その17 いつまで一人で背負い込む気?

「失礼致します」


 声と共に開いた扉から、執事と見張りをしていた私兵二名が部屋に入ってくる。

 彼等は中入るや否や訝し気に部屋の中を一望した。

 部屋の中では少年がベッドに腰かけ、膝の上のヴァイオリンケースを大事そうに抱えながら入ってきた彼等を見ている。

 他に人の姿は見えない。

 誰かがいる気配がしたが――

 口の中で唸り声をあげ、執事はまあよいと少年に歩み寄る。

 

「深夜の来訪をお許しください、なかなか寝付けないようだと見張りの者から伺いまして」


 いかにも作り笑いと一目でわかる笑みを口元に貼り付け、執事は浪川の様子を窺った。

 何故か目を真っ赤に腫らした見張りの男二名からその報告を受けたのはつい先刻のことだ。虫の知らせというべきか、執事はなんとなくその報告に違和感を感じ独断でこの部屋を訪れていたのである。

 浪川はそんな執事の問いかけに対し、長い睫毛をパチパチと瞬きさせてゆっくりと首を振った。

 

「すいません、うるさかったですか?」

「いえ、そんなことはございません。眠れないようなら何か暖かい飲み物でも用意させますが」

「結構です。もうそろそろ寝ますので」


 と、そっけなく執事に返事をして浪川はやはり首を振る。

 取り付く島もないと執事は眉尻を下げた。


「そうですか……承知致しました。ではお休みなさいませ」


 やはり気のせいか――

 ぺこりと一礼をして、執事は踵を返した。

 少年は気付かれぬようにほっと安堵の息をもらす。


♪♪♪♪


ベッド脇、クローゼットの中―


 やれやれなんとかなりそうだ。

 浪川と時を同じくして小さな溜息を漏らし、サクライは隙間から外の様子を窺う。

 そんな王とは対照的に、東山さんは不機嫌そうに眉間にシワを寄せ、顔を紅くしながら硬直していた。

 ギリギリだった。

 隠れる場所を選ぶ余裕もなかったサクライと東山さんは滑り込むようにしてクローゼットの中に身を隠したのだ。

 おかげでやや窮屈な場所に身を隠す羽目になってしまったが文句は言っていられない。

 背が高いサクライは首から上を屈ませるようにして少女の腰に手を回し。

 そして東山さんは王の胸に顔を埋めるような体勢で密着している。

 望む望まないを別として、今二人はお互い抱き合うような姿勢となってしまっていた。


「王様……」


 と、小声で呼んだ東山さんに対し、外の様子を窺っていたサクライは眉根を寄せて少女を見下ろす。

 吐息がかかるくらい近くに王の顔が現れ、思わずドキッとしながら彼女はさらに顔を紅くした。

 

(静かに、ばれてしまう)

(もう少し離れてくれませんか?)

(無茶を言わないでほしい。我慢してくれ)

(もう、なんでこんな狭い所に隠れたんです?)

(君こそどうしてついてきた?他にも場所はあっただろう?)

(だって王様が急に動くから……)

(なら文句言わないでくれよ)


 ついつられて身体が動いてしまったのだ。

 こういう時は自分の反射神経が恨めしい。

 悔しそうに東山さんは口を真一文字に紡ぎ視線を逸らす。

 と、ひょっこりと胸ポケットからリスザルが顔を覗かせ、冷やかすように東山さんを見て笑った。

 サクライはやれやれと眉尻を下げつつ、再び外の様子を窺う。


♪♪♪♪


「ところで、まだ用意した衣服にはお召し変えなされてないのですか?」


 と、踵を返した執事は、そこでテーブルの上に畳んで置かれたままの服に気づき、再び浪川を振り返った。


「最高級の服を揃えたのですが、お気に召さなかったようですな?」

「申し訳ないですが……もっこりタイツは勘弁してもらえませんか?」

「もっこり……」


 少年の口から飛び出た言葉に執事はやや笑顔を引きつらせて目を見開いた。

 だが浪川は至極真顔のまま、テーブルの上に置かれた服を見つめている。

 確かに自分が来ている元の世界の服は大分汚れてきていたし、本音を言えば着替えたかった。

 だから浪川は一応着る努力はしてみたのだが、畳まれた服を開いた途端、彼には珍しく表情を曇らせていた。

 上はまあまだいい。中世の貴族が着るような絹のボタンダウンシャツだ。

 しかし下は白いタイツだった。まあ実際にはその上にさらに膝丈のパンツを履くのではあるが。

 それでも思春期の少年にとって、バラエティ番組でしか見ることのない股間がやたら強調されてしまうタイツは生理的に無理だったのだ。

 

