その18-3 また『二つ』に戻れと君は言うのか?

 ホール一階―

 

 肩の上の親友が警告するように鳴いたことに気づき、さらに頭を過ぎった嫌な予感から、サクライは突撃してきた私兵の槍をかわすと素早く後ろへ跳躍した。

 次の瞬間。

 一瞬遅れて蒼き騎士王が立っていた、床がぱっくりと開きその下に真っ暗闇の空間を作り出す。

 悲鳴と共にサクライに飛び掛かろうとしていた私兵の姿が一瞬にしてその闇に飲み込まれていった。

 

 落とし穴?――

 突如床に現れたその穴にサクライは眉を顰め油断なく剣を構える。

 私兵達も戸惑う様に動きを止め、不思議そうに周囲を見回した。

 

 と――

 

 そこかしこで床がパカリと開き、空間を生み出していく。

 次々と悲鳴が起こり、私兵達の姿がその闇に吸い込まれていった。

 

「これは……」


 もはや味方もお構いなしか――

 そこでサクライは階上で不信な動きをする執事に気づき、奥歯をギリっと噛み締めた。

 執事はゆっくりと振り返り、そんな蒼き騎士王の視線に気づくと下卑た笑みを浮かべてみせる。


「何ですかこれは?」

 

 浪川は僅かに眉を顰めながらパチパチと瞬きをした。

 様子を窺っていた東山さんも、突如穴が生まれだした床を怪訝そうに見つめている。

 

 しかし。

 やにわに真下から風が吹き上げる始めた事に気づくと、少女は眉間にシワを寄せ息を呑んだ。

 なんともいやな浮遊感が背中を走りぬける。

 カチリと何かが外れる音が聞こえてきた。

 まずい――

 

「浪川君!」


 叫ぶと同時に東山さんは、傍らにいた少年の身体を思いきり突き飛ばした。

 手加減なしで放たれたその突き飛ばしによって、浪川の身体は跳ね除けられ、ホールの大扉でぐち目がけて吹っ飛んでいく。

 ドン――

 とやや大きな音と共に少年が扉に衝突し、ぐるぐると目を回したところまでを確認すると――

 

 東山さんの身体は真っ逆さまに落下を開始した。


「くっ……」


 諦めずに身を捻り、少女は咄嗟に左手を伸ばして床の縁を掴む。

 途端に激痛が左腕を走り、彼女は眉間にシワを寄せつつその痛みに耐えるようにして歯を食いしばった。

 力が入らない。いつもなら懸垂なんて大得意で何回だって余裕でできるのに。

 痛みが感覚をどんどん麻痺させていく。

 少女の左手は徐々に床を滑り、そして再びその身体は落下を開始しようとした。

 だが、大きな手が穴へと伸びて、落下しかけた少女の手を掴む。

 

「王様……?」


 ガクンと揺れて落下を止めた自分の身体に気づき、東山さんは見上げるとそこにあったサクライの顔に気づき、驚きの声をあげた。

 彼は咄嗟に身を滑らせ、半身を乗り出して落下しかけた少女の手を掴んだのである。

 しかしそれが何を意味するか。

 サクライだけではなく、少女も十分理解していた。


「今が好機ぞ! 王を殺すのだ!」


 案の定、サクライの背後から聞こえてきた老人の勝ち誇った声に、東山さんは悔しそうに歯噛みする。

 味方共々罠にはめようとしたサヤマの言葉に、私兵達は戸惑う様にお互いを見合っていた。

 だがややもって仕方なさげに武器を構えると、床に伏せるような形で身動きの取れなくなっているサクライへと歩み寄る。


 もちろん武器を振り上げ、彼にとどめを刺そうと――

 

