捕食者
あたしたちをからかうのに熱中していたからか。
チョウの奴は、致命的なミスを犯した。
文字通りの致命。
後ろから音もなく
カマキリの素早い腕が、一瞬で彼女を捕らえていた。
「ぎ……は……助け……」
途切れとぎれの息で訴えるけど、相棒はもう一目散に飛び去って、振り返りさえしない。
当然だ。
チョウがカゲロウの不出来さを嘲笑したように、種として持って生まれた絶対的な機能と性能の差がある。
しかも大きいというのは、餌として充分という事でもある。
あたしたちより優れた身体でも、生来の捕食者に抗う術などない。
襲われたら、ただ逃げるのが本能として正しい。
「……こ、怖いよ……」
「……大丈夫。あたしたちには気づいてない」
震えてしがみつく彼女の肩を抱いて、息を潜める。
まだ見つかってないだけじゃない。奴の大きさからすればあたしたちは小さすぎる獲物だ。捕まえるのは難しいし、食べたところで大したエネルギーにはならない。下手すれば、喰うために身体を動かしたカロリーで赤字決算になる。
背後から抱きすくめ、捕らえたチョウの喉元にカマキリはかぶりついた。
「ぎひっ!」
嘲る声とは大違いの濁った悲鳴が、彼女の最後の息。
噛みちぎられた首筋からおびただしい体液が溢れ出て、彼女自身の亡骸を汚す。頭は胴体から離れ、残滓の繊維で辛うじてつながって胸元でぶらぶらと逆さまの無表情を晒している。
既に生命は尽きているのに、ただの肉の塊が神経の反射でびくんびくんと細い手足を振るわせる。
カマキリは冷徹で端正な顔に何の感情も浮かべず、ただ黙々と咀嚼を続けている。
垂れ下がっていた顔が咥えられ、噛み砕かれる。片方の翅が消失する。
肩から腕、胸から脇腹へと食は進み、既に反応としての痙攣さえ起きない。
「……本当に……本当に大丈夫なの?」
「大丈夫、あたしがついてる」
何の根拠もないけど、怯える彼女を落ち着かせるために断言する。
抵抗手段なんてない。
さっきの推測が的中して、カマキリがあたしたちを標的にしない事。それに賭けるしかない。
「動ける? 疲れは取れた?」
「う、うん……多分」
彼女の返事は心許ない。
武器のないあたしたちとしては、隙を見て全力で逃げるしかない。
あいつは身体が大きい分、飛ぶのはあまり得意じゃないはずだけど……。
あたしが息を潜めて観察している間に、大きく不細工な羽音が近づいてきた。食べるのに夢中なカマキリは、背後から差し掛かった影に気づかない。
もうひとりの、カマキリだった。
今度は
それでも、
まだ残ってたチョウの下半身を腕で押さえ、引き裂き、噛み切って咀嚼していく。
「!」
彼女が、隣で息を飲むのを感じる。
くちゃくちゃと
ぐちゅぐちゅと
激しく絡み合う二体が、勢いに流されるまま体位を変える。意志のない、偶然だけの動き。
最後に残ったチョウの、右膝から下だけが弾みで落ちる。
エッチなんて軽い言葉は相応しくない。
セックスでも足りない。
生殖、交尾、繁殖--なんて呼べばいいのだろう。
あたしと彼女は、震えて抱きしめ合ったまま、魅入られたようにその光景を見つめていた。
これも、自然だ。
これもまた、命だ。
荒々しくて獰猛で容赦のない、激しい営み。
そして、チョウを完全に飲み下した
体液が噴き出して
白目を剥き、舌をだらんとはみ出させた頭が、かくんと傾いた。
それでも、腰を振る動きは止まらない。
こいつは、そういう風にできている。
奴らは、目に入る動くものは何でも食らう。
自動的に、マシーンみたいに。
そこに意志はない。
「……行くよ!」
カマキリの行為を凝視したまま固まってる彼女の肩を、勢いよく叩く。身体はガクガク震えていた。
いや、あたしの手も震えてるから、触れあって共振しちゃったのかも。
「連中だってヤってる最中は動けない。逃げるなら、今よ」
彼女の手をつかみ、飛び上がる。
視線を引っ張る強烈な引力に逆らい、あたしは振り向かないでひたすら遠くを目指し、全力で羽ばたく。
引っ張る手にかかる抵抗が強い。
彼女はまだ、あの「自然」に魅入られているんだろうか。
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