閑話 バルコニーにて その2

 宴席はついさっき、女王の言葉を締めとしてお開きとなったばかりだ。

 あれだけいた人の数はまばらとなり、今謁見の間は給仕や侍女達の手で、手際よく後片付けが行われている最中だった。

 明日には女王と来訪者の謁見を彩る、元の威厳のある部屋に戻っているのだろう。


 そんな宴の余韻に浸るように、すっかり夜も更け月が天高く昇っているバルコニーで。

 少年は手摺に寄り掛かって城を見上げていた。

 雄大に聳え立つ三本の角のような城の屋根は、松明の灯りと月光によって夜空にそのシルエットを浮かばせている。

 

 俺が名誉騎士ね……まあいいけど――

 手に持つ名誉騎士の証である、弦国の象徴たる『一角獣ユニコーン』の紋章が彫られた勲章を天へと翳し、透かし眺めるようにしながら、カッシーはにへらと一人笑みを浮かべた。

 と、そこで少年は視界の端に白い物が動くのを捉え、はっと顔を上げると周囲を見渡すように一瞥する。

 

 どうやら先客がいたようだ。

 バルコニー奥に佇み、静かに街を眺める女性に気づき、カッシーは誰だろうと目を細めた。


 と――

 

 

「……マーヤ?」

「あ、カッシー」


 不意に名前を呼ばれ、その先客は顔見知りであった少年を向き直ると口元に笑みを浮かべた。

 そして手摺から手を放し、ゆっくりと少年へと歩み寄る。

 

「部屋に戻らないの?」


 元から帰りが遅くなることが分かっていたので、今夜はマーヤが用意してくれた客室で一泊し、明日の朝ヨーコの宿に戻ることになっていた。

 そんなわけで宴席も無事終わった今、日笠さん達は既に部屋に戻っている。

 一人残っていた少年を不思議そうに見つめながらマーヤは尋ねた。

 

「あーその……ちょっと考え事を」

「そう」

「そっちこそ部屋に戻らないのか?」

「ちょっとね……昔を思い出してた」


 クスリと悪戯っぽく笑い、マーヤは逆に問い返してきた少年の問いに答えた。


「昔って?」

「まだ私がカッシーと同じくらい年の頃の事」

「それって十年前の?」

「そう冒険のこと。エリコやチョク君と会ったらなんだか思い出しちゃって。それであの頃は楽しかったなあって、考えてた」


 そう言ってマーヤは手摺に頬杖を付くと、憧憬するように目を細め口元に笑みを浮かべる。

 カッシーはそんな彼女を見つめると、逆に意外そうに口をへの字に曲げた。

 

「冒険って、とんでもない旅だったんだろ?魔女と魔王を倒して、それで戦争を止めて……だっけ?」

「まあ結果的に見ればね」

「でも楽しかったのか?」

「そうね……大変だったけれど、でもいつもドキドキワクワクできて、『生きてる』って実感できたわ。今の生活より全然楽しかったな」

「そっか……」

「カッシーは違うの?」


 まさに今『仲間を探す冒険の真っ最中』と言えなくもない少年を向き直り、マーヤは純粋な好奇心から尋ねた。

 だがカッシーは、困ったようにポリポリと頬を掻きながら、口の中でうーんと唸る。


 この世界に来て僅か半月。半月だけだ。

 なのにとんでもないことの目白押しな半月だった。


 覚悟を決めて全力で戦ったチェロ村。

 仲間を助け出すために潜り込んだサヤマ邸。

 何とか無事浪川を助け出せて、何の因果か名誉騎士とか大そうな称号をもらうことになり。

 そして今度は新たなる目的地へ旅立とうとしている。

 元の世界じゃ絶対に体験できないことばかりだった。


 けど『楽しいか?』って聞かれればそれはもちろん「NO」だ。

 毎日毎日が『ああ、今日も俺…まだ生きている』と実感できてはいるが、だが少年にとっては、有難迷惑な受難の日々以外のなにものでもなかったし。


「正直、楽しめるような余裕がまだない……っていうか。それにどっちかというと平穏な日々の方が好きかな」

「なるほどね。じゃあ後悔してるんだ?」

「後悔?」

「うん、この世界に来ちゃったこと……後悔してない?」

「いや、それはしてない」


 意外にも即答して、真顔でカッシーは首を振った。

 そんな少年を見て、マーヤは満足そうにクスリと微笑む。


「どうして?」

「あれは……その、事故だったからさ」

「事故?」

「ああ。事故。だから後悔なんかしてない」


 あの日河原で見た少女の憂い顔を思い出し、カッシーはもう一度首を振る。

 もし後悔してしまったら、こんな世界来なければよかったと思ってしまったら、それは彼女のせいだと責めることと同義ではないだろうか。

 それはずるい。そして姑息な考え方だ。

 自分達がこの世界にやってきたのは、『運命』が起こした不幸な事故。

 だから後悔なんてしてもしょうがない――

 少年はそう思っている。


 はたしてその思い通り、『後悔』など微塵も感じさせない、月の光を反射して鈍く輝くカッシーの目を見て、マーヤは「そう…」と頷いていた。

 

