その6 蒼き騎士の国の女王
五分後
ヴァイオリン城、謁見の間―
「どうぞ、お入り下さい」
年代物の樫でできた扉が衛兵の手によって開かれると、先頭で案内していたイシダ宰相はカッシー達を振り返って中へと促した。
サワダがまず中に入り、カッシー達が続けて足を踏み入れる。
謁見の間、そう呼ばれている部屋は、両側面に採光のため取り付けられた大きなガラス窓から穏やかに降り注ぐ陽光が、大理石を基調とした室内を彩り、荘厳な空気を漂わせていた。
その部屋の中央に敷かれた紅い絨毯の上を、少年は青年騎士の後に続いてゆっくりと進んでいく。
正面の壇上に二つの玉座が見え、その右側に位置する玉座に女性が座っているのが見えた。
間違いない、まだここからでははっきりと見えないが、あれがマーヤ女王――カッシーの鼓動はますます早くなった。
やがて先を歩いていたサワダが歩みを止めその場に跪いて頭を下げたのを見て、少年少女はそそくさと彼の後ろに横一列に並び真似をして頭を下げる。
「ムフ、めんどくせー」
「いいから頭を下げなさい!」
最後に一人だけぼーっと突っ立っていたかのーの頭を、東山さんが無理矢理押して跪かせると、イシダ宰相は玉座の脇へ歩み寄り、一同を向き直った。
「第一ヴァイオリン騎士団副団長、コーキ=サワダ。チェロ村盗賊討伐の任務より只今帰参致しました」
「ご苦労でした騎士サワダ」
深々と頭を下げ、凛とした、しかし穏やかな声色でサワダが口上を述べると、玉座から物静かで落ちついた女性の声が聞こえた。
水の流れのような透き通った綺麗な声――カッシーは思わずどきっとして息を呑む。
「先発隊より報告は聞いています。大儀でしたサワダよ、あなたの国を想う忠誠心に感謝します」
「もったいなきお言葉……」
「ところで彼等が、貴方からも上奏のあった謁見を希望する者達ですね?」
「はっ、ユーイチ=カシワギ殿とその仲間の方々です」
「まあ、では彼等が噂の――」
玉座から感嘆の吐息が漏れるのが聞こえてくる。
噂ってまた例の噂だろうな――
六人はそう思ったが、いちいち否定するのも面倒になってきていたので、黙ってそのまま様子を見ることにした。
「どうぞ、面を上げてください」
と、自分達を呼ぶ声が玉座より聞こえて来て、カッシー達は恐る恐る顔を上げる。
「初めましてチェロ村の小英雄達。私がカルテット=ストリングス王国第十三代目当主、マーヤ=ミカミ=ヴァイオリンです」
陽光の淡い光と共に視界に映った女性は、慈愛に満ちた穏やかな微笑みを少年少女達に向けていた。
色白の肌に整った目鼻とそして桃のように艶のある薄い唇。
謁見用の純白のドレスに身を纏い、長い髪をアップにしてまとめたその女性からは、ただそこに座っているだけなのに溢れ出る気品とただならぬ威厳を感じることができた。
この人がマーヤ女王――
およそ三間離れた玉座に座していた女性を見るなり、その美しさに少年少女達は一様に息を呑み、動きを止めた。
「貴方達の活躍は聞いています。チェロ村の者達と協力し、コル・レーニョ盗賊団を見事撃退したそうですね。この国を統べる女王として礼を述べさせてもらいます。本当にありがとう」
玉座より優雅に頭を下げ、マーヤ女王は静かに謝辞を述べる。
カッシーはしばらく言葉を発する事もできず、ただただ彼女に見惚れていたが、我に返ったように目を泳がせながら慌てて言葉を探しはじめた。
だが――
「いや、そ、そんな。ど、ども……」
振り絞るようにしてやっと出た我儘少年のその言葉に、他の五人は呆れと失望の溜息を漏らす。
本当に本番弱いなあカッシーは――と。
マーヤ女王はしばしの間ぽかんとしていたが、やがて可笑しそうにクスリと微笑むと緊張でガチガチになっている少年に優しい眼差しを向けた。
「それで本日はどのようなご用件でしょう?」
「あー……えっと、その――」
「僭越ながら女王、それについては私より説明致します」
