」


 男は女性の顔を覗き込むようにして近づけると、やってみろと言わんばかりに厚い唇をにやりと歪ませた。

 一瞬であるが女性は表情を強張らせ、そして怯むようにして視線を逸らす。

 彼はその挙動を見逃さなかった。男の切れ長の目の中に揺らめくギラついた商魂が勢いを増す。

 

「貴女も商人であるならば、わかっているでしょう? 売り物を『盗む』という事が、いかに商売を冒涜する行為であるかということを?」

「……盗む、ですって?」

「そうですよ、盗みは泥棒のする事です。この商人の街では最も許されぬ行為であり、そして最低の罪です」


 そこまで言ってから、男はレジの上に半身を乗り出すようにして両肘をつき顎を乗せた。

 そして彼は女性に向かって選択を突き付ける。

 

「あの『商品』を匿うということは、『盗む』ということと同類です……よろしいのですか?これ以上は大事になりますが?」


 素直に要求に従い『商品』を返して穏便に事を済ますか。

 それとも『窃盗事件』として警備隊が介入するような大事にするか。

 さあ選んでください――男は暗にそう言っているのだ。

 

 だが女性は男の提示したその選択に対し、ぎゅっと細い手を握りしめた。

 そして抑えきれなくなった怒りによって、声を震わせながらも紡ぐようにしてこう言ったのだ。

 

「あの娘は『商品』なんかじゃない……あの娘は私と同じ人間よ」


 ――と。


「……やっぱり匿ってらっしゃいましたね?」


 途端、男の顔から表情が抜け落ちた。

 あるのは瞳の奥に燃え滾る『野心』という黒い炎のみだ。

 彼はその瞳を女性へと向け、感情のない冷たい口調で彼女を問い詰めた。

 その視線に刺されたように身を硬直させながら、しかし女性はぐっと唇を噛み締めて男の威圧に耐える。


「七年前の暴動を忘れたの?奴隷を売って儲けるなんて最低の商いよ。商人の風上にもおけないわ」

「申し訳ないが、私は貴女と論議を交わすつもりはありません。貴女がなんといおうと、この大陸で奴隷の売買は『商売』として認められているのですよ」

「……あの娘は自分の意志でここに来た。そして自分の意志で助けを求めてきた。私は匿っただけ、『盗み』なんて働いていない……」

「貴女がなんといおうと、あの娘は私の所有する『商品』なのです。そして、それを知ってなおあの娘を匿うという事は、この大陸では『犯罪』であるという事を、どうかお忘れなきよう」


 法に基づき、感情の一切を取り除いた至極正論だった。

 悔しいが自分の意見は感情的過ぎた。これでは子供の我儘と一緒だ――

 男の放った、怒りと悔しさを抑えることができない程のその『正論』を受け、だが女性は返す言葉もなく俯いてしまう。



 だが――

 


「気に入らないわね」


 幼いが、はきはきとした親譲りの豪放な声色が店内に響き渡り、女性ははっとしながら顔を上げて、その声の主を向き直った。

 女性が向き直った視界の先で、その声の主である少女は、ツンツン髪の少年の上から不機嫌そうに男を睨みつけ、蒼い瞳に隠すことなく怒りを灯していた。

 これはこれは、意外なお客様だ――

 女性と同じく声の主を振り返った男は、少女を一目見るや、彼女がどこの誰であるかを一瞬で判断すると、思わず苦笑を浮かべる。


「母さんは言っていたわ。商談のために訪問するときは、相手が接客中の時は避けるのが商人の常識って」

「アリちゃん……」

「それに女性一人を大の男が五人で囲むなんて、ますます持って気に入……って、ちょっとちょっとカノーどこいくの?止まりなさい!」


 堂々と胸を張り、怯むことなく男を指差しながら淀みなく捲し立てていたアリは、突然自分の身体がクルリと回れ右したことに気づき、慌てて逃げ出そうとしていたかのーの髪の毛を引っ張った。

