その19-2 王と女王 兄と妹

 黄色い布は何か鋭利な刃物で切り裂かれたように両端が綻んでいた。

 だが問題はそこではなく。

 中央に堂々と、達筆な字で書かれた『風紀』の二文字のほうだ。


「これって――」

「恵美の腕章じゃない……」

「やっぱりこれ、エミちゃんが着けてた物よね?」

「どうしてこれを女王様が?」


 サヤマ邸の場所をヨーコに尋ねて出ていったきり、かの風紀委員長は行方が知れないままだ。

 だがその少女の愛用している腕章を何故女王が持っているのか。

 当たり前と言えば当たり前の疑問を日笠さんはマーヤに尋ねた。

 はたして、日笠さんのその問いを受けると、マーヤは胸のポケットの中から小さく丸まって眠る小動物を取り出してテーブルにそっと置いた。


「昨日の夜ね、この子が私の部屋にそれを持ってやってきて――」

 

 それは見事な毛並みの小柄なリスザルであった。

 どこかで見た覚えがある猿だ――カッシーは記憶の糸を手繰り寄せながら、口をへの字に曲げる。

 

「フンガッ、コイツバカ王のサルじゃないディスカー!」


 と、途端に昨夜の食べ物の恨みを思い出したのか、かのーが額に青筋を浮かべつつリスザルに向かって手を振り上げた。

 慌ててこーへいがバカ少年を羽交い絞めにし、なっちゃんがその口に余ったサンドイッチを突っ込んだので何とか大人しくなったが。

 だがよほど疲れているのか、それでも猿は起きる気配がなく、背中を小さな寝息と共に上下させて深い眠りについている。


「ムフ、デリシャス」 

「このサルって、もしかして王様の?」


 かのーの魂の叫びでようやくどこで見かけたのかを思い出したカッシーは、顔をあげてマーヤに尋ねた。

 女王はその通りと頷いてみせる。


「そう、兄の親友のオオハシ君」

「……え?」

「この子の名前。オオハシ君っていうの」

「あ、ああそう……」


 オオハシ君っていうのかこのサル。初めて知った。

 まあうちの部にも似たような存在ぶいんはいる。リスザルじゃなくてアライグマだが。

 しかし凄いネーミングセンスだなあの王様――

 とかカッシーはどうでもいいことを一人考えていたが、暗い顔でじっとそのオオハシ君を見つめるマーヤに気づき、それ以上突っ込むことをやめた。


「この子が必死に騒ぐのよ。腕章を振りまわして、何かを一生懸命訴えるように――」

「てかよー?なんでこのサルオオハシくんが委員長の腕章を持ってんだ?」

「そういえば、さっきからそのエミちゃんの姿が見えねーけど、あの子はどこに?」


 と、話を聞いていたフジモリが、渦中の人である剛腕少女の姿がここにないことを指摘しながら、不思議そうに首を傾げた

 カッシー達はそれを受け、どうしたものかとお互い顔を見合っていたが、やがて日笠さんが意を決したように話を始める。

 

「昨夜から姿が見えなくて……私達も捜しているんです」

「マジかよ?」

「ねえ、ひょっとして……昨夜あれから?」


 サワダの横でマーヤの給仕をしていたヨーコは、日笠さんの言葉を聞いて驚きながら尋ねた。

 そんな宿の看板娘の問いかけに、日笠さんはコクンと頷いてみせる。

 閉店の後片付けをしていた彼女の下に現れた東山さんの事を思い出し、ヨーコは眉を顰めた。

 変な事を聞くとは思ったが、思いつめたような顔つきで尋ねられ、彼女は押し切られるようにサヤマ邸の場所を教えてしまっていたのだ。

 

「ごめんね。もしかして教えない方がよかった?」

「ヨーコさんのせいじゃないわ。悪いのは恵美……気にしないで」


 と、すっかり目が覚めたなっちゃんが、しかし寝起きと変わらない不機嫌そうな表情のまま首を振ってヨーコに答える。

 先刻は寝ぼけて頭がぼーっとしていたせいで、特に何も考えずヨーコから聞いたことをそのまま日笠さんに伝えていたが、徐々に目が覚めてくるにつれて彼女も自分が伝えた事の重大さに気づき、後半は一気に目を覚ましていたのだ。


 いくらなんでもあの子勝手すぎるわ――

 微笑みの少女も今はその『微笑み』を引っ込め、日笠さん同様に憂慮と憤りの半々の感情が織り交ざった表情を浮かべていた。

 と、話を聞いて残念そうに俯いていたマーヤがややもって顔を上げ、カッシー達を見る。


「そっか……エミちゃんも行方がわからないのね」

「ちょっと待ってくれマーヤ。委員長『も』って……どういう事だ?」


 女王の発言に違和感を感じ、カッシーはピクリと眉を動かし彼女が発した言葉の意味を尋ねた。

 マーヤは躊躇うようにわずかの間を置いた後に、やがて少年の問いに対して答えようと口を開く。

 