「なら大丈夫。いつかきっと、カッシーも『楽しい』って思える日が来るわ」

「そうかな?」

「ええ、必ず。冒険ってね、『自分の運命を見つけるための旅』なのよ」

「運命を探す旅――ね」

「そう、そして自分の望むものを探す旅――」


 もしあの時ヴィオラ村を旅立っていなかったらどうなっていただろう。

 きっと一生自分が何者かもわからず、兄ともエリコやカナコやチョクとも会わず、あの山の中の静かな村で過ごしていたのかもしれない。

 今こうして女王となり、異世界から来た少年達と出会うこともなかっただろう。


 あの冒険があったからこそ今の自分がいるのだ。

 そしてあの冒険こそ、自分が探し求めた『運命』を手に入れる旅だったのだと彼女は思っている。

 あの時の興奮と感動は、今も胸の中で宝石のように輝いているから――

 マーヤは静かに夜空を見上げると、懐かしそうに微笑んだ。


「だからカッシーも、今は辛くても決して諦めないで、仲間を探す旅を頑張ってね」

「どうだかなぁ、俺ら全然だしさ……毎度毎度綱渡りだ。『楽しい』なんて程遠いし」

「アハハ、君って意外とネガティブなのね。もっと楽観的だと思ってた」

「そりゃネガティブにもなるっつの……」


 自分は何の力もないただの高校生だ。せいぜいほんの少し、剣を扱えるくらい。

 それでも皆を捜して見つけなきゃ元の世界には戻れない。

 だから必死に足掻いて、覚悟を決めて、それでも全然まだまだで、チェロ村ではヨーヘイが、そしてヴァイオリンではマーヤやサクライ、そしてサワダ達が助けてくれて、やっとこさなんとかなったくらいだ。

 今一度思い返してみたが、やはり『楽しい』なんて感じられる余裕はなかった。

 或いはマーヤやサクライのような『英雄』と呼ばれるほどの力があれば、『楽しい』と思えるのだろうか。

 

 だとすればもっと強くなりたい。強くなって皆を護れるような力が欲しい。

 そうすればチェロ村でもサヤマ邸でも、もっと上手く立ち回れたはずだ。

 カッシーは自分の右手を見つめつつ、悔しそうに口の中で唸った。


 だがそんな少年に向かってマーヤは首を振ってみせる。


「でも貴方達はチェロ村のみんなを救ってくれた。それだけじゃなく私と兄も助けてくれたじゃない」

「そりゃ俺達じゃない、ヨーヘイやマーヤが――」

「いいえ違うわ。諦めなかった貴方達自身の実力……だからもっと自信を持って」

「……そうか?」

「うん」


 上手く言えないけど、この子達は絶対絶命の窮地でもなんとかしてくれるような、そんな期待感を周りに抱かせてくれる。

 『決して諦めない強い意志』とでもいおうか。

 この少年もそうだ。覚悟を決めた時の粘り強さ、しぶとさ…。

 それが彼等の『武器』であり『力』なんじゃないだろうか――

 マーヤは口には出さなかったが、目の前の少年を見つめながらそんなことを考えていた。


 カッシーはマーヤの言葉を受け、照れくさそうに口をへの字に曲げる。

 だがやはり彼女の言う事にどうもぴんと来ないようで、彼は困ったように眉を顰め、ガシガシと頭を掻いていた。

 マーヤは少年のその反応を見て、可笑しそうにフフっと笑った。

 そして意を決したように口を開く。


「……ありがとうカッシー。私、貴方達と会えて本当によかった」

「どしたん急に?」


 ちょっとその発言はフラグ立てのようで危険なんだが――

 突然嬉しそうに微笑んでそう言ったマーヤを見て、カッシーは首を傾げた。


「……怒らないで聞いてほしいのだけど」

「ん?」

「私ね、貴方達と一緒に兄とエミちゃんを助けに行ったあの日……凄く『楽しかった』の」

「え……」

「ごめんね、貴方達が必死だったことは十分わかってる」


 けれど。サワダ君達に命を預けてあのタヌキジジーと真っ向から勝負して。

 燃え盛る火の中を狙う凶刃から必死に逃げて。

 とても『楽しかった』。

 『私は生きている』って実感できた――

 

