その6-2 懲りてないわこの子?!
「ちょっとどうしたのマユミちゃん。アンタ大丈夫?!」
「あーその……後で説明します!」
やっぱりこの子、恐怖でとうとう頭がおかしくなっっちゃったのかしら――
こんな状況にも拘わらず、薄っぺらい板に向かって一人ぶつぶつと話し続ける少女を見下ろし、エリコは眉根を寄せる。
彼女が何を思い浮かべているのかが手に取るようにわかってしまい、日笠さんは仕方なくアハハと苦笑いを一つ浮かべた。
―準備はいいかね?それでは転送を開始する―
「なんだってんだササキさんはっ!?」
「新しい曲ができたみたい!」
「……マジか!?」
悪路を走りゆく馬車から生まれる騒音のため、自然と会話の声も大きくなってしまう。語気を荒げてしまった少年はだが、少女の返答を聞いてわずかな期待をその眼に灯した。
やがてピロコン♪――と林檎製特有の通知音をあげて、携帯は画面にお馴染みのメッセージが表示させる。
『ダウンロードしています:Tchaikovsky - 1812 Overture――5%』
日笠さんは画面に表示されたその
「会長……これって――」
―うむ1812年だ。浪川君に協力してもらって昼間生成してみた。どんな効果かは君の方がよく知っているだろう?ンー?―
クックック――と、含み笑いが聞こえてきた。
―例によってキーワードは、君が決めたまえ―
「わかりました! ありがとうございます会長!」
―礼は無事窮地を乗り越えてからいい。では検討を祈るぞコノヤロー。通信終わり―
「日笠さんっ! 新しい曲ってどんなのなんだ?」
「『1812年』よ」
赤い受話器のアイコンを押して通話を終えると、飛びつくようにして顔を覗き込んできたカッシーに対して日笠さんは即答する。
サヤマ邸で立派な睫毛の少年が奏で、そしていくつも光の砲弾を生み出した、あの曲の効果はまだ記憶に新しい。
だがあの光の砲弾の力ならもしかすると――
微かではあるが希望の光が見えてきた。少年少女は執拗に馬車を追従している『二足歩行のカメレオン』へ視線を向ける。
「ドゥッフ! ならサッサとぶっぱなすディスヨひよっチ!」
「もうちょっと待って! 今送ってもらってるの!」
日笠さんは増えていくパーセンテージを凝視しながら答えた。
ダウンロード完了までまだしばらく時間がかかりそうだ。こんなにも時間が経つのが長く感じたのはいつ以来だろう。
「ねえ、なんだかよくわからないけど、いいアイデアでも閃いたの?」
「あのトカゲを追い払えるかもしれないの!」
「マジ? もしかしてさっきみたいな魔法の――」
なっちゃんの言葉を聞いて、ぱっと顔明るくしたエリコが続けざまに口を開く。
しかし、それ以上会話は続行不可となった。
カッシーは目を疑った。
視界に映るもの全てが、急に斜めになったことにだ。
次の瞬間、背中がぞわっとする何とも嫌な浮遊感を味わいながら、彼は転がるようにして馬車の右側に身を滑らせた。
飛ぶようにして一気に間合いを詰めたオーボエドラゴンが、またもや体当たりを仕掛けてきたのである。
しかも今度は馬車の側面から。
「きゃああっ!?」
「うわわわわっ!?」
まずい、このままでは転倒する――
あろうことか片輪走行を始めた馬車の中で、少年少女は望まない曲乗りを体験する羽目となり大絶叫をあげた。
「チョク、何とかしなさい!」
「おおおおお!? わかってますって姫!」
裏返った声で返事をすると、チョクは手綱を巧みに操り素早く右へと馬を移動させる。
あわや横転ギリギリでなんとか態勢を立て直し、馬車はドスン!と音を立て左車輪を着地させた。
「きゃあっ!?」
着地のはずみでその身を宙へと放り投げられ、なっちゃんが悲鳴をあげる。
少女の華奢な身体は、馬車後部の壁に激突すると乱暴に床へと叩きつけられた。
衝撃でガタガタになっていた馬車後部の壁が外れ、クルクルと回転しながら後方へと飛んでいく。
数瞬後に、立派な装飾が施された馬車の壁は、巨大なトカゲの脚に踏み潰されて無残にも粉々に砕け散った。
「……!? ちょっと!?」
