第三章 前略、お元気ですか。こちらは相変わらずの毎日です。

その7 商人の街

同時刻

チェロ村、ペペ爺の家―


 雄大なコーダ山脈の麓から陽が昇り、暁がチェロ村の広場を朱に染めていく。

 その中央に聳える物見櫓のシルエットを眺めつつ、窓辺に佇んでいたササキは手にしていた紅茶の入ったティーカップを口へ運んだ。

 だが奥に続く扉が開いて、この家の主である老人が部屋に入ってきたのに気が付くと、彼はそちらを向き直りぺこりと頭を下げる。


「おはようございますペペ爺さん」

「おはようササキ殿。また徹夜かの?」


 ぺぺ爺は相変わらずのゆっくりした口調でそう挨拶し返し、真っ白な筆のように長い眉に覆われたつぶらな瞳を青年へと向けて尋ねた。

 だがササキは返事の代わりに不敵な笑みを口元に浮かべたのみだ。

 もっとも、目の下にうっすらとできたクマと、顎の周りに生えた無精ひげが、如実に一晩中起きていた事を物語っていたが。


「で、今度は何をしておったんじゃ?」


 毎度のことでもう慣れた、といわんばかりにペペ爺は、テーブルの上に無造作に置かれた楽譜の束と金属の球体――ZIMA=Ωに目を落とし小さく唸る。

 カッシー達がチェロ村を発って以来、この青年は二日に一度仮眠をとるくらいで、あとはずっとこの部屋に籠りっきりで常に何かしらの作業に没頭していたのだ。

 それ故、書物にメモに工具に用途不明の金属部品――と、日を追うごとに増えてゆく様々な資材によって、この部屋が片付くことは一日たりとて無い状態だった。

 まあ、この気長で優しい老人はそんなことくらいで目くじらを立てることはない。

 むしろそんなササキの才能に感心し、長生きはするものだ――と、彼が披露してくれる異世界の技術を面白そうに眺めていた。


「日笠君に新しい魔曲を送信していました」

「ほぉ……魔曲とは?」

「我々の楽器が生み出す力のことです。便宜上私が名付けました。いつまでも名前がないのは呼びづらいのでね」


 先刻まで通信していた気苦労の絶えない少女日笠さんにしたものと同じ説明をして、ササキはにやりとほくそ笑んだ。

 彼等異世界からやって来た少年少女が奏でる楽器は、魔法のような奇跡の力を生み出す。ペペ爺もその不思議な力は身をもって体験済みだ。

 ササキはその曲がもたらす効果を『演奏による魔法』と定義し、『魔曲』と名付けた。もちろん造語である。


「昼間……いや、もう昨日の昼ですかな。浪川君に協力してもらって作成したのです。無事簡易曲発動装置ペンダント用に変換もできたので、テストがてら日笠君に送信してみました」

