第五章 紫電清霜

その21 作戦開始!

サヤマ邸 三階私室――


「それは真の話か?」


 サヤマは三白眼に驚きの色を浮かべて執事を振り返った。

 ほんの数分前の事だった。

 昨夜の大勝利の余韻に浸り、上機嫌で朝の身支度を整えていた老人の下に、血相を変えた執事が飛び込んできたのは。

 

 マーヤ女王がお見えになりました――

 

 全力で駆けてきたのであろう執事は、胸ポケットから取り出して汗を拭きながら、やや狼狽しつつ主にそう報告したのだ。

 侍女に着替えを任せて、鼻歌交じりで薄くなった銀髪を整えていた老人は、その報告に耳を疑った。


「間違いなく女王であったのか?」 

「はい、間違いございません」


 主の訝し気な問いかけに、執事は力強く頷いていた。


 まったくこんな朝っぱらから来るとは失礼な客だ――

 侍女より来客の取次ぎを受け、面倒くさそうに門まで出向いた彼は、内心辟易していた。場合によっては追い返そうとも思っていたのだが。


 ごきげんよう、リタルダンド卿はいらっしゃいますか?――


 そう言ってドレスの脇をつまみ優雅に一礼をしてみせた気品溢れるその女性を見るや否や、執事は思わず二度見、いや三度見してしまっていた。

 はて、どこかでお会いした顔だ。主に付き従い何度か城を来訪した際、目にした事がある。

 あれは確か――と、そこまで考えてから執事は大慌てで深々と一礼を仕返し、彼女を丁重に屋敷へと招き入れていたのである。


 執事の返答を聞くと、サヤマは口の中で低く唸り、手にしていた櫛を握りしめる。

 まさか計画がばれたのだろうか。

 そんなはずはない。王とあの小娘は確かに昨夜始末した。

 計画は漏れていないはずだ。なのに何故女王が突然来訪を――

 侍女による着付けもまだ半端のまま、サヤマは三白眼をぎょろぎょろと泳がせながら、落ち着かなく部屋をうろうろと歩き出す。


「して供の者はいか程だ。まさか一軍を引きつれてか?」

「いえ、数名程です」

「なに……?」


 執事の返答に歩みを止め、サヤマは意外そうに彼を振り返った。

 

「数名だと?」

「はい」


 女王に付き従ってやって来た正装の従者…あれは確か騎士団のサワダ様と、緑と黒の軍用コートを着た警備隊と傭兵団の者が一人ずつ、あとは護衛らしき警備隊の者が少しばかりだった。

 再度確認するように記憶の糸を手繰ってから、執事は間違いないはずと主へ向かって頷いてみせる。


 ふむ、とサヤマは再び唸った。

 どうやら計画の件を問い質しに来たわけではなさそうだ。

 だとしたらこの突然の来訪は、一体何が目的なのだろうか。

 ますますもって解せぬ。

 老人は腰の後ろで腕を組んで何とも言えぬ難しい顔を浮かべた。

 

「して、今女王はどこに?」

「一階の待合室にご案内致しましたが……どう致しましょう?」


 理由をつけて出直していただくこともできますが――

 だが、そういった執事に対し、サヤマは即座に首を横へ振ってみせる。

 

「会わぬわけにはいくまい。女王直々の来訪だ」

「それでは……来賓用のお部屋にお通し致します」

「うむ、支度が済み次第行く。それまで待たせておけ」

「かしこまりました」

「ああ、まて……」


 と、頭を下げるとそそくさと部屋を後にしようとした執事をサヤマは呼び止めた。

 執事はちらりと伺う様に鋭い眼光を老人へと向ける。


「私兵はいか程用意できる?」

「……流石に昨日の今日で動ける者はあまり多くありませぬが」


 老人の問いに執事は苦々しい表情を浮かべながら答えた。

 昨夜の王と娘と一騒動あったおかげで屋敷に詰めていた私兵達はかなり痛い目にあっている。

 大半が怪我を負って街の診療所送りになっていたのだ。


「動ける者だけでよい、いか程だ?」

「……よくて三十人かと」

「随分と減ったものだ。あのうつけ王め……」


 予想外に少ない人数を告げた執事を不機嫌そうに眺め、サヤマは片眉をピクリと吊り上げた。

 だが背に腹は代えられない。


「招集をかければ増やせますが、いかがいたしますか?」

「屋敷に詰めている者だけでよい。部屋に待機させろ」

「部屋に……よろしいのですか?」

「構わん。それと急ぎ貴族達に使いを出せ。いつでも計画を実行に移せるようにと、な――」


 目的はわからぬが、だが女王は僅かな手勢でやってきた。

 老人はふと思った。これはもしや好機なのではなかろうか。

 そう感じた時、ふつふつと黒き野望がサヤマの胸の中に沸いてきたのだ。


 事の成り行き次第では、計画は『本日』実行となる――


 老人のは発言はそう言っていることに他ならない。

 

