第10話「骸骨学舎」4

 響く重低音。

冒涜的な歌詞にのせ、己が脊椎をへし折らんとばかりに頭を振るう学生らしき人間…

いや、心霊か? が4~5名。

扉なんてあって無いような、開け放たれた生徒玄関をくぐった直後の風景だった。


 「はぁ?」

アイカは隣で素っ頓狂な声をあげ、サムは両手をあげて口をパクパクさせている。

オーバーにも程があるだろうとは、俺自身も瞬間的に飛び上がったりしたのでつっこむまい。


つまりなんだ、どういうことだ?

ここに踏み入る直前、月明かりに見えたのは朽ち果てた下駄箱ぐらいだった筈。

きっちり例の眼鏡で見て、霊どころか人影さえ確認できなかったのは確かだ。

そもそもやかましく音楽は鳴ってなかったし、照明だって機能していなかった。

ただ夜風がひゅうひゅう吹き抜ける暗い空間が、目の前にあっただけなのだ。



 お約束じみたように閉まっていなかったガラス扉は、隙間無く閉ざされ微動だにしない。

俺のローキックはおろかサムの体当たりでもまるでダメ。

見た目ガラスなのに、スカスカと俺たちが乗ってきた軽トラを目の前に透過しているくせに、絶対的な遮蔽でもって俺たちを外界から切り離している。

何回か蹴りを浴びせていたら何だかイライラしてきた…

ふと傍らにある消火器が目に入る。

周囲の設備と同じく、入る前に見えた劣化具合とは無縁のソレだ。


 俺「オラァ!」

頭上に高く赤いソレを扉に向け、振り上げた時だった。


 「止めんか! 見苦しい!‼」

母親に怒鳴りつけられたような心持ちと共鳴して、振り上げられた赤いソレはゆっくりと地面に着地する。

何か、なにとは正確に表現できない何かを刺激しないようにできうる限りの努力でもって、ゆっくりと。

そしてなるべく冷静な風を装って、怒声の主…彼女へ顔を向ける。

怒りとやるせなさ謎の悔しさで、顔は歪んではいたのだろうが。


 アイカ「やめたまえ、さすっち君。 我々はいい大人なのだ、取り敢えずイレギュラーには落ち着いて対処すべきだ」

スカートを握りしめ、脚と声をガクガク震わせながら涙目で彼女は言う。

それを見た一瞬で、俺の脳内は後悔と申し訳なさで塗りつぶされた。


 「すんません」

ふざけてではない。

こんな言葉しか口にできなかった。


 「うん、大丈夫…大丈夫だよ」

やっぱりブルブルと振動しながら彼女は、努めて"そうあろう"と健気だった。


 何だかぎこちない余韻が、俺たちを包む。

と、この場の空気を分析したものだが…


 「お嬢さ〜ん♡ お兄さんがたぁ♡ 僕たちと良いことしよぉうよぉ?」

呂律の回らない自堕落なセリフと、続く品性の欠片もない笑い声があっけなくそれを否定した。



 「そーでね? アタシらずっとここに閉じ込めらぁてんの、たまには外の空気でも吸いたいねぇなんて話すんだけろね、やっぱぁこの生活も捨てがたぁいかなーなんてね…」

時折、溶剤の入った透明なビニール袋の中に顔をうずめながら語るのは、澤部と名乗る少女だ。

スカートでそんなだらけきった姿勢は止めて欲しい。

目のやり場に困る。


 「そーそー、それなぁ、それ、これはこれで良いからぁみたいな…あ〜、お嬢ちゃんもコレどう? "キク"よぉ?」


 アイカ「え、遠慮シテオキマス…」

例の袋片手にイカれながらウチの上司をアブノーマルにナンパしているのは、堀部と名乗るがたいの良い男子生徒だ。

そんなアヘ顔晒してなきゃ、結構ハンサムなのに勿体無い。

こちらもやはり別の意味で目のやり場に困る。


 「まぁー、まぁー、新しいぃ"救世主さま"にぃ乾杯ぃぃ!」

わけのわからないことを言って一人盛り上がる川部と名乗る少女、例の袋を頭上に掲げ"救い"やら、"解放"やら、喚いてなければ清楚な女学生なのだろう。

今の状態からは想像できないが。


 「…………、ゥォオェェエェェ……」

あともう一人、例の袋を握りしめたまま床に転がっている、思い出した様に嘔吐しているのが武部というらしい。

マッシュルームカットのよく似合う小柄な美少年なのだが、ゲロまみれである。

これもなかなか見るにたえない。


 以上、4名が先ほどヘドバンしていたらしい集団

 である。


 「アタシったらさぁそこで気づいたら寝てたのぉ、なぁんか冷えるなぁって思うじゃぁん? 川部のやつが吐いてやがんのぉ!! アタシの股グラにぃ!‼ マジでさぁ、リセットなかったらぁ、腹パンものじゃんねぇ! キャハハハ!」


 「あぁ、慈悲深き救世主さまぁ! 私達を解放してくださいぃぃ! せめてこの4人だけでもぉ!」


 「…………、ゥウゥゥウゥエェェッ……」


 「それじゃさぁ、お兄さんどぉ? 良いよぉ?

