その19-1 これに見覚えない?
同時刻
ヴァイオリン城、女王の寝室―
「女王、いらっしゃいますか?」
年代物の樫の木でできた扉をノックし、イシダ宰相は中に向かって尋ねた。
若き宰相は女王からの返事を待ち、静かに佇む。
朝の穏やかな日の光とともに、廊下には鳥の囀りが聞こえてきていた。
今日も良い天気だ。
しかし、しばしの間を置いても中にいるはずの女王からは返事はなかった。
イシダ宰相は訝しげに眉根を寄せつつ、もう一度扉をノックする。
だがやはり、中からは返事が返ってくる気配はない。
「女王、マーヤ女王? そろそろ朝食の時間ですので、お起きになって下さい」
女王がなかなかお見えにならないのです――
食堂で待機していた侍女達から、彼がそんな相談を受けたつい先程だった。
育ちのせいもあって、マーヤは基本的に身の回りのことは自分でやる主義だ。
起床、着替え、沐浴、髪結い、その他諸々、流石に衣服の洗濯や接遇関係時の身支度は侍女に任せているが、他のことは日常的にほぼ一人でやっている。
おかげで彼女が女王に就任してからというもの、侍女達は仕事が減って暇になってしまったほどだ。
そんな女王であったからして、侍女達が一日の初めに彼女に会う場所は寝室ではなく食堂だった。
だが今日に限って、時間になってもマーヤはやってこなかったのである。
寝坊だろうか、珍しいこともあるものね――
と、初めのうちは和やかに談笑していた侍女達であったが、時間をとうに過ぎても現れない女王に流石におかしいと感じはじめ顔を見合わせる。
もしやお身体のご様子が優れないのだろうか。そんな結論に至った彼女達が、女王の様子を見に行こうと食堂を出たところでばったり出会ったのが、この若き宰相だったのだ。
侍女達から事情を聞いた彼は、私が様子を見てきます――と、代わりに女王の寝室へやってきたというわけである。
だが結果は御覧の通りであった。
いくらノックしようと呼びかけようと、中からは返事一つない。
流石に様子がおかしいと先刻の侍女同様彼も感じ始め、口の中で困ったようにふむりと唸る。
「失礼、入りますぞ?」
コホンとわざとらしく咳ばらいをしつつ。
許可なく入ることに少し抵抗を感じながらも、イシダ宰相は意を決してノブに手をかけた。
そして彼はゆっくりと扉を開け、部屋の中へと足を踏み入れる。
違和感は既にあった。
寝室は冷たい空気が漂っている。
人が寝ている部屋に感じられる、独特の「空気の停滞」が感じられないのだ。
もしや入れ違いで部屋を発たれたのだろうか、ならばそれはそれで問題はないのだが――
宰相は部屋の中を見渡し眉間に小さなシワを作る。
と、天幕付きのベッドに誰かが横たわっているような膨らみを発見し、彼は若干安堵の籠った息を一つ吐いた。
「女王起きてください。既に起床の時間を過ぎております、侍女達が心配しておりましたよ」
すっかり身に沁みついてしまった説教くさい口調で諫言しつつ、彼はベッドへ歩み寄る。
それでも女王は身動き一つ取らず、横たわっていた。
はて、こんなに寝起きの悪い女王だったろうか――
「もし?女王、マーヤ女王――」
傍らまでやってきていた若き宰相は、仕方なく
だが――
布ごしに触れた女王の身体がやけに冷たいことに気付き、彼は思わず手を止める。
まさか、いやそんな事は。
だがここ数年の女王の激務を考えればありえない話ではない――
背筋に悪寒を感じつつイシダ宰相は慌てて毛布を捲った。
「失礼致します女王! 大丈夫ですか!?」
普段の冷静沈着な立ち振る舞いからは想像もできぬほど狼狽しつつ、血相を変えて彼が覗き込んだその先には――
冷たくなって息を引き取っていた女王の姿――などなく。
城下町で大人気の絵本のキャラクターである、ウサギのぬいぐるみ(特大)が、なんとも緩い顔つきで寝そべっていた。
「……ミッ……フィー?」
エド国のニンジャかあの女王は――
引きつった笑みを浮かべながら心の中で突っ込みを入れ、しかし彼はややもって脱力したように肩を落とした。
とりあえず杞憂に終わりほっとしたが、しかし笑えない悪戯だ。
こんな子供じみたことをして臣下を困らせるとは、上に立つ者としての自覚が足りなすぎる――と、安心した途端、ふつふつと怒りがわいてきた宰相であったが、ふと彼は枕元にあった一枚の紙きれに気づき手を伸ばした。
そしてそこに記されていた自分宛ての書置きに目を通す。
タイガ君へ――
ごめん、ちょっと用事ができたから出かけてきます。
今日の朝議は悪いけどお休みということでお願い。
あ、夕方までには戻るから。
その間お城の事はよ・ろ・し・く・ね♪
追伸。
お土産ちゃんと買って帰ります。
マーヤ
なんたることだ。ああ……血の気が引いていくのが分かる。
「まったく王といい女王といい……この国の王族は何を考えているのだ!」
それでも女王を慕う、忠孝仁義な若き宰相は、泣きそうな表情で書置きを破り捨て、大きな大きな溜息を吐いたのだった。
北の大通り、宿屋二階角部屋―
「――クシュン!」
と、可愛いクシャミをしてマーヤは身を屈める。
「風邪でも引かれましたか女王?」