 バカ少年はそんな少女を顔に縦線を描きつつ見上げると、冗談じゃないと言いたげに首を振ってみせる。


「ドゥッフ、髪引っ張んなスー! オレは関係ないデショー?! やるなら一人でやるディスヨ!」

「もう! この意気地なし! いいわよ、じゃあおろしてよ!」

「ムフ、あとよろしくディース」


 いうが早いがひょいっとアリを肩から降ろし、かのーはケタケタと笑いながら、我関せずを決め込むように店の端へと避難していってしまった。

 まったくもって頼りにならない奴だ――

 やれやれと溜息をつき、アリは踵を返すと再び見上げるようにして男を睨みつける。

 

「とにかく、お開きにしてもらえないかしら? 私はパンを買いに来たんだけど? お客様なの! わかる?」

「くっ、言わせておけばこの生意気なクソガキが……」


 と、男の背後に立っていた、見るからにガラの悪い連中の一人が、ギロリとアリを睨みつけて声を荒げた。

 しかし、すぐさまそれを制するように差し出された男の手を見て、彼は動きを止める。


「よせ、組合長の娘さんだぞ?」

「……このガキがですか?」

「失礼だぞ、いいから控えていろ」

「へえ、失礼しましたウエダ様……」


 目を白黒させてアリをマジマジと眺めながらそう尋ねた男に対し、ウエダ――と呼ばれた商人風の男は、部下らしき男にそう言い含めた後、アリを向き直った。

 そして、ゆっくりと少女に歩み寄ると非礼を詫びる様にして頭を垂れる。

 

「知らなかったとはいえ、私の部下が失礼を致しましたアリお嬢様」

「あなた、私のこと知っているの?」

「それはもう、貴女のお母様は我々の元締めですからね」


 慇懃な態度でにこりと笑い、男は小さく頷いてみせた。

 だが女性とのやり取りの顛末を眺めていたアリは、気を許さずに蒼い瞳を男に向けて、その一挙手一投足を窺っていた。

 まったくもって気を許されていないことを感じ取り、男は厚い唇の端に苦笑を浮かべると、懐から名刺を取り出してアリへと差し出す。


「自己紹介が遅れました。私はコージ=ウエダといいます」

「名刺はもらえないわ。母さんと違って私は商人じゃないもの」

「……では、名前だけでも覚えていただければ」


 流石は組合長の娘といったところか。幼くても聡明な子のようだ――

 小さな右掌を見せる様に突き出して、名刺の受け取りを拒否したアリを眺めながら、ウエダは名刺を渡すことを断念して懐へとしまった。

 

「お母様によろしくお伝えください。いつもお世話になっておりますと」

「……あなた奴隷商人でしょう?」

「そうですが?」

「恥ずかしくないの? 同じ人間を物として売り買いするなんて」


 六歳の少女としてのありのままの表情を顔に浮かべ、アリは純粋な正義感を包み隠さずウエダへとぶつけた。

 その眩しいばかりの激しい怒りと純朴な疑問の言葉に、ウエダは肩を竦めて応えてみせる。


「恥ずかしいとは思いませんね。私は自分の商売に商人として誇りを持って取り組んでいます。何ら恥じいることはない」

「……最低」

「日に二度も同じ言葉を言われるとは思っていませんでした。まあいいでしょう、今日はこの小さなお客様に免じて出直すことにしますよ」


 と、女性を振り返りウエダはニコリと笑みを浮かべた。

 その顔には、先刻垣間見せた蛇のように冷徹な表情など一片たりとも残っておらず、それが逆に女性の恐怖心を増長させ、彼女は口元を強張らせる。


「確か明日は休業日でしたねノトさん。良い返事がもらえる事を期待しています」


 そう言ってウエダが歩き出すと、彼に付き従っていたガラの悪い連中もその後に続き、彼等は扉についていたベルの涼やかな音色を奏でながら外へと消えていった。


「ムフン、オレサマに恐れをなしたディスネ!」

「どこがよ、アンタ速攻逃げてたじゃない!」

「あんなオオニンズー相手にするのはバカのすることディース! クンシ危うきにチカヨラズー」


 と、ウエダの姿が消えた途端、急に強気な態度を見せたかのーを見て、アリは呆れたように溜息をつく。

 だがそんな少女の見下すような視線もなんのその、バカ少年は頭の後ろで手を組んでケタケタと笑い声をあげていた。

 