「手を放して下さい。自分でなんとかします」

「その怪我でかい?」


 ちらりと背後に近づきつつある私兵の様子を確認しながら、サクライは少女に首を傾げてみせた。

 しかし東山さんは真顔で首を振ると、いいから放せと彼を睨みつける。

 私兵の影が彼のすぐ傍までやってきているのが見えたのだ。

 どこまで強情なんだか――

 やれやれと溜息をついてから、だがサクライはにっこりと微笑んだ。


「この手を放せなど今更無理な相談だ。また『二つ』に戻れと君は言うのか?」

「……王様」


 そう、君がいたから。君が代わりに拾ってくれたから――

 自分の手にはまだ空きがある。


「大丈夫だ、まだ手は四つだろう? 全て拾えるよ……キュートなヒップのお嬢さん?」


 意を決したように足場を蹴って、蒼き騎士王はその身を穴に飛び込ませた。


「っ?!」


 サクライは東山さんの身を庇うように抱きかかえると、落下に身を委ねる。

 慌てて周囲にいた私兵達が穴に駆け寄り、様子を窺う様に奈落を覗き込んだ。

 しばらくの間、穴からは少女の悲鳴が漏れ響いていたが、やがてそれも消え再び静寂が暗闇を支配する。


「自決しおったか?」

「わかりません」


 サクライが飛び込んだ穴を階上からしげしげと眺めながらサヤマは呟いた。

 いずれにせよ穴は相当の深さだ。

 助かるまい――

 執事は訝し気に口の中で唸っていたがやがて老人のその問いにかぶりを振って答える。

 

「奴隷は無事か?」

「問題ありません。気を失っているようですが」


 未だ大扉の前で目を回している浪川を、私兵達が様子を窺う様にして囲っていた。

 罠に巻き込んでしまわないかが心配だったが、あの女が身を挺して庇ってくれたおかげで無事だったようだ。

 一石二鳥の結果となって執事は密かにほくそ笑む。


「ククク……よくやった。これで邪魔者は消えたわけだ」


 どうなることかと思ったが、天はまだわれらを見捨ててはいなかったようだ。

 老人は再び野望の炎をその瞳にギラつかせながら、自然と込み上げてきた笑いを隠すことなく浮かべていた。


 だが彼等は気づいていなかった。

 

 激闘が行われたその場から。

 『王の親友リスザル』の姿と。

 剛腕無双の少女がはめていた『腕章』が忽然と消えていたことに――

 

 

 ホールにはしばらく勝利の美酒に酔いしれた老人の笑い声が止むことなく木霊していた。


 

♪♪♪♪

 

 

