第18話「骸骨学舎」12

 重い扉に遮蔽され人っ子一人いないその巨大空間は、あり余ったスペースと薄暗さが相まって怖い。

隅に見えるあの暗がりから、何か得体のしれないものがやって来るのではないか?

そんな下らない想像が膨らむ。


 「上々、上々。 周囲に人が居ないのは実にやりやすい」

不吉な空想に俺が怯える一方で、アイカは上機嫌だ。

叩き心地を気に入ったのか、サムのスキンヘッドで三三七拍子をとっている。


 「さぁ、元凶退治としゃれこもう!」

威勢良く指差したのは体育館によく併設されている放送室の、黒ぐろと闇を湛えた小窓だった。

確かにマイクのありそうな場所で見ていないのは、あそこぐらいだ。

しかも薄暗い。 というよりは真っ黒。

暗幕でも張ってあるのだろうか。


俺達の周囲だけアイカの声で賑やかな、だだっ広く仄暗く静まりかえったこの空間に、何とも言えない不安を感じながら、放送室に続く階段を上がる。



「さぁ! いよいよ、いよいよだよ! いよいよ! これで元凶を叩いたら、美味いものでも食べに行こう!」

 立ち塞がる金属製の扉はあっけなくノブを削り取られ、 キィ と音を立てて開いた。


「な、、あれですかね? 元凶は…」

異様も異様。


 「でっへへへぇひゃいっ! ひゃひゃっ! ぁアッ! あっぁあっ」

焦点の定まらぬ表情で涎をたらし、笑いとも、嗚咽とも判断し難い声を漏らす男子生徒が一人、壁にもたれて痙攣している。

傍らには人型のシルエット。

 「勝也君、勝也君、勝也君、勝也君、勝也君、勝也君!」

痙攣している彼の呼称らしきものを連呼しながら、その顕わになっている素肌に、愛撫と口づけを繰り返す。

あちこちに置かれたキャンドルがそんな光景をロマンチックに照らし、異様さに拍車をかけている。


 「何やってんのあれ?」

いまいちお子様っ気の抜けない二十歳が、何とも気の抜ける疑問を発しながら先陣を切るつもりなのか、歩みを進めた直後だった。


 「Hey!」

興奮気味にサムが声を上げた。

一瞬。


 ガッ


真横の暗がりから吹っ飛んできたパイプ椅子が、アイカの側頭部を直撃した。


 「ちょっ! 何やってんすか!」

 あの、耳障りな異様が止んでいる。

気がついた。

でも、脚はもう止められない。


 「バイバイ」

キャンドルに照らされたシルエットが艶かしく何か…


 こめかみが、重く、眩しい。

耳が、遠くなる



 (僕と勝也君の、愛の巣)

(永遠に続けるんだ)


 誰かが肉体という檻から開放されて、降って湧いた ''力" を受け取った。


夢見るように愛した者への執着とわだかまりと悔恨。


 ソレは大方、そういうもので現世に留まった。

ソレは、放たれたが故に少し歪み、受け取った "力" でさらに歪んだ。


積み重なりは偶然だが、帰結する内容というのは至極、当然。

愛の巣をソレが考えて作った環境は、まるで牢獄であった。


 「痛い! 痛い! イタイイタイイタイぃいいぃいいいいいい!」

 愛を永遠に繰り返すには一度、壊れなければいけない。

なまじっか肉体を忘れた為に、なまじっか彼への執着でつながれた為に、

ソレが彼を優しく壊せなかった一回目。


ソレは、愛する彼が悲鳴を上げても喜んだ。

生みの苦しみは辛いものなのだと。

これから、間違いなく永遠が待っているのだと。


 「ぃいいぃいいぃ! 止めてぇえぇ! 止めてぇエエエエ!!!!」

 (おかしいな、一回捨てられたのだから慣れている筈なのにね)

ソレが、彼のバタつく脚を抑えて首を傾げる二回目。


これからずっと一緒なんだよと、ソレは想いを込めてゆっくりと、彼の腹を掻っ捌く。

強く抱きしめながら、耳元で勇気を出してと囁きながら。


 「ひゃいっ! ひゃひゃっ! ぁひゅアッ! いヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!」

 彼がひたすら笑う様になった三回目。


ようやく笑ってくれたねと、ソレはニコニコ首を切る。

 「ァヒャヒャヒャヒャヒャヒャ! ッブヅッ!?」

それから、

ひたすら笑う様になってくれた彼とソレは、ひたすら牢獄の中で逢瀬を貪った。



 さて、そんな日々の今日なのだ。


(昔取った杵柄なのかな?)

