その3 何者だ?
北の大通り―
見つけた――
市場を抜け、北の大通りに出た東山さんは、南に向かって駆けていく優男の後姿を発見して眉間にシワを寄せる。
それにしてもなんて足の速さだろう。既に男の姿は大通りを挟んでその向こう側に小さく見えるほどになっている。そんなに差はなかったはずなのに――少女は悔しそうに弾む息を漏らした。
「止まりなさい!」
大通りの端から端までよく通る、凛と響いたその警告に、優男だけでなく行き交う人々も何事かと東山さんに注目した。
優男は少女が追って来ていたことに気が付くと足を止め、軽く手を振りながらにこやかに東山さんに笑いかける。
この情景だけ見れば、恋人同士のデートの待ち合わせに見えなくもない。視線を向けていた人々は興味を失い、何事もなかったように再び歩き出した。
が、優男のその行為がますます風紀委員長の怒りに油を注いだようだ。
紅いコンバースのスニーカーが、タン―と石畳を蹴りつけると、少女は獲物を狙う隼の如く、優男目がけて走り出した。
これはまずい、結構早いなあの娘――
大通りを猛ダッシュで横断してくる東山さんを見て途端に笑顔をひっこめると、優男は慌てて踵を返し脱兎の如く傍らにあった路地裏に逃げこんだ。
東山さんは男を追いかけ路地裏に飛び込む。
大通りと異なり外灯のないその狭い道は、既に夜の闇が染みとおったように暗く、おまけに入り組んでいるのが少女の位置からもわかった。
だが、その人一人がやっと通れそうな道の先を優男が駆けていくのが見え、少女は大きく一回息を吸うと再び地を蹴った。
「待ちなさいって言ってるでしょ!」
「すまないけど今取り込み中でね、デートのお誘いはまた今度にしてくれない?」
「なっ!? ふざけるのも大概にしなさい!」
誰があなたような痴漢をデートに誘うもんか!――
東山さんは人を食ったようなその発言にますます怒りを爆発させ、優男を追いかける。
しかし、暗く入り組んだ道にも拘わらず、優男は速度を落とすことなく巧みに道を走り抜けていくのに対し、少女は土地勘もなく暗くておぼつかない足元のためにスピードが乗らない。
それだけではない。優男はその容姿からは想像しがたいが、無駄のない身のこなしと体幹バランスで、すいすいと曲がり角を曲がっていくのだ。
まるで速さが落ちる気配がない優男と、八分の速さしか出せない怪力少女。
時間と共に二人の差は広がっていく一方だった。
そしてとうとう――
「くっ……」
男を追いかけて道を曲がった東山さんは、その先にあった無機質なレンガの壁に、驚いたように目を見開いた。
行き止まり。
弾む息を必死に整えながら、周囲の様子を伺うがあの男の姿は見当たらない。
不覚、見失った。でも絶対許せない。
あの女の敵! 見つけ次第簀巻きにして出るべきところに突き出してやるんだから――
傍らの壁をドン!――と横殴りに打ち付け、小さなクレーターをそこに生み出すと、東山さんは憮然とした表情で来た道を引き返していった。
少女が去って数秒後。
行き止まりの上の方からリスザルの鳴き声が響く。
壁と壁に挟まるようにして身体を支え、上から東山さんの様子を窺っていた優男は、少女の姿が見えなくなると手を放して着地する。
咄嗟に壁を蹴って三角跳びの要領でよじ登り、身を隠したのだが何とかうまくいったようだ。
それにしてもなんてお嬢さんだろう――着地した目の前に丁度見えた、クレーター状にへこんだレンガ壁を眺め、優男はほっと息を漏らした。
だがうまく撒けたようだ。彼はパンパンと衣服の汚れを払うと、何事もなかったように路地裏を抜け、大通りへ戻ろうとした。
しかし――
もう一角曲がれば大通りという一歩手前で、優男の前後を挟み込むように男達が道を遮った。
いうまでもなく、先刻彼を探していたガラの悪い集団である。
「やっと見つけたぜ。散々てこずらせやがって」