と、見かねたサワダが助け舟を出すように間に入る。
「彼等は逸れた仲間を捜しているそうなのです」
「仲間を?」
「はっ、ついては我が国にもその捜索に協力してほしいとの理由から、女王に謁見を希望された次第……そうでしたなカシワギ殿?」
興味深げに尋ねたマーヤ女王に、サワダはさらに付け加えると、確認するようにカッシーを振り返った。
本当にこの人はどれだけイケメンなのだろう。男なのに惚れてしまいそうだ――
と、カッシーは少し危ない感想を浮かべながらも、フォローしてくれたサワダに感謝を目で訴えながら何度も頷いてみせる。
「え、えっと、あのちょっとしたトラブルでこの国で迷子というか……ばらばらになっちゃって」
カッシーがあたふたしながらも懸命に事情を伝えようとすると、残りの五人も堰を切ったように切羽詰まったその心境を吐露しはじめた。
「それでヴァイオリンなら何か情報が手に入るかもって思ってやってきたんです」
「ぺぺ爺さんも女王ならきっと協力してくれるっていってたしなー?」
「ムフ、ジョオー様なんか知らないディスか?」
「そうだ。ペペ爺さんから手紙を預かってます」
「えっ、ペペ爺から? 私宛に?」
マーヤ女王は少年少女達の話に同情するように何度も小さく頷きながら耳を傾けていたが、チェロ村の村長である老人が話題に出ると、途端に懐かしそうに笑顔で顔を綻ばせ、声を弾ませた。
だが、イシダ宰相がコホンと咳払いをしたのに気づくと、はっとして直ぐに気品ある女王の表情へと戻る。
「えっと……あった。これです」
イシダ宰相が静かに歩み寄ってきたので、日笠さんは鞄からペペ爺より預かった手紙を取り出すと彼に手渡した。
マーヤ女王は宰相から手紙を受け取ると、そそくさと封を開けて読み始める。
気のせいだろうか。日笠さんにはかの老人からの手紙を読む女王の表情が、年相応の女性の表情に戻ったように感じられた。
女王はしばらくの間、黙々と手紙に目を通していたが、やがて顔を上げるとカッシー達を一瞥する。
「なるほど、大体理由はわかりました。確かに貴方達だけで探すのは大変でしょう……イシダ宰相」
「はい」
名を呼ばれ、傍らにいたイシダ宰相は静かに返事をして女王を向き直った。
「各地方の長に伝えて下さい。奇妙な服装をした少年少女を見たら、些細な事でもヴァイオリンへ連絡をするように、と」
「わかりました」
「それと騎士団と警備隊にも城下町で情報を集めるよう指示をお願いします」
「ご随意に」
一礼したイシダ宰相に、マーヤ女王は念を押すようにさらに指示を続ける。
「隣国にも協力を求める手紙を送ってください。パーカスのカナコ組合長とトランペットのミドリ女王……いえ、エリコ王女に手紙を」
「失礼ですが、エリコ第一王女にですか?」
「ええ、彼女とは個人的に付き合いがあるし、それにエリコ姫なら色々な噂にも詳しいはず――」
「かしこまりました」
イシダ宰相は懐から取り出したメモ紙に年季の入った羽ペンで女王の指示を速記すると、再び一礼した。
よろしい――と頷いてからマーヤ女王はカッシー達へと視線を戻す。
そしてにこりと威厳ある微笑みを浮かべてみせた。
「聞いての通りですチェロ村の小英雄達、我が国は貴方達の仲間捜しに協力します」
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」
「これで、みんなを早く見つけることができるかも?」
「よかったですね、カシワギ殿」
「サワダさんもありがとう。すっごい助かりました!」
矢継ぎ早に指示を飛ばすマーヤ女王をきょとんとしながら眺めていたカッシー達は、その言葉を聞くや否や、女王の御前という事も忘れて満面の笑みではしゃぎだした。
「本当にありがとうございます女王様!」
「礼を言うのは私の方です。私も昔、チェロ村の皆には大変世話になったのですから」
「そうなんですか?」
「ええ、もし貴方達がいなければ、私は大切な人達を失ってしまうところでした」
