第30話「狐狗狸廃病院島」10

 「はぇ〜…」

ある休日の昼下がり。

ソファーに寝転んだ男は履き古したゴムサンダルのようにしまりがない。


 「15万かぁ〜 今月はちっと厳しいかなぁ」


 「ナァン」

 寝転んだ頭上から声が上がる。


 「!! あぁ〜〜! やっぱり

"ミューちゃん" はかわいいねぇ! 

うりゅうりゅうりゅうりゅ!!」

 伸ばした手に擦り寄るその、ニャーニャー可愛いらしい伝統的愛玩動物に骨抜きの彼。

記念すべき日にキャットタワーなるものを贈りたいが資金不足にあえいでいる彼である。

 そして、広い室内を駆け回らせたいがためだけに背伸びしたローンを組む彼は、

些か愛猫 "ミューちゃん" に関して盲目的だ。


 「ニャウゥ?」


 「!!! 

心配してくれてるにゃんね!!!!!!!!! 

ふぅ〜!! 大丈夫! 

大丈夫だからね! うりゅうりゅ!!」

 その柔らかな毛並みに顔を埋めながら、彼は些か不安になる。

(こんな調子で、いざとなった時に"ミューちゃん"をしっかり養えるのだろうか?)

 しかして、

ちょっと特殊な会社勤め 矢田 光輝(33)は

一人と一匹、今後の展望に決意を固めたのだった。



 矢田「桑具井(クワグイ)部長。 

こちら、宜しくお願い致します。」


 桑具井「お〜、はいよ… ん! どうした!? 矢田! なんだいきなり!

いやいや、確かにこっちとしては嬉しいがな!?」

 平日の朝一番。

ビジネスシーンには相応しくない素っ頓狂な声をあげる上役の反応に、何人かの社員が顔をあげる。 


 矢田「そろそろ頑張らないといけなくなりまして…」


 桑具井「わかった!! 何も言うなよ? 

矢田にしてみれば深刻なワケがあるんだろう?

