その18-2 英雄

「東山さん、大丈夫ですか?」

「平気、かすり傷よ……」


 やや遅れて駆け寄って来た浪川が、東山さんの傍らに屈む。

 苦痛に顔を歪めながらも、東山さんは左の二の腕を抑え自力で上半身を起こした。

 彼女の天性の運動神経はそれでも無意識のうちに回避を試みていたようだ。

 幸いにも矢は少女の腕を掠ったのみで済んだいた。

 それでも、みるみるうちに傷を抑えたその右手の隙間から血が染み出してくるのが見え、浪川は珍しく心配そうに表情を険しくする。


「これはこれは、執事から聞いた時は耳を疑いましたが……」


 そんな彼女の様子を視界の端で確認していたサクライは、二階より降って来た声に苛立たし気に眉を顰め、再び老人へと視線を戻した。

 

「お久しぶりですな。リューイチロー=ヤマデラ=ヴァイオリン王よ」

「――サクライだ」


 仰々しく臣下の礼に則って一礼したサヤマに対し、だが蒼き騎士王は即座に老人の言葉を否定する

   

「リューイチロー=『サクライ』=ヴァイオリン…だ。間違えないでくれ」


 敢えて姓の部分を強調しながら言い直したサクライを見下ろし、サヤマは意外そうに三白眼を見開きながら苦笑する。

 

「なんとまあ。亡き父君が聞いたら悲しまれますぞ王よ」

「父とは決別した」

「王族の血を否定するつもりですかな?何故下賤な使用人の姓など――」

「無駄話が好きだな、年老いたかサヤマ?」


 さらに語気を荒げサクライは老人の話を遮った。

 後ろで話を聞いていた東山さんは、初めて聞く王の怒気をはらんだ口調に驚きながら彼の背中をじっと見つめる。

 

「……まあいいでしょう。しかしこんな夜分にそれも賊のように忍び入るとは……いくら王とて感心致しませぬな?」

「姑息な手段はお互い様だろう? 事を荒立てなかっただけ感謝してもらいたいな」

「何のことで?」

「私の知人を利用して何を企んでいる。叔父に隠し子などいないよ?」


 しばしの間サヤマは驚きの表情を浮かべサクライを見下ろしていたが、やがてやれやれと肩を竦めながら、口元に余裕の笑みを浮かべてみせた。


「そこまでばれてしまっていたとは…致し方ありませんな」

「よく聞け。今ならまだ目を瞑ろう。兵を退き、門を開けてはくれまいか?」

「それはできぬ相談ですな王よ……」


 サヤマはそう言って傍らの執事へ目を向けた。

 執事は老人のその視線を受け、一度頷くと手をあげて合図を送る。

 階上の私兵達が一斉にボウガンを構えた。

 廊下からはようやく態勢を整えた私兵達がホールに姿を現し、サクライ達を囲むように散開する。


「知られたからには、例え王とて生きて返すわけに参りませぬ」


 この策は貴族の悲願。

 なんとしても成就させなくてはならぬのだ。

 並々ならぬ執念と欲望を顔に浮かべ、サヤマは窪みの奥にある三白眼でサクライを見下ろした。


「愚かな……こんな愚策がマーヤに通じるとでも? 貴族の滅亡を早めるだけだぞ」

「心配ご無用。私は必ず貴族の世を復活させてみせます。王よ、どうか安心してあの世へ旅立たれよ」


 いずれ女王もそちらへ送って差し上げます故――

 悪漢の決まり文句のようなセリフを口上し、サヤマは勝ち誇った笑みをサクライへと浮かべてみせた。


 交渉決裂か――

 サクライはやれやれと息を一つ吐くと背後をちらりと振り返る。

 

「いいかい二人とも。決してそこを動かないでくれ」


 王のその威厳ある口調は。

 この『絶望』に囲まれた窮地において尚、未だ無人の荒野を進むかの如く落ち着いていた。


 左腕を抑えながら尚も諦めまいと立ち上がろうとしていた東山さんは、聞こえてきた蒼き騎士王のその言葉に動きを止めた。

 浪川も二、三度瞬きをしながら、しかし無言で彼の背中に向かって頷いてみせる。


 かつて人外の魔王を倒した『英雄』の一人は、蒼き狼の如く腰を落とし――

 握っていた剣をゆっくりと肩に担ぐようにして構えた。

 そして徐々に包囲を狭めつつ近づいてくる私兵達を威圧するように睨みつける。

 王の気焔に反応するかのように、彼の肩の上にいたリスザルが毛を逆立てつつ威嚇するように甲高い鳴き声をあげた。



 それが戦闘開始の合図となった。

 鬨の声と共に、私兵達は手に持った武器を振り上げてサクライ目がけて突撃する。

 蒼き騎士王はさらに身を撓らせ、先頭の私兵が間合いに入ったのを確認すると唸るような一閃を繰り出した。


 刹那、次々とホールに響き渡る剣戟の音色と共に、私兵達の持っていた武器が天高く舞い上がる。

 弾き飛ばされた剣や槍が勢いよく回転しながら飛び散り、壁や吹き抜けの天井にザクリと刺さった。

 