「兄も昨日の夜から帰ってきてないようなの」

「王様も?」


 意外そうにさらに尋ねたカッシーを見て、マーヤは肯定するようにコクンと頷いた。

 昨夜オオハシ君が必至に騒ぐので、仕方なくマーヤは彼を両手で抱きかかえ、サクライの寝室へ様子を見に行ったのだ。

 しかし寝室はもぬけの殻で、王が帰ってきている様子はなかった。

 念のため今朝早くもう一度部屋に寄って確かめたがやはり結果は一緒だった。

 

「それは……えっとその――どうなんでしょうか? ちょっと恵美とは理由が違うような――」

「『どう』って?」

「ムフ、あのバカ王のコトだし、ドーセそこら辺で遊んでんじゃないディスカー?」


 と、少し遠慮がちに尋ねた日笠さんの質問と、それに対する女王の問い返しに、バカ少年が空気を読まずまとめて答えた。

 だがマーヤはかのーのその言葉に苦笑しつつも首を振って否定する。

 

「兄はどんなに遅くなっても必ず城には戻ってきていたわ。帰ってこないのは今回が初めて」

「へえ、意外と律儀なところもあるのねあのバカ王」

「んー、そんじゃさ?やっぱり王様にも何かあったんじゃね?」

「うん多分……この子だけ帰ってくるのもおかしいし」


 マーヤはテーブルの上で未だ眠っているオオハシ君を軽く撫でながら小さな溜息を吐く。

 

「それでこの子オオハシくんが持っていたこの腕章に見覚えがあったから、もしかしたらカッシー達なら何か知ってるかなって――」

「なるほどな」


 それでうちらに会いに来たってことか――

 ようやく合点がいってカッシーは深く頷いた。

 

 そして状況から察するに新たに分かってきたことがある。

 オオハシ君が東山さんの腕章を持っていたということは。

 恐らく彼女はサクライと一緒にサヤマ邸に乗り込み、そしてその後二人とも行方がわからなくなっているということだ。

 どうして行方がわからなくなったかについて、できれば最悪の方向には考えたくないが――


 すべて状況証拠でしかないが、だが現状そう考えるのが妥当だろう。

 カッシーが確認するように日笠さん達を振り返ると、はたして皆も同じことを考えていたようで、少年の視線を受けてなんとも渋い表情を浮かべながら頷いていた。

 マーヤは彼らのその挙動に気付き、さらに先を尋ねる。

 

「ねえカッシー。兄はエミちゃんと一緒にいたんでしょう? どこに行ったか心当たりはない?」

「ああ。多分だけど見当はついてる」

「本当? では二人はどこに――」

「けどその前に聞いていい? 王様から何か相談は受けてないか?」


 明日マーヤに相談してみる――帰り際にサクライはそう言っていた。

 もし彼から話を聞いていないとすれば、この件を話してよいものかと少年は迷った。

 何故なら彼はこうも言っていたからだ。

 なるべくマーヤを巻き込みたくない――と。


 サヤマという老人が企んでいるマーヤ女王を狙ったクーデター…。

 サクライがその事をまだ彼女に打ち明けていないとしたら、自分の口からそのことを話すのは気が引ける。

 だがしかし、少年は女王の口からどのような返答が返ってくるかを大よそ察していた。

 はたして、マーヤは記憶を糸を手繰るように、その形の整った薄い眉を顰めつつ動きを止めていたが、やがてカッシーへかぶりを振ってみせる。

 

「何も受けていないけど……どんな相談?」


 予想していた答えだった。

 まあ当然といえば当然だ。昨夜のうちに王は行方を晦ましたのだから。

 マーヤにこの事を相談する時間などなかったはずだ。


 と――

 

