その2-1 蒼き騎士の都

ヴァイオリン城下町、宿屋の一室―


 陽はほとんど地平線に沈みかけている。

 この世界の時刻に合わせた腕時計は、十八時を過ぎたところだった。

 チェロ村であればとうにしじまに包まれている時刻であったが、未だ城下町は昼間と変わらぬ賑わいを見せている。

 家路を急ぐ者、外灯に彩られた出店や屋台で今日一日を締め括るように酒を酌み交わす者、はたまた大荷物を運ぶ商人の一行など実にさまざまだ。

 流石は一国の首都だ。チェロ村とは活気が違う――

 窓辺に半身を乗り出して腰かけながら、カッシーはそこから見える大通りを行き交う人々を、飽きることなく眺めていた。


 数時間前。

 小高い丘の上から、ついに到着したヴァイオリンの壮大な眺めを一頻り堪能した少年少女達は、興奮冷めやらぬまま騎士団と共に城下町へと凱旋を果たすことになった。

 衛兵達が到着した騎士団に敬礼を送る中、馬車は歴史と威厳を感じる無骨な城壁をくぐり壁内へと轍を進める。

 途端、視界に広がった光景に六人はまたもや感嘆の声を漏らすこととなった。


 おりしも時刻は夕暮れ時、城を中心に東西南北に広がるメインストーリートのうちの一つ、『北の大通り』は人の往来でごった返していた。

 石畳で舗装された道の端では、露店が所狭しと並んでおり、夕食の買いだしをする人々や、その相手をする商人達の喧騒に包まれている。

 この世界に来て初めて見る人通りの多さに懐かしい憧憬を覚え、カッシー達はまるでおのぼりさんのように馬車の中からきょろきょろとその光景を眺めていた。


 そんな中を、威風堂々とサワダ率いるヴァイオリン騎士団が進んでいくと、人々は彼らに気付くや否や、口々に黄色い声援を投げかけその凱旋を称賛していた。

 もっとも、その「黄色い」声援のほとんどは、若き青年団長に向けられたものであったが。



 かくして、カッシー達六人は騎士団の護衛もあり、無事ヴァイオリンへと到着することができたのである。



 ならばさっそく情報収集!と意気込む彼等であったが、辺りは間もなく日没が近づいてきた逢魔が刻、サワダが言うには城への出入りは既に制限される時間帯とのことらしい。

 じゃあどうしようかと額を寄せ合い相談した結果、今日は女王との謁見を断念し、明日またお城に行ってみようということになった。


「もし宿を探すならば、つてがありますよ」


 となるとまずは滞在先を確保せねば――

 と、六人が思案し始めた矢先、サワダがそう言って知り合いが働く宿を紹介してくれたのだ。

 元々のこの世界についてまったく知識がないカッシー達は、青年騎士の好意に甘えることにしたのだった。

 

