その2-2 お世話になりました

二日後、早朝。出発当日。

ヴァイオリン城門前―


「―と言う訳でして、チェロ村へ戻るのはもう少し先になりそうです」


 立派な石橋の手摺に寄り掛かり、橋下を流れる澄んだ水を眺めながら、日笠さんは受話器の向こう側にいる生徒会長にこれまでの経緯を掻い摘んで報告していた。


―なるほど、経緯はわかった。しかしまた急な予定変更だなコノヤロー―

「すいません、中々連絡する機会がなくて……」


 善は急げよ。早速出発! 明後日集合ね――

 と、エリコが出発を二日後!――と有無を言わせず決めてしまっていたので、それからのカッシー達は大忙しだったのだ。

 急ぎ旅の準備を整えなければならなかったため、昨日は宿に戻るや各自手分けして買い出しに出かけていたので、連絡する暇がなかったのである。


―まあいい、ぺぺ爺さんには私から伝えておこう―

「ありがとうございます」

―それにしても浪川君と再会できたのは幸先よかったではないか―

「ええ、ラッキーでした。あ、そうだ。さっきも言いましたけど、彼の事よろしく頼みますね」

―わかっているコノヤロー。彼も今日、出発だったな?―

「はい」


 コクンと頷きながら、日笠さんは振り返る。

 彼女の視線の先で、相も変わらずマイペースに欠伸をしながら、話題の少年である浪川は立派な睫毛をぱちぱちと瞬かせているのが見える。

 そう、彼だけは一足先にチェロ村に帰ることが決まっていた。というのも、その容姿が前王に似ているために、また何らかのトラブルを引き起こしかねないからだ。

 当初は彼も含めた7人で向かうことを想定していたのだが、そのような理由からやむなくここでお別れと決めていたのだった。

 まあ当の浪川は、厄介事はもうこりごり――と消極的だったので、特に反対せずチェロ村へ向かうことに同意していたが。

 そんなわけで彼も荷物を整え、護送してもらうヴァイオリン騎士団の出発を待っているところだ。


 余談だが、その浪川そっくりのアニマート公『マサトシ=ナミカワ=ヴァイオリン』前王であるが、結局授与式には姿を現さなかった。

 気になったカッシーが後でマーヤに聞いてみたところ、どうもナミカワ前王は王位を退いた後、趣味の山登りに余生を費やし諸国を漫遊しているため、あまりヴァイオリンには戻ってこないのだそうだ。

 ちなみに浪川も趣味は『ハイキング』だったりするので、舞の奴め――と、カッシーは口をへの字にしていた。

 とはいえ、せっかくだからどれだけそっくりなのか顔を拝んでみたいと思っていた彼は、肩透かしを食らってちょっとがっかりしていたことを追記しておく。


 話を戻そう。

 

―ところで、路銀の方は足りるのかね?―

「ああ、それならマーヤ女王が旅費を出してくれることになって。だから大丈夫そうです」


 旅は何かとお金がかかるからこれを使って。もしお金が無くなったら連絡くれれば追加を送るから――

 と、今回の件の褒美という形で、マーヤからかなりの額のお金をもらっていたのである。

 旅費としては十分な程の金額だった。ぺぺ爺から預かっていたお金だけでは少し心細かったが、これだけあればしばらくは宿代に困らないだろう。

 何ともありがたい気遣いにカッシー達が感謝したのはいうまでもない。


―そうか、なら安心だな。しかしホルン村か……随分とまた遠いところだなコノヤロー―

「会長は御存じなんですか?」

―今地図で確認していた―


 場所は管国北部、このヴァイオリンからは国境を挟んで北東にある小さな村だそうだ。

 そこで奇妙な服装をした少年少女達の目撃情報があった、とエリコは言っていた。

 土地勘に疎いカッシー達はピンとこず、狐につままれたような表情のまま彼女の話を聞いていたが。


―徒歩だと結構な距離だな―

「そうなんです?」

―だが馬車に乗せてもらえるのだろう? なら、そこから一週間強といったところか―

「馬車でもそんなにかかるんですか」


 ホルン村まではエリコが乗ってきていた馬車に便乗させてもらえることになっている。だがそれでも一週間以上かかるとは、結構な長旅になりそうだ。

 途中街道にある宿に泊まりながら行くから寝床は問題ないッス!――と、チョクは言っていたが、場合によっては野宿もありえるかもしれない。


 ああ、それより何より道中お風呂があるといいのだが。

 昨日の朝は良かったなあ。お城を出る前に入れてもらった、あのバラの花びらが浮いていた泡のお風呂……あんなの元の世界でだってもう二度と入れないだろう――

 と、切なる願いを頭の中で思い描きながら、日笠さんは再び嘆息する。

 

