その6-1 日笠君元気ですかードドーーン!!

「でかっ!?」


 なんつーでかさだ。てか反則だろ!あんな巨大な生物は、元の世界じゃ見た事がない――

 姿を現したその巨大なトカゲを見るや否や、馬車後部の窓に張り付くようにして様子を窺っていたカッシーは、面食らいながら叫んでいた。

 

「エエエリコ王女、『あいつ』ってあいつですか?! ねえ、絶対あいつが『あいつ』ですよね?!」

「そ、あれが『あいつ』よ。オーボエドラゴン」


 いつもの彼女らしくない、なんとも語彙力の低い問いを投げかけた日笠さんに対してエリコはその通りと真顔で頷く。

 オーボエドラゴン。この迷いの森にしか生息していない、身体の割にはとても大きな飛び出た目が特徴のトカゲの一種だ。

 『ドラゴン』と称される由縁はもちろんその巨躯にある。チョクも言っていたが全長は十五オクターブ近くまで成長し、その巨体が二足歩行でのっしのっしと歩く姿は、まるで恐竜のようであった。

 

「けど、あれのどこが十五オクターブよ? 裕に二十超えてたわよ!」

「おーそれは凄い。今度オラトリオ大の学会で報告したら皆喜ぶッスよ。新発見だって」


 未だにこの大森林における生態系については謎が多い。大陸中の生物学者、植物学者は日々この森の解明に勤しんでいるのだ。

 エリコが厄介そうに飛ばした皮肉に対し、チョクは馬の背に鞭を入れながらやや興奮気味に返答する。

 

「あーあ、調理器具買ったばっかだったのによー……」


 そんな英雄二人のやり取りを傍目に、こーへいは残念そうに眉尻を下げて愚痴をこぼす。片付けている暇などなかったため、随分といろんなものを捨て置いて来てしまった。

 彼の言った寸胴などもその中の一つだ。

 

「仕方ないわ中井君、助かっただけよしとするべきよ」


 と、フォローする東山さんだったが、彼女もその表情は無念といわんばかりに曇っている。一つ一つ吟味して揃えた器具だったのだ。彼女だって気持ちはクマ少年と一緒だった。

 とはいえ、何とか危機を逃れることはできた。あんな化け物に襲われていたら、調理器具どころでは済まなかっただろう。

 命あっての物種と割り切るしかない――東山さんは腰に手をあて、ほっと息を吐く。

 

「あーその、恵美? ほっとしているところ悪いんだけど……まだ助かったとは言えないかも……」


 少女のその発言を聞き、馬車の後部で外の様子を窺っていたなっちゃんは、視線をそのままに青ざめた顔で告げた。


 どういうことだろう? 親友の少女の意図が読めず、東山さんは小首を傾げる。

 だがその答えは、予想外にも屋根の上から聞こえてきた。

 


「ドゥッフ! ヤバイヨー! あのカメレオン追って来てるディスよー!」


 バカ少年の、焦りまくった絶叫と共に――



 刹那、森の中に響き渡る再度の大咆哮。

 思わず身を竦ませたカッシーと日笠さんは、一瞬の間の後にお互いを見合わせ足早に馬車後部へ歩み寄ると外の様子を窺う。 


 窓から見えたのは、のっしのっしと巨大な『脚』だけが、追ってくるシュールな光景だった。

 進路を塞ぐ立派な大樹や朽木も何のその。オーボエドラゴンの引き締まった強靭な両脚は、それらを難なく吹き飛ばし馬車に迫ってきていたのだ。

 やにわにひょっこりと馬車を覗き込むようにして頭を垂れ、その大きな目玉をぎょろりと左右バラバラに動かして、巨大なカメレオンオーボエドラゴンは馬車の中の獲物を捕捉する。


 見ツケタゾ!!――

 まるでそう告げるような、大咆哮壊れたチューバの大合唱がまたもや森に響き渡った。


「……冗談きついぜ」

「カカカカカカカカカカッシー!? どうしよう! ねえ、どうしよう!?!」


 なんとも非常識なその光景に青ざめ立ち尽くしたカッシーの胸倉を掴んで揺さぶり、日笠さんは目をグルグルさせながら叫ぶ。


「んー、意外とはやくね?」

「間抜けな顔の癖に生意気」


 パーティ随一のマイペースな少年ののほほんとした感想と、パーティ随一の冷静な少女の皮肉が発されたのはほぼ同時だった。

 二人の言う通り巨体の割には結構なスピードだ。徐々にではあるが馬車との距離が詰まってきているように見える。

 と、同じく様子を窺っていたエリコは、カツカツと馬車前部へ歩み寄った。そして御者席に通じる窓を開け、そこにいた眼鏡の青年を不機嫌そうに睨みつける。


「チョク、あのトカゲ追って来てるわ」

「わかってるっス、こりゃまずいッスね」


 さっきの咆哮なら否が応でも聞こえていた。先刻までの余裕を捨て、チョクも険しい表情を顔に浮かべて頷く。


「ならもっとスピードあげて! このままじゃ追いつかれるわよ?」

「そうしたいところッスが、これ以上早めると馬車が転倒する可能性があるッスよ?」


 歯噛みするようにそう言って、チョクは振動でずり落ちて来ていた眼鏡を押し上げた。

 とにもかくにも足場が悪すぎなのだ。

 大樹の根がそこら中に突き出ているし、泥濘ぬかるみもあれば茂みもある。

 そんな足場でこれ以上スピードを上げると、下手すれば車輪が壊れる可能性だってあるのだ。

 最悪の場合、馬車の転倒も免れない。


 だが知ったことか――と、エリコは目を見開き、鬼の形相でチョクを睨みつける。

  