「なるほどのぅ『魔曲』とな。しかし送信とは……どうやってあの子らに?」

「それはこれで――」


 新たな老人の問いかけに、ササキは手に持っていたティーカップをテーブルの端に置くと、懐から携帯を取り出して見せる。

 早速できた魔曲第二弾。

 その魔曲の出来栄えに会心の手ごたえを感じたササキは、珍しく高揚していたのだ。

 よしよし、実に攻撃魔法っぽい魔曲ではないか。早速日笠君に送ってやろう――と。


 それで彼は相手の都合も考えず、こんな早朝に問答無用で日笠さんへコンタクトを取っていたのであった。

 まあ結果としてそのはた迷惑な行為が、少年少女の危機を救うことなってはいたのだが。


「それにしてもアンタは凄い事考えつくのう」

「クックック、恐縮ですコノヤロー」

「だが儂は未だ信じられんよ。そんな小さな板切れで、遠く離れたあの子達と連絡が取れるなんてのぅ」


 ペペ爺はしげしげとササキの携帯を見つめながら、正直な感想を口にする。

 つい先日、携帯電話の説明を受けようやくその用途を理解したものの、はたしてそんなことができるんかい?と半信半疑だったのだ。


「私だって『魔法』がこの世界に存在していることが、未だに信じられませんがね」

「フォッフォ、お互い様ということかの……ところであの子達は元気じゃったか?」


 すぐ戻るといいつつ、急遽ホルン村へ旅立つことになった彼等のことを、ササキから聞いたのは数日前のことだ。

 騒がしくはあったが、いなくなるとちょっと寂しい、まるで孫のような存在である少年少女達のことを思い浮かべ、ペペ爺は心配そうに尋ねた。


「どうやらまた、トラブルに巻き込まれていたようです」

「ほう、トラブルとな……」

「まあ、悪運だけは強い連中ですからな、魔曲も送ったし、なんとかなるでしょう」


 首を傾げたペペ爺に対して、ササキは椅子に掛けておいたブレザーを羽織りながら、けろりと答える。

 もはや驚く程のことでもない。あの濃い性格の面々が集えば人災も天災も想定内ではある。

 と、ごくごく自然に納得してしまったことに少し情けなさを覚えながら、ササキは携帯に目を落とした。

 画面には無事送信を完了した旨を知らせる通知テロップが表示されている。


 しかしまあ、巨大トカゲだかカメレオンだか知らないが、そもそもなんだってそんなものに追われているのだろうか。

 一体どこにいるのだ彼らは――


 

「ふーむ、無事だといいが……心配じゃのう」


 言葉とは裏腹にやる気ないため息を再びついて、ぺぺ爺は暁に染まる窓の外を静かに眺めたのだった。



♪♪♪♪



 同時刻。

 場所不明―


「ヘックシッ!」

「んー、風邪かカッシー?」


 早朝特有の肌寒い風が、我儘少年の情けないクシャミを攫ってゆく。

 傍らで咥え煙草を美味しそうに呑んでいたこーへいは、のんびりした口調で労わりの言葉を投げかけた。


「誰か噂でもしてんのかもな……」


 こんな時間に噂なんて、どうせササキさんの皮肉辺りだろうが――

 蒼い外套を首元まで覆うようにして羽織り直し、カッシーは憮然とした表情で呟くようにそう言って、口をへの字に曲げる。

 彼とこーへいが今一望しているその場所は広大な平野だった。

 既に夜は明けていた。

 暁の光が、やや黄色がかった丈の低い草木が生い茂る大地を黄金色に照らしている。

 森に迷い込む前に通過していた、草木が青々と茂っていた大草原地帯とは異なり、『ステップ地帯』という表現がぴったりな景色だった。


 つい五分ほど前の話だ。

 森を抜けてしばしの間移動した後、チョクは馬車を停止させていた。

 全力疾走で走り続けた馬がばてる寸前だったからである。やむを得ず、馬が回復するまでしばしの間休憩となったので、特にやることもなかったカッシーは、同じく一服しについてきたこーへいと共に、こうして外の風に当たりにきていたのだ。

 まあ、自主的に外に出て来ていたのは他にも理由があるのだが。

 吐いた息が白くなって風に攫われていく中、少年は恐る恐るといったように『その理由』の様子を窺おうと馬車を振り返る。


 視界に見えた馬車は、後ろの壁も屋根もオーボエドラゴンの襲撃により破壊され、もはや派手なと形容できるほどその容姿を変貌させてしまっていた。

 その馬車の中で、迷いの森での逃走劇の功労賞ともいえる少女が、隅っこで体育座りをしているのが見えた。

 

「ゴメンナサイゴメンナサイ……ドラゴンコワイ。イゴキヲツケマス。モウカッコツケマセン、ダカラユルシテクダサイ。カメレオンチョウコワイ――」


 と、まあ、あの巨大なカメレオンオーボエドラゴンに追いかけられた恐怖がトラウマとなってしまったのか、少女――日笠さんは、元々白い肌を病的なまでに真っ白にしつつ、ずっとこの調子で遠い目をしながらブツブツ呟いていたのである。

 これが少年がいたたまれなくなって外に出て来ていた原因であった。

 

「あーもう、わかったから! 許す、許すって! だから、そのお経みたいな呟きやめてって、まゆみ……」


 いい加減こっちまで気が滅入ってくるわ――

 ボロボロになったソファーに腰かけ本を読んでいたなっちゃんは、日笠さんを傍目で眺めつつ、読書を中断してやれやれと額を抑える。


 東山さんはといえば相当疲れたのだろう、そんな二人のやりとりに目もくれず、ソファーに身を預けてうとうとと船を漕いでいる。

 ただ、その眉間にはいつもよりやや苦悩するシワが寄せられていたが。

 もしかして日笠さんの独り言のせいで、夢の中でオーボエドラゴンに追われているのかもしれない。

 あともう一人、姿が見えないバカ少年といえば。

 

「ドゥッフ、ネーネー見てー! こっちにデッケーバッタがいるディスヨー!」


 と、その辺の草地を掻きわけ、それはそれは大きなバッタ(らしき昆虫)を捕まえて満足そうにケタケタ笑っていた。

 朝から虫捕りとか何考えてんだあいつは――

 顔に縦線を描きつつ、カッシーは口元を引き攣らせる。

 

