第31話「狐狗狸廃病院島」11

 矢田「まぁ、そんなところですか」

 息の詰まる話だったらしい。

ビールを一息に干す。


 矢田「…好きな方じゃ無かったのですが、久々に呑むと美味いもんですね」


 「君の体じゃあるまいに」


 矢田「少しぐらい、良いじゃ無いですか…

折角あの檻みたいな場所から出られたんです。 許して下さいよ」


 川部「しっかしさぁ? あの挽き肉って結局なんなん? 話からすると製造してたのは猫の悪霊を封じた呪物なんじゃん」


 矢田「なにぶん私もその後、捜したり逃げる道すがら目にしただけですが…」 

頭を振りながら苦い顔で話す。


 矢田「発狂者達が暴れる人間を奥に引き摺っていったり、猫が入ったケージを押していたのは目にしましたよ。

 大方、施設内の人間やら猫やらを粉砕機にでもかけたんじゃないですかね。 大量の心霊が漂う現場で、瑞々しい意志薄弱な血肉が転がっていたらそれこそ良い的です。

 渇きにまかせて我先に入っていった結果、奇跡の融合でも果たしたんじゃ無いですか? 

肉ミンチの擬似集合生命体がまた朽ち果ててそういう心霊になったんですよ」


 「人間と猫のキメラな心霊なんて前代未聞だな」


 矢田「前任者がたがことごとく失敗していたという話は気になります。

人の心の、獣の心の千差万別どころではない、何かえげつない特質が有るのかもしれません」


 武部「それこそ彷徨っている時に何か見れなかったんですか? 前任者との対峙もあったんだろうし」

 ビールをまたもう一杯干すと、自身の顔をペチペチ叩きながら答える。


 矢田「憑依して借り住まいとはいえ、器に納まったから落ち着いてはいますがね。

ミューちゃんが見つからない焦燥と、いつ自身を失うともしれない恐れで半狂乱、そういう存在何です心霊としての私は。期待し過ぎ」 


 川部「うぇ〜 つっかえねぇの〜」


 矢田「ッチ! 何とでも言ってください」

タンブラーを机に叩きつけながら自責するように呻く。


 澤部「ま〜た喧嘩売る!」


 堀部「…川部」


 うるさい奴が何時も通り説教され始め、何ともなしに場が2分割される。

煮詰まって良い塩梅になった鍋の残りをつつきながらビールを呑むが、学生達から文句が上がらない。

 こりゃ良い。

もう一本開けよう。

魚介出汁の滲みた豆腐が良い肴だ。


 矢田「…まぁ、正直ですよ。 

落ち着いて行動できる今回は本当に貴重なチャンス何です。

何とかミューちゃんを見つけ出して、一緒に逝きたい。 何とかお願いしますよ」

 今度は明日の攻略プランとやらを喧々諤々やり始めた学生達、

目立たないようにチビチビやっていたら矢田氏が一瓶片手に隣に座る。


 「キミ、だいぶ呑むね… 大丈夫なのかい?」


 矢田「佐藤さんでしたか? 中々強いようなんで全く問題ありません」


 「まぁ、それもそうか… 

ん… そういえばミューちゃんだったか? 

そもそもあの建物内に居るのかい?

そこまで躍起になるのだから何かしら確証があるのだろうね?」

 それこそ動物のたくましさ故、とっくにどこかに逃げていたりしたらこの男はどうするのだろう? 案外、安心して心安らかに逝けたりするのだろうか?


 矢田「血染めの首輪を見つけたんですよ··· 

何も無いわけ、無いじゃないですか···」

 悔しさから歯を剥くように口を開き、良い塩梅に七味を振った牛串焼き、最後の一本に齧りつく。


 「そりゃ、何もないことは無さそうだなぁ…」

 

