その5 若き三銃士(後編)
「空気読めって石頭。おまえと飲むのは疲れるから嫌だっていってんだよ」
偉丈夫の声を遮るようにして、別の声がホールに響いた。
その声が聞こえた途端、スギハラは太い眉をキリッと吊り上げ、唸り声をあげて振り返る。
彼を追って少年少女達も声のした方向を振り向くと、東に続く廊下の柱によりかかり、こちらを眺めている男の姿が見えた。
背丈はカッシーと同じくらいで、サワダやスギハラと比べるとやや小柄だ。
目つきが鋭く眉も細い。ブレイズにした肩までの茶色い髪を後ろで束ねており、後ろ腰には刃渡りが長めの、よく手入れされた二本のナイフを差していた。
着ている服はやはりサワダ同じデザインであったが、彼のそれは鴉のような鮮やかな黒色である。
「フジモリ……」
視界の中央にその小柄な男を捉えると、スギハラはむっと怒りを隠すことなく顔に浮かべ呟いた。
「よおコーキ。チェロ村遠征ご苦労さん」
そんなスギハラの怒りの視線におくびれる様子もなく、小柄な男性はなんとも軽い口調でサワダに挨拶しながらこちらへやってくる。
「フジモリ今は城内だ。名前で呼ぶのはやめてくれ」
だが近づいてきたその男に、サワダは場をわきまえるようにと諫めた。
フジモリと呼ばれた男は苦笑しながら肩を竦めてみせる。
「全く、律儀だなーおまえは」
「仕事中だろ?」
「へいへい……で、あんた等が噂のチェロ村の小英雄さんか?」
と、小柄な男はカッシー達を品定めをするように見渡しつ尋ねた。
またかよ――どう答えてよいものかカッシーは困って顔に縦線を描く。
「小英雄って……そんなに噂広まってるんです?」
「なんだよ知らないのか? 城下町じゃあんた等の話でもちきりだぜ?」
「おーい、マジかー?」
どうやら本当に噂だけが独り歩きしているようだ。
カッシー達は困ったようにお互いを見合った。
英雄なんて呼ばれるようなこと、自分達は何一つやっていない。
やったことと言えば、がむしゃらに戦って楽器を演奏して勝手に気絶したくらいである。
これのどこが英雄だろう?
カッシーは背中の辺りがムズムズしだして何とも言えない表情を浮かべながら、口をへの字に曲げた。
「しかし可愛いお嬢さん方がたくさんいらっしゃる。なかなか色気のある御一行だぜ」
「フジモリ、失礼だぞ」
「硬いこというなよサワダ。俺はヴァイオリン城傭兵部隊第七師団団長のヒロ=フジモリだ。よろしくな」
「こちらこそ」
フジモリと名乗った男はウインクしてカッシー達に挨拶した。
なんか軽いノリの人だな、カッシーは代表して挨拶を返すとぽりぽりと頬を掻く。
刹那、怒気を含んだ銅間声がホールに響き渡る。
「それよりフジモリ、貴様さっきなんといった?」
やれやれやっぱり始まったか――
聞こえてきたスギハラの怒声を聞いた途端、サワダは眉間に指を当てて項垂れた。
対してフジモリは余裕を口元に笑みを浮かべスギハラの顔を覗き込む。
「正直な感想を言ったまでだぜ。どうみてもこいつ嫌がってただろ?」
「カシワギ殿、そうなのですか?」
「え、いやそんなことは……」
と、突然フジモリに話を振られ、そして怒りの形相のスギハラに詰め寄られ、カッシーは顔に縦線を描いて言葉を詰まらせる。
だがスギハラはカッシーの曖昧な返答を聞くと、どうだと言わんばかりに得意げに笑みを浮かべ、フジモリを見下ろした。
「ほらみろ! カシワギ殿はそうではないといっているではないか?」
「だから空気を読めって言ったんだよ。社交辞令だろそんなもん」
「なにっ?!」
ほーら乗って来た――スギハラに見えないように軽くぺろっと舌を出すと、フジモリは小バカにするようにふふんと笑った。
「たくっ、これだから警備隊の連中は困る。額面通りしか言葉を受け取らない朴念仁の集団め」
「貴様、俺を侮辱するのはまだしも警備隊を侮辱するのは許さんぞっ!」
「本当のこと言って何が悪いんだよ。そんなんだから昨日の騒ぎ一つ解決できねーんだ」
「おのれっ! もう我慢ならんっ!」
警備隊がどれほど苦労して捜査をしているかも知らぬ輩が、好き勝手に言いやがって。部下が徹夜で駆け回っていることをよく知っているスギハラにとっては、もはや我慢の限界。
偉丈夫は茹蛸のように顔を真っ赤にし、背中の大剣に手をかける。
「剣を抜けっフジモリッ! 決闘だっ!」
「上等だぜ……後悔すんなよ?」