その顔見りゃよ〜く分かる。

あえてそこまで深入りはしないからな。」


 矢田「ありがとうございます」


 桑具井「矢田なら面接の方も問題ないだろうし… 

いやぁ、しかしそうなると来月から3年間か。今日は呑みに行こう。 

ちょっとした送別会と未来の出世祝だ!」


 矢田「ハハハ… ありがとうございます…」


 今日は "ミューちゃん" をグルーミングするつもりだったのに、と内心毒づく。

しかし一方、その反応が嬉しくもあったわけである種の充実感すら感じていた。

これから新天地でより豊かな生活を築いていくのだと、決意がみなぎる。


 さて

彼が上役に渡したのは、かねてからしつこい勧誘を断り続けていたあるプロジェクトの社内公募用紙である。

無味乾燥な形式的文体。

その実、中々に魅力的な待遇で誘うそれは片道切符になるのだが…

その時の彼は知る由もない。



 矢田「ね! 楽しみだね! ミューちゃん!」

 出先だというのについつい自宅での口調で愛猫に話しかけてしまう彼は、少し浮き立っていた。

孤島にあるという最新複合型の職場兼住まいは、穏やかな潮風のなか夕陽に照らされ煌々と輝いて見える。

 すでに船に乗り込むまでの鉄路と道路に時間を費やしたその日は、短いながらもロマンチックな茜色の船旅を、一人と一匹にプレゼントしたのだ。


 「ナァォン!」

 何時も以上に嬉しそうな様子で、愛猫もバッグの中から彼に応える。


 「そろそろ到着です。

お忘れ物など有りませんようご注意下さい」


 矢田「うーし! ガンバロー!!」

 だから、近付いてくるその白亜じみた建築物群にいよいよ昂ぶってきた彼の口から、些か独り言にしては大き過ぎる声が出るのは無理からぬことなのだ。


 「どうぞ 

お気を付けて行ってらっしゃいませ!!」

 そして船員一名、好意をにじませて言い添えたその一言が皮肉になるとは、その場の誰も予想だにしない。



 「どうぞ、よろしくお願い致します」

 馬鹿でかい白塗りの生産施設長にして、 

目の前で腰を折る

咲野 祥明(サクノ ヨシアキ)と名乗る男。

何時も大人しい"ミューちゃん"が牙を剥いて威嚇している。

判断理由はそれだけで十分だった。

どうもいけすかない痩せぎすな男だ。 


 咲野「可愛いお連れ様もご一緒で…」

 気なしかこちらも歯を剥くような笑顔を見せる。


 矢田「あぁ、すみませんね。 大切な家族なもので… ちゃんと部屋から出ないようにはしますから大目に見て下さい」

 そもそも、前もって伝えていたことなのだ。

承諾はとってある手前、文句は言わせんぞと語気を強める。


 咲野「いやいやいや! 私も猫は大好きですから!! 気にしたりはしませんよ?」

 大げさに両手の平を振りながら彼は続ける。


 咲野「…しかしですね。 くれぐれもご注意下さいね? 

万一、施設内で迷子になったりしたら大変ですから」 


 矢田「承知の上です。 これだけ大きな施設だと見つけるのも骨でしょうし…

ま、うちの子は迷っても呼び掛ければすぐ出てくると思いますが」

 "ミューちゃん"の聞き分けの良さは自慢の一つだ。


 咲野「はぁ… それなら安心? なのですかね?」


 矢田「何か問題でも?」


 咲野「いやいやいや! 特に! 何も! 

ございません!!! 

さ、さ、とりあえず日も暮れてきましたしお部屋までご案内致します。 どうもすみませんお疲れでしょうに! 立ち話させてしまいました」 


 矢田「…それなら良いのですけどね」

 まるで道化師のように大げさな態度から些か不穏なものを感じた。 

そして、食肉工場のような制服で施設内を闊歩する職員達が、更にその仄暗い疑念を補強する。


 "一体どんなものを製造しているのだ?"

疑念は募るが、生理現象には抗えない。

馬鹿に柔らかく心地よいベッドが眠りを誘う。



 矢田光輝 彼の役割はより多くの要望を汲んだ製品の改良と、係る製造プロセスの変更、運用の実現にある。

より良い製品を求める顧客からの声が大きくなってきたため、大ヒット商品を生み出した彼の着眼点をフルに生かそうという社の意向である。


 「ギギギギギィイィイイイイイイィ」


 だから、製造されている製品について彼はより詳細に知らなければいけなかった。

それがどうやってできているのか、知らなければいけなかった。


 「ギャギャギャギャギャギャギャギィイイイイ」


 愛猫家 矢田光輝

彼の目の前では一匹の猫が、錆びた釘を前足に打ち込まれている。


 「グギィイイイイイイイイイイィィィィ」


 もはや一動物の発する鳴き声というより何がしかの、古びた機械の駆動を思わせる耳障りな音が響く。


 「あぁ〜 いい子でしゅね〜」

 ベルトで隅々まで固定したその猫に、デモンストレーションと称して一本、一本、と打ち込んでいくのは、昨日自らを猫好きと語った生産施設長の咲野だ。

凄惨な手もととは対照的にその表情は、穏やかな笑顔をたたえる。


 咲野「いやぁ〜 やっぱりウチで作ってる呪詛用釘N19は格別ですね!」

 孤独死した人間の体液が染み込んだ畳に埋め込んで、丁寧に錆を付着させた社のオリジナル呪詛用品はサイドバッグに山盛り。     お気に入りなのだろう。

そして何事かに満足なのか、血まみれのラテックスに包まれた手をもみ合わせながら興奮冷めやらぬ吐息を漏らす。


 咲野「バランス良く付着した赤錆が毎度毎度、いい鳴き声を聞かせてくれますよ!」

…ひとしきり満足気に語った後、改めて今度は耳の付け根に釘を打ち込み始めた。


 咲野「ここが中々、鬼門でしてね?」


 「ギキキィギキキキキィィイィ」


 咲野「力加減を誤ると呆気なく逝っちゃうんですよ。 台無しです。 だからこう… 

軽めにトントントンってかんじで…」


 「ィィィィィィィィィィィィ」

 

