その18-1 不覚
深夜にも拘わらず、東地区一豪勢なその邸宅は大騒ぎとなった。
丑三つ時に突如響いたガラスの割れる音、そして執事の放った号令。
目標は逃げ出した少年と、賊二名――
サヤマ邸に詰めていた私兵達は次々と武器を片手に屋敷中に散開した。
そんな喧騒広まる屋敷の中を、蒼き王と、剛腕無双の少女、それに立派な睫毛の少年は脱兎の如く走り抜ける。
「いたぞっ!」
廊下の角を曲がった直後、正面から鉢合わせた私兵の一人が大声で叫んだ。
その後ろに槍を構えた私兵が二名、計三名。無力化したほうが良いな――
瞬時に判断するとサクライは正面の私兵が剣を抜くよりも早くその懐に飛び込み、逆手に剣を抜き放つと、石突きで男の鳩尾を穿った。
そして呻き声をあげてその場に蹲った私兵の肩を蹴り、宙へと躍り出るとその後ろで唖然としていた二人へ間髪入れずに切りかかる。
蒼き騎士王が振り下ろした刃は、向かって左にいた私兵の槍を半ばから真っ二つにした。
狼狽するその私兵の傍らに着地すると、サクライは踵を返し右にいた私兵の持っていた槍を素早く奪い取る。
そして手にした槍を勢いよく振りかぶり、反応する事も出来ずその場に立ち尽くしていた二名の私兵をまとめて薙ぎ払った。
鈍い音と共に槍の柄をこめかみにめり込ませ、その二人の私兵は短い悲鳴をあげながら吹っ飛んでいく。
とどめとばかりに蹲っていた最初の私兵の首筋に手刀を打ち込み無力化させると、サクライは息を吐いて右手に持っていた槍を投げ捨てた。
「行こう、こっちだ」
出し抜けに出会った敵を、瞬時の判断であっという間に無力化してしまったサクライをただただ呆気にとられて眺めていた東山さんは、その声によって我に返ると、コクンと頷いた。
そこかしこから私兵の足音と確認をし合う声が聞こえてきていた。
囲まれつつあるようだ。急がねば――三人は再び出口を目指して走り出す。
脱出劇はその後も続く。
階段を飛び降り、待ち構えていた私兵達を跳ね除け。
時には足を使って逃げ抜き、迂回をして私兵の追跡を回避し。
時には背中を庇い合う様にして戦い。
三人は少しずつだが確実に脱出に向けて出口へ向かっていく。
そして三十分後。
やっと見えた――
額の汗と弾む息をそのままに、廊下の向こうに現れた
流石の風紀委員長も息が上がってきていたが、あそこを出れば後少し。
拳を握りしめ、少女はよしと気合を入れる。
しかし――
「いたぞ、こっちだ!」
背後から聞こえてきた声と複数の足音に東山さんは辟易しながら振り返った。
しつこいわね、一体何人いるのよ?――
だが出口まではあと少しだ。これなら逃げ切った方が速い。
突撃してくる数人の私兵達を見て苛立ちながらも少女は一歩退く。
と、背中に何かがあたり東山さんは息を呑みながら再度振り向いた。
彼女の目に映ったのは。
自分と同じく一歩退き、そして背中に当たった少女を意外そうに振り返るサクライの姿――
もしかして。
ああ、あまり考えたくないが。
そんな表情で二人は、ほぼ同時にお互いの背後を見合って眉を顰めた。
「挟み撃ちかな?」
「みたいです……」
サクライの背後――つまり前方のホールからもサヤマの私兵達がやってくるのが見え、少女はうんざりしながら王の問いに答えた。
しかしすぐに二人は、浪川を庇うようにその前後に立つと各々迎撃の構えをとる。
「やるなら正面だ。後ろは捨て置き少しでも――」
「いえ、王様。両方やりましょう」
と、強気な少女の声が背中越しに聞こえてきて、サクライは意外そうに目だけで東山さんを振り返る。
剛腕無双の少女は廊下を覆うようにして敷かれている紅い絨毯を見つめていた。
「浪川君、まだ走れる?」
「無理といっても走らせるつもりですよね?」
長年の付き合いで目の前の風紀委員長の性格はよく知っている。
浪川はやれやれと溜息を吐きつつも東山さんの問いかけに頷いた。
「二人とも合図を出したら絨毯から飛び退いて」
そう言って、東山さんは屈みこむと紅い絨毯をがっしりと両手で掴み、大きく息を吸う。私兵の集団は前からも後ろからも、すぐ傍までやってきていた。