(あんなに強そうな守護霊も、主人が居なくて動けない)

(やっぱり僕たちの愛は祝福されてるね)

なんて、

ロマンチックにソレは感じいりながら、のびている邪魔者二人を傍目に、笑いながら喘ぐ彼へ接吻をする。

 冴えないおじさん、銀色の髪が綺麗な子ども、


(子ども、彼との子どもにちょうど良いかな?)

なんて、これからのことを考えながら、改めて小さくて可愛い邪魔者を見やった時だった。


 「ダレ!」

ソレは思わず叫ぶのだ。

キャンドルに照らされ蠢く、赤黒い何か。

その何かはいつの間にか、いた。


 「んー、自分の尻も満足に拭けんか。 しゃーない、しゃーない、可愛い可愛い」

 よく見ればそれは振り袖。

喋る。

しゃがれ声の、白い老人。

赤黒い振り袖から覗く白い手指が、つらつらと半紙を撫でると同時に、

半紙は赤黒いシミを作る。

何か?

よく見れば、その白い指先から滴る血であった。


 「ダレ!」

ソレはもう一度叫ぶ。

予期しないことに対してはソレも人も、対して変わらないらしい。

おおよそ要領を得ない。

まあそれでも、ソレは叫ばずにはいられなかった。


 「ほいほい、精進せい精進せい」

血文字で書き上げた半紙を、のびている子どもの上にヒラヒラ落とすと、

老人はくるりとソレに向く。


 「あっりゃ〜、安岡の! あ~あ~、こんななっちって、気の毒〜」

老人が、

ソレに向けた第一声はボヤきとも、独り言ともつかぬそれだった。


 「なんでボクを知っている!?」


 「何もかも感じさせずに近づいて心霊を刈るのが好きな奴でな〜、昔はよく一緒にふざけたよ、あんたの爺さんとは」

やはり、返事とも独り言ともつかぬことをしみじみ語りながら老人は、いつの間にか手にした機器を再生する。

独特なつくりのスピーカーから、

流れるは祝詞。


 ソレは老人の言うことをよく分かっていた。

不意をつくのはソレがソレになる前散々、仕込まれた秘伝。

何でも一方的に見渡せていると思い込んでいる心霊への不意打ちは効果的だが、不可能に近い。

本来できない筈の存在に対する不意打ちは、歴史ある安岡家の専売特許だった。


 「なら分かってるだろ! 消えろッ!」


 大切な思い出を連想させるそこは、愛しい彼とソレの大切な場所であり、かの"力"の一端。

影の集う場所。

ソレの得意な不意打ちも相まって普通そこに踏み込んだ者は、ソレの手の中に落ちたようなものだ。


 「ハ?」


普通は。


 「アハハハあ~、何にも動けんでしょ? ね? 祝詞つうと最近の若いのは、直ぐ実践ありきで勝手に油断するからさ、楽なのよ。 アンタみたいな半端に経験ある上に自我を維持してなっちったのはさぁ〜特に。 心霊の動きを止めるもんよ? オリジナルは。 アンタらのはア・レ・ン・ジ、座学で齧ったっしょ? 聞こえらぁもう駄目よ本物は」

 

ニタっと笑う白い老人の歯は、

生き血でも啜ったのか如く真っ赤だった。

口の奥に、繋ぎ目が。

…朱塗りの総入れ歯。

ソレが、かろうじて動く視線を精一杯駆使して分かったことだ。


 「ま、ま、しっかし。 魅入られたっても自慢の孫がこりじゃなあ…

息子も嫁もやられちって安岡の爺、気の毒じゃあ

妻にゃ先立たれるしなぁ本当、気の毒じゃあ…」

頭を振りながらため息をつき、白い老人は何か手招きする。


 「サム、サムや!」

ゴリゴリのマッチョ守護霊がヌッ、と老人の傍らに寄る。


 「遠慮はいらん。 霊能士の風上にも置けん大罪人じゃ、摺り潰せ」

 

 「了解」


ソレは今日この時、物騒な守護霊が鈍く応答したコンマ数秒後、一片の片鱗すら残せずこの世界から消滅した。

愛しい彼にお別れを言う間もなく、

ただ彼を想う間もなく、

訳の分からないうちに消し飛ばされたのだった。




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る