 咲野「おお! いい感じです! これで第一工程は終了ですかね」


 矢田「」


 咲野「矢田さん? 矢田さ~ん? 次行きますからね? お気持ちは察しますが、仕事は仕事。 切り替えはしっかりして下さい?」

 矢田光輝 彼は久方ぶりに吐き気を覚えた。



 咲野「え〜、次はこちらの専用口枷を猫ちゃんに装着しまして、口が閉じられないようにしておきます」

 先程よりかは落ち着いた調子で釘だらけの猫に開口器をムリムリ押し込むと、こんどは自ら物々しいガスマスクを装着する。


 咲野「はいはい、矢田さんもこれ着けて下さいね」

 震えが止まらない指を何とか使いながら渡されたガスマスクを着ける。


 咲野「第二工程はこの薬品を使います」

 透明なガラス瓶が波打つ。


 咲野「このガッツリ開いた口の中、歯茎にこの薬品を少〜しずつ垂らします」

 小さなピペットでこれまたほんの数ミリかと思われる液体を吸い込むと、慣れた手付きでつややかな牙の根本に垂らしていった。


 「ッカァァァァァァァァァァァァァッ」 

 

 垂らした瞬間、開口器せいで先ほどより五月蠅くはないものの、背筋を駆け上がるような苛烈さで荒い呼吸を始める。


 咲野「これがね〜 また難しいんですよ。

欲張って垂らし過ぎちゃうと体内までもろに入って逝っちゃいますからね。 本当にチビチビ垂らしていくのがコツです」


 「ァアアアアアアアアァァァァァァァ」


 咲野「よし、よし。 中々いい塩梅ですね。 歯茎を釘で刺激して完了です。

指で押し込めるので加減しやすいですよ」


 「ァァァァァァァァァァァァァァァァ」


 もう、喉が潰れてしまったのだろうか?

掠れたような音をふかすだけだった。



 咲野「さてさて、第三工程はクライマックスでしてね!? 見極めが肝心です」

 ガチガチに固定された猫をステンレス製の手押し車に乗せて、咲野氏は嬉しそうに歩を進める。


 咲野「少しずつ、少しずつ、体を削っていくのですけれどね? あんまり大雑把だと肝心なものも出てきません。 こう徐々に、徐々に追い込む様にして、最後に口から丸ごと出てくるのが理想ですね」

 自説に満足気な相槌をうちながら、メガネを取り出す。


 咲野「その肝心なものも是非、見て頂きたいですからね!! ご用意したメガネのサイズは多少ずれるでしょうがご容赦下さい」


 矢田「」


 咲野「…矢田さ~ん?

あれ? 見えないですよね?

本社からの書類にはそのように記載ありましたけど?」


 矢田「何匹ですか?」


 咲野「はい?」


 矢田「どれくらい、一日にこうした処理を施しているのですか?」


 咲野「あぁ、基本的な情報がまだでしたね。

すみません。

えぇ〜まぁ〜 ご覧頂いている通り時間もかかりますので… 

一日あたり人員総出で100ぐらいですか?

