その22-1 目標は全員救出!
サヤマ邸二階、来賓の間――
マーヤ達がその部屋に招かれてからはや十分。
そう、わずか十分しか経過していない。
にも拘らず。
部屋は早くも異様な程の緊迫感に包まれている。
他でもない、部屋の壁際にずらりと並んだ、甲冑をまとった兵達の殺気によってだ。
そしてそんな兵達を、サワダ、スギハラ、フジモリら若き三銃士は、鋭い眼光で威嚇するように睨み付けていた。
何かあれば容赦なく抜く――と。
まさに一触即発。
誰か一人が何か不審な動きを見せれば、たちどころに部屋中から抜刀の音色が木霊してもおかしくない張りつめた空気が場を支配している。
この家の主であるサヤマですら、額にうっすらと汗をかき先刻から不動のまま成り行きを見守っている始末だ。
そんな中、涼しい顔で紅茶を味わう女性が一人――
「お、お茶のお代わりはよろしゅうございますか?」
「ありがとう。頂戴しますわ」
震える手で紅茶の入ったポットを差し出した執事を見て、手に持っていたティーカップを皿に置くとマーヤはにこりと笑顔を浮かべる。
その表情には動揺も緊張もない。
いつもと変わらない気品ある佇まいのまま、女王は執事の淹れる紅茶の流れを静かに見つめていた。
「女王……」
いつまでこの緊迫した状況を続ける気なのだ――
執事が去るのを見届けると、スギハラはたまりかねて小声でマーヤに囁く。
マーヤは口に運ぼうとしていたティーカップを止め、何?と彼に向けて首を傾げてみせた。
「スギハラ君あなたも紅茶飲む? 意外と美味しいよ?」
流石タヌキジジー。いい茶葉を使っているわね。
こうなるとマフィンも食べたいな――
などと呑気なことを考えながらマーヤはスギハラに紅茶を勧める。
「そういう問題ではありません。一体いつまでこうしているおつもりなのですか?」
「んー……もうちょっとかな」
「も、もうちょっとって……」
「あのタヌキジジーから話を振ってくるまではこのままでもいいかも」
口元に人差し指を当て、ちらりと落ち着きのない様子のサヤマの顔を眺めながらマーヤは答える。
だが所謂朴念仁である彼は、顔を真っ赤にしながら呆れた様子で女王を見返した。
「何を悠長なことを。このままではいつ斬り合いが――」
「スギハラ落ちつけ。カシワギ殿らがうまく潜入できるように時間を稼がなかればならないのだ」
と、あんぐりと口を開けて思わず大声で言い返そうとしたスギハラを、隣にいたサワダが肘でつつきながら慌てて諌める。
はっと、喉元まで出かかった言葉を飲み込み、スギハラはなるほどと口を真一文字に結んで押し黙った。
マーヤはクスリと小さな笑みを口元に浮かべながら、そんなスギハラにウインクしてみせる。
「そういうこと。だからもう少し我慢してね」
「ったく、おまえ今忘れてただろ? しっかりしろこの岩脳みそ」
間髪入れずにフジモリの悪態がスギハラの真横から飛んでくる。
しかし今回ばかりは何も言い返せず、彼は顔を赤黒くしながらもぐぬぬと耐えていた。
「フジモリ貴様……覚えていろよ」
「ざんねーん、もう忘れましたー」
「こんな時までよさないか二人共」
やれやれと顔を抑えサワダは首を振る。
カッシー達、うまくやってるかしら――
マーヤは僅かに眉を顰め、紅茶を一口静かに口に含んだ。
♪♪♪♪
一時間前、北の大通り宿屋角部屋―
「助けるってどうするつもりだマーヤ?」
三人を助け出す――
そう言って皆を手招いたマーヤにカッシーは尋ねた。
彼女は少年のその問いを受け、自信ありげに強気な笑みを口元に浮かべてみせる。
気のせいだろうか、心なしか女王の表情が生き生きとしたものになった気がして、日笠さんは目をぱちくりさせていた。
「いたって簡単。あのタヌキジジーの屋敷に乗り込むわ」
「乗り込むって……正面からですか?」
「そ、正面から」
もしやと思いながら確認した日笠さんの問いに、マーヤは即答する。
