第3話 賢者アオキの美容室

 つばき荘二階のフロアは、一階とはまったく様相が異なっていた。

 具体的に言うと、壁と天井を白い樹木の枝が這っている。一部には、ほとんど同化している場所もあった。


「我らが祖先の地、中庭に生い茂る《星河の樹》だ」

 俺の先に立って歩きながら、セリアさんは語った。

 やはり外から見た以上にこのアパートの内部はずっと広く、俺たちは賢者アオキの部屋までそれなりの距離を歩かなければならなかった。分岐点も多く、確かにこれは案内がなければ迷ってしまいそうだった。


「いまは冬だからこの調子だが、春から夏にかけては無数の星の実がなる。そうであればこのフロアも危険が増していたところだ。星の実を狙う魔物どもが、三階から現れるからな」

 セリアさんはどこか誇らしげに言った。

「運が良かったな、自称・管理人の男よ」

「そうだね」


 この少女は、いま、魔物といった。

 それはいかなる存在か。三階に住んでいるのか。だとしたら、彼らも住人としてカウントするべきなのか、否か。

 そうした疑問が脳裏をよぎり、管理会社に確認を取りたくなった。

 だが、俺のスマートフォンはさっきから『圏外』の表示のままだ。ウェブにも繋がらない。

 仕方なく、それらの疑問は後回しにすることになった。


「魔物の討伐は、エルフの狩人の仕事だ」

 セリアさんは自分の弓を掲げた。やはり、いい弓だ。年季の入った技術を感じる。

「二階は、私たちエルフの縄張りだからな。すごいだろう」

「すごいね」

 俺は心の底から言った。

「俺は縄張りなんて持ったことがないよ」

「そうだろう、ふふ――だが気にすることはない。思慮深い研鑽を重ねれば、いずれお前も縄張りを持てるだろう。管理人になるという大きな夢を抱いているのだからな」

「ああ。そう信じたいな」

 俺はここで生まれ変わることができるだろうか。

 ちゃんとした家を持ち、まっとうな仕事を持ち、しっかりと交友関係を築く。この大きなチャンスを、逃したくない。


 そのまま、俺たちは二階の奥まった場所にある部屋にたどり着く。

 部屋のドアには、二種類のプレートが打ち付けられていた。

『二〇一号室』

 そして、

『美容室 アオキ』

 だ。


「ここだ。ここが賢者アオキの部屋だ。しかし――」

 セリアさんは、ドアノブにぶら下がった札を見つめた。

『定休日につき、休業中』

 と、書かれている木札だった。大きな『×』印も描いてある。


「これがわかるか、自称・管理人。ドアに結界を張っているという意味の記号だ」

 セリアさんは『×』印を指差し、顔をしかめる。

「留守か、定休日か、休憩中か、それはわからないが」

「定休日だね」

 俺はその文字の個所を指で辿る。

「ここに、そう書いてある。鍵もかかってるな」


 ドアノブも回そうとしてみるが、もちろん動かない。

 鍵穴が見当たらず、小さなセンサーらしきものがある。見覚えがあった。

 指紋認証か、網膜認証による電子ロックだろう――このアパートは、見た目よりずっと現代的なセキュリティを有しているようだ。


「なんだと」

 俺の言葉に、セリアさんはひどく驚いた。

「お前、賢者の文字が読めるのか!」

「俺は一通りの国の言葉を勉強したからね」

 というよりもその大部分は、電子脳幹にインストールした、各種言語スキルバッチのおかげだ。

 一応、日本語と英語と一部の中国語くらいは話せるが、あれは勉強した内に入らない。仕事をしていたら、必然的に覚えるしかなかった。


 ともかく、俺の言葉はセリアさんを非常に仰天させたようだった。

「なんだそれは。お前、まるで、本当の管理人のようではないか。さては、ただの変な男ではない……?」

「管理人なんだよ。ちゃんと業務委託されてるんだから。でも、賢者の人は――」


 俺は部屋の上の電気メーターに目を向けた。それなりの速さで動いている。

「部屋には、いるみたいだね」

「ふむ。困った。このドアの結界は、ただの鍵とは違うぞ。ドワーフどもでも破れぬのだ」

 セリアさんは腕を組む。


「賢者アオキにも、今回の事態を相談したかったところだ。妖術王の魔法に対抗できるのは、賢者の知恵ぐらいだからな。どうしよう。まさか、妖術王の手下にやられてはいまいな……? 部屋の中で、呪殺されていたり……?」