 通常はシフトで回すので60前後が平均ですね」


 矢田「…そうですか」

 この会社が呪詛方面に舵を切った時から、何がしか血生臭くなる予感はあった。

でも、せいぜいゴキブリをいたぶる程度のそれだろうと自信作を通して高を括っていた。

 今更な話だが、それはあまりに浅慮であったらしい。 

現代における伝承的呪詛というものの需要を軽く見積もり過ぎていたし、見える部分だけ都合よく見て達観していた。


 咲野「はいはい、ですから! メ〜ガ〜ネ。

ちゃんとヌルっと出ますから見ていて下さいよ? いわば集大成ですから」


 矢田「…」 

 感傷に溺れながら、その曰く有りげな意匠のメガネを掛ける。



 咲野「クライマックス! 第三工程はこちらのアシスト付汎用粉砕機を使います。

いやぁ、"アシスト付"ってところが重要でしてね? 手動による微細な操作と、電動アシストによるパワーが両立してこそ、この第三工程は成立するのですよ」

 肉どころか骨だって容易に粉砕するだろう分厚い鋼の刃が乱立する入れ口。

吐き出し口は黒い大きなナイロン袋が隙間なくカバーしている。


 咲野「それともう二つ。

こちらの音楽と、特注の袋が重要です」

 そう言いながら件の猫の頭をすっぽり黒白砂嵐模様の巾着袋で覆ってしまうと、小型の再生機器から聞き慣れないニャーニャー声が再生される。


 咲野「せっかくヌルっと綺麗に取り出せても逃げちゃったら意味がないのでこの袋ですね。 

小型を捕縛できる特注品です。

そしてせっかく捕まえてもお客様が望まれるような攻撃性をもっていなければ商品にならないので、こちらの音楽ですね。

山向こうのxxxxx村に猫飼いを代々生業にするお家が有りまして。

そちら様から

"ひたすら相手を嘲笑する猫の声" をご提供頂きました。 それをリピート再生しています」


 よくもまあそこまでやるものだ。


 咲野「要は散々笑われながら耐え難い痛みの中で攻撃性を募らせるわけですね。

それで募りに募ったところを我々がヌルっと抽出って感じです! 

ま、百聞は一見に如かず。 

やってみましょう」


 ガァ ガァ 規則的に響く粉砕機の音に、ノイズが混じる。


 ミチミチミチミチミチミチミチミチミチミチミチミチミチミチミチミチミチミチ

湿り気を帯びた固い何かが耐え切れず破裂して、破片になる。

その細かくなった破片を次々に巻き込んで奔流を作るのは間違いなく赤色だ。

 吐き出し口は覆われていれども、その瑞々しい音は全てを物語る。


 「ヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒ」

 後ろ脚を粉砕機にかけられた件の猫は、電気信号的な忙しないテンポで全身を震わせ、何とか呼吸をつないでいる。

そして身じろぎする度に食い込む頑丈な革ベルト… それは毛並みの上から青黒い変色が分かるほどにその体表を圧迫していた。 

 「ヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒ」

 それでも猫は身をよじり、喧しい同族の嘲笑い声と骨肉のノイズにまみれながら呼吸を必死につなぐ。


 咲野「はいはーい、ちょっとストップ」

 手もとのダイアルを一気に“切“まで回すと、すかさずビニール紐をベルトポーチから取り出す。


 咲野「いきなり全部やっちゃうと台無しです。ちょっと間を挟むのがポイントですね。」

 グチャグチャに引き千切れた箇所に続く根本を食い込むほどに縛ると、

その三毛模様にまた釘を打ち込み始めた。


 咲野「痛みで混乱するばかりの個体も居ますから、念の為に陰気な攻撃性に繋がる誘引を再度打ち込んでおきます」


 「ギキュキキュキキュキキュキキュキキュキキュギキュキキュュ」

 喉首近くに力強く釘を打ち込まれた三毛は身じろぎしながらやはり、生き物の出せない様な音を上げた。


 咲野「さあさあ、ラストスパート。 張り切っていきましょ」

 ダイアルが一気に中ほどまで回る。


 メキョメキョメキョメキョメキョメキョメキョメキョメキョメキョ

もういよいよ大切な部分まで微塵にされているせいか何の音も出さなくなった猫は、ピクピク振動している。

その細かな動作は粉砕機の駆動によるものか最後のあがきなのか判断できなかった。


 咲野「良い感じに震えてきましたし、そろそろですかね」


 ビキビキビキビキビキビキビキ

胸元までいったあたりか、

と、

突如として例の砂嵐巾着が膨らみはじめる。

…道端で配る風船ぐらいには膨らんだ頃、巾着に何かどす黒い塊が蠢いて見える。

 