「仰せのままに」


 執事は爬虫類のような冷たい視線でまじまじと老人を眺めていたが、やがて一礼すると部屋を後にした。


「支度を続けろ」


 ぎょろりと、どす黒い野望を浮かべた三白眼を侍女に向け、サヤマは言い放った。

 侍女は青ざめながらその命に恐る恐る頷くと老人の着付けを再開する。

 

 無意識のうちに、サヤマはしわがれた笑い声を口の中であげていた。


♪♪♪♪


サヤマ邸 一階待合室―


 執事らしき男は面を食らった顔をしていたが、すぐに中へ案内してくれていた。

 只今主を呼んでまいります――

 そう言って彼が出て行ってからおよそ五分。

 マーヤは上座にちょこんと座り、お澄まし顔で頬杖をつきながら鼻歌を歌いつつサヤマを待っている。

 一国の女王が公の場でなんと品のない!

 と、きっとあの若き宰相がこの場にいたら大目玉が飛んでいるだろうが、残念ながらここにいる者達の中に彼女のその素行を止めようという者はいない。


「しかし悪趣味な部屋だな」


 これでもかとばかりに並べられた豪華な金銀の調度品を眺めながら、テーブルの上に足を乗せ、椅子を漕いでいたフジモリが呟く。

 壁に掛けられた絵画もサイドテーブルの上に置かれた金の壷も、そして暖炉の上に飾られた水晶の燭台も、なんとなく「どうだ凄いだろう?」と、その高級感を敢えて顕示しているように見えるのだ。

 骨董や数寄物といった類にまったく興味がないこの傭兵団長にも、それがなんとなく分かるほどに。


「ふん、成金ここに極まりだ。サヤマの奴め……」


 すると珍しくスギハラも賛同するように頷いてみせた。

 彼は腕を組んで周囲を見回していたが、やがてうんざりするように深い溜息をついて、集中するように目を閉じる。

 左遷してからも随分とまあ貯め込んでいたようねあのタヌキジジー――

 そんな二人の会話を聞いていたマーヤは、指でトントンとテーブルを叩きながら周囲を眺め、ややもってからあの老人の納税の帳簿を洗いなおしてみようなどと思案を巡らしていた。


「しかし女王、よかったのですか?」


 と、彼女が座る椅子の背後に佇んでいたサワダが、心配そうに女王のその耳元で囁いた。


「女王じゃなくてマーヤ」

「女王……こんな時までそのような事を気にしている場合ですか?」

「いいから、命令よ」

「……マ、マーヤ……よかった……のか?」

「よろしい。で、なにが?」


 まったくこの女王は――

 溜息交じりにぎこちなくそう尋ねたサワダを見上げ、マーヤは首を傾げて先を促す。


「やはり一度しっかり準備をした方がよかったのでは?」


 宿屋を出た一行は、その後城下町にある警備隊の詰め所へ少しばかり寄ったのみで、そのままサヤマ邸へ向かっていたのだ。

 碌な準備も全くしないで敵地真っ只中へ乗り込んだも同然。

 些か軽率だったのではないだろうか――若き青年騎士は案ずるようにマーヤを見下ろしていた。

 だが蒼き騎士国の女王は、そんなことかと言わんばかりに手を仰ぐようにして横に振り、頬杖をついたまま再びちらりとサワダを見上げる。

 