待ってましたとばかりに、肩にかかったブレイズヘアの一束をピンと指で弾いて後ろへ送ると、フジモリは腰のナイフをクロスして抜き放った。
ホールを行きかっていた他の騎士や宮仕えの侍女達は、二人のその様子に気づいて、何事かと歩みを止める。
「よさないかっ! 神聖なる城内で決闘など非礼極まりない行為だぞっ!」
毎度の事ながらこの二人は何故こう仲が悪いのか。
仕方なく二人の間に割って入ると、サワダは凛とした声で仲裁した。
しかし――
「止めるなサワダ。流石に今回ばかりは許せん!」
「すっこんでろコーキ。こいつは一回痛い目みないとわかんねーんだ」
日常茶飯事、顔を合わせれば喧嘩ばかりしているこの二人は、青年騎士の一喝如きではもはや止まらない。
二人は構えを解く気配をまったく見せないまま、じわじわとお互いの間合いを詰めていった。
まさに鎧袖一触。
とうとうホールには二人を囲むようにして人だかりができ始める。
何やら怪しい雲行きになってきた。
成り行きを見守っていたカッシーと日笠さんはどうしたものかとちらりとお互いを見る。
喧嘩自体はいつもの事だが場所が悪い。
こんな場所で騒ぎを起こしたら、個人間の争いでは済まなくなるだろう。
やれやれとサワダは顔を抑えて肩を落とした。
と―ー
そんな大騒ぎを通りがかりに見かけて、ツカツカとホールに歩み寄ってくる人物が一人。
騒ぎを止めるべきか迷っていた衛兵達は、その人物に気が付くと背筋を正し敬礼する。
私に任せろ――
その人物は衛兵に軽く手を上げて合図をすると、喧々諤々罵り合う二人の下へと近づいていった。
「毎回毎回貴様という男はもう勘弁ならん!」
「けっ、そりゃこっちのセリフだ。この脳みそ筋肉野郎っ!!」
「よさないか二人とも!」
今にも切りかかろうとしている二人の間に入り、かろうじて決闘を止めていたサワダの肩に、ぽんと手が置かれ――。
はっとした青年騎士は振り返るなり、その人物に気づくと慌てて姿勢を正した。
「まったくお前たちは――」
「えっ!?」
「おっ!?」
威厳のある渋い声が聞こえて来て、スギハラとフジモリは同時に動きを止めると途端に顔を青くする。
その人物――鋭い眼光と、立派な髭を蓄えた初老の男は、二人が身構えるよりも早く、頭頂部に鉄拳を振り下していた。
「ぐっ!」
「いっ!」
目から星が飛び出すほどのゲンコツを食らい、二人は頭を抑えてうずくまる。
誰だこの人?――突如現れ、そしてあっという間に騒ぎを沈めた男性を見て、カッシー達はあっけに取られていた。
銀の軍用コートに身を包んだ、威風堂々とした佇まいのその男は、少年少女達を余所目にギロリとスギハラとフジモリを睨み付ける。
「いつつ……隊長何をなさるんです!?」
「いってぇなー! 何すんだヒゲオヤジっ!!」
「朝っぱらから城のど真ん中で騒ぐとは何事か! おまけに私闘をおっぱじめるとは、お前たちは子供か情けない!」
頭を抑えながら立ちあがったスギハラとフジモリは、口々に反論したが、初老の男は有無を言わせない雷のような大声で怒鳴り返した。
その委縮してしまうような見事な一喝に、カッシー達を含め、様子を窺っていた騎士や侍女達も吃驚して思わず身を竦める。
「ですが隊長、こいつが警備隊を愚弄する発言を…」
「スギハラ、おまえこんな所で油売ってる場合か?事件の調査はどうなっている?」
まさにヘビに睨まれたカエルであった。
偉丈夫はそれ以上なにも言えずに、口をパクパクとしながら言葉を詰まらせる。
「も、申し訳ございません……」
「傭兵隊の若僧も口に気をつけろ。次はゲンコツじゃすまさんぞ?」
「けっ、わかったよ」
「わかったら二人ともさっさと持ち場に戻れ」
と、初老の男は犬でも追い払うように二人に向かってしっしっと手を振ってみせた。
スギハラは直立不動で男に敬礼すると、カッシー達を向き直る。
「お見苦しい所をお見せしてしまいました。申し訳ないカシワギ殿」
「い、いえ……」
「では任務に戻りますゆえ、これにて」
そう言って踵を返すと、スギハラは再び西の廊下へ歩いていった。
フジモリはそんなスギハラの背中に向かってべっ、と短く舌を出していたが、初老の男に一睨みされ苦々しそうにそっぽを向く。
「ちっくしょー、このヒゲオヤジ……思いっきり殴りやがって」
「まだ殴られ足りんようだな若造? もう一発いっとくか?」