『搦め手』と女王は先刻言っていたが、これのどこが搦め手なのだろう。
聞いただけでは正攻法のように思えるが、それでみんなを救出できるのだろうか――
日笠さんは不安げに眉を顰めた。
そんな少女の反応から彼女の言いたいことを察したように、マーヤはそうではないと首を振る。
「乗り込むって言っても、何もドンパチするつもりはないわ。ただ普通にサヤマ邸を訪問するだけ」
「訪問とは……どういう意味で?」
「そのままの意味よ。女王としてあの家にお邪魔するの。理由なんてなんでもいいわ」
たとえば、別件で近くまで来たから様子を見に寄ってみたとかでもいい。
大事なのは『訪問』すること自体なのだ。
訝し気に尋ねたサワダに向かって、マーヤは補足するように付け加えた。
「そう都合よくいくといいけどよ……あの爺はやたら慎重だぜ? 会ってくれるかもわからねえと思うが」
宰相時代から隠蔽はお手の物。おまけに仲間すら疑ってかかるほどの用心深い性格。
暴行事件を調べていくうちにわかった、サヤマという老人の人物像を思い出し、フジモリは聊か短絡的ではないかとマーヤに反論した。
「勿論重々承知よ。だから手勢は連れていけない。行くのは私達だけ」
手勢を引き連れていけば、サヤマは警戒して会おうとしないだろう。
それどころか先刻から再三に渡り懸念されている『隠蔽』を実行し、ナミカワ君という子を消そうとするかもしれない。
だが僅かなお供だけを連れて自分が現れたらどう考えるだろうか。
女王直々の来訪。形式上は臣下である老人は、流石に会わざるを得ないだろう。
マーヤはそう考えながらフジモリの反論に答える。
「じょ……マーヤ、それは危険過ぎます」
「大丈夫よサワダ君。ただ家を訪ねるだけなんだから。それなら流石に門前払いはないでしょう」
「なるほど……しっかし肝が据わってんなー女王様」
「女王じゃなくて――」
「へいへい、マーヤだろ? わかったっての」
と、椅子を漕ぎながら話を聞いていたフジモリは、やれやれと肩を竦めつつ食い気味にマーヤの言葉に返答した。
うむりよろしい、とマーヤは話を続ける。
「状況から察するに、昨日兄とエミちゃんはサヤマ邸に乗り込んだ。そして戻って来ていないとなると、恐らく何かが
「んー、まあそりゃなー?」
「そこに突然私が家を訪ねてきたら? クーデターの件もあるし、あいつは私に対してやましいことだらけ……あのタヌキジジーのことだからきっと警戒すると思うの」
「しかし警戒されては王やトウヤマ嬢らを助けることは困難では?」
これでは作戦にならない。
スギハラはマーヤの意図が読めず、困惑するように腕を組みながら意見する。
マーヤはその質問に対して首を振り、そしてテーブルに肘をつきながら手のひらを彼を見せるようにして逆にこう問いかけた。
「私を警戒するからこそ、他は手薄になる――そう思わない?」
「なるほどね……」
と、五人の中で随一頭の回転が速い『微笑みの少女』の声が聞こえて来て、未だマーヤの話の意図が飲み込めないカッシーは呆れたようになっちゃんを向き直る。
彼の視界に見えた少女は、ぽんと手を叩きながら口元にすっきりしたような微笑を浮かべていた。
「つまりこういうこと? マーヤがサヤマを引き付ける。その隙に残りの皆で三人を捜す――」
「ご名答」
感心するようになっちゃんを見ながらマーヤは頷いてみせる。
同じく日笠さんも、隣で得意げに微笑む少女を眺めながら目をぱちくりとさせていた。
本当に凄い。頭のいい子だとは知っていたが、この世界に来てからの彼女のそれは、輪をかけて発揮されているような気がする――と。
「ナツミちゃんの言う通りよ。あのタヌキジジーが私の相手をしている間に、別動隊が三人を捜す」
サヤマの注意を自分に引き付ける。そうすれば屋敷内の警戒は手薄になるはず。
そこをついて三人を助ける――
これがマーヤの作戦だった。
「でもさ、確かにいい作戦だけど、サヤマが目論見通り警戒するか賭けじゃねーかな?」