身を預けていた壁が消失し、少女の身体は背中からゆっくりと後ろへ傾いてゆく。
当然その先で待っていたのは高速で流れてゆく荒れた地面だ。
頭を打ち付け朦朧とする意識の中でそれでも少女は、落ちてたまるかと腕を伸ばす。
『なっちゃん!』
覚悟を決めた勇気と、抜群の直感。
その行動に至った理由は異なれど、だがカッシーとこーへいは同時に馬車後部へ飛び込み、少女のその手を掴み取る。
あわや落下寸前のところでなっちゃん身体は動きを止めた。
ガクンと、掴まれた腕から走った衝撃が少女の意識を呼び戻す。
うなじのあたりを掠めるようにして吹き付ける風と、ちらりと視界の端に見えたのは鼻先ほどの距離にまで迫った荒れた地面。
そして耳朶を打つのは疾走する馬の蹄と喧しいほどに軋みをあげている車輪の音――
手を掴まれたのがあと一歩、遅かったら? 感じ取ることができた『死』の断片に、冷静豪胆な微笑みの少女も思わず息を呑む。
「ギリギリセーフってか?」
「離さないでよ二人とも! 離したら一生恨むから! 化けて出てやる!」
「ぐぎぎぎ……わかってるっつの!」
せーの!で、少女の身体を引き上げて、カッシーはやれやれと息を吐いた。
刹那。
待ってましたとばかりに轟く、再びの『大咆哮』。
ボケっ! 分かってるよ、うっせーなあっ!――
ほっとしたのもつかの間。なっちゃんを庇うように抱きかかえ、カッシーは聞こえてきたその咆哮の主へ青筋を浮かべながら顔を向けた。
「ドゥッフ! ひよっチマダー!? ねえマダー?」
「焦らせないでよ!」
早く早く早く!――日笠さんは思わずぎゅっと携帯を握りしめる。
まだ84%。残念ですが間に合いません♪――
だが、祈る様にして確認した携帯の画面には、無情にもそう告げるような絶望的なパーセンテージが見えた。
まんまと現れた『捧げ物』へ、強靭な二つの脚で飛び跳ねる様にして迫った巨大なトカゲは、彼らを一飲みにしようと、赤く爛れた大きな口をぱっくりと開く。
一難去ってまた一難。
「みんな、早くこっちへ!」
そこにいると危ない。前へ来て!――日笠さんがカッシー達へ叫ぶと同時に、そんな少女の両脇から風を纏って二つの影が飛び出した。
奇しくも同時に足を踏み出したその双つの『紅』は、怯むことなく巨大なトカゲに飛び掛かる。
「調子のんじゃないわよこの爬虫類っ!」
ギリッと奥歯を噛み締め、怒りの形相と共に素早く手首を返すと、エリコは迫りくるうオーボエドラゴンの右目へと鞭を振るった。
鞭の先端がパンと乾いた音をあげて、トカゲの象徴ともいえる巨大なギョロ目を勢いよく弾く。唯一の弱点ともいえる眼球に走った激痛に、オーボエドラゴンは短い悲鳴をあげながら『捕食』を中断した。
その隙を逃さず迫っていたもう一つの『紅』が、タン!と小気味よく床を踏み、渾身の
「てええええっ!」
全身のバネを使って気合と共に繰り出された東山さんの拳は、オーボエドラゴンの鼻面に一直線に突き刺さった。
プオンッ!?――と何とも間抜けな鼻息とも悲鳴ともつかぬ声をあげて、山のような巨体がのけ反る。
やにわに速度を緩めたオーボエドラゴンの姿が、あっという間に後方へと遠ざかっていった。
「ひ、非常識すぎるわ……」
ドラゴン相手に鉄拳制裁って――
殴った手をプラプラとさせながら、眉間にシワを寄せる東山さんの姿を眺め、日笠さんは呆れたように顔を引き攣らせる。
「大丈夫アンタ達?」
「サンキュー二人とも。助かったぜ」
日笠さんと同じく、音高無双の大胆具合に唖然としていたカッシーは、やがて我に返るとほっと安堵の吐息を漏らした。
そして腕の中の微笑みの少女を心配そうに覗き込む。
「なっちゃん、平気か?」
「ええ、助かったわ。ありがとう二人とも」
さっきは意識が飛びかけたがもう大丈夫のようだ。強かに打ったこめかみを軽く押さえながら、なっちゃんは礼を述べた。
しかし、ますます激怒した大咆哮が聞こえて来て、一同はうんざりと言いたげに表情を強張らせる。
あんな攻撃など焼け石に水なことは十分承知だ――態勢を立て直し、再び追走を開始したオーボエドラゴンを見据え、エリコと東山さんは構えた。