「ううん平気。誰か噂でもしてるのかしら……」
まあ大方タイガ君あたりが愚痴でもこぼしてるのだろう。
帰ったらお説教だろうなこれは。あの子ほんと年寄り臭いし。
後でちゃんとお土産買わなきゃ。
うむり、エドのセンベイとかがいいかしら。あの子渋いの好きだし――
と、身を案じて声をかけたサワダにフルフルと首を振って答えつつ、マーヤは頭の中でそんなことを考えながらサンドイッチをはむはむと口にする。
「しかし女王、本当によろしかったのですか?」
「なにが?」
「勝手に城を抜け出したとわかれば皆心配します」
「いいのいいの。緊急事態なんだから」
涼しい顔でけろりと答えたマーヤを見て、サワダは端正な顔を顰め、困ったように喉の奥で唸った。
彼は城に出仕した途端、こそこそと大階段を下りてきたマーヤとばったり出会い、訝しむ暇もなく、女王命令! ついてきて!――とここまで連れてこられていたのだ。
スギハラもフジモリも似たようなものだった。
「ウッハ、大した女王さまだよなぁ。今頃城は大騒ぎじゃねーか? タイガの奴なんかきっと卒倒してんぜ?」
フジモリは何とも痛快といいたそうに小気味良い笑い声をあげる。
だがそれを見ていたスギハラが途端に顔を顰め、彼を睨み付けた。
「フジモリ! 貴様女王に向ってなんと失礼な口の聞き方をっ!」
「相変わらずかってーなぁこのガチガチ脳みそは」
「なっ、くっ……貴様という奴はっ!」
「よさないか二人共! 女王の御前だぞっ!」
またか。お決まりの喧嘩が始まりそうな雰囲気を察してサワダは慣れた素振りで仲裁に入る。
だが最後のひとつまみとなったサンドイッチをひょいっと口に投げ入れ、満足そうに紅茶を一口飲みながらその様子を伺っていたマーヤは、三人に向かってあっけらかんと首を振ってみせた。
「スギハラ君、別に私は構わないわ」
「……しかし女王!」
「今はお忍びで城を抜け出してきてるんだから公務外でしょ。貴方もそんなにかしこまらなくていいよ?」
「なっ!? そもそも女王の命で我等はここに――」
「あっそう、じゃあ公務命令!これから『女王』は禁止にしましょう。みんな呼び捨てでOK。わかった?」
ピンと立てた人差し指を女王から突きつけられ、スギハラは寄り目になりながらも渋々承諾する。
そんな彼を見てフジモリはからかうようににんまりと笑ってみせた。
「ほーらみやがれ。わかったかよ脳筋ゴリラ」
「くっ、覚えてろよフジモリ……」
「まったくおまえ達は……」
わなわなと拳を振るわせてフジモリを睨みつけたスギハラを見て、サワダはやれやれと溜息を吐いた。
「サワダ君。もちろん貴方もだからね?」
だがそんなサワダをちらりと見上げつつ、マーヤは付け加える様にして彼にも命を下す。
「ぐっ……わかりました。マーヤ……様」
「様もダメ」
「わかりました、マーヤ……」
本当に困ったお人だ。こんな所を上官に見られたらそれこそただでは済まないだろう――
青年騎士はそんな事を考えながら、整った顔立ちを引きつらせつつ、ぎこちなくマーヤに一礼した。
マーヤは満足そうににっこりと微笑むと、椅子にもたれかかった。
と――
「あのさぁ……和やかにお話してる所悪いんだけど――」
呆れを通り越した何とも重い口調の声が聞こえてきて、マーヤと三銃士は振り返った。
彼等の視界に見えたのは、部屋の片隅に胡坐を掻き、もっさもっさとサンドイッチを食べながら、引きつった笑みを浮かべた我儘少年の姿…。
「うちらになんか用ですかね女王様?」
いきなり人の部屋尋ねて来ておいて、和気藹々なんなんですかあんた達は――
カッシーは額に青筋を浮かべつつ、ぽりぽりと頭を掻くとマーヤに向かって首を傾げてみせた。
三人部屋に日笠さん達女性陣もいる中、大挙してマーヤ達に押しかけられ、カッシーは遠慮して地べたで朝食をとっていたのだ。
かのーとこーへいなんかは座る場所もないので、ベッドの上で黙々をパンを齧っている始末である。
ちなみに彼等が食べている朝食はマーヤ女王もいるので一階で食べるのは目立つだろう、とヨーコが気を利かせて部屋まで持ってきてくれたものだ。
勿論彼女は「お口に合うかどうか」と謙遜しつつも、マーヤと三銃士の分も用意してくれていた。
朝食をとってなかったマーヤのお腹が可愛い音を鳴らしていたのはいうまでもない。
閑話休題。
食べ物につられてすっかり本題を忘れていた。
少年の問いを受けて、マーヤはテヘペロっと舌を出しながら苦笑する。
女王はややもって態度を改めると、カッシー達を向きなおして話し始めた。
「実は聞きたいことがあってここまで来たの」
「聞きたいこと?」
「他でもないわ。これに見覚えない?」
マーヤはそう言って一枚のハンカチを取り出すと、それをテーブルの上に置いた。
そして丁寧にハンカチを広げ、中に包んであった黄色い布をカッシー達へと見せる。
なんだそれ?――
カッシー達はそそくさとテーブルまで歩み寄ると、その黄色い布を覗き込んだ。
みるみるうちに少年少女の顔は驚きで染まっていった。
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