「今ならきっと上手くいくはず。兄とエミちゃんのおかげでね」
「あー……なるほどなー?」
確かに、とこーへいは火のついてない煙草をピコピコと咥えながら納得したように頷いた。
昨夜は王、そして今日は女王。
しかもなんの前触れもなくいきなりやって来た。
あの老人は猜疑心の塊のような男だ。
クーデターの件に気づいて探りを入れに来たのか、それとも王と娘の行方に気づいて問い質しにきたのか、はたまた本当に単なる訪問なのか――
こちらの手の内がわからず、サヤマは勝手に疑心暗鬼に陥り、思案を巡らせるに違いない。
『もしも』のことを考えれば、老人はマーヤにご執心せざるを得なくなるだろう。
「マーヤ、本当にいいの?」
「何が?」
「……なんでもない」
そう言ってなっちゃんはちらりとサワダ達を見てから、やや間を置いて小さく首を振る。
彼女は気づいていた。
女王の作戦にはもう一つ理由がある。『私達だけで行く』もうひとつの理由が。
それは慎重なあの老人を誘いだすことができる『魅惑的な状況』を作り出すことができるということ。
サヤマが虎視眈々と狙っている
もしかすると千載一遇の機会かもしれない――
老人にそう考えさせることができれば、彼の屋敷にどれほどの手勢がいるかわからないが、『それ』も引き付けることができるはず。
この子ほんと鋭いなあ――
マーヤはなっちゃんその挙動を見て、感謝するようにそっとウインクしてみせた。
少女はそれに気づいて僅かに頷く。
もちろん、そのもう一つの理由を口にすれば、サワダ達は絶対止めるだろう。
だから敢えて自らを囮にしようとしていることは黙っていたのだが。
しかしこの少女は勘付いていたようだ。
さて――作戦は以上だが。
「サワダ君、スギハラ君、フジモリ君、貴方達は私と一緒にサヤマを引き付けるのを手伝って」
『御意』
「カッシー達、任せていいかな?」
「俺達に三人を捜せって?」
「そう……」
サヤマを引き付けているその間、一切援護することはできない。
正真正銘、少年少女達だけで三人を捜してもらうしかないのだ。
危険なのは重々承知、だがお願いできるのは彼等しかいなかった。
カッシーはマーヤのその言葉を受け、一度ちらりと仲間を振り返る。
そして彼等の顔を一瞥して、ああ、やっぱりと満足そうににへらと笑った。
『覚悟』はチェロ村で既に決めている――
少年少女の顔つきはそう言っているようにカッシーには見え。
だから少年は再び女王を振り返ると、力強く頷いてみせる。
「わかった。やってみる」
「ありがとう、みんな」
途端、マーヤは心底嬉しそうに笑みを浮かべ、カッシー達へ礼を述べた。
「まあその、半分はうちらの仲間が原因ですし」
「どのみちあいつら助けねーとうちらも困るしなー?」
全員無事が絶対条件。
一人でもかければ元の世界には帰れないのだ。
日笠さんはすっかり板についた苦笑い、こーへいは相変わらずのほほんと猫口を浮かべ。
やるしかないのだ、と考えていた少年少女は、『お互いさま』と各々マーヤに返答していた。
「まゆみ、恵美が戻ったら説教するでしょ?」
「あー、その……なっちゃん?」
「私も混ぜて、言いたい事山ほどあるから」
「気持ちはわかるけど、ほどほどにね……」
と、フフフ、と邪悪な微笑を浮かべてそう言ったなっちゃんを見て、日笠さんが途端に顔に縦線を描くと――
「ムフ、そんじゃオマエラ―! ババっとミケンとマツゲを取り返しに行くディスヨー!」
「かのーおまえ、なんかやけに気合い入ってない?」
「ブフォフォー! ここでイインチョーに貸し作っとけば、オレ様に逆らえなくなるデショー?」
「……まったくおまえは」
――ウププ、と下心と打算見え見えの本音を口にしたかのーを見て、カッシーもやれやれと溜息を吐いていた。
これからまさに、命を懸けた綱渡りに挑むというのになんて緊張感のないやりとりだろう。
肝が据わっているというかなんというか。