「あいつは元気だな?」

「バカはほっとこう……ところでチョクさん。ここってどこなんだ?」


 森から飛び出してみれば、入る前とは明らかに違う周囲の光景。

 今自分達はどの辺にいるのだろう――やにわに眼鏡青年を向き直り、カッシーは尋ねる。


「おそらくですが、マウスピース平野ッスね」

「マウスピース?」


 少年の問いかけを受け、御者席でエリコと共に現在地の確認をしていたチョクは、地図から顔をあげて答えた。

 この前はテールピースで今度はマウスピースか。また楽器の地名が出てきた――と、カッシーとこーへいはお互い顔を見合わせたが、やはり今どこにいるかピンと来ないことは変わらない。

 地図を見たほうが早そうだ――と、二人は徐にチョクの下へと歩み寄ると、彼の持っていた地図を覗き込んだ。

 

「それって地図でいうとどの辺?」

「えーっと……ざっくりですがこの辺ッスね」


 と、チョクは広げていた地図の中央からやや東南へ指を這わせ、そこに記されていた広大な平野を円を描いてなぞってみせた。

 青年が指した地図上には確かに『マウスピース平野』と手書きで記されている。

 だがやはりピンと来ない――少年二人はお互いをちらりと見合ったのちに肩を竦めた。そんな二人へチョクは説明を続ける。


「マウスピース平野は、管国西部に広がる平野ッス。現在地はその特に西よりだと思われるッスが」

「んー? ってことはよ、ここはもう管国なのか?」


 話を聞いていたこーへいは、咥え煙草をプラプラとさせながら意外そうにチョクを見た。

 その通りと青年は頷いてみせる。

 

「昨日までの予定では、『テールピース草原』地帯の街道から中央の国境関所を通過して、管国に入る予定だったッス。現在地からもう少し北よりッスね」


 チョクは現在地から指を大きく西へ戻し、『テールピース草原』と記された弦国東部付近で指を止めると、そこからさらに東へと指を這わせ、地図中央付近に記されていた『国境関所』と書かれた黒丸の上で止めた。


「――でも実際はここで道を逸れて、こうして『オーボエの森』を南東に横切ってうにょにょにょ~~……と、で結局マウスピースこのへんに出たわけッス」


 と、何とも渋い表情を浮かべつつ、チョクは指を再び途中まで戻し、街道の途中で南東へと這わせて『オーボエの森』へ突入させる。

 そこからミミズが這うように若干大袈裟に地図上の森の中を蛇行させ、ややもって指を森から脱出させると、チョクは今しがた説明のあった管国西部の『マウスピース平野』へ指を到達させた。


「ちょっとチョク、なによその悪意のある指の這わせ方は?」

「別に他意はないっス」


 何となくだがようやくわかった。しかし随分と遠くまで来たもんだ――

 むっとしながらチョクを睨んだエリコを余所目に、カッシーとこーへいは感心したように頷く。


「ところでこの中央に縦に引いてある線は、もしかして国境か?」


 と、丁度地図の中央付近に、南北に引かれている線に気づき、カッシーはさらに尋ねた。


「そうっス。実際には『リード河』と呼ばれる大河が流れているっスけどね」

「リ、リード河?」

「『オーボエの森』から流れ出ている河の名前ッス。本来ならその河を関所から出ている連絡船で渡って管国に入るんッスが――」


 それも森の中を直接突っ切ったために、河を渡る必要はなかったようだ。

 と、チョクの話を聞いて納得する少年の顔を覗き込むようにして、エリコが得意げに笑みを浮かべる。

 

「ね、だから言ったでしょ?」

「は?」

「こっちの方が近道だったじゃない」

「……」


 確かに街道を行くより、一日早く管国まで辿りつくことができたようだ。なんとも割に合わないショートカットではあったが――

 フフン、と勝ち誇ったように笑みを浮かべたエリコを見て、カッシーは呆れたように溜息をついた。


 まあとにかく、今どこにいるかはだいたい把握できた。

 過程はどうあれ予定より早く管国に入ることができたようだし(えらい目にあったが)まあ、よしとするべきか――

 気持ちを切り替えカッシーはチョクを向き直る。

 

「チョクさん、こっからホルン村はあとどれくらいなんだ?」

「あとは順当に北上すれば目的地ッス。ここからなら二日弱ってところッスかね……ですが――」

「?」

 