「ああ、ちょっと待ってくれ。できれば穏便に事を済ませたい、見逃してはくれないだろうか」
一難去ってまた一難とはこのことだ。優男は小さく息を吐くと、だが動揺する素振りもなく両手を挙げ、男達を一瞥した。
だが男達はちらりと確認しあうようにお互いを見合うと、小さく頷いて優男を睨みつける。
「それはおまえ次第だ」
「僕次第?」
「おまえ、最近うちらの酒場で色々聞きまわってるそうだな?」
と、先頭にいた男が優男に歩み寄り、彼を見上げながら凄んで見せた。
だが男より頭一つ分は飛びぬけた優男は男の恫喝に怯む様子もなく、小首を傾げて男を見下ろす。
「あーその……何の事だか見当も」
「とぼけるなっ! 仲間が見てるんだよ、おまえがサヤマ様の事を嗅ぎまわってるのをな?」
「サヤマ様っていうと……リタルダンド卿?」
と、優男の口からすんなりと自分達の雇主である人物の爵位名が飛び出したことに、男達はますます警戒の色を目に浮かべる。
「……何モンだおまえ? 何を企んでやがる?」
いかにも三下といったガンを飛ばしながら、男はさらに優男に詰め寄ると彼の胸をドンと小突いた。
が――
途端に温和な笑みを消し去り、優男は真剣な顔で男を見下ろす。
「つまりだ、やっぱり嗅ぎまわられちゃまずい事をリタルダンド卿は企んでるってことで良いか?」
威厳ある口調。
本能的に思わず畏敬してしまうようなその威圧感に思わず男は身じろいだ。反射的に優男の前後を塞ぐように立っていた男達が、腰を落とし剣に手をかける。
「サヤマ様から言われていてな。怪しい者は容赦なく斬れ――と」
数では圧倒的にこちらが有利だ。勝利は確定しているに等しい――本能が訴えた、相手に対する畏敬を錯覚だったと言い聞かせるように抑え込み、男達は手にかけた剣を一斉に引き抜いた。
優男の肩に乗っていたリスザルが、威嚇すように歯を剥いて唸る。
「あまり争い事は好まないんだ。ここはお互いのために引いてもらえると助かる」
途端に優男は再び温和な笑みを浮かべると、やはり争うつもりはない――と、両手を挙げたまま男に尋ねる。
だが交渉はそこまでだった。
返事の代わりに振り上げられた目の前の男の剣を視界に捉え、優男は腰の剣に手をかける。
一閃。
暗い路地裏に、光の弧が描かれるのがはっきりと見え、男達は息を呑んだ。
それ程早い一撃だった。切りかかった男はなす術もないまま気を失ってその場に崩れる。
優男が振るった、鞘に収められたままの剣による峰打ちによって。
「交渉決裂なら、力づくで押し通らせてもらうがいいかな?」
優男は油断なく男達を見据えながら、やはり鞘に収められたままの剣を構えた。
「おまえ……一体何者だ?」
どう答えようか一瞬迷った優男は、ややもってはぐらかすように男達の問いに答えた。
「あー……善良なる一市民だ。ついでに彼は親友」
紹介されたリスザルは優男の肩の上で得意げにポーズを決める。
なんだこの男は? レベルが違い過ぎる――
先刻本能が訴えていた警鐘を無視したことを後悔しつつ、残った男達は怯むように優男を囲みを緩めた。
刹那――
空を切って路地裏から飛来した謎の物体が、優男の背後を塞いでいた男達の後頭部に直撃し、派手に飛び散った。
男達は二人同時に悲鳴をあげながらもんどりうってその場に倒れる。
四散したその物体はというと――
(……樽?)
足元に飛び散った酒樽の破片にちらりと目を落としてから、期せずして背後の障害がなくなったことに、優男は意外そうに振り返った。
だが、倒れた男達のその先に佇んでいた、怒りに燃える瞳で自分を睨みつける少女の姿に気づき、彼はうっと思わずたじろいだ。
「みつけたわセクハラ男っ! 観念なさい!」
凛とした声と共に樽を投げつけた剛腕主――すなわち東山さんは、威風堂々優男を見据えて仁王立ちすると、眉間のシワをより深いものに変える。
「な、なんだこの女?」
まさかこの樽をあの女が投げたというのか?