「それは困りましたね。しかし白のタイツは王族の証なのです」


 ややもって呆れたように小さく肩を竦めると、執事は駄々をこねる子供を諭すように言った。

 

「そう言われても無理なものは無理です」

「貴方はいずれヴァイオリン王として君臨する身。嫌でも慣れてもらわねばなりません」

「……」

「まあいいでしょう。タイツは王位に就いた際で構いません。ではとりあえずの服を用意いたします故、そちらをお召しください」

「すいません、お願いします」


 そう言って執事は再び踵を返す。

 なんとか罰ゲームは回避できた。浪川はほっと胸を撫でおろした。

 

 だがしかし――

 

 

「……部屋が暑うございましたか?」


 執事の声色が詰問するようなものに突如変わり、浪川は背筋に悪寒を覚えながら顔をあげる。

 男は歩みを止めていた。顔だけを少年に向き直し、そして鋭いヘビのような目で彼の表情を探っている。

 

「いいえ。丁度よいですが?」


 冷たい視線だった。『物』を見るような執事のその視線を受け、思わず浪川はそう答えてしまった。

 そしてその直後に、しまったと口を閉ざす。

 それでも彼の性格故に表情までは変わらないのが僥倖であったが。

 

「そうですか。窓が開いておりましたので……」


 その返答を受け。

 執事は客間の窓を向き直ってさらに尋ねた。

 たった一つだけ全開となった両開きの窓を見つめる執事の目つきは、もはや先刻の作り笑いを浮かべていた人物とは別人のようだった。

 まずい――

 浪川は思わず風が起こるのではないかと思うほど高速な瞬きブィーンとしながら、それでも表情を変えず執事の問いに答えようと思案を巡らせる。

 しかし咄嗟によい返答が思い浮かばず、少年は思わず視線を逸らす。

 視界の端で少年のその挙動を確認した執事は、爬虫類のような冷たい視線を送る目を細めて唸った。

 やはり何かがおかしい――執事の勘はそう言っている。

 そしてそう思った瞬間に、彼は既に行動を開始していた。

 

「部屋を調べよ。箪笥の裏、ベッドの下、クローゼットの中、すべてくまなくだ」


 待機していた私兵二名を振り返ると彼は手を翳し命を下す。

 私兵達は短い返事をした後、部屋の中を散っていった。


「ちょっと待ってくださ――」

「申し訳ありません。改めさせていただきます」


 有無を言わさぬ声色と共に、浪川の言葉を遮り。

 執事は慇懃に一礼すると笑みを消した。

 

♪♪♪♪


 これはまずい。

 部屋の中に散った私兵は順にタンスや棚を開けて中を調べているようだ。

 ここからでは死角となり見えはしないが音でわかる。

 クローゼットの中から様子を窺っていた東山さんは、聞こえて来たその執事の声に思わず眉間にシワを寄せた。

 どうしよう。このままでは見つかるのは時間の問題だろう。

 少女は傍らのサクライを見上げる。

 彼女の視界に映った蒼き騎士王は、先刻同様クローゼットの隙間から外の様子を窺っていた。

 その表情は少女の予想通りやはり険しく、頭の中ではこの危機的状況を回避するために思案を巡らせているのであろうことが想像できた。

 しかし東山さんの視線に気づくと、彼はゆっくりと少女を向き直り、心配するなといいたそうに、にこりと微笑む。

 そして、意を決したように真顔になると王は身を屈ませ、東山さんの耳元で小さな声でこう囁いた。

 

(仕方ない。どうやら君の好きな強行突破しかなさそうだ)


 その言葉を聞き、東山さんは意外そうに驚きの表情を浮かべたが、すぐに元の表情に戻ると小さく頷いて答えた。

 

(よく聞いてほしい。僕が飛び出し奴等を引き付ける)

(はい)

(奴等を誘導しこの部屋から引き離すから、君はここに隠れていてくれ)

(え……?)