 含むような言い方で言い淀んだチョクに対し、カッシーは小首を傾げて先を促す。やや思案した後に、青年は眼鏡を押し上げながら大きく一度頷き先を続けた。


「――その前に、少し迂回になりますが、パーカスによろうと思うッス」

「パーカス?」

「浪川君が最初に飛ばされたって言ってた場所よ。商業が盛んな場所って聞いてるわ」

「ああ……」


 何度か聞いたことのある地名だ、どこたったっけ?――とカッシーが記憶の糸を手繰り寄せていると、いつの間にか御者窓から顔を覗かせていたなっちゃんが話に加わってくる。

 彼女もきっと、日笠さんの呟きからたまらず逃げて来たのだろう。

 はたして、その通りとチョクは少女の言葉に頷いてみせた。

 と、そんな眼鏡の青年の提案にの一番に反対したのは案の定『お騒がせ王女』である。

 

「えー、なんでパーカスなんかに行くのよ。遠回りじゃない!」


 急ぐ旅だというのに寄り道している暇がどこにあるの?――と、チョクに詰め寄り、エリコは不満を隠すことなく彼の鼻面に指を突き付けた。

 だが、突き付けられたその指を見つめて寄り目になりつつも、チョクは想定内の反論だと言いたげに苦笑する。


「姫の言う事ごもっともッスが、でもこの馬車じゃ旅は続けられないでしょう?」

「……言われてみれば――」

「――まー、確かになー?」


 うぐっ、と悔しそうに言葉を詰まらせたエリコに代わり、カッシーとこーへいがボロボロになった馬車へ視線を向けながら、ごもっとも――と、頷く。

 『立派な大八車』と変わらなくなったこの馬車で旅を続けるのは正直難しい。

 青年の見立てでは車軸も歪んでしまっており、いつ動かなくなるかも運次第といったところだ。

 

「修理をするか、或いは新しいのに買い替えないとだめッスね」

「それってどれくらいかかりそう?」

「そっスねぇ……出来合いの馬車に買い替えるのが一番早いッスが、それでも二日ってところッスかね」

「おーい、マジかよ?」

「それに物資も補充しないとね?」


 と、チョクの言葉に付け足すようにしてなっちゃんが口を開く。

 水や食料その他、旅に必要な物資の大半は森の中に置き去りにしてきてしまっていた。馬車に積んであった物もオーボエドラゴンからの逃走中にほとんど落としてしまったし、今手元にあるのは、各自が身に着けていた装備や鞄と、なっちゃんのチェロくらい。

 このままじゃ旅を続けられないのはカッシー達も一緒だったのだ。


「ま、そういうわけッス。それらが調達できるここから一番近い町となるとパーカスしかないんスが――」

「こりゃ仕方ないか……」

 

 チョクのいう事は逐一もっともだった。本音を言えばエリコの言う通り、直ぐにでもホルン村へ向かいたいところだが、ここは断腸の思いでパーカスへ進路変更するしかないだろう。

 しかし最短でも二日のロスは痛い。カッシーは口をへの字に曲げて悔しそうに唸る。

 ん、待てよ? あー……そのつまりだ――

 

「なーカッシーさあ、これってもしかしてよ?」

「考えるなこーへい。考えたら負けだ……」

 

 命の危機に晒されてまで森を通過したってのに、結局ショートカットどころか予想外の時間ロスじゃねーか!――

 カッシーとこーへいになっちゃん。それに家なき子のように死んだ目をした日笠さんまで、彼らは一斉に責めるような視線をエリコに向ける。

 ぎょっとしながら、件のお騒がせ王女は思わず身じろぎした。


「な、何よアンタ達?! あのトカゲは私のせいじゃないでしょ!」

「で、どうしますか姫? まあこのまま飲まず食わずでホルン村に急ぐのもありッスけど」

「うっ……くっ! わ、わかったわよ。でも早くしなさいよね!」


 珍しく強気に出てきたチョクに対し、流石の彼女も旗色が悪いと感じたのか渋々ながら承諾したのであった。



 てなわけで――



 ガッタン、ゴットン、ガタガタと、マウスピース平野の西端を大八車……もとい馬車だったそれは歪に揺れながら北上していく。

 目指すは急遽の進路変更先となったパーカス。


「おっそいわねー、これもちっと早く走れないの?」


 未だ不満たらたらで頬を膨らませつつ、御者窓のへりに頬杖をつきながらエリコは呟いた。

 だがチョクはそんな彼女にタハハと苦笑しながら、ゆっくり首を振る。


「我慢してください姫。これ以上早く走ると車輪が吹っ飛んじゃうッスよ」

「けどさー! もう少しなんとか――」

「姫――」


 と、尚も愚痴をこぼそうとしたエリコを振り返り、チョクは口に指をあてて『静かに』というポーズをしてみせた。

 それを見てエリコは言葉を飲み込むと、ちらりと後ろを振り返る。

 馬車の床やソファーでは、少年少女達がクークーと寝息をたてて眠っているのが見えた。

 無理もない。ほぼ徹夜に近い激闘だったのだ。

 