翌朝。

北の大通り、宿屋二階角部屋―


「開いてるよ」


 雲一つない空を窓越しに見上げ、鼻歌まじりで歯を磨いていたカッシーは、聞こえてきたノック音に返事をしながら振り返った。

 ほどなくして入口の扉が開くと、外の天気とは対照的に表情を曇らせた日笠さんが入ってくるのが見え、少年は手の動きを止める。


「どしたの日笠さん、暗い顔して」

「ひよっチベンピー? ねえベンピー?」


 と、どんよりとした顔で部屋に入って来た少女の様子に気づき、ベッドの中からにゅるりと顔を出してかのーが尋ねた。

 だが数秒後にバカ少年は日笠さんのビンタを食らって吹っ飛ぶ羽目になる。


「フォブッ!?」

「おまえはさー、デリカシーのない事を聞くなよなー?」


 と、窓辺で煙草を吸っていたこーへいが、血を吐いてベッドから落下したかのーを見下ろしつつ呆れたようにプカリと紫煙を浮かべた。


「もう、ふざけてる場合じゃないの!」

「何かあったのか?」


 マジで機嫌が悪そうだ。

 いよいよもってヒステリックに叫んだ日笠さんに、カッシーは若干引き気味に尋ねた。


「恵美の姿が見えないの」

「委員長が?」

「カッシー達見なかった?」

「いや……」

「んー、こっちにゃきてないぜー?」


 一体どこに行ったのか――

 苛立たしげに溜息を吐いた日笠さんに対し、カッシーもこーへいもかぶりを振って答える。

 昨夜流れ解散となって以来、あの剛腕無双の風紀委員長の姿は見ていない。


「んー、でもよ? 別に委員長なら平気じゃね?」

「ソーソー、どっかサンポでもいったんジャナイノー?」


 東山さんなら仮にそんじょそこらのチンピラに絡まれたとしても、問題なく無事で帰ってきそうだ。

 むしろ絡んだ奴らの方が逆に危ない気がする。

 こーへいがぷかりと煙のわっかを宙に放ちながら言うと、床に倒れたままだったかのーも、大きなもみじを頬に浮かべつつ、ケタケタと笑いながら無責任に言い放った。


「だといいんだけど……」


 何だか妙な胸騒ぎがするのだ――

 楽観的な二人の意見を受けつつも、日笠さんは尚もって心配そうに肩を落とした。

 相変わらず心配性なまとめ役である目の前の少女の心境を察して、カッシーはやれやれと口をへの字に曲げた。


 と、再びノックの音が聞こえてきて、一行は入り口を振り返る。

 入ってきたのは長い髪に寝癖をぴょこんと立てて、明らかに寝起きで不機嫌そうな顔つきの毒舌少女――

 なっちゃんはトコトコと部屋の半ばまで寝ぼけ眼のまま入ってくると、ガシガシと頭を掻いた。

 

「なっちゃん、恵美はいた?」

「んー……」


 と、心配そうに尋ねた日笠さんの問いに、おざなりな返事をしながらなっちゃんはボフンとカッシーのベッドに倒れこむ。

 恵美がいない、どこいったの!?――と、今朝からあまりに日笠さんが心配するものだから、寝起きが悪いこの少女も仕方なく彼女に付き合い一緒に探していたのである。

 

「なっちゃん?」

「聞こえてるって……恵美の奴、昨日夜遅くに出かけていったらしいわよ……」


 一階に東山さんを探しに行っていたなっちゃんは、ヨーコから聞いた話をそのまま日笠さんに伝え、再び二度寝の体勢に入ろうとする。

 

「はぁ? それ本当なの?!」

「……ヨーコさんが言ってたわ。サヤマ邸の場所を聞かれたから……道を教えたって……にゃむ」


 だが日笠さんの素っ頓狂な悲鳴が毒舌少女を眠りの淵から再び引っ張りあげ、なっちゃんは煩そうにトロンとした目で彼女を一瞥すると、目を擦りながら答えた。

 ちなみに不機嫌そうなゾンビのようにゆっくりと歩み寄って来たなっちゃんを見て、この宿の看板娘はドン引きしていたことを補足しておく。


「サヤマって……」

「おーい、やばくね?」

 

 マーヤを女王の座から追い出し、貴族による政権奪還を狙う老人――

 昨夜サクライが話していたことを思い出しながら、カッシーとこーへいはもしやと顔を見合わせた。


「なっちゃん、それってほんと? ほんとにほんと? ねえ!」

「ん~~…嘘ついてどうするのよ。本当だってば……ちょ、まゆみ……揺らさないで気持ち悪い……」


 顔面蒼白となりながら、日笠さんは寝ぼけ眼のなっちゃんの肩を揺すって尋ねる。

 頭をがっくんがっくんと前後に揺らしながら少女は間違いないと答えた。

 やにわになっちゃんの肩を放し、日笠さんはどうしようと頭を抑える。

 ボフっと枕に顔を埋めた毒舌少女の短い悲鳴が聞こえてきた。

 

 これは。

 もしかしなくても、もしかして――

  

「ブッフォフォフォー! イインチョーさー、一人でサヤマっつージジーの家に乗りこんだんじゃないディスカ?」


 イカスディース!――と、まさしく皆が考えていた事をバカ少年がデリカシーなく言い放ち、ケタケタと笑い声をあげる。


「そ、そんな無茶なこと、まさかいくら恵美でも――」

「んー、十分ありえんじゃね?」

「そうね……」


 深い溜息と共に日笠さんはがっくりと肩を落とした。

 曲がったことが大嫌いで、正義感の塊のような少女…それがあの東山恵美ふうきいいんちょうだ。

 悪徳サヤマ許すまじ!ってな感じで、状況証拠から見て、単身サヤマ邸に乗り込んだ可能性はかなり高い。


 まったく、何を考えてるのかあの子は!