「今城に戻ったらタイガ君に見つかっちゃうでしょ?」


 あの若き宰相の手際の良さを舐めてはいけない。

 一緒に仕事をしている彼女は宰相の辣腕ぶりをよく知っている。

 今頃城内は、蟻の子一匹逃さない警戒網が敷かれマーヤを躍起になって探し回っているだろう。

 無論あの宰相の指示でだ。

 いや、城内だけでなく、下手すると既に城下町にもその手が回っているかもしれない。

 女王を探し出すのだ!ついでに王も!――と。


 見つかったらまず間違いなく連れ戻され、お説教と厳しい謹慎処分は免れないだろう。

 と、マーヤは頭の中でまるで敵のようにイシダ宰相を評価しながら、「大した子だわ」と渋い顔で感心していた。


「それにさっき作戦話したでしょう?少人数でないとあのタヌキジジーは警戒するわ」 

「しかしそれでもし貴女の身に何かあっては――」

「大丈夫。だって君達がいるじゃない」


 懸念の色を顔から消さない青年騎士を真顔で見つめ、マーヤはけろりと言い放った。

 何かあってもあなた達三人がいれば問題ない――

 当たり前と信じて疑わない、女王のその言葉を聞いてサワダは呆気にとられ、ぽかんとしてしまった。

 しかしややもって、やれやれと首を振ると彼は眉間を抑えて俯いた。


「あっさり言ってくれますな……」

「違うの?」

「いえ、お任せください」


 この上ない名誉な言葉だ。

 サワダは全幅の信頼と共に御身を預けてくれた女王の言葉に力強く頷くと、凛々しい笑みを浮かべてみせた。

 女王の言葉を聞いていたスギハラとフジモリも各々嬉しそうにマーヤへと向き直る。


「このスギハラ……命にかえましても!」

「指一本触れさせねーよ」

「期待してるわ三銃士殿?」


 と、マーヤがにっこりと微笑んだのと同時に待合室の扉がノックされる。

 来た。

 途端にマーヤは姿勢を正し、いつもの蒼き騎士国の女王の佇まいに戻るとノックに対し返事をした。

 

「お待たせ致しましたマーヤ女王」


 待合室の両開きの扉がゆっくりと開き、執事とその脇についていた私兵二名が部屋に入ってくる。

 執事はマーヤの下まで歩み寄ると、王家の礼儀作法に則り仰々しく一礼した。

 

「主の準備が整いました故、ご案内致します」

「お願いします」


 マーヤがそう言って立ち上がるのを見届けると、執事は踵を返し彼女の前に立って歩き出す。

 サワダ、スギハラ、そしてフジモリはお互いを見合って頷くと、女王の後に続いた。

 入口付近で油断なく直立不動で立っていた警備隊の隊士達もその後に続き、部屋を出ようとする。


 だがしかし――


 執事に付き従っていた私兵二名が、彼等の前に立ちその行く手を阻んだ。


「申し訳ございません。ここから先は一兵卒のご同行はご遠慮願います」


 徐に踵を返し、執事は慇懃無礼にそう言い放つと、マーヤ女王へ再度一礼した。

 先頭を歩いていた小柄な警備隊の一人が、目深に被った兜の奥の目に不快の感情を浮かべながら歯噛みする。

 と、スギハラがそんな部下の代わりに隠すことなく怒りを露にして執事を睨みつけた。


「無礼な! 我等の役目は女王の身を守ること、それを拒む権利は例えリタルダンド卿といえど――」

「スギハラよいのです」


 と、声を荒げたスギハラを制するように手を差し出し、マーヤは首を振る。

 猜疑心の塊のような老人のことだ。突然訪れた私達を警戒して供の数を減らそうとするのは想像に難くなかった。

 まさに予想の範囲内。そして――

 

 計画通り。

 

 マーヤは穏やかな微笑みを浮かべ、隊士の一行を向き直る。


「貴方達はここで待機なさい」


 後はお願いね――

 マーヤは執事と私兵達に見えないように、パチリと彼等へウインクしてみせた。

 それを受けて、隊士達は各々小さく頷き返す。


「これでよいですか?」

「女王の寛大なるご容赦感謝申し上げます。ではこちらへ」

「サワダ、スギハラ、フジモリ、行きましょう」


 若き三銃士は各々マーヤの呼び声に返事をすると、彼女の後に続き執事の案内の下部屋を出て行った。

 待合室に残ったのは五人の警備隊士のみだ。


「お前たちはここで待っていろ。ただし部屋からは出るなよ?」


 横柄な態度でそう言い放ち、私兵二名は彼等を一瞥すると乱暴に扉を閉める。

 部屋に取り残された警備隊士達はしばしの間の後、お互いを見合ってよし、と頷いた。


♪♪♪♪

 

 数分後。

 サヤマ邸二階、来賓の間前―

 