「しばらく寝かせてあげるッス」

「ちぇ……」


 不承不承ながら一度頷くと、エリコは御者窓を潜り抜け、御者席チョクの隣に腰かけた。

 そして不貞腐れるように頬杖を付くと、広大な平野をつまらなそうに眺める。

 チョクはその姿を見てニッコリ微笑むと、同じく静かに空を見上げた。


 今日も空はいい天気だった。




♪♪♪♪


 港町パーカス。

 大陸中央を南北に流れるリード河北部に位置する港町である。

 大河に面した入り江を囲うようにして広がるその港町は、元々国境を越えて弦菅両国を行き来する人々を相手に細々と商いをする商人達が集まった小さな町であった。

 だが弦菅両国の丁度中間に位置し、加えて大河の畔という運輸に適した立地条件に恵まれたこともあり、この土地の利便性に目を付けた者が各地から集まり続けた結果、町は急速に発展していった。

 今ではツェンファ、スタインウェイなど、周辺諸国との貿易が盛んに執り行われる『大陸の玄関』として、ヴァイオリン・トランペットに次ぐ大きな『街』へなりつつある。

 そんなパーカスも、十八年に及んで続いた弦管両国の戦争に巻き込まれ、十年前は復興不可能といわれるほどの壊滅的危機に陥ったことがあった。

 

 だがそれでも生き残った商人達は諦めなかった。

 商魂逞しい彼等は、戦火によってほぼ廃墟と化したパーカスを、商人の『誇り』と『根性』でもう一度建て直し、そして見事に復興させたのだ。

 商人が集まり、そして誰にも頼らず、何もないところから発展させ、さらには復興させた街。

 それがパーカスという街なのである。この地が『商人の街』と呼ばれる所以はそこにあった。

 故に領土的には管国に属するものの、事実上自治権を有し、中立の立場をとっている特殊な街でもある。


 と、そんな商人の街へ少年少女を乗せた馬車が到着したのは、お天道様もすっかり空高く昇りきった昼過ぎのことだった。


 着いたっスよ皆さん――と、チョクに起こされ。

 小高い丘の上からその街を一望するや、カッシー達はしばらく言葉も忘れてその景色に見惚れてしまっていた。


 入り江を囲うようにして、扇状に広がったなだらかな斜面には、段々に建物が並んでいる。

 屋根はオレンジまたは赤、そして壁は白。

 陽気で明るいイメージに統一されたその建物群の上を、鴎のような鳥達が鳴き声をあげつつ飛び交っている。

 そして入り江に泊まっているのは、大小さまざまな帆船の数々。

 さらに先に見えるのは、海と間違えてしまいそうなほど広い大河――即ち地図で見たリード河であった。

 ヴァイオリンが蒼を基本とした威厳ある騎士の街であるとしたら、パーカスは柔らかいオレンジを基本とした陽気な商人の街といえよう。


「綺麗……」


 初めてヴァイオリンに着いた時もそうであったが、新天地との出会いはいつも感動的だ。

 月並みではあるがようやく言葉を口にして、日笠さんは顔を紅潮させていた。

 どうやらオーボエドラゴンによるトラウマも、一瞬にして吹っ飛んでしまったようだ。


「ひっさしぶりだわーこの街も」


 この前お忍びでやってきてから二年ぶりくらいだろうか――

 御者席から立ちあがって手を翳しながら街を眺めていたエリコが呟く。

 彼女の表情も心なしか嬉しそうだ。

 そんな彼女の傍らで、約一週間ぶりにこの街へ戻って来たチョクは、失敗してしまっていたスタインウェイとの関税交渉のことを思い出し、苦々しい表情を浮かべていたが。


「さて、まずは宿を探しましょうか」


 と、一頻り街の全景を堪能し終えたカッシー達に、チョクが話を切り出しつつ皆を振り返る。

 興奮冷めやらぬ少年少女達は、各々頷いてみせた。


「チョク、スイートルームにしてよ? お風呂つきね!」

「わかってるッスよ」


 苦笑しながらチョクが馬の背に小さく手綱を打ち付けると、馬車はゆっくりと丘を下っていく。

 

 

 

 商人の街を舞台にした新たな大騒動が、幕を開けようとしていた。

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