 途端、ぐっと王様を押しのけて耳元から離すと東山さんはサクライの顔を覗き込んだ。

 だが王の顔は至って真面目だった。笑みすら浮かべておらず、威厳ある蒼き騎士王の表情で、じっと少女の顔を見つめている。

 

(君は頃合いを見てナミカワ君と一緒に窓から逃げるんだ。ロープの作り方はさっき教えたね?)

(ちょっと待って。なら王様はどうする気ですか?)

(僕なら大丈夫だ。適当に相手したら上手く撒いて逃げる。後で宿屋で落ち合おう)

 

 そこまで言って、サクライは再びクローゼットの隙間から外の様子を窺った。

 私兵の気配が近づいてきていたからだ。

 サクライは腰の剣に左手を添え、飛び出す期を窺うように僅かに身を屈めた。

 

 だが――

 

 その剣に添えた王の左手を小さな手がぐっと抑えつける。

 ピクリと眉を動かし、サクライは右手の中の少女を再び見下ろした。

 王の目に映った東山さんは怒る様子もなく、そして憂う様子もなく。

 ただただ己の信念を浮かべた瞳で、真っすぐにサクライを見据えていた。

 その少女の表情に気づき、サクライは言葉を失う。

 


(いつまで一人で背負い込む気なんです?)



 やっとわかった。確信した。

 この人は、自分の命を大切にしていない。

 いつでも捨てていいものだと思ってる。

 だから生き急ぐように他人ひとのために使っているのだ。

 しかしそれは、私の望むものではない――

 自分が放った言葉の意味を理解できず、戸惑うように僅かに表情を険しくしたサクライを見上げ。

 そこでようやくいつも通りの強気な笑みを浮かべて、東山さんは自信ありげに一度頷いた。



(私も行きます。強行突破は十八番おはこです)

(エミちゃん……)

(止めるなら、私のお尻を触ったことを女王に訴えますから)

(……)

(それに帰りぐらい、堂々と正面から出ましょうよ。三人で……ね?)


 ちょっと待ったと声をかけるように、王の胸ポケットからリスザルがちょいちょいと東山さんの頬をつついた。

 そうだった。四人だったわね。こりゃ失礼――

 なんとも渋い表情で口を噤んだサクライを余所目に、彼の親友リスザルを見てクスリと笑うと、東山さんはクローゼットの外の様子を窺うようにして視線を外に向けた。

 私兵の一人がすぐ隣まで来ているのがわかる。

 もう議論している暇はないようだ。


(王様……)

(なんだい?)

(大丈夫、今なら手は四つあります。私と王様……二人ならすべて拾える)


 私は決めたのだ。浪川君も。そして貴方の背中を守ると。

 それが風紀委員としての私の役目――

 強い意志を秘めた少女のその言葉を聞き、サクライは迷いを表情から消す。

 そして『護るべき少女ひと』から『背中を預ける相棒パートナー』に変わった腕の中の少女を嬉しそうに見つめてから。

 途端、王の威風と決意を秘めた視線をクローゼットの外へと向けた。


(僕が先陣を切る。君はナミカワ君を連れて後詰めを頼むよ)

(わかりました)


 東山さんはサクライの左手に添えていた手を放すと、眉間にシワを寄せ全身に闘志を漲らせた。

 

♪♪♪♪

 