「こちらでございます」


 赤い絨毯が敷かれた廊下をしばらく歩き、辿り着いたとある一室の前で執事は踵を返すと、仰々しくマーヤへ一礼した。

 そして女王が軽く頷くのを見届けると、執事はノブに手をかけて扉を開ける。

 お入りください――

 中へと手を翳し、彼は入室を促した。

 

 マーヤと若き三銃士はゆっくりと部屋の中に入り。

 そして同時に目を僅かに見開いて息を呑んだ。


 来賓の間と関係者が呼ぶその部屋は、縦に長く中央には軽く二、三十人が座れるほどの細長いテーブルが置いてあった。

 だが女王らが息を呑んだのはそのテーブルが原因ではなく、ましては部屋の広さに感服したのでもなく。

 この部屋の壁に沿ってずらりと並んでいる、『とあるもの』のせいであった。


 入室当初、マーヤはそれを甲冑の置物が剣を構えてずらりと並んでいるのだと錯覚していた。

 なんて悪趣味な部屋だ――と、心の中で老人タヌキジジーのセンスのなさをボロクソに酷評していたが、ややもって彼女はそれが置物ではないことに気づき、さらに心の中で老人を酷評する結果に至っていた。


 そう、それは。


 『甲冑の置物』などではなく、『甲冑を纏い、武装した兵達』の姿。

 ざっと見ても数十人。彼等は各々武器を手にし、直立不動で部屋の端にずらりと居並んでいたのだ。


 無礼な。これが一国の主を迎える態度か――

 マーヤの後ろに控えていた三銃士はそれぞれ不快を顔に露にし、居並ぶ兵達を睨みつける。

 血気盛んなスギハラはかっとなって思わず大剣の柄に手をかけようとした。

 しかしマーヤがそれに気づき、彼の手をそっと止める。


(女王……!)

(いいから、ここは抑えなさい――)


 何故止める?――

 と、不満気に自分を見下ろしたスギハラに対し、マーヤは小さく首を振って諫めた。

 そして彼女は中央を向き直り、遥か先のテーブル端に座っていた小柄な老人を真っ直ぐに見据える。

 

「お久しゅうございますなマーヤ女王」


 女王のその視線に気づき。

 そして敢えて席からも立ち上がらず、リタルダンド卿ススム=サヤマはにやりと不敵な笑みを浮かべて彼女を歓迎した。

 

「お元気そうでなによりですリタルダンド卿。急な訪問、失礼致しますわ」

「何をおっしゃる。わざわざ女王御自らの来訪、甚く感激しておりますぞ」


 何が感激よこのタヌキジジー、どうせ小娘扱いして舐めてるくせに――。

 にっこりと笑みを返しつつ、マーヤは内心「さっさとくたばれ」と老人目がけて、ぐっと親指を下に向けていた。


 だがこの兵の配置。まずは予想通りだ。

 いや予想以上と言えるが。

 まさかここまで私を警戒してくるとは――

 下手をすれば鎧袖一触の雰囲気を既に生み始めている部屋の空気に、マーヤは僅かに眉を顰める。

 

「それにしても本日は一体どういったご用件で」

「所用で近くまで寄ったので、足を延ばしてみたのです。前宰相と久しくお会いしておりませんでしたから」

「それはそれは、このような老骨を気にしていただけるとは…急なご訪問でした故に大したもてなしもできませんが、どうぞごゆっくり」

「ありがとう、リタルダンド卿」

「ささ、どうぞお座り下され」


 勿論相手がもてなす気などさらさらないのは、マーヤも重々承知だ。

 軽く差し伸べられた老人の枯れ木のような手に従い、女王は執事が引いた真向いの席に腰かけた。

 ややもって執事はすぐ隣の席を引き、サワダ達を振り返って着席を促す。

 

 だが若き三銃士達はマーヤの後ろから動かず、直立不動のままサヤマを見据えていた。

 執事はコホンと咳払いすると、もう一度サワダに知らせる様に仰々しく引いた席へ手を翳してみせる。

 