「しっつこいわねー……」
「まゆみ、まだなの?」
「あとちょっと!」
91%……92%……93%――
食い入るように画面を見つめ、日笠さんは上ずった声で東山さんの問いに答える。
「姫! ご無事ッスか?!」
「大丈夫なワケないでしょ! 何とかして振り切りなさい! でないと――」
もう馬車が限界だ――
エリコは咽喉まで出かかった言葉を飲み込み、ちらりとひび割れた窓から車輪を覗く。
王室御用達の超高級馬車は、哀れ『超高級
車輪も車軸ももはやボロボロだ。
特に左側の車輪は先刻から妙な軋みをあげているし、回転もブレが目立つ。
彼女の見立てではもってあと二発……いや一発。
巨大トカゲの体当たりを食らえば、馬車はバラバラに大破して自分達をこの森の中へと放り出すだろう。
そうなれば、あとは一人ずつパクッとあの巨大な口に飲み込まれ、胃の中で再会といった感じだろうか。
そうはさせない。自分は約束したのだ。
彼等を必ずホルン村まで連れていくと。
「カッシー、コーヘイ、エミちゃん……下がって」
「エリコ王女?」
「私が時間を稼ぐわ」
一度交わした約束は絶対守る。それがこの王女の信念だ。
エリコは迫りつつあるオーボエドラゴンを、王女の風格と共に堂々と見据え、鞭を解いて床に垂らす。
だがそんな『お騒がせ王女』の横顔を眺めつつ、カッシーと東山さんはやれやれと同時に小さく肩を竦めた。
「こーへい、なっちゃん頼む」
と、抱きかかえていたなっちゃんを起こしてこーへいに託すと、少年はゆっくりと立ち上がりブロードソードを引き抜く。
「おーい、カッシー? 何する気だ?」
「ここで引いたら男が廃るっつの!」
こうなったらやるだけやってやる!――
握りしめたブロードソードを正眼に構えると、少年は口をへの字に曲げてオーボエドラゴンを睨みつけた。
少年と王女のその覚悟を受け、音高無双の豪胆少女も全身に闘志を漲らせながら彼等の横に立つ。
「疾風に勁草を知る――女だって廃るわよ、ここで引いたら……ね?」
腕を鳴らして構えた東山さんをちらりと見たのち、エリコは嬉しそうに口の端に笑みを浮かべてみせた。
と――
『ダウンロード完了しました:Tchaikovsky - 1812 Overture』
「終わった!」
長かった! 一生分待った気がする!
画面に表示された待望の
馬車前方に退避してきたなっちゃんとこーへいは、少女の言葉を聞いてすがるようにして詰め寄った。
「ダウンロード完了?」
「ええ!」
「ドゥッフ、んじゃハヤクしろッテ!」
「待って、まだキーワードが」
あとは発動のための
携帯からペンダントを外していそいそと首にかけながら、日笠さんは小さな声でキーワードを設定し始める。
だがなっちゃん、こーへい、ついでにかのーも、何とも言えない微妙な表情を浮かべて日笠さんを見つめていた。
「な、何よみんな?」
「まゆみ、わかってるよね? 今どういう状況だかわかってるよね?」
この前のような『厨二病』なキーワードはもういいから、さっさと発動させてね?――
なっちゃんはニコリと笑いながら、だが目は物凄く真剣に少女を見据えて念押しをする。
「大丈夫、ちゃんとわかってるって!」
「おーい、頼むぜ? マジで頼むぜ?」
「イタタタタ! ひよッチが、またイタイことカンガエテルヨー!」
「何よみんなして! い、痛くなんかないもん!」
それはそれは不安そうに自分を見つめていた三人に気付くと、少し恥ずかしそうに頬を紅くしながら睨み返し――
日笠さんはくるりとオーボエドラゴンを向き直ると、両手を翳した。
少女はすぅ、と息を吸い、徐に目を閉じると詠唱を開始する。
「其は自由を求める英雄なり……其は戦いの女神なり……」
懲 り て な い わ こ の 子 ? ! ――
やにわに聞こえてきた少女の詠唱に、なっちゃんは『恐ろしい子!』ばりに白目を剥いて顔に縦線を描く。
刹那。
翳された日笠さんの両手の間に熱量が生まれ、それは渦巻くようにして煌々と周囲を照らし始めた。