 咲野「まぁ、大体このくらいですか」

 サイドバッグから小型のノコギリを取り出すと慣れた具合に、首筋を切断し始めた。


 咲野「さてさてお疲れ様です。 これで収穫完了です」

 何事もなく得意げに キュッ と血染めの巾着袋を勢いよく締める。


 咲野「最後は加工ですね」



 "水場に霊は集い易い"

とは、民間まで幅広く伝わっている業界の常識だ。

 その性質が渇いているからか何なのか、夜間電灯に吸い寄せられる虫がごとく液体に集うその習性は殊、心霊に強い。


 咲野「まぁ、加工は矢田さん産みのヒット作。 

我が社指折りの販売実績数のゴキブリ蟲毒玉と同じですが、使う媒体は比較的割れ易い配合のガラスを使います。

このレベルの商品に手を出すお客様は即効性と強力な効果をお求めだろうということで、あえて割れ易くしていますね」


 矢田「それは… 使用者にとっても危険過ぎやしないですか?」

 

 咲野「まぁ、そこは購入時にご説明の上一筆書いて頂いて貰っていますし、大丈夫かと。

リスキーですがリピーターの方も多いんですよ?」

 手馴れた様子で会話の合間にガラス棒の準備を整えてしまうとバーナーに着火する。


 咲野「何気、この加工が一番楽しいって方も多いですね」

 徐々に徐々に液体化していくガラス棒は無色透明、その上方に吊られているのは血染めの白黒巾着だ。


 咲野「さあさあ、そろそろ頃合いです」

 ビー玉大にとろけたガラスをステンレス棒に移しスタンドに固定すると巾着の封を解く。


 咲野「近付け過ぎると袋が燃えちゃいますから、ちょうど良い距離で解放してとろけたガラスに誘導します。 ここが鬼門ですね、目の前に大好物があるとはいえその攻撃性で我々を襲うこともありますから、近すぎず遠すぎずが重要です」