「どうぞお掛け下さい」

「結構です」

「遠慮いたす」

「立ってる方が好きなんでね」


 もし座ってしまったら、即座に女王を守れない。

 三者三様素っ気なく執事の申し出を断り、尚もサヤマから視線を逸らさず、彼等は着席を固辞する。

 執事は困ったように眉を顰めていたが、やがて諦め引いていた椅子を元に戻した。


 生意気な小僧どもめ――

 その様子を見て、なんとも苦々しく顔を引きつらせたサヤマに気づき。


「失礼リタルダンド卿。私への忠節故の行動なのです。どうか彼等をお許し下さい」


 ざまーみろタヌキジジーと思いつつ、マーヤはそんな心境を億尾にも出さず、気品ある笑顔を口元に浮かべていたのだった。


♪♪♪♪


 同時刻、一階待合室―



 何の音だ?――

 待合室の外で見張りをしていた私兵二人は、徐に中から聞こえてきた奇妙な音に、思わずお互いを見合った。

 扉越しに響いてくるその音は、何とも重厚で優雅な空気の震えと共に二人の耳朶をうつ。

 美しい音だ。しかし聞いたこともない音だった。


 決して外に出すな。怪しい素振りを見せるようなら始末しろ――

 執事からはそう命を下されている。


 二人はその命を思い出し、即座に腰に下げていた剣を抜くと扉を開けて中に飛び込んだ。

 一歩部屋に足を踏み入れた途端、さらに大きく聞こえてきたその音が二人の脳を刺激する。

 

「おいお前たち、何をしている!?」


 と、部屋の奥で椅子に腰かけ、見た事もない大きな瓢箪型の道具を抱えている警備隊士に気づいて私兵達は慌てて駆け寄ろうとした。


 刹那。

 突如強烈な眠気が二人を襲い、立っていられずに私兵達はその場に膝をつく。

 これは一体どういうことだ?!――

 彼等は頭を振って必死に眠気に抗うが、耳朶をうつ穏やかな旋律がそれを許さない。

 

「貴様……一体……何を……」


 尚も眠気に抵抗し、淡い光を放ちながら音を生み出し続けるその道具をギロリと睨みつけ、私兵達はなんとか止めようと床を這った。

 しかし果敢な抵抗もそこまで。

 バタリと床に倒れ、二人はそのまま深い眠りへと誘われる。


 二人が動かなくなるのを確認すると、はたと音が止み。

 時を同じくして瓢箪型の道具を奏でていた隊士の動きも止まった。


「……もういいわよ?」


 静寂の戻った部屋の中に少女の声が聞こえた。

 謎の道具――即ちチェロを奏でていたその声の主である隊士は、目深に被っていた兜を脱ぎ、ほっと息をつく。

 そしてアップにして留めていたピンを抜き、絹糸のような長い髪を下ろすと少女はニコリと微笑を口元に浮かべた。

 

 彼女を見守るように部屋の各所で様子を窺っていた残りの隊士達も、それを合図に安堵の息を吐く。

 そして各々兜を脱いで姿勢を崩した。


「うまくいったね」


 きゅぽんと耳栓を外し、日笠さんはなっちゃんに向かってグッと親指を立ててみせた。

 あまり練習をしていない曲だったので不安だったが何とかいった――

 なっちゃんは日笠さんのその言葉に満足そうに頷いていた。


 ヨハネス・ブラームス作『子守歌』。

 通称『ブラームスの子守歌』――


 その曲名どおり、聴いた者を眠りに誘う効果を持つ曲だった。

 なっちゃんはこの曲を、チェロ村を発つ前にこっそりと試し弾きしてレパートリーに加えていたのである。

 ご覧の通り、効果てきめんな曲ではあるが対象を指定できないため、聴いた者全員が眠ってしまうのが欠点だ。

 そのために彼等は事前に耳栓をしていたのだった。


「どうでもいいけどよー?この手袋とか兜すっげー臭うんだけど?」

「ドゥッフ、俺のもディス……」


 体育用具室にある剣道の面と小手の臭いがする――

 クンクンと手に嵌めていた革の手袋を嗅いで、こーへいとかのーは思わずむせた。

 

「文句言わないの。ここに入るためだったんだから仕方ないでしょ?」


 とか言いつつも、帰ったらお風呂入ろう――と日笠さんは思っていたが。

 とにかくなんとか第一ステップクリアだ。


「みんな準備はいいか?」


 と、丁度床に倒れた私兵二人を縛り終えたカッシーが、皆を振り返って尋ねる。

 丁度チェロをケースにしまい終えたなっちゃんが、やる気満々の表情でコクンと一度頷いた。

 日笠さん、こーへい、かのーの三人も各々カッシーを見て準備OK、と合図を送る。

 

 作戦開始!――

 外の様子を扉越しに眺め、誰もいないことを確認すると。

 五人は静かに部屋を後にし、屋敷の奥へと姿を消していった。

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