「特に異常はないようですが?」

「いいからくまなく探すのだ」


 ここまでは人の気配はない。

 本当に誰かいるのだろうか、と私兵の一人が執事を振り返り懐疑的に意見した。

 しかし執事は食い気味に私兵の言葉を遮り、続行を指示する。

 不満げに頷きつつも私兵は目の前の棚の裏手を覗き込んだ。

 まるで針の筵だ。

 ベッドに腰かけ、祈るようにして浪川はヴァイオリンケースの上に置いた手を握りしめる。

 二人の私兵はお互い時計回りと逆時計回りで、部屋のいたるところを捜し続けていた。

 少年の腰かけるベッドの背後。

 丁度そこにあるクローゼットに向けて、死刑宣告のカウントダウンは刻々と零へと向かっている。

 そしていよいよ――

 浪川の背後に私兵が回る。

 やれやれと面倒くさそうな私兵の溜息が聞こえてくる中、少年の首筋に流れた汗を執事は抜け目なく捉えていた。

 直感的に何かがあることを悟り、執事はじっとクローゼットを見据えながら、懐にしまっていたナイフに手をかける。

 クローゼットの取っ手に私兵の手がかけられると同時に――

 勢いよく戸が開き、中から二つの影が飛び出した。

 


 それは蒼き狼と紅き隼。


 

「ふっ!」


 矢の如く繰り出された東山さんの鉄拳制裁インパクトが瞬時にして目の前の私兵の顎に炸裂する。

 私兵は弾丸の如く浪川の脇を通過して飛んでいくと、もんどりうって部屋中央の床に叩きつけられた。 

 その飛んでいく私兵を追うようにして、サクライはベッドに足をかけ宙を舞うと、右手に握られた剣を執事へ繰り出す。

 剣戟の音色が部屋に響き渡った。

 執事は咄嗟に繰り出したナイフの刃で、サクライの一撃を受け止め、鍔迫り合いに持ち込む。

 事前に構えていなければ受け止められなかった。

 背筋に冷たいものを感じつつ、執事は歯を食いしばってサクライの剣を押し返した。

 

「これはこれは……まさかあなただったとは」

 

 意外な人物の登場に、執事は目を僅かに見開くとサクライを見据えて呟いた。

 サクライは答えない。

 答える代わりに、その瞳がちらりと執事の手にしていたナイフの鍔に向けられ、そしてなるほどと納得しながら輝いた。

 鍔に彫られていたのは『蜷局を巻いた蛇』の紋章。

 道理で、堅気じゃないわけか――

 見事一撃を受け止めた執事に対して、サクライは追撃の手を緩めず二回、三回と剣を繰り出していく。

 剣と剣がぶつかり合う金属音がさらに複数回木霊し、あっけに取られていたもう一人の私兵は我に返ると、腰に差していた剣を抜こうと手をかけた。

 しかし音高最強の風紀委員がそれを許さない。


「はぁっ!」


 獲物を狙って地すれすれを滑空する隼の如く、東山さんは身を屈め私兵の懐に飛び込むと、強烈な後ろ回し蹴りを私兵の鳩尾に繰り出した。

 お決まりの蛙の潰れたような悲鳴をあげ、私兵は勢いよく吹っ飛ぶと窓ガラスを突き破って外へと飛んでいく。

 数秒後に水が弾ける音が外から聞こえて来た。どうやら中庭にあった噴水に落下したようだ。

 無意識に残心を解かぬまま、部屋の中央で王と執事が切りあう様子を視界の端で確認しつつ、東山さんは踵を返す。

 

「浪川君っ!」


 そして、彼女は相変わらずの表情のままその場に固まっていた浪川の手をとり出口へと駆け出した。

 

「王様、OKです!」


 入口まで一気に駆け抜けると、東山さんはサクライの名を呼ぶ。

 その声を背中に受け、剣戟を続けていた蒼き騎士王は油断なく執事を見据えながら後ろへ飛び退いた。

 そして東山さんと浪川の傍らまでやってくると、飄々とした笑みを執事に向けて浮かべてみせる。

 ぴょこんと胸ポケットから王の肩へと登ったリスザルがニカリと笑って手を振った。

 

 じゃあな悪党――と。


「リタルダンド卿へ伝えてくれ。『僕の知人は返していただく』と」


 サクライはそう言って剣を鞘にしまうと、少年少女と共に廊下へ飛び出す。

 ギリっと奥歯を噛みしめ。

 執事は口惜し気に唸り声をあげると、三人を追いかけて廊下へと飛び出した。

 そして彼は大きく息を吸い、怒りと屈辱を籠めた声を周囲へ放つ。

 

 

 

「侵入者だ! 決して逃がすな! 出口を固めろ!」

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