 そうして紹介された宿屋が、今カッシーが窓辺に腰かけているこの部屋である。

 北の大通りに面した石造りの宿屋で、城へもそれほど遠くなく、しかも二階の角部屋。

 こういってはヒロコに失礼だが、チェロ村の「松ヤニ亭」とは比べ物にならないほど広く、簡素ではあるが趣きあるセンス溢れた立派な部屋だった。

 まあ片田舎の宿屋と、都会の宿屋を比較するのがそもそも間違いではあるが。


 なお、サワダはきちんと二部屋分交渉してくれたようで、日笠さん達女性陣はカッシー達の隣の部屋に案内されていた。

 あの人は完璧超人か――

 と、カッシーはそつのない気配りをしてくれたサワダに敬服する。

 そんな美形のナイスガイな青年騎士は、つい先ほどカッシー達とわかれ、騎士団を率いて城へ戻って行った。


「明日の朝迎えに来ます」


 という言葉を残して。


 てな訳で。

 荷物を置いて残りは『自由行動』となった今、部屋にはカッシーしかいなかった。

 かのーとこーへいは早々に街の見物に出かけてしまったようだ。

 この国一賑わう城下町にもちろん興味はあったが、チェロ村での戦いの疲れがまだ残っているようで少年は一人部屋に残り、身体を休めていたのである。

 と、部屋のドアが二回ノックされ、ぼんやりと大通りを眺めていたカッシーは振り返った。


「開いてるよ」


 少年の返事のやや後に、扉が開いて日笠さんが入ってくる。

 少女は数歩中に入ると、カッシーしかいないことに、意外そうに目をぱちくりとさせた。


「あれ、カッシー一人なの?」

「あいつら街を見てくるってさ」


 子供のようにはしゃぎながら飛び出していったこーへいとかのーの姿を思い出し、カッシーは溜息をつきながらそう答えた。

 なるほどねえ、と想像に難くない二人の様子を頭に浮かべながら、日笠さん納得したように近くにあった椅子に腰掛ける。


「恵美も見物にいったみたい。多分こーへいやかのーと一緒だと思うけど」

「そりゃよかった」


 まあ委員長も一緒なら、心配はなさそうだ。

 バカとマイペースの二人の少年だけでは若干不安だったカッシーは、日笠さんの言葉を受けてやや安心したように、うーんと背伸びをした。


「カッシーは行かないの?」

「俺は明日にするよ。なんか疲れちゃってさ…ところでなっちゃんは?」

「今お風呂に入ってる」


 風呂?風呂ってあの風呂だよな?実は砂風呂でしたとかいう冗談じゃないよな?――

 と、意外な言葉が返ってきてカッシーは日笠さんを向き直る。


「マジか、風呂あるのこの宿?」


 少年は思わず身を乗り出してにやけ顔になりながら日笠さんに尋ねた。

 チェロ村には風呂がないと聞き、カッシー達は仕方なく固く絞ったタオルで体を拭くくらいしかできないでいたのだ。

 まあ様子が中世に似ているし、この世界ではまだ風呂は貴重なものなのかもしれない、と思って渋々ながら納得していたが。

 だが日笠さんの話が本当ならだと嬉しい情報だ。


「私もビックリしたの。浴場があるんだって。さっきヨーコさんにお湯とタオルを頼んだら『それでいいの?』って笑われちゃった」


 ヴァイオリンは水資源が豊富な街だそうで、オーダー制にはなるが、事前にお願いすれば浴場にお湯を用意してくれるらしい。

 この世界の浴場とは、日本の大浴場のようなものではなく、バスタブのある個室のことを指す。料金も無料とのこと。

 

 ちなみに、日笠さんの口からでた『ヨーコさん』とは、サワダが言っていたこの宿屋で働いている知り合いの女性のことだ。

 フルネームはヨーコ=ハヤミ。この宿の看板娘で、一階ホールにある食堂兼酒場のウエイトレスもやっている働き者な女性である。

 彼女の口添えもあって、カッシー達は比較的よい条件である角部屋に泊まることができていた。


 閑話休題。

 風呂がある。一週間ぶりの風呂だ。

 カッシーですらやった!――と思ったのだから、女性陣にとっては嬉しさもひとしおだろう。


「日笠さんは入らないの?」

「私? もう入ったよ?」


 と、日笠さんは実に満足そうなほくほくの笑顔を浮かべてみせた。

 窓辺に少し離れて座っていたから気が付かなかったが、言われて見ると髪もほんのり濡れているし、ほのかに石鹸の香りも漂ってくる。

 意外とちゃっかりしてるな日笠さん――と思いつつカッシーは、自分も後で入ろうと心を躍らせる。

 

「でもまあ、お風呂一つとってみてもこの街は栄えてる感じがするよね」

「そうだな、チェロ村の様子見る限りは風呂って貴重みたいだし」


 カッシーは窓から見えるヴァイオリン城を眺めながら日笠さんの言葉に答えた。

 夕刻見えたあの巨城は今、いくつもの松明に照らされて雄大な姿を夜空に浮かべている。


「マーヤ女王か……協力してくれると助かるんだけど――」

「ヨーヘイやサワダさんの話ぶりじゃ、優しくていい女王様みたいだし、きっと助けてくれるんじゃないか?」


 少し心配そうに言葉を止めた日笠さんを振り返って、カッシーはやや楽観的にそう答えてみせた。

 

「まあ、ダメだったらその時考えようぜ? この街はかなり賑わってるし人もいる。俺達で聞いて周ればいい」

「そうだね……わかった」


 この世界に来てから彼女は少し悪い方向に物事を考えすぎな気がするのは気のせいだろうか。

 まあ責任感が強く、心配性な彼女だからこそではあるのだが――

 カッシーの提案を聞いても、未だ考え込むように俯く日笠さんを見て、少年はやれやれと頬杖をつきつつ再びヴァイオリン城を見上げた。

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