第21話「狐狗狸廃病院島」1
「あー… 待った」
この一戦で何回言ったか分からないが、取り敢えず言っておく。
寒々しいアルミサッシの窓に雪のチラつく昼下がり、元将棋部員の俺は苦悩していた。
「何回目かな? まあいいとも、私は寛大だからね」
何時もはなんかこう言いたくなるドヤ顔なのだが生憎俺の脳味噌は今、目の前にある将棋盤のことでいっぱいいっぱいなのだ。
うまい悪口の一つも掠らない。
件の上司は貧相なコンクリート造りとは不釣り合いな革張りのソファに寝そべる。
そして某みぞれ状のカップアイスにスプーンを突き立てながら挑発するのだ。
「しっかしなぁ説教臭くてなんだが、もう少し考えてから行動に移したらどうだよ? さすっちさぁ、待った多すぎ。 本来は禁じ手だぞぉ?」
少々節操がないのは自分でも分かっちゃいるが、こいつには言われたくない。
「確かに、いくらエアコンが効いているからって真冬にヨレヨレのキャミソール姿でアイスを食べている変人に説教されたくはないですね」
いくらこの前、調子こいてあげた祝杯に悪酔いして同じ便器で吐いた仲とはいえ、だらしなさは大概にした方がいいぞ?
頭スチールウールチビ助。
「あぁん? 別に良いのだよ私は。 全て考え抜いた上で行動しているからね。 それにここは事業所兼、私の住まいだ。 どう過ごそうが勝手だろう?」
「自分は、平日その事業所に詰めておくように業務上の命令を受けて待機しているにすぎません」
「私の過ごし方には全く関係ない」
「就業中の社員の目の前で下着姿でゴロ寝して、アイスかっ喰らうその姿勢はどうかと思います」
「はぁ〜、さすっちさぁ… 固い! 固いんだよ! サムの胸筋より君の頭は固いんじゃないかい? ストレスのない職場ですこぶる良いことじゃないか」
色気もクソもない素脚で私の主張は正しいんだとばかりに空気を蹴る仕草が実にガキ臭い…
「…下ぐらい穿いたらどうですか?」
そして流石にそのだらしなさはご自慢のお祖父様が泣くと思う。
「どうせ誰も来たりせんよ、雪だし。
飛び込みの依頼ならメールか電話で来るさ。
それに下は蒸れるからプライベートじゃ穿かないだろ? 普通。くつろげんじゃないか。
ほらほら、それよりどうするんだい?
君の番だろう?」
汚え、口から引き抜いたスプーンで将棋盤を指すんじゃねえ。
大枚叩いて買った本榧の特注品なんだ、垂れたらどうする半身裸族。
「ちょっと待って下さいよ!」
「ふふん、何時間でも考えるがいいよ。
今日中に勝負がつけば良いがね」
どうすればいい、この盤面…
畜生。
食っちゃ寝だらけノーパン自称大人ガキ目
の、こいつにだけは意地でも負けたくない。
そうやって思考を溢れ出る彼女への悪口から盤面に移した直後だった。
?「ちょいーす、回梨校でーす」
投げやりな挨拶と共に後ろのスチール扉が馬鹿でかい音を立てて開いた。
?「なにやってんの?」
対局してるだけだよ。
いや、お前が何なんだよ。
アイカ「が…?!」
驚きついでに咥えた金属スプーンを飲み込みかけた半裸族は、ゲホゲホやりながら大声を上げる。
アイカ「サム! サー厶!! 早く! 早く!!」
一瞬のうちに彼女は、最近久しく見ていなかった個性の押し売りみたいな例の格好に早変わりする。
戦隊モノの変身も現実的にはこんな感じなんだろうか?
アイカ「何用かね? お客人」
格好つけてパイプ咥えても色々と手遅れだと思う。
?「いやぁ… 色々と無理くね?」
よくよく見りゃ知った顔だ。
俺「回梨学園の川部さんじゃないですか。
お元気そうで何よりです」
酔いどれ四人組か。
川部「お久し、佐藤〜さん。 相変わらずパッとしない感じ。 嫌いじゃないよ。 すこぶるうだつがあがらなくて無害そうで」
俺「口わっる」
あぁそうだ、清楚過ぎる見た目に騙された。
こういう奴だった。
?「すいません急にお邪魔して…」
?「だからさぁ、アポぐらい取ろうって言ったじゃんかよ、川部〜」
?「失礼」
思った通り続けて3人、ゾロゾロ狭い室内に入ってきやがった。
早く閉めてくれ、寒い。
アイカ「やぁやぁ、回梨学園が誇る四部衆の方々じゃあないかね。 狭いところだがまぁ…掛け給えよ」
圧倒的に椅子が足りないのでソファの上を片付けて急遽来客用にしたらしい。
毛布とナイトキャップと本と、最近増えた変なぬいぐるみがフワフワ宙に浮いている。
守護霊は家政婦じゃないと思う。
澤部「す、すいません… お寛ぎのところ」
武部「全部この川部が悪いんで」
堀部「大変、申し訳ない」
川部「そうゆっことで〜 よろでーす」
アイカ「佐藤君、お茶の用意を…」
流石に無遠慮な挨拶が少し頭に来たのか、帽子にムニムニ八つ当たりしている。
ざまあみろ、半裸族。
…
アイカ「して、今日はまたいきなり何用なんだね? 君達は」
川部「職場体験っすよ職場体験。 ほら、私らエリートでも少しは現場に慣らしとけってやつ。 あとなんかお茶請け無いっすか?」
アイカ「先程から失礼だな君は! 気が効かないのは謝るが…そら、これで全員分買ってこい!」
札を握らせると川部はこの寒空に、喜んで飛び出していった。
川部の下卑た反応より上司の金の使い方のほうがめっぽう心配になったが、それはおいおい文句つけてやろう。
澤部「…色々とすみません。