狐につままれたような表情で、倒れた仲間と砕けた樽を交互に見比べながら、残った男二人は狼狽しつつ声を荒げる。
しかしその腰は完全に引けていて、戦意は喪失してしまっているようだ。
優男はそんな男達を余所目に、仰々しく東山さんに一礼すると、パチリとウインクをしてみせた。
「また助けられてしまったようだ。ありがとう可愛いお嬢さん」
「ち、違うっ! 別にあなたを助けたわけじゃないんだから!」
「でもタルを投げたのは君だよね?」
「あれは貴方を狙ったの! たまたま外れただけ!」
「素直じゃないなあ、別に照れなくてもいいのに」
「なっ! なんであなたなんかに照れる必要があるのよ!」
と、またもや顔を赤くしながら東山さんはまるでツンデレ娘のような返答して、悔しそうに唸り声をあげた。
何よこの間の抜けた会話。どうも調子狂うわ――
のらりくらりとこちらの気勢を削ぐ優男の会話術に、直情的な彼女はどうもはぐらかされてしまい、いまいち調子がでないようだ。
燻った炎のようにイライラを募らせ、とうとう彼女はイーっと一度地団太を踏むと、拳を振り上げ優男に飛び掛かった。
「とにかく覚悟なさいっ!」
渾身の一撃を少女は優男の顔面へと放つ。
だが――
優男は東山さんのが繰り出した拳を、まるで猛牛を相手にしたマタドールの如くいなすと、同時にその隙を狙っていた男が振り下ろしてきた剣を鞘で受け止めた。
ベクトルが逸れ、目標を見失った矢のように東山さんの拳は優男の眼前を通過し、入れ違うように突き出された男の顔面にクリーンヒットする。
ぐえっ!?――と、ウシガエルが潰されたような声をあげて、男は地を滑りそのまま大通りへと吹っ飛んでいった。
突如、路地裏から顔面をひしゃげさせて飛び出してきた男に、行き交う通行人は吃驚して悲鳴をあげ、たちまち大騒ぎとなった。
外した。一度ならず二度までも――
東山さんは舌打ちしながら素早く振り返ったが、既に優男はその場を離脱し路地裏へと姿を消そうとしていたところだった。
「待ちなさいこの卑怯者!」
「君もすぐにこの場を離れた方がいい。騒ぎを聞きつけて警備隊が来る」
曲がり角に姿を消そうとしていた優男は、動きを止めるとにこりと笑って東山さんに言った。
「君の名は? キュートなお尻のお嬢さん」
「痴漢に名乗る名前などないっ!」
「厳しいなあ。それじゃまた縁があれば」
フルフルと彼の肩にいたリスザルが手を振りながらニカっと笑うと、優男は角を曲がり路地裏の奥に消えていった。
また逃げられた。
お尻を触られたときの感触が蘇ってきて、背筋に悪寒を感じつつ東山さんは悔しそうに両手をワキワキと震わせる。
と、呆然とその様子を眺めていた最後まで残っていた男は、まずい――と顔を引きつらせ、二、三歩後ずさるや否や、一目散に大通りへ逃げ始めた。
東山さんはそれに気づき、慌てて振り返ったが、間に合いそうにない。
だが――
「足元お留守だぜー?」
そうはさせまじ。
丁度大通りからひょっこりと顔を覗かせたクマ少年が、男の側面から素早く彼の足元を払う。
綺麗な出足払いが男の足をすくい、バランスを崩した男は剣を振り上げながらよろめいた。
「ムフ、隙ありディスヨー!」
期を逃さず、ほぼ同時に遠心力をつけた棒の一撃が空を切り男の顔面にヒットする。
こーへいと同じタイミングで男に奇襲を試みていたかのーが放った棒が、男の顔面を薙ぎ払ったのだ。
男は短い悲鳴をあげつつ他の仲間と同様、仲良く地に倒れるとピクリとも動かなくなる。
「やーっと見つけたぜ。ケガないかー委員長?」
「遅い中井君!」
「えー、ひどくねー? すっげー探したのによ?」
一人でさっさと行ってしまった少女を、このクマ少年は先刻から懸命に探し回っていたのだ。
しかし、どこを探しても黄色い風紀の腕章すら見当たらず、諦めて帰ろうかと思った矢先、俄かに騒がしくなった大通り…。
もしやと思い覗いてみると、眉間にシワを寄せまくった少女が例の優男に飛び掛かった最中だったわけである。
後はご覧の通りだ。
ようやく探し当てたと思ったらこの言われよう。
理不尽だと思いつつも、だが東山さんの機嫌の悪さにいち早く気づいたこーへいは、それ以上何も言わず地面に倒れている男達を一瞥する。
「んー、あの痴漢はどこ行ったん?」
「あっちに逃げたわ! 追いましょう!」
「んーにゃ、ここまでにしとこうぜ?」
と、諦めずに優男を追おうとした東山さんを、やや強めの口調でクマ少年は諭す。
そして彼は野次馬が集まりだした大通りを振り返った。
ちらりと見えた通りの向こうからは、軽鎧に身を包んだ集団がこちらへ駆けてくるのが見て取れる。
彼の勘は既に警鐘を鳴らしている。
ここは逃げるが勝ちだ――と。
「早く逃げるディスよクマー! イインチョー!」
と、既に路地裏の奥へひょいひょいと姿を消す寸前であったかのーが振り返って二人を呼んだ。
本当に逃げ足だけは早い奴だ。こーへいはやれやれと呆れながら、かのーの後を追うようにして駆けだす。
「おーい委員長ー早くしろって、こっちだぜ?」
なにやってんだとこーへいは東山さんを手招きした。
こうなっては仕方がない。
「あの痴漢男……覚えてなさいよ! 絶っっっっ対許さないんだから!」
ぎゅっと拳を握ってその場に佇んでいた東山さんは、眉間にシワを寄せながら顔をあげる。
クマ少年の言に従い、断腸の思いで優男の追跡を断念すると、少女は踵を返して路地裏へと姿を消した。
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