何をするつもりだ?――
王の瞳はそう問いかけていた。
まあ見ててください――
その問いかけに少女は同じく意志強き瞳で応える。
「いまっ!」
少女の合図と共に、サクライと浪川は廊下の両脇に飛び退く。
「てえええぇぇいっ!」
まさに剛腕無双の本領発揮。
気合の入った掛け声と共に彼女が引っ張った紅い絨毯は、その上を全力で駆けてきていた私兵達の足元を掬った。
悲鳴と共に前後に迫っていた私兵達は、見事なまでに宙へとその身を放り出し、もんどりうって背中から床に落ちる。
「二人とも走って!」
大した馬鹿力だ――
呆気にとられていたサクライと浪川にそう言い放ち、転倒した私兵達の脇をすり抜けて、東山さんはホール目がけて駆け出していた。
廊下を抜け、少女はホールに到達する。
紅い絨毯が姿を消し、大理石の床が足元に現れた。
あと少しだ、ラストスパート。
東山さんは息を弾ませながら床を蹴り、目の前に見えて来た大きな
だがしかし――
高飛の鳥も美食に死す。深泉の魚も芳餌に死す。
最も気をつけねばならないのは目的を達成する瞬間なのだ。
ぞくり、と東山さんは背筋に悪寒を感じ、歩みを止めて振り返った。
吹き抜けとなったホールの二階。
そこでニヤリと笑う老人の姿と。
そして自分に照準を定め、ボウガンを放とうと構える私兵達の姿を捉え――
少女は息を呑む。
「殺れ」
老人の合図と共に、空を切って複数の矢が東山さんに飛来した。
音高最強の風紀委員長は、自分目がけて放たれた矢を眉間にシワを寄せながら睨み付けた。
全身の筋肉が振るい立つ。世界がゆっくりと流れだすような感覚。
本能が生きようとして足掻きを生み出す。
持ち前の運動神経をフル稼働し、少女は床を蹴り横っ飛びでそれを回避する。
一本、二本、三本――
数メートル右に着地し、キュッと少女のスニーカーが床を踏み鳴らした。
パラパラと乾いた音を立てて、大理石の床が矢を弾く。
後を追いかけるように私兵達の脇をすり抜け、浪川と共にホールを目指していたサクライは、少女を襲った凶弾に目を見開いた。
新たに弦が弾ける低い音がホールに響く。
バランスを崩した少女を追いつめるように、時間差でさらに矢が迫る。
四本、五本、六本――
立て続けに床を蹴り、東山さんは逆方向へ跳躍した。
床にヘッドスライディングするように着地すると少女はしたたかに身体を打ち付けくぐもった声をあげる。
だがまだ終わらない。
耳に聞こえてくる新たな射出音。
七本、八本――
猫科の肉食獣のように、東山さんは四つん這いで再び地を蹴った。
すぐ傍の床で矢が乾いた音を立てて跳弾する。
九本――
歯を食いしばり、少女はそれでも身を捻って回避を試みる。
脇腹のすぐ真横に矢が飛来し、床をカツンと鳴らした。
十本――
目を見開いた。
ザクリと身体の中を鈍い音が走り、左腕の付け根が熱くなった。
血が左の二の腕から染み出して、杏色の少女の服をより濃い紅へと染めあげる。
同時に脳に伝わって来た痛みに、東山さんは小さな呻き声をあげ、思わず身体をくの字に曲げた。
ゆっくりと流れていた時が元に戻る。
数秒の間を置いて。
矢に裂かれて一枚の布と化した『風紀』の腕章が宙を舞い、苦痛に顔を歪める少女の前にはらりと落ちた。
ついに動きを止めた少女目がけ、とどめとばかりに冷徹な矢群が迫る。
十一本、十二本、十三本――
不覚――
汗で乱れた髪の隙間から、痛みに耐えつつ悔しそうに飛来する矢を睨み。
だが、少女は。
刹那、視界に割って入った男の背中に目を見開いた――
一閃。二閃。
電光石火の剣筋が雷の如く宙を舞い、少女目がけて飛来した矢を切り払う。
矢は真っ二つに切断されながら勢いを失い床に落ちた。
ほう――と、二階からサヤマの感嘆に満ちた声が聞こえてくる。
その老人を階下からゆっくりと見上げ。
「私の友に何をするリタルダンド卿」
蒼き騎士王は東山さんを庇うようにして剣を構えた。
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