職場体験の方は先日解決して頂いた一件のせいで特別なんです。 もっと実践的なことやって自衛力を養わせろって」
俺「それにしても早すぎやしませんか? この前の一件からまだ3ヶ月も経っていないでしょうに」
武部「この業界はどこも古臭い根性論と精神論と理不尽がまかり通ってんの。 今更じゃないっすか?」
アイカ「まぁ、それはそう決まってしまったならばしかたがないが…何故、ここなのだ? もっとそういうノウハウのある大きなところもあるだろう? 回梨派には」
澤部「先日の一件を解決して頂いたからこそです。
八十派のアイカさん達に先日の依頼が回ったのも、回梨派が手を尽くしても解決できなかったからだとはもう皆分かっているんです」
武部「そうそう、散々囃し立てて送り出した実力者達がことごとく死体になって転がされちゃあ誤魔化しようがないじゃん? 聞いた話だけど、じゃあ俺達かなり弱いんじゃないかって話になっちゃっててさ。 だから八十派にもいつまでたっても頭が上がらないんだって」
だから直に派閥の精鋭を鍛えて貰おうって算段か。
堀部「なんとかご協力いただけないか?」
ゴツっと音を立てて堀部が漬物石みたいな頭を汚い事務机に垂れる。
…
なんだか、そのまま動かないので流石にまごつき始めた孫上司に耳打ちする。
俺「アイカさん、流石に高校生にここまでされて無碍にするのはイメージ悪いっすよ」
アイカ「や、やはりそうか? だがなぁ、派閥が絡むとなるとお祖父様がなぁ…」
頼りない上司は社長というより中間管理職みたいなことを言って髪を弄っている。
俺「どうします? それじゃあ日を改めて貰って…」
言いかけて何やら印象的な赤黒い線の踊る丸まった紙が、上司の傍らに浮遊するのを認める。
俺「アイカさん。 それは…」
アイカ「おぉ…おぉ! ありがとうサム! お祖父様からだ!」
しかめっ面からピカピカするような笑顔になった上司が広げた紙には、見覚えのある赤黒い字で一言書かれていた。
「いいよ!」
俺「え? いつの間にですか?」
アイカ「やはり固いなあ! さすっち君! お祖父様はどこにでも居るのだよ!」
なんだか疑問しか残らない俺を差し置いて、途端に調子付いた上司は件の3人に振り返る。
アイカ「あい! 待たせた! いいぞっ…」
パシャ
言い終わらぬ内にシャッター音が鳴る。
川部「"非道! 現役高校生にパワハラか?" なんちって〜」
両腕に山のように駄菓子が詰まったコンビニ袋を吊り下げた川部が、スマホを構えて立っていた。
アイカ「は?」
川部「いいからさ〜 続けちゃってよアイカっち〜?」
澤部「川部!」
一緒に頭を下げていた澤部が慌てて頭を上げた時だった。
ヒュン!
と風を切って何かが川部の頭部目掛けて飛ぶ。
川部「ふおッ!」
よく分からない動きでそれを避けた川部の直近で扉に当たったその何かは、鈍い破裂音を立てて綿を撒き散らす。
…あの変なぬいぐるみだった。
俺「アイカさん!?」
アイカ「わけがわからん。 なんだ、最近の若者ってやつはみんなこうなのか? ヅカヅカろくな挨拶もなしに上がり込んできておいて身勝手に好き勝手喚き散らしたと思ったら、今度は脅迫だ? 何を馬鹿な理解できんよ。理解不能だ馬鹿!! 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!」
頭を掻きむしりながら地団駄踏んで喚き散らす彼女がいた。
川部「へ〜イお嬢ちゃん? 喧嘩なら守護霊に頼ってんじゃねえょお!!! 腰抜けぇ!」
煽るんじゃねえ欺瞞清楚女子高生。
アイカ「ゃぁにぃぃい!!!!!!!!!!!!」
ブンブン手を振り回しながら突っ込んでいく上司を俺は、止めるべきなのだろうかと逡巡したらもう遅い。
取っ組み合いのキャットファイトは始まっていた。
アイカ「馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! 」
川部「チビ! チビ! チビ! チビ! チビ! チビ! チビ! チビ! チビ! チビ! チビ!」
髪を引っ張り有って、頬を押しのけ有って小学生の喧嘩みたいだった。
あまりの稚拙さに呆気にとられていたが、ふと我に帰る。
誰か来ている。
?「ぅるせぇええええぞぉおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
怒号と共にスチール製の扉が跳ねるように開いて、運悪く戸口でもみ合っていた二人は跳ね飛ばされた。
?「喧嘩は外でやれぇええええ!!!!!!!!!!!!!!!
馬鹿野郎!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
お隣に入っているお姉さんだった。
バッタンと音と風圧を上げて閉まる扉を見送って振り向けば…
跳ね飛ばされた衝撃で頭をぶつけ合ったりでもしたのか、
ばら撒かれた駄菓子の海の中で額に青痣を作ってベソベソ泣く上司と、意識を無くしたらしい。 川部がのびていた。
俺「あの、まあ、あれですあれ、あれだ。
あれですよ。
…救急車呼びますね」
澤部「えっ、あっ、あっ、
あっ…そうですよね。
色々と申し訳ありません」
武部「馬鹿川部…」
堀部「…」
なんだか、…
なんだか。
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