―日笠君?もしもし、聞いているかね?―

「あ、すいません。ちょっと考え事を……なんでしょう?」

―まったく、出発前からまた心配事か? 君も気苦労が絶えないなコノヤロー―

「ほっといてくださいよ」


 うら若き乙女にとって、一週間近くもお風呂に入れないのはかなり深刻な問題なのだ。顔が見えないとわかっていても、日笠さんは見せつけるように頬を膨らませながら言い返していた。


―まあとにかく、また変な騒動に捲き込まれぬよう気をつけ給えよ? ヴァイオリンについて早速トラブルに見舞われたのだろう?―

「それは十分わかってますが……」


 望まなくても向こうからやってくるのだ――と、小さな溜息をついて、日笠さんは髪を掻き上げる。結果として浪川と再会することができたのだからそれはよしとしても、彼女だって到着初日から早速ごたごたに捲き込まれるとは流石に思わなかった。

 まあ元の世界にいた頃から大小問わなければ様々なトラブルには巻き込まれていたのだ。自慢にもならないが、もう諦めの境地である。


―何か変なモノにでも憑りつかれてるんじゃないか? さしずめトラブルの神様とかな?―

「や、やめてくださいそういう事言うのは!」

―クックック―


 縁起でもないと声を荒げる日笠さんに対し、ササキは小気味良さげに笑い声をあげた。


―冗談はこの辺にして、未知なる地では、いつも以上に慎重に行動するように―

「わかってます」

―大丈夫だと思うが君が一番の常識人だ。いざという時は君が皆をまとめるんだぞ?―

「………はあ」


 『はい』とも『いいえ』とも取れない複雑な心境を吐露するように生返事をして、日笠さんは表情を曇らせる。

 正直あんまり自信はない。向こうから勝手にやってくるトラブルに加えて、一時たりとも目が離せない色濃い自由人が五人もいるのだ。

 おまけに今回はさらにもう一人、天衣無縫な『お騒がせ王女』が同行するのである。

 出発前から胃が痛くなってきた。日笠さんはやれやれと大きな溜息をつく。


―なんだその返事は? しっかりしたまえコノヤロー―

「はぁぁ~、まあやれるだけやってみます」

「まゆみ、そろそろ出発するから用意して」


 と、そこで東山さんの声が聞こえて来て彼女は振り返る。停泊していた馬車に荷物を積み終えたらしき東山さんが手を振っているのが見えた。

 カッシーとこーへいも一緒だ。


「すぐ行く!……すいません会長。そろそろ出発のようなので、これで――」

―うむ、気をつけてな。こちらも何かあったら連絡する―

「はい、それでは!」


 頑張ろう、自信はないけどしっかりしなきゃ!――

 日笠さんは通話を切ると一人気合いを入れる。

 そして踵を返すとトコトコと馬車へと駆け出した。


「ごめん、おまたせっ!」 

「会長から電話?」

「ええ、経過報告と今後の事をちょっとね。そっちは?」


 一仕事終えて額の汗を拭いながらそう尋ねた東山さんに対して、日笠さんは頷きながら答える。


「んー、丁度今積み終えたところだぜー?」


 取り出した煙草に火をつけ、プカリと美味しそうに煙を浮かべると、こーへいは傍らに停車してあった馬車のボディをポンと一回叩いた。

 石橋の中央に堂々と佇むその馬車は、カッシー達がヴァイオリンへの道中に乗せてもらった軍用の馬車より一回りは大きい。

 屋根も幌ではなく、しっかりとした木造のもので中も広そうだ。

 前方ではチョクが四頭の白馬と馬車の牽引部の最終確認を行っているのが見える。


「ねえ中はもう見た? 結構な広さよ。余裕で十人は座れる感じだし、おまけにソファー付き!」


 と、一足先に中に入って愛用のチェロをしまっていたなっちゃんが、ひょっこりと入口から顔を覗かせて、少女には珍しくやや興奮気味に微笑む。

 そんな少女の声に反応するかのように、屋根の上から聞き覚えのあるケタケタ笑いも聞こえてきた。

 