 そのうちの一つが空を切りサヤマの真横を通過したかと思うと、余韻を残して背後の壁に突き刺さる。

 次の瞬間。

 六つの閃光が迸ったかと思うと、武器を弾かれ、万歳をするように固まっていた六人の私兵達が白目を剥いてバタバタと崩れ落ちた。

 

「バカな……」


 身動き一つできずにその一部始終を見ていたサヤマは、あんぐりと口を開きながよろめくようにして手すりに持たれかかる。

 誰の目にも数本の剣閃が走っただけにしか見えなかった。

 どうやって私兵達が伸されたのか、それすらもわからない。


 これが『英雄』か――

 唖然とする老人の傍らで様子を見ていた執事は背筋に冷たいものを感じ息を呑む。

 蒼き騎士王が放った剣は、彼の目にすら僅かに追うことができたくらいの神速の太刀筋だった。

 

「次は誰だ?」


 先刻までとガラリと変わった凛々しくも威厳ある口調が、すっかり気圧されていたその場の全員を我に返す。

 自分達に突きつけられた剣先をまじまじと見つめ、残った私兵達は思わず後退った。


「何を気圧されている! 相手は一人だぞ。そうだ射殺せっ! 矢だ!  一斉射撃だっ!」


 サヤマは額に青筋を浮かべながら私兵達を叱咤する。

 金縛りが解けたように老人の左右にいた数名の私兵がその指示に反応し、狙いも半ばに矢を放った。

 

 だがしかし――


 またもや閃光が二つ、いや三つ。

 空に弧を描いて走ったかと思うと、放たれた矢はその半ばで真っ二つにされた姿を床に晒す。


 化け物か?――

 どよめきと共に、私兵達は信じられない物を見たかのように誰もが顔色をなくして呆然としていた。

 やれやれと溜息を吐き、サクライは突き出していた剣を引き戻して残心を解く。


「どうした、かかってこないのか?」


 残った私兵達を威圧するように睨みつけ、サクライは一歩踏み出した。

 ひっと短い悲鳴があがり、幾人かの私兵が腰を抜かしてその場にへたり込む。

 蒼き騎士王はへたり込んだ私兵達にかまうことなくさらに一歩前に出ると、すっかり戦意を失って立ち尽くす残りの私兵達に向けて剣を構えた。

 なんて強さだろう。次元が違う。

 腕が立つとは思っていたが、ここまでだったとは。

 私の攻撃が全然当たらないのも悔しいけれど納得した――

 サクライの背中をまじまじと見つめながら東山さんは唖然とする。

 

「な、何をしている!? やれっお前たち臆するなっ!」


 再びサヤマの裏返った声が階上から降り注ぐ。

 私兵達はもはややけくそと、各々武器を構えてサクライに飛び掛かった。


「ええい、お前たちもぼーっとしているんじゃない! 矢を撃て! 撃たないか!」

「今撃っては味方に当たってしまいます。それにご覧になったでしょう。あの男に矢は通じません」」

「ならば剣で挑め! 加勢せよ!」


 ヒステリックな情婦の如く声を荒げ、サヤマは傍らの私兵をがやしつける。

 私兵達は困ったように顔を見合わせると仕方なく腰の剣を抜き放ち、ホール目がけて階段を下りていった。

 だが、既に戦況は敗北に傾きつつある。それもたった一人の男によって。


 なんたることだ。

 昼行燈。うつけ王。噂通りの暗愚な男。 

『英雄』などと称されているが、眼下の男などたまたま女王とその場に一緒にいただけの、ただの腰ぎんちゃくだと侮っていた。

 まさかこのような牙を隠し持った『狼』であったとは――

 すっかり戦意を失った私兵達を、まるで赤子の手を捻るように次々と無力化していくサクライを見下ろし、サヤマは憤慨しながら手すりを叩く。

  

「些か分が悪うございますな」

 

 明らかに格が違い過ぎた。

 冷静に階下の戦況を眺めながら、老人の傍らにいた執事は静かに呟いた。

 

「なんとかならんのか? このままでは、我らの計画は――」

「……無いわけではございませんが、ただし味方を巻き込むことになりますぞ?」


 そう言って、執事は至極冷徹な視線と共に不敵に笑うと、そそくさとサヤマに耳打ちする。

 サヤマは執事のその耳打ちに眉を顰め低く唸り声をあげた。

 老人はしばしの間、迷う様に頭の中で思案を巡らせていたが、やがて意を決したようにゆっくりと頷く。


「致し方なし、それでいこうではないか」

「よろしいのですか? では『ネズミ捕り』を使いますが――」

「構わん、所詮は金で雇った使い捨てだ。貴族の繁栄のために下賤な血の者達の犠牲は付き物よ」


 血統至上主義。全ての民は我々貴族のために存在すべき『奴隷』である。

 その考えが老人を形成している歪んだ真理であった。

 サヤマは階下で必死に戦う私兵達を、まるでいらなくなった玩具を眺める様に一瞥すると、はやくしろ――と言わんばかりに執事に合図を送る。

 執事は一礼するとホール二階にずらりと並ぶ、鎧のオブジェを端から順にぐっと壁に向けて押していった。

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