 いきなり何を言い出すんだこの人は…と、わかりやすいくらい顔に出ていた少年の心境がよくわかり、マーヤは苦笑する。

 でも自分の気持ちに嘘は付けない。

 私はあの日確信した。

 何度も何度も思っていたことだが、でも、この異世界の少年達と行動してはっきりわかったのだ。


 やっぱり私は女王には向いてない。

 だっていっつもドキドキワクワクする暮らしじゃなきゃ満足できないから――と。


「カッシーは、どうして私が女王になったと思う?」

「……どうしてって、前王と王様に乞われてなったんじゃないのか?」

「それはきっかけにすぎないわ」

「じゃあなんでさ?」

「私の代で『王による統治』の時代を終わらせるため」

「……ちょっと待て。それって――」

「そう、絶対王政の廃止よ」


 至って真顔で頷きながら、マーヤは吃驚するカッシーの言葉に続けて答えた。

 その顔からして冗談を言っているとは思えない。


 いきなり何を言い出すのかと思えば、周りに聞かれたらやばいんじゃないだろうか――

 不可解そうに顰め面を浮かべ、少年は言葉を選ぶように口を二、三度開閉させた後、ようやく言葉を紡ぎだす。

 

「あー、その……俺にしていいのか、そんな話?」

「貴方だから話しているのよ、だってカッシー達の国は王様なんていないんでしょう?」


 違うの?――

 マーヤは戸惑う少年の顔を覗き込むようにして首を傾げる。

 謁見の間で聞いた、少年達のいた異世界の話。

 本当に面白くて新鮮で…そして羨ましかった。


「民が代表を決めて政治を行っているんでしょ?」

「まあ、そうだけどさ……」

「私が造ろうとしているのは、そういう国のあり方――」


 マーヤはそう言うと、少年から視線を外し未だ活気づく城下町を見下ろし、憂う様に目を細めた。


「一人の王による政治では、この国の発展はもう限界にきてしまっているわ」

「どうだかな……俺らの国だって問題山積みだぜ?」


 一介の高校生だってニュースや新聞見ればわかるほどに、自分達の国の政治が決して良いとは思えない。

 そりゃまあ一長一短なところはあるが、要は上に立つ者の志次第じゃないだろうか。

 カッシーはそう思いながら、マーヤと同じく城下町へと視線を移すと手摺に頬杖をついた。

 マーヤはそんな少年の気配を感じながらゆっくりと首を振る。

 

「だとしてもこの国に必要なのは新しい政治の在り方だと思う。王ではなく、この国に住む皆が自分達で考え、そして自分達で政治を行う――それこそが真の国の発展に繋がっていくはず」

「でも、そうしたらマーヤはどうする気だよ?」


 王政が廃止されれば、王族は居場所を失う。

 マーヤだって下手すれば城にいれなくなってしまうんじゃないか?――

 重要な事に気付いてカッシーはマーヤを向き直った。

 

 だが。


「決まってるじゃない。また冒険に出るの、新しい自分の運命を探す旅にね」


 それこそ堂々と胸を張って城を飛び出し、まだ見ぬ冒険の旅へと出ることができるのだ。

 晴れてお役目御免となって――

 少年の発言を見越していたように、彼女は得意げに、そして心底嬉しそうに満面の笑みを浮かべながらそう言い放ったのだった。


「もしかしてさ……マーヤは、最初からそれを狙って女王に?」

「もちろん」


 無邪気な笑顔のまま喜々としてそう言ったマーヤを見つめ、『英雄』の本性を垣間見たカッシーは苦笑してしまった。

 なんつーギャップだ。実はとんでもなくエキセントリックな女性ひとだったとは。

 けれど何故だろうか。

 本心を打ち明けてくれた今の彼女の方が何倍も魅力的で、そしてとても『彼女らしい』のではないかと少年は思った。


 そんなカッシーの『呆れ』と『感服』の視線を受け止めながら、マーヤは満足そうにうーん、と背伸びをする。

 

「あー言いたいこと言ったら凄いすっきりしたわ。ありがとうカッシー」

「どういたしまして。そりゃよかった」

「あ、でもこの事は二人きりの秘密ね?」

「わかってるよ」

「じゃ、指切り」

「ん……」


 すっと差し出されたマーヤの小指に自分の小指をかけ、カッシーは力強く頷いてみせる。

 

「頑張ってねカッシー、貴方の旅が『楽しい』ものになるように祈ってる」

「ありがとう、その……俺も応援してるよ。マーヤが早く冒険に旅立てるようにさ」

「フフフ」

「へへ……」



 蒼き騎士国の女王と、我儘少年はそうお互いの健闘を祈り。

 ニコリ・にへらと笑い合ったのだった。

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只今異世界捜索中!~Capriccio Continente de Oratorio~ 第二部 ヴァイオリンの陰謀劇 ヅラじゃありません @silverbullet

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