 いくらあの子が強いって言ったって一人で乗り込むなんて無謀すぎる。

 どうしよう。もしかすると今頃彼女は――

 途端に最悪の結末が頭を過ぎり、日笠さんは口を真一文字に結びつつ、がばっと顔を上げた。

 カッシーは顔に縦線を浮かべつつ、そんな少女をまあまあと諫める。

 

「日笠さん、落ち着けって」

「落ち着いてる場合じゃないでしょカッシー! 早く何とかしないと恵美が――」

 

 と、真っ青な顔でカッシーの両肩を掴んだ日笠さんの声を遮るようにして。

 またもや扉がノックされた。

 

 誰だこんな時に?しかし朝から訪問の多い日だな――

 そんな事を考えつつ、カッシーはどうぞと返事をした。


 と、次に入って来たのは、お世話になっている宿の看板娘。

 こころなしか強張った表情を浮かべ、カチコチに緊張しているヨーコに気づき、一行は不思議そうに首を傾げた。


「ヨーコさん?」

「お、おはようみんな……あの、ちょっといいかしら?」

「あの、どうしたんです?」

「うん……その……あなた達に、お、お客様です」

「お客?」


 この上さらにお客様とは――

 カッシーは咥えていた歯ブラシをプラプラさせながら、誰だろうと入口を覗き込む。

 そしてヨーコに案内されて入ってきた三人の青年の姿を見て少年は意外そうに目を見開いた。

 現れたのは。

 整った顔立ちのヴァイオリン騎士に。

 がっちりしたガタイの警備隊。

 そして昨夜ぶりの小柄なブレイズ髪の傭兵師団長――


 そう、若き三銃士と呼ばれる面々だった。


「サワダさんと、あなたは確かスギハラさん、それにフジモリさんまで」


 こんな朝早くから揃いも揃って一体何の用だろうか。

 部屋に入って来た三人を見て、日笠さんは目をぱちくりさせながら彼等の名前を口にする。

 

「おはようございますカシワギ殿」

「朝早くに失礼致します」

「よっ、またお邪魔するぜ?」


 と、三者三様それぞれ挨拶すると、サワダ達は少年少女を一瞥する。


「こんな朝早くにどうしたんですか? しかもそれって確か……正装?」


 随分とまた畏まった格好だ。

 昨日城で会った時と同じ、各々のシンボルカラーに染めた軍用コートと騎士の正装にばっちりと身を包んでいた三人を見て、日笠さんはますます不思議そうに眉根を寄せる。

 そんな少女に対し、サワダは幾分困ったような表情を浮かべつつ口を開いた。


「実は皆さんにお会いしたいという方がおりまして」

「俺達に?」

「誰ですか?」


 カッシーと日笠さんは誰だろうとほぼ同時に首を傾げる。

 と、サワダを筆頭にスギハラ、フジモリが一歩退き、部屋の中央に続くように道を作った。

 それを合図にしたかのように、廊下にいた人物がヨーコの案内で部屋に入ってくる。


 簡素な外出用のドレスに身を包み、顔を隠すためスカーフでほっかむりをしていたその人物は。

 カッシー達の前までやってくると徐にスカーフを解いて顔を上げた。

 

「はぁ!? ちょ、ちょっと待てッ!」


 現れた見覚えのあるその顔に、カッシーは思わず咥えていた歯ブラシを吹き出しそうになる。

 少年の傍らにいた日笠さんも思わず言葉を失い、ぽかんとしてしまっていた。

 後ろで様子を見ていたこーへいもかのーも、ようやく目が覚めて来ていたなっちゃんも、各々驚きの表情を顔に浮かべ、その人物を見つめている。



「おはよう、小英雄さん達」

『マ、マーヤ女王!?』



 一様に驚きの声を上げて固まったカッシー達を見渡しながら、マーヤはにっこりと明朗活発な笑みを口元に浮かべてみせた。

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