貴方達は私にとっても公私に渡って恩人である――
口々に礼を述べるカッシー達に、マーヤ女王は胸の前で手を握りしめながら、心底嬉しそうに安堵の表情を浮かべていた。
そういえば、ペペ爺やサワダさんが言っていたっけ、女王はチェロ村の隣にあるヴィオラ村の出身であると。
カッシーはそこまで考えてから、連鎖的に思考をよぎったとある絵本の内容に笑顔をひっこめた。
そう。
そうだ思い出した。
この人が『ヴィオラ村のマーヤ』。
妹が書いた絵本『マーヤの大冒険』に出てくる少女――
だが絵本の話とは少し食い違う部分がある。
目の前の女王は、『少女』というには少し無理があるのだ。
少なくとカッシーの目にはもう少し年上に見える。恐らく二十代半ばくらいだろうか。
思い切って聞いてみようかとも考えたが、この場で「女王様って年おいくつですか?」と聞く程空気が読めないバカではない。
少年はもちろんやめることにした(恐らくかのーなら余裕で聞くだろうが)。
だが、この差は一体なんなのだろう。
絵本の話と比較して拭いきれない違和感を感じ、皆が喜ぶ中一人カッシーは口をへの字に曲げていた。
と――
「ところで、皆さん。まだお時間は大丈夫ですか?」
仰々しく咳払いをしながら、そう発言したマーヤ女王に、はしゃいでいた少年少女達は我に返ると態度を改めた。
「はい、特にこの後予定はないですけど」
「では、その……個人的にお話したいことがあるのです」
「お話……ですか?」
なんだろう?日笠さんが皆を代表して尋ねると、マーヤ女王はこくんと頷いてみせた。そして、彼女は少しもごもごと口篭りながらイシダ宰相とサワダを向き直る。
「少し席を外していただけないでしょうか?」
「承知しかねます。女王お一人ではいざという時危険です」
突然なにを言い出すのです女王――もちろんイシダ宰相は彼女のその願いに静かに首を振って反対した。
いかにチェロ村を救った少年少女とはいえ、何かが起こってからでは遅いのだ。
だが宰相の言葉に続くようにして青年騎士がカッシー達をかばうように反論する。
「宰相殿、彼等はそんな事をする者達ではありません。私が保証します」
「しかし……」
「宰相、お願いします。時間は取りません」
マーヤ女王は切実な表情でイシダ宰相を見つめながらなおも食い下がった。
ふむ、と若き宰相は口の中で唸り声をあげながら、カッシー達を一瞥する。
しばしの思案の後、若き宰相は年よりくさい溜息一つをつくと、仕方なく女王のその願いを承諾したのだった。
「そこまで言うのであれば仕方がありません。ですが女王、この後下半期の国家予算会議が待っております故、なるべく手短にお願い致します」
「ありがとう宰相」
「それでは私とサワダ殿は部屋の外で待っております故、話が終わりましたらお呼びください」
もの静かにそう言って、イシダ宰相はサワダと共に謁見の間を退出していった。
やがて扉の前で警護をしていた衛兵も、一礼をしたのち二人に続いて部屋を後にする。
扉の閉まる音が響くと、部屋は静寂に包まれた。
マーヤ女王はなおも部屋に誰かが残っていないかを警戒するように、二、三度周囲を見渡す。
「……あの、女王様?」
「お話ってなんですか?」
話って一体なんだ?――
同時に口を開いたカッシーと日笠さんに対し、女王はその薄桃色の唇に指をあて静かに――と二人を見た。
「皆出て行きましたね?」
「え? あ、はい……」
念を押すように尋ねられ、少年少女は仕方なく念入りに周囲を見渡してから問題ない――と頷いてみせる。
刹那――
「は~~も~~……朝からつかれた~~」
気品溢れる蒼き騎士の国の女王は、なんとも気の抜けた緩~い声でそう呟くと、大きな溜息をついてだら~~ん、と玉座によりかかったのであった。
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