 自分で言いながら、セリアさんの顔はどんどん曇っていく。しまいには気分が悪そうに首を振り、ネガティブな推測を打ち切った。

 代わりに、部屋のドアを叩き始める。

「賢者アオキ! 急を要する事態だ。生きているか! 生きているなら、いますぐ顔を見せるがいい。危ないぞ! 結界を解除してくれ!」


 セリアさんの様子を見ながら、俺も心配になってきた。

 住人の安否確認は、管理人の仕事のひとつではないだろうか。

 例えば部屋の中で人知れず負傷し、身動きが取れなくなっていれば、管理人はそれを確認するのが常識的という気がする。

 これだけセリアさんがドアをノックして、何の反応も返さないとすれば、それは緊急事態に近いのでは。


 そう考えた俺は、緊急手段を取ることにした。

 管理会社からマスターキーの類を渡されていないため、手っ取り早い方法は一つ。

「セリアさん、ちょっと離れて」

 俺はそっとドアノブに触れる。

「鍵を開けてみる」


 我ながら、あまり良い手段ではない。

 前の職場でさえ、こいつを使っているところを見られたら、それなりの制裁を受けることになっていただろう――こいつは違法チートスキルだ。俺が独自に手を加え、不正改造したスキルバッチを用いる。

 メーカーは動作を保証しておらず、危険性も大きい。

 それでも背に腹は代えられない。


 電子脳幹にインストールしたスキルバッチを実行――アクティブ起動。即時。《破砕振動》。


 強化内骨格から縮約筋肉ゼリーに振動を伝え、接触した物体を高速振動させるスキルバッチだ。

 実行の際、物理延伸現象を同時発生させることで、振動の伝わり方をかなり自由にコントロールできる。その破壊力と有用性は、戦車と戦闘機に狙われた俺の命を救ったほどだ。


 俺の手のひらから生まれた振動は、一瞬でドアノブへ伝わる。

 めききききっ、と、連続した破壊音が響いた。

 強烈な音。


「うひゃ」

 セリアさんは飛び離れ、反射的に弓矢を構えた。

 その先端は、やっぱり俺の喉元に突き付けられている。咄嗟にこれができるとは、悪くない腕だ。

「な、なにをした、お前。結界を破ったのか!」

「賢者の人には悪いんだけどね」

 そうして、俺はドアを開けようとした。


「――なんだよ、さっきから!」

 その前に、いきなりドアが押し開けられ、俺は思い切りよろめくことになった。

「ガンガンガンガンとドアを叩きやがって。定休日だって書いてあるだろ! ぶっ殺すぞ!」

 甲高い声と同時、人影が出てくる。そしてまくし立てる。


「人様の迷惑を考えろよ! 何時だと思ってんだよ、こっちは寝てたんだよ!」

 顔を見せるなり怒鳴ったのは、髪の毛を青く染め、短く切りそろえた女性だった。

 不健康そうな痩せ方――パーカーと、適度に破かれたダメージ・ジーンズ。耳と唇にピアス。寝不足に違いない目の下の隈。


「それにお前、さっきの音は――あ、あああああ!」

 彼女は内外のドアノブを掴んで、それぞれを回した。

 ただ、ぐるぐると回る。それだけだ。

 ノブを回す手ごたえが全くないことに、衝撃を受けたらしい。それも当然か。青い髪の毛をかきむしる。

「何しやがる! か、鍵を――ぶっ壊しやがったな! これ直すの、かなり大変なのに! ンだよお前、クソ妖術王のところのクソ野郎か? あ?」


「すまない」

 こうなれば俺は謝るしかない。

「返事がなかったもので、強引に鍵を壊してでも安否を確認するべきだと思った」

 そして、俺はネクタイの位置を正す。

 鍵を破壊するという野蛮な行為に及んでおいて、もはや手遅れかもしれないが、少しでも社会人らしく見えるように。


 だが、どうやら俺の態度は、火に油を注いでしまったようだった。

「何が安否確認だ、お前、何様だよ! しかも二〇五号室の――お前、セリアかよ。なんでこんなやつを連れてきたんだよ。誰だよ!」

「すまない」

 セリアさんもまた、居心地悪そうに謝った。

「だが、本当に急を要する事態なのだ。妖術王が本格的に戦争行為を開始した。賢者アオキよ、アパートの平和のために知恵を借りたい。そしてこの変な男は――」

 セリアさんは、言いにくそうに口ごもった。

「自称・管理人らしい」


「ああ」

 俺は右手を差し出した。

「よろしく、賢者アオキさん」

「ふざけんな」

 賢者アオキは右斜め下から俺を見上げた。もしかしたら、睨みつけたのかもしれない。本格的な殺意のない、怒りだけがこもった睨み方――なるほど、わかってきた。

 これが社会人か、と俺は思った。

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