「はあ、もういいわ……でもなによあいつ。礼儀正しいけどなんかむかつく奴ね」


 慇懃無礼な恰幅のいい若き商人の姿を思い描き、むしゃくしゃが収まらないアリはドアに向ってべっと舌を出す。


「でもアイツの言ってたコト、間違ってなかったんジャネーノ?」

「……そうかもしれないけど、むかつくものはむかつくの!」


 と――

 

「アリちゃん、ごめんなさいね。恥ずかしいところをお見せしちゃったわ」


 レジの向こうから優しく穏やかな女性の声が聞こえて来て、アリはクルリと向き直った。

 そしてフルフルと向かって首を振ると、彼女に向かってにっこりと微笑んでみせる。


「気にしないでノトおばさん。どう見たってあいつが悪いもの、商売中に人の店にどかどか押し掛けるなんて失礼極まりない連中よ」

「本当に助かったわ、あなたが来てくれなかったらどうなっていたか……」


 と、女性――パン屋『ギオットーネ』の女主人であるサエコ=ノトは、深い溜息をつきながら思わずその場にへたり込んでしまった。

 どうやら今頃になって震えが一気に押し寄せてきたようだ。

 

「おばさん、大丈夫?」

「平気よ、少し休めば大丈夫だから。ところでそちらの方はアリちゃんのお知り合い?」


 彼女は蒼い顔のまま、身体を支えるようにしてショーケースに寄り掛かって身を起こすと、かのーを見ながら尋ねた。


「ムフ、スーのボスディスヨ。オレサマの部下が助けてやったんだから、チョココロネくれ! あとヤキソバパンも!」

「誰がボスよ。もう、調子に乗るんじゃない!」


 と、当然の如くパンを要求しだしたかのーをアリはギロリと睨みつける。

 ノトは、そんな二人のやり取りを見て可笑しそうにクスリと笑っていた。


「でもおばさん、あんな大きな声だして一体どうしたの?」


 閑話休題。

 この穏やかで優しそうなおばさんが、あんな声を荒げるなんてよっぽどの事だろう。

 聡明な六歳児は、先刻のやり取りがどうにもただごとでない事を薄々感じ取っていた。

 はたして、少女の問いかけを受けたノトは、途端に表情を曇らせると困ったように俯いてしまった。

 

 と――


「ノトさん、大丈夫でしたか?」


 こんな小さな子に事情を話してよいものかと、葛藤する彼女の背後――丁度店の奥に続く工房からこれまた女性の声が聞こえて来て、アリは誰だろうとその声のした方向へ目を向ける。

 奇しくもその声に大きく反応したのは少女だけではなかった。


「ムフン?……この声、聞いた事あるディスヨ?」

「え?」


 聞いたことある?――

 ぴくりとゲジゲジ眉毛を動かして、声の聞こえた店の奥をしげしげと眺めながら呟いたバカ少年を向き直り、アリは小首を傾げた。


「ええ、もう出て来ても大丈夫よ」


 そんな二人を余所目に、ノトはその声の主に向かって優しい口調で返事をする。

 ややもって――

 工房からトタトタと足音が聞こえてきたかと思うと、恐る恐る店内へと姿を現したのは、コケティッシュな魅力を持った小柄な少女であった。

 

 肩までのソバージュ髪を留めているカエルのワッペンが付いたヘアピンが印象的なその少女は、なお警戒するようにクリクリの目で店内を一瞥し――

 そしてレジの前に佇むツンツン髪を視界の捉えると、金縛りにあったかのように動きを止める。

 

 吃驚仰天。

 驚天動地。

 青天の霹靂。

 

 何であなたがここにいるんですか――と、

 

「え? え? ええ!?……もしかして……」

「……ドゥッフ?!」


 それはかのーも一緒であった。

 バカ少年は思わず鼻水が吹き出しそうなくらい大きな鼻息をつくと、少女同様に糸目を見開き動きを止めた。

 

 数秒の間の後――



「かっ、かっ、加納先輩ですか?!」

「ブフォフォー! ハルカじゃないディスカ!?」


 二人はほぼ同時にお互いの名前を絶叫し、アリとノトは訳が分からず立ち尽くしていたのであった。

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