「バッフゥー、いやーこの屋根中々の寝心地ディスヨー! ベリーグー!」


 どうやらあのバカ少年は既に屋根上特等席にスタンバイ済みのようだ。

 しかしまあ普通に乗れないのだろうか――カッシーと日笠さんは呆れながら、しかし諦観の様子でお互いを見やる。


「でも立派な馬車だね」

「ああ」

「王室御用達の特別制よ、乗り心地はそれなりに保証するわ」


 これは快適な旅が望めそうだ――感心しながら馬車を眺めそんな会話をしていた日笠さんとカッシーの元に旅支度を整えたエリコがやってくる。

 授与式で会った際と同じ旅用のドレスに身を包んでいたが、今はその上にフード付きの紅い外套と、皮の鞭を腰には携えていた。

 

「おはようございますエリコ王女」

「おはよ! みんなそろそろ出発だけど忘れ物はない?」

「大丈夫です」


 初の長旅。必要なものは昨日皆で買い揃えた。

 準備万端抜かりはないはず。

 

「馬の準備もオッケーッス。いつでも出発できるッスよ」


 と、手綱の具合を確かめていたチョクが御者席から顔を覗かせて親指を立ててみせる。

 さて、残すところはあと一つ――

 カッシーは踵を返すと、見送りに来てくれていたマーヤ達を振り返った。

 少年の視線に気づくと、マーヤは寂し気に微笑んで彼へと歩み寄る。

 

「それじゃカッシー、気を付けてね」

「色々お世話になりました」

「世話になったのはこっちのほう。どうか貴方の旅が『楽しい』ものになりますように」

「ああ、サンキュ。そっちも頑張って」


 あの夜の秘密を思い出し、カッシーとマーヤは笑いあう。


 そんな二人の傍らで。

 やはりあの夜の秘密を思い出し、顔を真っ赤にして俯く少女が一人――

 

「エミちゃん」

「ひゃ、ひゃあ! ななななんですか王様?!」


 と、わかりやすいくらいに動揺しながら顔を上げた東山さんに、サクライは思わず苦笑する。

 だがすぐに真顔に戻ると、彼女の左腕に付けられた『風紀』の腕章に気付いて満足そうに頷いた。

 余談だが騒動が解決してすぐに、東山さんが自分で繕って直したものだ。裏地をしっかりとあてて丁寧に縫い直したため、腕章はぱっと見継ぎ目も見えないほど見事に元に戻っていた。


「やはり君はその腕章が似合う」

「王様……」

「旅の無事を祈っている、意志強き乙女よ」


 『蒼き騎士王』としての威厳ある佇まいのまま、少女を真っ直ぐに見据えそう告げると、サクライは騎士の礼儀に倣って最上級の敬礼を東山さんへと送る。

 その肩の上から様子を窺っていたオオハシ君も、東山さんに向かってにかっと満面の笑みを浮かべていた。


「ありがとう、王様もお元気で。約束……忘れないで下さいね?」


 東山さんは照れくさそうにサクライを見つめていたが、やがていつも通りの凛とした表情に戻り力強く頷いてみせる。

 一方こちらは浪川。


「それじゃここでお別れですが、みんなどうかお気を付けて」

「浪川君もね」


 二、三度立派な睫毛を瞬きさせると、浪川は問題ないと日笠さんに首を振ってみせた。目立つとまずいという理由から、早速フード付きの外套を目深に被っていたため、少年の表情はよく見えないが、その口調は名残惜しそうだ。