少年少女達の様子を見て、思わずマーヤはクスクスと吹き出してしまった。
「マーヤ?」
「なんでもない。よろしく頼むわカッシー達」
そう言ってマーヤは首に下げていた紐付きの小さな笛を外すとカッシーに差し出す。
なんだろう?少年はそれを受け取るとまじまじと眺めた。
「これは?」
「犬笛の一種。
万が一はぐれた時に、オオハシ君とこちらから連絡を取るためにサクライが使っているものだ。
十年前の冒険の際、マーヤは同じものをスペアとして兄から預かっていた。
テーブルの上ですやすや眠っているリスザルを優しく見下ろしながら、マーヤは決意を胸に秘め顔を上げる。
「それを吹けばこの子が気づくはず。もし三人を見つけることができたらそれで知らせて。こっちも切り上げるから」
「ああ、わかった」
「それとサヤマを引き付けるのも限界があると思う。もってせいぜい一時間……」
突然来訪して、長居をすれば逆にあの老人は怪しむだろう。
話題を引き延ばして一時間…それ以上はこちらの魂胆がばれる可能性が高い。
なにせ普段会いもしない犬猿の仲なのだから。
一時間。
その間にどれだけ広いかわからない敵地で仲間を探し出す。
カッシーは預けられた小笛をしげしげと眺めながら、小さく鼻を鳴らした。
だが――
「虎穴に入らずんば虎児を得ず――委員長なら、きっとこういうよな…」
「……カッシー?」
できるかできないかではなく。
やり遂げなければならない。
小笛をぐっと握りしめ、自分の名前を呼んだ日笠さんをカッシーは振り返る。
「やってやろうぜ、日笠さん。全員奪い返すんだ」
チェロ村の時と同じように、我儘少年はにへらと笑いながらすっと手を差し出した。
日笠さんは、その差し出されたカッシーの手をきょとんとしながら見つめていたが、やがてはぁ、と苦労人の溜息をついてから自分の手を重ねる。
わかってる。十分わかってるんだけど…やるしかないのね――と。
なっちゃんそんな日笠さんを横目で見ながらクスリと微笑み、彼女の後を追う様にしてそっと手を重ねた。
「まあ、今回もなんとかなんじゃね?」
「グフフー、明日からイインチョーはオレ様のシモベディース!」
と、それを見ていたこーへいものほほんと、そしてかのーはピョンとカッシーの下に歩み寄ると手を重ねる。
「カッシー達、それなにしてるの?」
その様子を興味深げに眺めていたマーヤは、何をする気だろうと少年少女達を見て首を傾げた。
「あーその……ゲン担ぎっていうか。おまじないっていうか……」
「ふーん、乗せればいいの?」
じゃあ私も――
タハハと笑いながら説明した日笠さんの言葉を聞くと、マーヤはそう言ってカッシー達の手の上に自分の手を重ねる。
そして、サワダ達を振り返った。
「君達も乗せたら?」
『え……』
「いいからいいから」
困ったようにお互いを見合っていたサワダ達だが、マーヤにせっつかれ。
結局若き三銃士にヨーコさんまで次々と手を重ねていく。
なんだか凄い手の数になってしまった。まるでジャンボサンドイッチみたいだ。
自分の首くらいまで積み重なった皆の手を眺め、おかしくなって日笠さんはクスリと笑ってしまう。
と、最後にその手の上に、目を覚ましたオオハシ君がぴょこんと飛び乗って、皆を一瞥しながらニカっと歯茎を見せて笑った。
いくぜオメーラ!――と。
一同はそれを見て、気焔万丈よしと頷き合う。
「えーと誰がやる?」
「俺この前やったしな……」
「ムフン、ソンじゃこのオレs――」
「私がやるわ」
と、有無を言わせぬ気迫と共に立候補したなっちゃんを一斉に皆が見ると、『微笑みの少女』はクスクスとちょっと怖い微笑を浮かべながら、コホンと咳払いする。
「いいみんな? 目標は全員救出! 打ち上げは勿論、恵美と王様のおごりで!――それじゃいきましょ!」
『おーっ!』
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