「いいから飛ばしなさい! 食われるよりマシでしょ!? 」

「ハハハ、相変わらず無茶いうッスねぇ姫。でも確かに食べられるよりはマシか……了解ッス。それじゃいくッスよ!」


 まったく誰のせいでこうなったのか――咽喉まで出かかった言葉をぐっと呑み込んで堂に入った苦笑を浮かべると、チョクは覚悟を決めて勢いよく馬の背中を鞭打った。

 途端、馬車は速度を上げて獣道を疾走し始める。

 僅かだがオーボエドラゴンのと距離が離れた。

 だが、そのツケともいうべき地震のような揺れが、馬車内に襲い掛かってくる。


「うおっ!?」

「きゃあっ!」


 道なき道を相当な速さで突き進む車輪が、まるでピストンのように少年少女の身体を下から上へと突き上げた。

 立っていられず、一行は床へその身を伏せる。


 くそ、今日二度目だぞ? まったく厄日だ――

 強かに腰を打ったカッシーはぐぬぬと唸りつつ、口をへの字に曲げた。


 と――


 この鬼気迫る状況に最もそぐわない和やかなメロディが馬車内に流れだす。

 聞き覚えのある旋律だった。

 そしてできれば聞きたくない旋律だった。

 

 カヴァレリア=ルスティカーナ――

 

 ああもう。なんだってこんな時に!――

 皆の冷ややかな視線を受けながら、日笠さんは深い溜息をついた。

 ソファーの脚をしっかりと握りながら、彼女はポケットから携帯を取り出し、何とも言えぬ表情でバックライトが照らす画面を見つめる。



 『着信:佐々木智和』



 やっぱりね。いや、分かってた。この人しかいないのは。

 そう、いないんだけど。いないからこそ……出たくない。

 すっごく出たくない!――

 

「なによその板きれ? 音鳴ってるけど?」


 葛藤しながら死んだ魚のような目で画面を見つめ続けていた日笠さんに対し、事情を知らないエリコは尋ねる。

 彼女の顔はこんな状況にもかかわらず、初めて見る携帯に興味津々といったご様子だ。


「あーその……アハハ。ちょ、ちょっと失礼します!」


 と、誤魔化すように笑い顔を浮かべて、日笠さんは『応答』の二文字をスワイプさせる。

 

「……もしもし?」




♪♪♪♪




同時刻。

チェロ村、ペペ爺の家集会場―

 

「オーッスコノヤロー! 日笠君元気ですかードドーーン!」



 プッ……ツーツーツーツー……



「……………」




♪♪♪♪



 同時刻。

 再びオーボエの森、場所不明―


 ダメだ。耐え切れなかった。

 神経を逆撫でされる、しかし無駄にいい声に、思わず日笠さんは通話を終了してしまった。


「どしたの?」


 急に板に向けて話しかけたと思ったら、目からハイライトを消して虚無の表情を浮かべ、かと思えば数秒後には焦燥感溢れかえった表情に切り替わった日笠さんを見て、エリコは大丈夫かこの子?――と、心配そうに眉根を寄せる。


「なんでも……ないです。お気になさらず……」


 もういいや、電源切っておこう――と、少女は携帯横のボタンを長押ししようと親指を添える。

 だがしかし。

 しつこく再度流れ出したその曲はそう、やはり『カヴァレリア=ルスティカーナ』。

 日笠さんはこれまた深い溜息をついて、眉間を抑えた。

 

「……もしもし」

―なんだコノヤロー。いきなり切る事はないだろうンー?―

「……あとで折り返しでいいですか?」

「ギャース! ボスケテ、食われるディス!」


 屋根の上にいたはずのかのーが顔に縦線を描きつつ窓から中へと飛び込んでくる。

 もう、騒がしいなあ――ちらりとバカ少年を睨みつつ、日笠さんは携帯を反対側へと持ち替えた。


―そんなに怒らなくてもいいだろう。まあ確かにこんな深夜にかけたのは悪かったが―

「すいません、今それどころじゃないんです!」

「……まゆみ!?」


 携帯に向かって大声で怒鳴った日笠さんは、しかし切羽詰まったなっちゃんの声に気付きはっと顔を上げる。

 そしてそこにあった『微笑みの少女』の恐怖に引きつった表情に、彼女は思わず息を呑んだ。


 何よその顔?……ていうか、どこ見てるの?――

 彼女のその視線は、自分を見てはいなかった。

 じゃあ一体何を見てそんな顔を? 嫌な予感をひしひしと感じつつも少女のその視線を辿り、日笠さんは恐る恐る背後を振り返る。


 そこにあったのは馬車の側面に付けられた、先刻狼が飛び込んできて割った窓。


 だが問題は窓ではなく。


 その窓の外で、爛々と光る黄色い物体の存在だった――

 