「端から女王に相談する気なんてなかったのよあの王様は」

「なっちゃん?」

「一人でやるつもりだったの、きっと」


 あの王様は、最初から最後まで全部一人でなんとかするつもりだったのだ。

 浪川が捕まったことも、サヤマのクーデターを阻止することも全部一人で。

 だから昨夜は適当な事を言ってあの場を去ろうとしていただけだろう。

 もし本当の事を言えば私達が気を使うと思ってだ。

 そして恐らく恵美はそのことに気づいたのだ。

 あの夜サクライが去った後、なんとなく挙動がおかしかったのもそのせいと考えれば納得がいく。

 だから彼女もサヤマ邸へ向かった。サクライを追って。


「最低、ほんと最低……バカ王も……恵美も」


 バカ。一言言ってくれたっていいのに。

 けれど。

 その事に今の今まで気づけなかった自分にも腹が立つ――

 奇麗な黒髪を乱暴にかき上げつつ、なっちゃんはテーブルに両肘をつき悔しそうに頭を抱えた。


「なっちゃん……」


 そんな少女の心境がよくわかり、日笠さんも拳をぎゅっと握りながら俯いていた。

 と――


「カッシー」


 しん、と静まり返った部屋に気品溢れる声が響く。

 その声色に名前を呼ばれ、カッシーははっとしながら思わず顔を上げた。


「お願いカッシー、何か知っているなら教えて?」


 目の前の悔恨に落ち込む少女二人と、話の節々に見え隠れする兄とエミちゃんの名前。どうやら兄のせいで、何かが起きているようだ――

 少年の目を真っ直ぐに見据え、蒼き騎士の国の女王は尋ねた。


 カッシーはちらりとフジモリを見る。

 ブレイズ髪の傭兵団長の目は『任せる―』と言っていた。

 少年は小さく頷くと、これまでの経緯をマーヤに向けて話し出した。



 数分後―



「リタルダンド卿がクーデターを……?」


 話を聞き終えたサワダとスギハラは懐疑と驚きの混じった表情を浮かべながら思わず呟いた。

 マーヤも僅かに顔を俯け、膝の上を両手をぎゅっと握りしめる。


「それでは王は、トウヤマ嬢と二人でリタルダンド卿の屋敷へ?」

「多分間違いないと思う。委員長がヨーコさんに聞いてたらしいんだ。サヤマの屋敷の場所を……」


 確信するようにスギハラの問いに大きく一回頷いて、カッシーはヨーコを振り向いた。

 と、宿の看板娘は少年の視線を受けて恐る恐る口を開く。

 

「ね、ねえカッシー、あなた達に昨日会いに来てたあの男の人って……もしかして王様だったの?」

「ああごめん。内緒にしてくれって言われててさ。騙すつもりじゃなかった」

「信じられないわ……女王様だけじゃなくて、王様もいらしてたなんて」


 まさかこんな短期間のうちに王様と女王様両方に会うことになるとは――

 ヨーコは狐につままれたような表情を浮かべ思わず天を仰いでいた。


「しかし王が一人そんな事をしていたとは…てっきり城を抜けて遊びに行っているとばかり思っておりましたが――」


 と、そこまで言ってから失言であったとサワダは口を噤む。

 だがマーヤはゆっくり首を振って傍らに立っていた青年騎士を寂しげに見上げた。


「失礼致しました女王……」 

「いいのサワダ君。兄さんはそういう人だから」


 十年前の冒険の旅からそうだった。

 兄は決して表立って何かする人ではない。

 管国の刺客が自分を狙っていた時も、魔王を倒す時も、弦菅両国の衝突を止めようとした時も、兄は人知れず裏で身を張り自分を助けてくれていた。

 それを自分が知ったのは全て終わってから大分後の事だ。

 それも全て人伝で――


 そして今、少年の話を聞いて、マーヤはふと思ったのだ。

 もしかして、貴族達の妨害が今まで『嫌がらせ』程度で事が済んでいたのも、兄が遊びに行くふりをして、陰で食い止めていたからではないかと。

 もしそれが事実だとしても、そしてその事を尋ねたとしても。

 きっと兄は飄々とした笑みを浮かべながらとぼけて、昼行燈を演じ続けるだろう。

 そんな兄をマーヤはとても誇りに思うし、また半面危ういとも思っている。

 あの人はいつもそうだ。優しすぎる――と

 

「まったく兄さんは、いつまで私を子ども扱いするつもりなのかしら」


 言葉とは裏腹にマーヤは子供っぽく頬を膨らませると、納得いかなそうにフン、と一つ可愛い鼻息をついた。

 それはさておき、問題はリタルダンド卿だ。あのタヌキジジーめ、どうしてやろう――

 数年前に見た、サヤマの小憎たらしい笑い顔を思い出しながら、ふむり、とマーヤは腕を組む。

 証拠隠蔽は貴族のお家芸だ。下手に動けば兄とエミちゃんはともかく、ナミカワ君という子が危ないだろう。

 だからきっと兄も単独で忍び込んでその少年を助けるつもりだったのだろうし。


 だが本音を言えばコソコソやるのは好きではないのだ。

 正々堂々正面からやり合うのが彼女の流儀。

 それは戦闘でも、政治でも、外交でもいつもそうであった。


「いっそのこと、隠蔽もできないような圧倒的軍事力であのタヌキジジーの家を囲ってやろうかな……」

「ハッハ、そりゃいいね大賛成だぜ。派手にやろうぜマーヤ」

「フジモリ不謹慎だぞ!」

「女王、流石にそれは……城下町が大騒ぎになりますぞ?」

「冗談よ。それと女王じゃなくて、マーヤね」


 今更そんなことにこだわっている場合か――

 慌てて諫めたサワダは、びしっとマーヤに指を突き付けられて口を噤むと、不満気に喉を鳴らす。

 そんな青年騎士を余所目に、彼女は僅かな思案の後、意を決したようによしと頷いた。


「仕方ないわね、ここは兄さんの顔を立てて、搦め手で行きましょうか」

「搦め手……ですか?」

「そ、搦め手」


 首を傾げて鸚鵡返しに尋ねた日笠さんに、マーヤはパチリとウインクして肯定する。

 そしてテーブルに身を乗り出し、ちょいちょいと指で皆を招いた。

 


「お願いみんな、私に協力して。三人を助け出すわ」



 マーヤのその目はサヤマ達貴族に対する怒りと、過保護な優しき兄に対する僅かな反抗で爛々と輝きだしていた。

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