 矢田「だから、意地でも見つけてあげるんです。 何時までもあんなドス暗い場所にいたら浮かばれません」

 言うや否や、嘆くように開いた口内に味噌田楽を頬張る。

喉を鳴らしてビールを干す。

こいつ、意外と食い意地が張っているな。


 矢田「やはり、欲を出すべきでは無かったです。 ささやかでも十分に幸せでした」

 ポテトサラダを掻っ込むと、いつの間にか猪口に日本酒を注いでいた。


 矢田「こんな有様になるなんて!」

ぐいっ、と一息にあおる。

 散々、他人の体と金で飲み食いしながらよく言う。

存外、ふてぶてしい奴だ。


 「あのなぁ…」


 矢田「はい?」


 「君、あんがい図太いだろう?」


 矢田「はぁ? 何です? いきなり…

図太いというならそりゃ、あなたの事じゃないですか?」

 心外だとでも言う表情で、再び徳利を傾ける。


 「…」

 なんだこいつ。


 「…おい」


 矢田「はい?」


 「私にもそれ、よこしたまえ」


 矢田「え、でも…」


 「ああぁ! 何かムカつく!!」

 何か言いようのない苛立ちに任せて、彼から徳利をひったくる。


 矢田「何するんですか!」


 「知るものかい!!!!!!!」

 酒の席でのマナーに一家言あるお祖父様には申し訳ないが…

気にくわないやつの間抜け顔を見下ろして徳利から直で呑む日本酒は、

なかなか美味しかった。


···


 半ばやけくそ気味に徳利を何本か空にしたチビ社長はその後、早々に潰れて学生陣に担がれていった。

自然と場はお開きになる。

他人な上に厄介者、当然ながら後は一人。

分かっちゃいたがそら寒い。

これ以上無理して関わる気にもなれなかったので、ピチピチの青い騒がしさが落ち着いてから一人、浴衣に着替えて浴場に向かう。

久々の風呂は随分しみた。


 「寒…」

 風呂上がりゆえかどうなのかは知らない。

…戸は締まりきっている筈なのに冬の冷たい空気を感じさせるあたり、木造建築は呼吸するという与太話も少し信じられる。

廊下にはオレンジ色の非常灯、他はことごとく消灯していてさっさと部屋で寝ることを促す。

…一筋、白い光が見える。

 学生陣の部屋からだが、何やらドッスンバッタンと騒がしい。

枕投げでもやっているのか笑い声と歓声が混じる。

霊能士とは言っても学生なんだろう。

その元気が羨ましい。

 いよいよ、薄いスリッパを伝って床板の冷たさが体に広がってきたので部屋に急ぐ。

と、

突如、

 ヌルリ

とした感触をスリッパ越しに感じて、足を止める。

 水じゃない。

もっと重さと、滑りがあるような不思議な感触。

なんだろうか?

 非常灯の薄明かりじゃよく分からない。

 なんだろうかこのヌメリ気は?

油?


 ?「ィヒヒヒヒヒヒヒヒ」

押し殺したような笑い声は突如、後ろから。

 しゃがれた声、爺、変態爺か?

いつの間に座敷牢から脱走したのか。


 ?「なぁ、お主のぅ? 矢田さんのぅ?」

 声が、近い真後ろに、誰か?

 眼前には紙の様に白い顔。

歯は朱く塗りたくられ、

目が、…目は、

目は、底知れない小さな黒い点で、ぐちゃぐちゃに埋め尽くされている。

 白髪を振り乱した老人の、顔だ。

 

 ?「すんませんがね? 下手なことはせんで下さいよぉ? 儂、見ておりますからのぉ?」


 「はい?」


 ?「どこに居ようと、何していようと儂、見とりますからのぉ? アイカの邪魔はせんで下さい」


 「はぁ? そんなのあなたと何…痛い!」

足元に嫌な重さと熱さと鈍痛が。


 ?「矢田さんのぉ? 痛い、で済んでいるうちにのぉ? 弁えて下さらんか?」


右足の親指が不自然にオレンジ色の小さな光を反射させる。

銀色が一筋、親指から突き出ていた。

釘。


 ?「なぁ矢田さんのぅ? 儂、何時も見とりますからのぉ? たのみますなぁ?」

 耳元から脳髄に怖気を伴う声が突き抜ける。


 「あんた! ふざけ…」

 たまらず足元から顔を上げて、声の主を睨みつけた。

…つもりだったが、誰も居ない。

 いつの間にか右足の軋むような痛みも消えている。


 「はぁ?」

 刺さっていた筈の釘が、影も形もない。

出血もない。


 「わけわからん…」

 そういえば床の不思議な感触ももう無い。

取り敢えず、部屋に急ごう。

疲れた。

知らないうちに汗もすごい。

なんだ、なんなんだ、あの爺は…


 "「儂、何時も見とりますからのぉ?」" 


 耳にへばりついている。

死んだ、もう死んでんだ。

今更なんだ? 何で汗が止まらない?







 


 

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