 矢田「危険ですね」


 咲野「まぁ、でも十年やってきて発狂者がせいぜい5人です。 一応、死人は出ていませんし」

 なんてこともなく言ってのける。


 咲野「ほらほら、言っているうちにまんまとガラスの中に飛び込みましたよ」

 メガネで覗くと、ドス黒さがガラスの中で蠢いていた。


 咲野「ささ、割れないようにさっさと冷やします」

 冷却剤の入ったステンレス容器にステンレス棒を軽く転がしてから中に突っ込むと、額の汗を拭う。


 咲野「この緊張感はなかなかたまりません。

ま、これで1時間ばかり置いて一つ完成ですね。

お疲れ様でした」


 矢田「ありがとうございました」

 欠片も思ってもいない社交辞令を吐きながら、メガネを返す。


 咲野「これからいかがしますか? 予定通り製造工程はご紹介できましたが?」


 矢田「手もとにある顧客アンケートからすぐに工程に盛り込めそうな付加価値を考えてみますよ」

 とりあえずあちらこちらから猫の怨嗟が聞こえる様なその場から、一刻も早く立ち去りたかった。


 咲野「左様ですか。 それでは私は通常業務に戻りますが、何か有りましたら遠慮なくお呼び下さい」

 気の良い人間ではあるのだろうが、だからといって悪いやつではなさそうだ、などとは決して思えない…

そういうギャップがたまらなく気持ち悪かった。

脳裏で、彼に釘まみれにされた三毛猫が鳴く。



 なんてことは無い。

予想通り、より強い殺傷能力或いは精神汚染の類ばかりがそこでは求められていた。

時に、オブラートに包まれ。

時に、直接的に。

人々はただただ、目の前のモニター内で害意を滾らせていた。

これは無理だ。

もっと安全にとか、手早く簡単にとか、そういう方向でお茶を濁しつつこれからの3年間を凌ぐなんて、どうひっくり返しても無理だ。

 どす黒い要望の塊に今更、絶望する。


…ボヤッと椅子に体を預けたまま、手にしていたのはスマホだった。

あの日、少しばかり楽しく酔ったあの日。


「何かあったら相談くれよ! 矢田!」

と、連絡先を押し付けられたあの日。


現実的に頼れそうなのはあの部長ぐらいだ。

 とりあえずこの環境から逃走すべくメールを打つ。 仕事でも無理なものは無理だ。

返事は

 ものの数分後に来た。


〈無理だ。

契約通り3年は食いしばれ。

…ここだけの話だが、矢田。

ここ最近、執行役員は不穏分子を新製品のテストも兼ねて消している。

目を引く様なことはしない方が良い。

頑張れ、辛いだろうが頑張れ。

これしか言えん。すまん〉


 自室までの無機質な廊下をフラついて、ベッドに倒れ込んだはいい。

情けなさで泣けて来た。

 チクショウ、チクショウとベッドを叩いたところで、惨めさが身にしみるばかりだった。


 「ナァン?」

心配そうに擦り寄ってくる

"ミューちゃん" は、

何時にもまして温かだった。



 "…緊急…緊急

緊急…緊急警報…緊急警報!緊急警報!"

 馬鹿みたいな大音量で目が覚めた。


"緊急警報!緊急警報!緊急警報!緊急警報!"

 クソみたいに夜までふて寝してしまったらしい。

周囲は真っ暗だ。 

スマホのライトを点灯する。


「ミューちゃん??」

 居なかった。

ミューちゃんが居なかった。


 「ミューちゃん? ミューちゃん?」

 おかしい。

部屋に居るなら真っ先に応えてくれる筈だ。


「ミューちゃん?」

…部屋のドアが開いていた。

釘だらけにされるミューちゃんが頭にこびりつく。


 「ミューちゃん! ミューちゃん!」

 長い廊下も全て消灯している。

スマホの点灯だけを頼りに施設を駆けた。


 「ミューちゃん! ミューちゃん! ミューちゃん!」

 "ミューちゃん" は聞き分けの良い利発な子だ。聞こえたらすぐに出てくる筈何だ。


 「ミューちゃん! ミューちゃん! ミューちゃん! ミューちゃん!」

 しかし、どこに行けど緑色に光る非常灯ぐらいしか見えない。


 「ミューちゃん! ミューちゃん!」


 「矢田さん!!!」

 あいつの声が突如、暗がりから上がる。


 咲野「ご無事でしたか!!! こちらに! 速く!! 非常口から逃げましょう!

あり得ない事故が起きたんです!!」


 「いや、しかし! ミューちゃんが!」


 咲野「言っている場合ですか!!!

不味いんですよ! 

数十名単位で職員が同時に発狂したんです! 凶暴すぎて手に負えません!! 常駐させてた霊能士も警備員も殺られるか発狂して無理何です! 速く!!!!!」


 「しかし!!」


 「ニキェキェキェキキキキぃイイイイイイイ」


「あ?」


 咲野「危ない!!!!!!!!!」

 やっぱり良いやつだとは最後まで思え無かった。でも、

その時割って入った彼の頭に斧が叩きつけられていたのは何故かよく覚えている。


 「ギキュイイイイィィィィィィィぁああ」

 一撃で何も言わなくなった彼の足をすぐに引っ掴むと、奥の暗がりに夢中で引き摺っていった。

お陰でその時は助かった。


 「ああ! ミューちゃん!!!」

 駆け出した手前、いきなり扉が開き。


 「ミヒっヒヒヒヒヒヒヒヒっヒヒ」


 迫る何か、鈍色が緑色を反射して迫り…

訳のわからないうちに心霊になっていましたよ。



 

 

 



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