吹き始めた風が日笠さんの髪を靡かせる。
途端に襲ってきた精神を蝕む苦痛に僅かに眉を顰め、だが外すものかと、彼女は巨大なトカゲを真っ直ぐに見据えた。
「日笠さん!?」
背中に感じた熱量にはっとしてカッシーは振り返る。
そして視界に映った、見覚えのある『光の砲弾』に少年は思わず笑みを浮かべた。
やったぜ、間に合った――と。
「凄いじゃない! あれが切り札ってヤツ?」
同じく振り返ったエリコ姫も、煌々と輝く光の砲弾を見て期待に胸を躍らせる。
だがしかし。
そうはさせじと響き渡った今宵最大の咆哮に、少年は思わず身を竦ませ再び後方を振り返る。
あの光の珠はまずい気がする――獣の勘がそう嗅ぎ取ったのか、はたまた本能か、オーボエドラゴンは速度をあげて、全速力で追走を開始したのだ。
再びの再び。
我儘少年は日笠さんを振り返った。
青ざめた表情で、祈る様に少女を見つめながら。
「まゆみ! 早く撃って!」
流石の東山さんも焦りの色を顔に浮かべ、それでも油断せず迫りくるオーボエドラゴンを睨みつけながら叫ぶ。
「我等が手に集えその力よ、裁きの大砲となりて敵を射抜け……」
あ、あれ? ちょっと待って!? 早くない?
これ大丈夫かな? ま、間に合うかな――
ズシンズシンと迫ってくるオーボエドラゴンに気づき、日笠さんは目をぱちくりさせながら、大慌てで詠唱を続ける。
「だからいったじゃない!」
「おーい、やばくねー?」
「ヤバイってこれ! ひよッチ、ハヤクあやまっテ!」
それみたことかと、背中から聞こえてくる少年少女の非難の声に、思わず涙目になる少女の両手の間で。
だが、渦巻く風の中心で眩さもそして迸る熱量も、いよいよもって発射寸前にまで膨れ上がった『光の砲弾』は、的を求めてその身を小刻みに震わせ始めた。
と、同時に。
ズシンと大きな脚が馬車のすぐ後ろにまで到達する。
時間切れ――
再度の咆哮がその砲弾を制するように響き、腐った肉のようにぎらぎらと輝く大きな口が、馬車ごと飲み込まんとする勢いで開かれた。
「撃てっ! 日笠さん!」
「わ、我らに勝利をっ! 響け自由の鐘よっ!」
悲鳴に近い涙声で少女は最後の
まさしく紙一重。
ドン!――
と、聞きなれた大砲音が森の中に木霊し。
少女の号令と共に勢いよく解き放たれた『光の砲弾』は、カッシー達の脇を通過し、真っ赤に開いた蜥蜴の口に吶喊する。
至近距離から超スピードで口腔に侵入してきたその
そして。
ゴックン――
まるでそんな擬音が見えてきそうなほど咽喉を大きく上下させ、オーボエドラゴンはぎょろりと突き出た目を点にする。
やにわに鈍い爆発音と同時にその腹が大きく膨らんだかと思うと、間髪入れずに口、鼻、耳から黒い煙が噴き出した。
掠れた弱々しい咆哮を一つ放つと猛追していた二足歩行のカメレオンはピタリと足を止め、地響きをあげてその場に崩れ落ちる。
あっという間にその姿は遠ざかっていった。
「うう……こ、怖かった」
今度はもうちょっと短いキーワードにしよう――
もはや
と、視界を覆っていた木々が一瞬にして姿を消し、足元を揺らせていた振動もピタリとやんだ。
代わりに果てが見えない程の平野が視界一面に姿を現す。
「森を抜けたっス!」
歓喜に震えるチョクの声が御者席から聞こえてきた。
東の空がうっすらと明るい。どうやら夜が明けたようだ。
助かった――
途端にどばっと脂汗が吹きだし、膝が笑い出したのに気づいて、カッシーはその上に手を乗せて震えを堪える。
と――
「やるじゃんアンタ達! あー面白かったぁ! スリル満点! やっぱり旅はこうじゃなきゃね!」
アハハ、と大満足で勝利の笑い声をあげ、『お騒がせ王女』は離れ行く迷いの森を小手をかざして眺めた。
もはやツッコム気力もない。
やれやれと溜息をつき、少年少女はどっと全身の力が抜けるのを感じながらその場に座り込む。
そして一斉にこう思ったのだ。
もう森はこりごりだ!!――と。
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