「……ひっ!?」


 それが『巨大な眼球』である事に気づき、日笠さんは思わず詰まった悲鳴をあげて絶句する。

 中を覗くようにして動いていた三日月のような瞳が、悲鳴をあげた少女を捉えると、ややもってそれは窓の外から姿を消した。


 目が合った?――

 途端に早くなる鼓動と共に、何とも嫌な汗がじわりと噴き出してくる。

 日笠さんは目をぱちくりさせると、ぎゅっと携帯を握りしめた。


―もしもし? 日笠君どうした? もしもーし―


 シン、と静まり返った馬車の中に、悪路を往く車輪の喧騒と剣呑なササキの声だけがやけに大きく聞こえた気がした。

 

 

 刹那。

 

 

 真上から耳を劈くような大咆哮が降り注ぎ、同時に後部から凄まじい衝撃が馬車を襲う。

 オーボエドラゴンが強烈な体当たりを仕掛けてきたのだ。

 まるで大型トラックに後ろから追突されたかのようなその衝撃に、カッシー達は馬車前方へと勢いよく突き飛ばされた。


「うお!?」

「ドゥッフ!?」


 派手に前部の壁に激突し、カッシーとかのーがほぼ同時に悲鳴をあげる。

 御者席からチョクの悲鳴とも叫びともつかぬ声が聞こえてきた。

 時を同じくして馬達の怯えるような嘶きも響いてくる。


―何だ今の絶叫は? 一体何が起きているコノヤロー?―


 どうやら本当にそれどころじゃないらしい――携帯の向こう側で只ならぬ事態が起こっていることに、ようやく気付いたササキは幾分緊迫した声色で尋ねた。

 

「でででで、でっかいトカゲが!」

―何? でっかいトカゲ?―

「トカゲっていうか、でっかいカメレオンっていうかですね! ととととにかく電話してる場合じゃないんですよ! もう切りますから!」


 呑気にこんな会話している場合じゃない。

 日笠さんは悲鳴に近い声で携帯に向かってそう叫ぶと、問答無用で携帯を切ろうとした。


―待ちたまえ日笠君。ならば

「は? 丁度いい?!」

―うむ、おあつらえ向きながいるようだな―

「もう! 何言ってるんですか!?」


 さっぱり言っていることがわからない。相変わらず回りくどい人だ!

 少女は訳が分からず上ずった声で叫ぶ。

 と、再び巨大トカゲの咆哮が聞こえて来て、日笠さんは思わず可愛い悲鳴をあげながら身を竦ませた。


「日笠さん! もういいっ、そんな電話切っちまえっ!」


 馬車の床にしがみついて伏せながら、カッシーが額に青筋を浮かべあらん限りの声で怒鳴る。


―待て待て切るなコノヤロー。一昨日浪川君がチェロ村こちらに到着してな、早速協力してもらったのだ―

「長ったらしい説明は今はいいですっ! 用件を言って下さい用件をっ!」


 と――


 少女の叫びを掻き消すようにして、凄まじい破壊音と共に、天井を覆っていた屋根が引き剥がされた。

 その先で『屋根であったもの』を粉々に噛み砕くオーボエドラゴンの姿を発見し、カッシーはあんぐりと口を開けて青ざめる。

 

 勢いよく首を振って噛み砕いた屋根を吐き捨てると、その巨大なカメレオンは中にいたカッシー達目掛けて再び咆哮をあげた。

 至近距離からの耳を劈く『敵意剥き出し』の長い雄叫び。生きた心地がせず日笠さんは涙目で耳を塞ぐ。

 だが、大慌てでチョクがさらに馬車の速度をあげたため、間一髪で巨大トカゲは後方へと引き離されていった。


―……相当まずい状況のようだな。今から新しい魔曲を送るから、君に預けたペンダントを携帯のコネクタに差しこみたまえ―


 これは勿体ぶっている場合ではなさそうだ――

 携帯越しでも思わず仰け反る程の大咆哮を聞いて、ササキは口早に用件を切り出す。


「ま、魔曲って?」

簡易曲発動装置ペンダントで使える曲の事だ。いつまでも名前がないのは不便なのでな、便宜上私が名付けた―

「新しい曲ができたってことですか?」

―そうだコノヤロー。そのペンダントは、携帯を通してデータを送信できるように造ってある。ペンダントの下部に端子がないか? 携帯のコネクタと同じ規格にしておいたのだが―――


 ササキの説明も半ばで、日笠さんは首にかけていたペンダントを手に取り、鎖の先端に留められていた銀色の球体を調べた。

 あった、これかしら――

 球体の下部に突き出した端子らしき突起を指で探り当て、彼女は携帯を耳へとあてる。


「ありました! この端子を携帯に差せばいいんですね?」


 いうが早いが少女はペンダントを携帯の下部に差し込んだ。

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