「はいはいわかったよ。そんじゃ俺も仕事に戻るぜ。また会おうな英雄さん」
冗談じゃない――再び拳を握った初老の男を青ざめた表情で見上げると、フジモリは肩を竦めてみせた。そして少しふて腐れながらも、彼は踵を返し、元来た東の廊下を戻っていった。
集まっていた騎士達も騒ぎが収まったことにほっとしながら解散する。
やれやれ、何とかなった――サワダとカッシー達はほっと安堵の息を漏らす。
「サワダ殿、毎度うちの若いのが迷惑をかけるな。どうか許していただきたい」
「いえ、どうかお気になさらずトウチ隊長。いつもの事です」
と、頭を下げた初老の男を向き直り、サワダは勿体ないとばかりにかぶりを振ってみせた。
「君も若いのに苦労するな」
「いいえ、同期であり良き友です。苦労などとは思っておりません」
三人はほぼ同時期に城勤めとなった間柄で、おまけに年も近い。
自然に公私ともに親交を深める仲となっていた。だから二人の事はよく知っている。
スギハラもフジモリも顔を合わせれば諍いが絶えないが、根本にあるこの国を思う気持ちは一緒なのだ。
青年騎士は嘘偽りない気持ちを口にし、まっすぐに初老の男を見据えて答えた。
初老の男はサワダの言葉を聞き、嬉しそうに口元に笑みを浮かべて頷いた。
そして傍らにいたカッシー達に気づいて向き直る。
「ところでこの子達は謁見待ちかね?」
「はい、チェロ村から来たカシワギ殿らです」
「なんと、ではあの盗賊団を倒した若者達か」
男はそう言って立派な髭をしごきながらカッシー達を一瞥すると、感心したように目を細めた。
「そうとは知らず失礼致した。私はヴァイオリン警備隊隊長のアキヒト=トウチと申す者、先刻はうちのスギハラがとんだご無礼を」
トウチと名乗った初老の男は、そう言って今度は騎士の礼儀作法に則り、深々と六人へお辞儀をした。
「いえ、その……お構いなく」
サワダとのやり取りを見て、なんだか凄く偉い人なのはわかった。
そんな人に頭をさげられ、カッシーは畏まって思わず頭を下げ返してしまう。
「ところで貴方がここにいるという事は、朝議は終了されたのですね」
「ああ、今朝の朝議は長引いたがな。ついさっき終了した」
「そうですか、では女王は――」
「もう戻られたはずだ。そろそろではないか?」
と――
噂をすればなんとやらだ。
トウチ隊長はホールの中央に続く階段からとある人物が降りてくるのに気が付くと、サワダに視線でそれを示唆する。
サワダはその視線を受け、同じく降りてきたその人物を見てから、トウチ隊長にお礼をいうように軽く会釈をしてみせた。
「では、私はこれで失礼する」
そう言って踵を返すとトウチ隊長はスギハラと同じく、西の廊下へ向かって歩いていく。
「お待たせしました。サワダ第一ヴァイオリン騎士団副団長殿」
入れ替わりに降りてきた人物が仰々しくサワダの名を呼んだ。
赤と白の法衣を身に纏ったその男性は、名を呼ばれ敬礼したサワダに小さく頷くと、傍らにいたカッシー達を一瞥する。
黒い短髪にきりりとした眉毛と、物静かな佇まいをした青年だった。
年はサワダと変わらないように見える。
しかし、理知的な光をその意志の強そうな瞳に秘めた落ちついた物腰は、見た目よりも大分大人びていた。
「サワダさん、あの人は?」
「女王付きの宰相を務められているタイガ=イシダ殿です」
と、日笠さんに尋ねられ、サワダは小さな声で答えた。
「ユーイチ=カシワギ、マユミ=ヒカサ、コーヘイ=ナカイ、ナツミ=チハラ、エミ=トーヤマ、ヨシツグ=カノー…女王との謁見希望者は以上の六名でよろしいでしょうか?」
イシダ宰相は、懐から丸めてあった羊皮紙を取り出すとそれを開き、落ち着いているがよく通る声で読み上げる。
「はい、相違ありません」
「では、女王様が謁見の間でお待ちです。どうぞこちらへ」
イシダ宰相はそう言って踵を返し再び階段を登り始めた。
「お待たせしました皆さん。それでは行きましょう」
サワダは、そう言ってイシダ宰相の後に続き、階段を登りだす。
いよいよだ――
どきどきしてきた。カッシーは高鳴る胸の鼓動を抑えようと先刻同様に深呼吸をする。
マーヤ女王、果たしてどんな人なんだろう。
我儘少年は期待に胸を躍らせながら、階段を一歩踏みしめた。
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