 と、傍らにいたサワダが、案ずるなかれとニコリと微笑んでみせる。


「お任せください、ナミカワ殿は我等騎士団が責任を持って、チェロ村までお送りしますので」

「すいませんサワダさん。どうかよろしくお願いします」

「必ずや」

 サワダは騎士の礼に則ったお辞儀をすると改まって少年少女を一瞥する。


「寂しくなりますがどうかお元気で。助けが必要になった時は遠慮なく連絡を下さい。いつでも駆け付けます」

「あなたと共に戦えた事、このスギハラ誇りに思いますぞ」

「また遊びにこいよな!」

「ありがとう。サワダさん達には本当に何から何までお世話になりました!ヨーコさんにもよろしく!」


 これでお世話になったみんなへの挨拶もおしまい。

 さて、いざ出発――と、少年少女たちはお互いを見合う。


「ところでカシワギ殿、本当にこちらはご不要なのですか?」


 と、マーヤの傍らにいたイシダ宰相が、両手に拝領していた蒼い騎士剣を今一度確認するようにカッシーに差し出した。

 授与式の際、勲章と共に賜与されていた騎士の剣である。

 だが少年は即答するようにかぶりを振ると、腰に差していたブロードソードをちらりと見下ろした。

 今使っている剣にはいろいろ思い入れがある。覚悟を決めたあの日から共に戦ってきた相棒なのだ。そうそう簡単には変えられない。


「何本もあっても嵩張るし、俺にはこの剣があるんで」


 欲のない方だ、名工によって作られた一級品なのに――

 誇らしげに口の端に笑みを浮かべたカッシーを見て、イシダ宰相は手にした騎士剣をゆっくりと下げる。

 

「でも防具はありがたくいただいていくから」


 と、カッシーは装備していた銀色の胸当てをぽんと叩く。

 王国騎士御用達の軽くて丈夫な胸当てだ。こちらはありがたく頂戴していた。

 ついでに言うと、その下に着用する衣服についても、チェロ村でぺぺ爺から借りた剣闘士の旅装束から、蒼と白を基調とした旅用のチュニックに着替えていた。背中で靡く外套もユニコーンの紋章のついた深蒼の立派な物に変わっていたし、胸には授与式で貰った名誉騎士の勲章が輝いている。

 すべて騎士団所属の者が旅の際利用する正規品で、質も耐久性も一品のものだ。

 

「本当にそれだけでいいのかい? 必要なものがあれば用意させたのに」

「んー、使い方わかんねーしな。煙草貰えただけで十分感謝してんぜ?」

「それとお酒もね♪」


 サクライの申し出にこーへいとなっちゃんは満足げに答える。ちゃっかり嗜好品をゲットしていた二人を見て、日笠さんはやれやれと肩を竦めていたが。

 

 さて、今度こそいよいよ出発の時。

 我儘少年はぺこりと頭を下げると馬車に乗り込んだ。その後に続き、続々と馬車に乗り込む。

 と、最後に残ったエリコは、心配そうに馬車を見つめるマーヤに気付くと、彼女を安心させるようにとパチリとウインクしてみせた。


「ちょっとマーヤ? 何よ辛気臭いその顔は」 

「エリコ……カッシー達のことよろしくね?」

「まっかせなさい、私を誰だと思ってるワケ?」

「大陸随一の『お騒がせ王女』」

「アッハハ、大正解!」


 笑い声をあげると、エリコはマーヤをぎゅっと抱きしめる。

 マーヤも親友の背に手を回し、寂しそうに目を閉じると彼女を抱擁した。


「……久々に逢えて本当に嬉しかった」

「なーに今生の別れみたいなこと言ってんのよ。そんなに逢いたきゃまたいつでも城抜け出して遊びに来るから」

「うん、待ってる……」

「それじゃ私もそろそろ行くわ。またねマーヤ!」


 ポンポンとマーヤの背中を優しく叩くと、エリコは踵を返して馬車へと駆けていく。

 

「何話してたんッスか?」

「べっつにー、アンタこそいいの? マーヤと話さなくて?」

「……俺はいいッス。決心が鈍るから」


 今はお互いの夢に向かってひた走る時だ。そう、あの時約束したのだから。


 また一緒に冒険しようと――

 チョクはちらりと振り返り、彼の視線に気づいてにっこりと微笑んだマーヤに軽く手を振ってみせる。


 やれやれ純愛なことで、けどこんな調子じゃいつになることやらね?――

 エリコはそんなチョクを見て肩を竦めると、ぴょんと馬車に乗り込んだ。


 

 やがて――


 

 チョクが繰り出した軽快な手綱の合図により、馬車は四頭の白馬に引かれてゆっくりと動き始める。

 目指すはまだ見ぬ地、管国ホルン村。


「頑張ってねカッシー……」


 北の大通りから馬車の姿がやがて見えなくなると。

 マーヤは振り続けていた手をゆっくりと降ろし、雲一つない紺碧に包まれた東の空をじっと見上げた。


 

 かくして、少年少女達の新たな冒険の旅は幕を開けたのである。

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