ハマるよぉ?」


例の袋のせいか知らんが会話になりそうにない。

ゲロまみれの狂気地獄に途方にくれているとクイクイと、文字通り袖引かれる気がして傍らを向けば、サムに担がれたアイカが耳打ちをする。


 アイカ「なんか気持ち悪いし早く離れよう」


 俺「分かりました。サムで蹴散らしていただけるんでしょう? 荒事は苦手ですよ?俺」


 アイカ「それは今の所したくない」


「お兄ぃさ〜ん聞いてるぅ? 気持ちぃぃよぉ」


俺「はいはい、聞いてますよ、ちょっとお待ちを」


「いけずぅ〜」

 頭がおかしいようで、内緒話も堂々とできるのが唯一の救いだ。


 俺「何故?」


 アイカ「こいつらの存在は曖昧だ。 生身の人間でも心霊でもない。 格好からするにこの学校の生徒だろう? 多分ここであった何かの被害者だ」


 俺「その何かをしでかした当事者の可能性は?」


 アイカ「今の所、判断材料が足りんね。 他を見てからだ」


取り敢えず方針が決まったところでサムから下りたアイカが堀部に走り寄る。

何事か始めるらしい。


 アイカ「お兄ちゃん! アイカ、おトイレ行きたい」

聞いたこともないような声を上げながら堀部の腕に抱きついていた。

幸い例の袋で"キマッテイル"頭にもそれは効いたらしい。

お兄ちゃん、こと堀部は目をグルグルさせながらよだれを垂らし張り切り始める。


 「よ〜しお兄ちゃん、頑張っちゃうぞぉ!」

そこはかとなくヤバイ絵面がそこにあった。


グデングデンな女性陣も流石にヤバイ感じをそこに感じたらしい。


 「堀部じゃらめでしょ、堀部じゃぁ、お姉チャンと行こうよぉ、アイカちゃぁん」

澤部は相変わらず呂律が回らない。

そして、床に寝そべってはいたが立てないらしい。

案内をしようと立ち上がろうとするもその度、彼女の足は何かに滑って空回りする。

彼女の足元だけ摩擦係数がゼロなのだろう。


 「アハハハハぁ、おっかしいぃのぉ」


 「うるっさぁいなぁ、マミぃ!」

川部の名はマミというらしい。


 「っ! マミぃ、アンタ行ってやってぇ、アタシぃ立てないぃ!」

澤部は脈絡もなく泣き出す。

ラリった奴の突発的感情の発露には、異様な怖さがあることを初めて知った。


 アイカ「澤部お姉ちゃんかわいそう! 川部お姉ちゃん、慰めてあげてよ…アイカ、堀部お兄ちゃんと行くもん」

そういう白々しさもなかなかに怖いです。

アイカさん。

 

 「ぅええ? でもなぁあの堀部くぅんでそぉ?

心配だなぁ」


 「ぉ俺ってぇ、そんなぁダメぇ?」


堀部は女性陣に信用がないらしい。

お陰でもうひと押し足りない。

まぁ、アイカがやたらと堀部の腕にひっつきながらもこちらに視線をおくってくるのだ。

役には立ちますよ、仕事なんですからね。

三文芝居だろうがなんだろうが…


 俺「大丈夫です。 アイカの父親の私と、ボディーガードのサムも一緒です。 怪しい行動はとらせませんよ」


 「ぅへぇ、おとぉさん? 若ぁい」


 俺「はは、任せて下さい」

元社蓄、なめられちゃ困る。

ところで、武部なる生徒は先ほどから嗚咽すらもらさなくなっているが大丈夫なのだろうか?



 アイカ「それじゃあまたね! 堀部お兄ちゃん!」


 「ェッフェっフェっ、またぁねぇ、アイカちゃぁん」


視点の定まらない顔と絶えず口元から垂れるヨダレ以外は、普通に気のいい男だった堀部と女子トイレの前で別れるのに存外、ひと悶着も荒事も無かったのは幸いだ。


 俺「しっかし、よくやりますね。 あんな白々しい芝居」


 アイカ「そりゃあさすっち君、誰だって庇護欲をそそるものには弱いからね! 素晴らしい名演技だったろう?」


 俺「まぁ…」

実際少しばかり未来にはいるかもしれない我が子には、娘が欲しくなりかけた。


 アイカ「ふふん! そうだろうとも‼ ん〜…、

それで、それでだな…先ほどはすまなかったよ」

顔を赤くしながらではあれど、やはりスカートの端をもみくちゃに握りしめながらではあれど、彼女は俺よりも大人、なのかもしれない。


 アイカ「空間閉鎖系の大規模術式なんて私も初めてでな、感情的であったよ…申し訳ない」


 俺「いえ…俺も…」

いや、訂正しよう。

正しくは、こんな場面でこんな言葉しか吐く余裕のない俺の方がガキなだけだろう。 


「すんませんでした」




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